第三章 露店市場 10
その後、二日間トーアは市場に行かずに宿で過ごしていた。
ほとんど宿の部屋から出なかったのはホームドアでの作業を行っていたからで、ヴォリベルとガーランドからの依頼もあったが作業時間として大きかったのは耐火煉瓦の焼成を始めた事だった。
トーアが依頼を鍛冶場でこなしている間、アインとドライは窯で焼ける限界まで耐火煉瓦の成形と乾燥を進めており、窯にも問題がなかったことから作業開始に踏み切った。
最初にトーアとツヴァイの手によって乾燥が終わった耐火煉瓦を窯の入口から煙突までの煙と熱の通り道の左右に隙間ができるように積み上げる。
無理のない数を入れ終わると窯の入口で火を焚いて、半日以上の時間をかけて窯の温度をゆっくり、ゆっくりと上昇させた。
火が大きくならないよう、それでいて消えてしまわないように薪を足し、十分に窯の温度が上がったところで次は窯の限界ぎりぎりまで温度を上げる。
耐火煉瓦は焼きあがった温度が耐えれる温度になるので、可能な限り高い温度にする必要があった。
汗を流してときおり水分を補給しつつ窯で焼き続ける。
途中、クエストから帰還したギルにも火の番を助けてもらいながら、耐火煉瓦の一回目の焼成が完了した。
一部の煉瓦は耐えきれずに割れてしまったが、砕いて次の煉瓦作成時に混ぜるという無駄のない使い方ができる。
「やっぱり、一度で焼きあがる煉瓦の数は多くないね」
耐火煉瓦の使用用途は幅広く、今後は調理用の竈から鍛造炉、登り窯、反射炉とかなりの数が必要となる。
「まぁ、地道に焼いていくしかないんじゃないかな」
半袖シャツにズボン、頭にタオルを巻いたギルがトーアの呟きを拾う。
「そうだね……ふぁ……明日も早いし、後はアイン達に任せよう」
時刻はすでに夜中の十二時を回っており、明日は露店市場に行く予定のあるトーアは作業を切り上げ、ギルにお風呂を勧めた。
待ちわびていたお風呂にギルは嬉しそうな顔をする。
さすがに一緒に入ると誘う勇気はトーアになく、それを察したのかギルもそれ以上何も言わずにお風呂を堪能した後、こっそりと宿の自室へ戻っていった。
翌朝、ギルとフィオン、ゲイルは再びクエストへと出発し、トーアは露店を開いてヴォリベル達がやってくるのを待っていた。
「リトアリス、注文のものは出来上がっているか?」
「はい、こちらがご注文の武器になります」
足早にやってきたヴォリベルとガーランドにそれぞれ武器を差し出し、手渡す。
「おぉ、リトアリスの武器をこうして手にすることができるとは……」
「ありがとうございます、リトアリスさん」
武器を受け取ったヴォリベルとガーランドは調子を確かめるように武器を握り、満足げに頷くとトーアに代金を差し出した。
礼とともに硬貨を受け取ると早速、調子を確かめると言ってガーランド達は去って行く。
初の鍛冶仕事を終えて、トーアは満足げに息を吐く。よしと気合を入れなおし、露店の前を通る人々に声をかけて次なる顧客獲得に向けて行動を開始した。
トーアの露店を後にしたガーランド達は定宿としている、クリアンタ商店系列の宿に真っすぐに戻った。
どこか見ていかないのかというオクトリアに話したいことがあるとヴォリベルが宿に戻る事を優先させたためだった。
「それでどうしたの?……リトアリスの武器が思うほどでもなかったの?」
灰鋭石の硬剣騒動、決闘騒動の事を知っているため、そんなことはないでしょとどこか冗談めかしてオクトリアはヴォリベルとガーランドに尋ねる。
「いや、出来栄えは素晴らしい」
「……予想を超えてね」
「どういうこと?」
ガーランドがトーアから受け取った剣を膝の上に乗せ、鞘に手を置いた。
「今日手にしたはずのこいつだが……今まで使っていたものよりも手に馴染む。それこそ何年も使い込んできたようにな」
「それって……」
