第二章 ウィアッド 7
調理場に戻ると奥のテーブルには一人分の昼食が用意されていた。傍に立つカテリナが手招きしているのでトーアはそちらへ向かう。
椅子に座るとミッツァがトーアの前に皿を置いた。
「トーア、お疲れ様。ホーンラビットの香草焼きだよ」
皿の上にはこんがりと焼かれ香ばしい匂いを漂わせた肉が載っていた。付け合せもなくテーブルの上には他にパンとスープにジングジュース、ホワイトカウの乳が入った瓶が置かれているだけだった。
「ウィアッドでは初めて狩った獲物は自分で解体して、焼いて食べるんだ」
「その話は、ディッシュさんから聞きましたけど……私は狩りは初めてじゃないですし……」
「んー……まぁ、記念料理みたいなものだから。焼くと言っても調味料は使ってるから味は保障するよ。さ、召し上がれ」
「あっ……ミッツァさんの調理を疑った訳じゃないです……!」
微笑むミッツァはトーアの頭を撫でた後、昼食の用意へと戻って行った。
トーアの目の前の木皿には食べやすいようにカットされたホーンラビットの肉が置かれていた。手を合わせて言葉に出さずにいただきますと軽く頭を下げ、フォークで肉を刺して口に運ぶ。
味付けはシンプルに塩と臭み消しの香草のみ。鼻に抜ける香草が特徴的だが、肉の味をシンプルに味わうことの出来る料理だった。狩りをして、解体して、食べるという命がけの食育の最後には相応しいのかもしれない。
パンを千切って肉と一緒に食べて、スープを一口飲んだ。
命を刈り取る事。命をいただく事。命を繋ぐこと。
デスゲームに巻き込まれた事でただ漠然としたものでしかなかった食肉のイメージががらっと変わったことをトーアは思い出し、しっかりとホーンラビットの肉を噛み締めて食べる。
何度も咀嚼を繰り返し、ホーンラビットの命を身体に取り込んでいくことをしっかりと受け止める。
皿に残った肉汁も丁寧にパンで拭い取って口に運び、綺麗に食べきった。
再び、手を合わせてごちそうさまと小さく呟いて手をあわせた。
「トーアちゃん、食前と食後に手を合わせるけど、それはなにかしら?」
「あ、私の住んでいたところの習慣なんですけど……こっちではいけないことですか?」
「ううん、特にそういうものはないわ」
カテリナに“いただきます”、“ごちそうさま”の言葉、食料を運んでくれた人のこと、調理してくれた人のこと、何よりも食べた命への感謝の祈りと説明する。
「そういうことなの。ディッシュさんかミッツァさんから狩りの訓練での習わしは聞いたかしら?」
「はい。初めて狩った獲物は、自分で解体して、食べるというものですよね」
「ええ、そうよ。義父さんから聞いたのだけど、ウィアッドはジビエ料理を特産にしているからこそ、命を狩ること、命をいただくことを漠然と考えないようにと、昔の村長さんが考えたらしいわ。トーアちゃんの故郷でも似たような考えがあるのね」
カテリナの言葉にトーアは頷く。流石に一から狩りを行い解体して調理して食べるという過激な方法はないが、精肉場への社会科見学を行う学校があると聞いたことがあった。
トーアの場合は、デスゲームでの経験が大きい。
「うん、綺麗に食べたのね。トーアちゃん、一休みしたらでいいから配膳の方をお願いできる?」
「すぐにでも大丈夫ですよ」
「そう?狩りで疲れていない?」
「大丈夫です」
トーアは椅子から立ち上がり、部屋に行った際に持ってきていたエプロンと三角巾を身につける。
「無理はしないでね。ディッシュさん達がブラウンボアを解体したら、そのお肉を宿の方で出すことになってるからその下準備に手を取られそうで……」
「特別な料理とかあるんですか?」
先ほど食べたホーンラビットの香草焼きをトーアは想像するが、カテリナは首を横に振る。
「ブラウンボアじゃないとダメっていう料理はないけど、小さい個体だったって聞いてるけど一頭分はあるんだからやっぱり量はあるから」
「なるほど、カテリナさんがそっちにかかりきにりになっちゃうってことですね」
「そういうことよ。ならトーアちゃん、悪いけど配膳の方お願いね」
トーアは頷いて食堂のほうへと出る。だが昼食の時間は終わりに近づいているためかあまり忙しい訳ではなかった。
ときおり追加ではいる注文に対応していると、調理場のほうが賑やかになる。ディッシュ達が解体したブラウンボアの肉を持ってきたらしい。
――あーあ……【初心者】のデメリットがあそこまで酷いなんて思わなかった……これじゃちょっとしたものも作れそうにないし……ああ、早く何でもいいから生産したい……。
ホーンラビットを解体した時のことを思い出し、【初心者】のデメリットがプレイヤースキルさえ役に