ヴォリベルの言葉にオクトリアは言葉を失う。ペフィミルもまた、驚いた顔でヴォリベルとガーランドを交互に見やる。
それは単に『腕前が良い』という次元を超えた話だった。確かにガーランド達は注文をする際に使っていた武器をトーアに手渡していた。状態を確認し、メモも取っていたのを記憶している。だが、たったそれだけでガーランドやヴォリベルの癖を見抜き、武器の調子をぴたりと合わせてくる。
トーアの鍛冶師としての腕前は、想像を超えたところにあるらしい。
「とりあえず、調子を確かめるためにクエストには行こうと思う。その前に……」
「ジェリボルトに話しておこうかと思っている」
ヴォリベルの言葉にオクトリア、ペフィミルは少しだけ考え込んだ。
ジェリボルトはガーランド達の雇い主でもあり、トーアの動向を細かに調べている事、そして、ガーランド達にもトーア達に何かあったら、気が付いたことがあったら、細かな事でも教えてほしいと依頼ではなくお願いとして話をしていた。
そのような話をしていたのもあり、また良い広告にもなるだろうと『餡かけおこげ』の一件は割と早い段階でジェリボルトに伝えている。
トーアとジェリボルトの関係を見る限り、トーアはクリアンタ商店、ジェリボルトの事を嫌ってはいないようだが、腕利きの商人として一線を引いている印象はあった。
ジェリボルトもそのことをガーランド達に漏らしており、そこがトーアさんの良い所ですねとも笑みを浮かべて称賛していた。
「トーアさんが武具の注文生産を露店で受け付けているという点については、特に問題はないと思います。……でも、その出来栄えについては……」
ちらりとペフィミルがガーランドとヴォリベルの武器に視線を向ける。
「ああ。そこまではいいだろう」
トーアの迷惑にはならない程度の情報を提供すべきというのは、四人の共通の認識であった。
「ならジェリボルトのところに行って、リトアリスの事を……露店市場で出店している事、武器を作ってもらった事を話す、ついでにギルドに寄ってクエストを受けていこう」
パーティのまとめ役であるガーランドの言葉に三人は頷いた。
翌日もトーアは露店を開いていたが、店は閑古鳥が鳴いている。
テナーの伝手で来てくれた料理人たちの包丁も研ぎ終わり、当分は依頼はなさそうであり、ガーランドとヴォリベルのような武器の作成依頼というのはまだ難しいかもしれなかった。
――もっとこう、見本武器をわかるように軒先に並べたほうがいいかなぁ……。
武器を作ります!という主張が足りないのではと考えたトーアは、パーソナルブックをめくり、目的にあうものを探し始める。
「おはようございます、リトアリスさん」
「ん、あ、おはようございます」
かけられた言葉に顔を上げるとクリアンタ商店のジェリボルトが店の前に立っていた。
大方、ガーランド達から露店市場で店を出している事を聞いたのだろうとトーアは考えながら、挨拶を返した。
「露店を出店されていると聞きまして、調子はどうでしょうか」
「ははは……まだ、ガーランドさん達に武器を作ったのと、知り合いの……白兎の宿のテナーさんやテナーさんの知り合いの料理人の方たちの包丁を研いだぐらいですよ」
牽制という訳ではなったが、しっかりと売り上げが出ている事を話した。
「まだまだこれからというところでしょうか」
トーアの言葉尻をとらえたジェリボルトにトーアは頷き、笑みを返す。
今までのジェリボルトとの付き合いから、悪い印象は今のところ、ない。
だがジェリボルトは出世頭、やり手の商人であると知っていた。力技で丸め込んでくるような相手ではないが、あまり付け入るような隙は見せないようにしたかった。
「ガーランドさんとヴォリベルさんの武器を見せていただけまして、ぜひクリアンタ商店でもリトアリスさんの武器を取り扱いたいのですが……商店からの注文はお受けしているのでしょうか?」
トーアとしても安定して品物を卸す相手はあってもよかった。が、まだホームドアの改造も必要で大量生産には手が届いていなかった。
ジェリボルトのどこか探るような視線を真っすぐに返しながら、眉を寄せて軽く頭を下げる。
「申し訳ないんですが、今はまだ商店に卸せるほどではないので……すみません」
「それは仕方ありませんね……。ところでリトアリスさんはどこで作業をされているのでしょうか?以前は月下の鍛冶屋で作業をされていましたが……」
こちらが本命の質問だなとトーアは表情を崩さずに質問を受け止める。
「ああ、こちらでも知り合いの鍛冶場を借りる事ができたので、そちらで作業をしていますよ」
作業できる場所が見つかってよかったという風を見せつつ、笑みを返す。ジェリボルトは僅かに目を見張り、すぐにそうですかと笑みを返した。トーアの目が笑っておらず、これ以上の質問は許さないことを察したようだった。
この絶妙な距離感がトーアがジェリボルトを懇意にしている理由でもある。
――こういうところがあるから、出世頭になるのかなぁ。
その後はあたりさわりのない世間話や噂話を交わし、今後もごひいきにと言ってジェリボルトは去って行った。
その日もトーアは市場が閉まるまで露店を続けるが、結局、依頼がやってくることはなく、商品や見本武器を飾る棚を作ることをトーアは決めたのだった。
その日の夜。
ジェリボルトはトーア達の動向を調べておく程度に留めることを指示し、執務用の部屋で他の仕事を進めていた。
ペンを走らせながら、今日のトーアとの会話を思い返す。作業場や素材の入手方法については謎はあるものの、あえて踏み込む必要性はなく、踏み込めばこちらに損しかない事を今日のトーアとのやり取りで確信した。
――不思議なこともある、ということにしてしまうのは商人として些か問題ですが、何らかの方法で素材を集め、あれほど質の高い武器を作っているのは確か……。こちらに援助を頼み込んでくる様子や必要性は感じませんし、今はまだ依頼を受けられないということは、リトアリスさんの何らかの用意が整えば、依頼を受けてくれそうですね。
現状、他の商店にトーアを独占される様子はない。特にリステロン総合商店の動きが活発だがトーアの口ぶりからは影さえも感じなかった。
比較的懇意にしていると考えているジェリボルトにさえ、取り込まれるのを警戒している様子から、他の商店は話をする糸口さえも見えない状況にあるだろうと今の状況を分析し推測している。
「さすがリトアリスさん、というところでしょうね」
話していた時に見せたあの表情と目を思い返し、ふっと笑みを浮かべていた。
あの少女は見かけの通りの人物ではない。
それはゴブリン討伐や灰鋭石の硬剣騒動、決闘騒動でわからないのかと、他の商人たちのから回る様子を見て少しだけ同情する。
その違いに気付き、異なることを前提としているからこそ、ジェリボルトは他の商人よりも多少はリードした形でトーアの関係を築いていた。
トーアの人物評が他の人間と少し異なるのは、エレハーレへの移動の際に望郷を滲ませ月を眺めていたのを見ているのが前提にあるかもしれなかった。
「さて……他の商人たち、特にリステロン総合商店の方々は……今頃、大混乱と言ったところですか」
動かしていたペンの動きを止めて、ふっと呟きを漏らす。
搦め手、というよりもあくどい方法で職人を囲ってきたリステロン総合商店のラズログリーン支店長とは何度か商談の場で顔を合わせた事がある。
あまりいい印象はなくやり方にも嫌悪感を持っているが、トーアをめぐるこの件でどれだけ苦い思いをしているかと、口に出さずに考え、愉快な事になっているだろうと口の端をゆがめる。
その笑みはトーアへの称賛を口にした時とは異なり、黒いものが混じっていた。
ジェリボルトが黒い笑みを浮かべているのと同時刻。
リステロン総合商店ラズログリーン支店の悪趣味な支店長室で、この部屋の主である男、ガスパル・ドルドリアは密偵の報告書に目を通していた。
視線が次第に報告書の下へと移るにつれ、報告書を持っていた手が震え始め、魔導具の光によって照らされた細い顔には怒りが浮かび、口に咥えていた葉巻を噛み潰した。
「ッ~!」
手にした報告書を握りつぶし、絞り込まれたというよりも病的に細い腕をそのまま机にたたきつける。大きな音が鳴ったが部屋に誰かがやってくる様子はなかった。
椅子から音を立てて立ち上がり高い身長ながら細い身体を暖炉に向ける。火を入れていた暖炉にしわくちゃにつぶれた報告書を放り込み、乱暴な手つきで火かき棒を手に取って暖炉にくべられた炭をかき回した。
報告書がしっかりと灰になったころには落ち着きを取り戻し、椅子に戻ったガスパルは噛み潰した葉巻を捨てて新たな葉巻に火をつける。煙と共にため息を吐きだしながら報告書の内容を思い返した。
露店市場に出店した事、武具の依頼を受け付けている事、そして、依頼を受けた武器を納品した事という報告だけで、どこで作業をしているのか、どこから素材を仕入れているのかといった肝心なことが全く分かっていない事実に再び机に拳を叩きつけそうになる。
エレハーレでの騒動を踏まえ、トーアには作業する場所がない事はわかっていた。もしラズログリーンでも同じようにどこかの鍛冶屋に頼み込むならば、鍛冶場に圧力をかけ、トーアが孤立した時に手をさし伸ばす事で恩を売る。今まで何度もしてきた常套手段で恩を売ってトーアという腕の良い職人を囲い込もうとしていた。
だが四六時中とは言えないがラズログリーンに滞在している間中は監視の目をつけている。しかし、それらしい動きはなかった。
「クリアンタの若造か……?いや……」
クリアンタ商店で存在感を示している、ジェリボルト・アーフェンナの胡散臭い笑みが脳裏をかすめるが、そのジェリボルトさえトーアとの関係は協力者とは言い切れない。
だがガスパルの商人としての勘が、トーアを獲得するということに関してジェリボルトが数歩以上も先に行っている事を告げていた。
他を周回遅れにするほどではないが明らかに抜きんでており、その差を埋める手立てを早々に実行すべきなのは明らかだった。
「……別の手でいくか」
小さく呟いたガスパルは手にしていた葉巻の火を消して立ち上がり部屋を出て部下に指示を飛ばした。
ラズログリーンの路地を月が明るく照らす。
路地を歩きながら男は酒が入った頭で今日の仕事を思い返していた。
ある人物の動向を調査しろという依頼、それも遠くからできうるだけ気づかれないようにという厳命付きのもの。
男はその類の仕事を生業とし、今回の仕事以上の汚れ仕事も請け負うこともあった。
前任者であるという同業者からこの仕事はやめておけと忠告を受けたが、こんな簡単な仕事、どうして断る必要があるのかわからなかった。
――こんなちょろい仕事、やめられねぇよ。
酒に酔った頭でふと思い、口を笑みの形にゆがめる。
数日前から男は何度も対象者に撒かれていた。最初は何かの間違いかと思ったが、何度も亡霊のように姿を消されては前任者の忠告を理解せざるを得なかった。
対象者を見失い中途半端であろう報告を依頼主に渡した日、仕事は終わりだろうと思っていた男は仰天することになる。さすがに見失った事を馬鹿正直に報告した訳ではなかったが、中途半端な報告に納得して尾行を続行することを告げられるとは思ってもいなかった。
その後も何度も姿を見失い、いつもとあまり変わらないあたりさわりのない報告を続けているが、今のところ仕事は続いている。
――へっへっへ……もうちょっと稼がせてもらうとするかな……。
暖かな懐に男はもう少し飲んで帰ることにしたのだった。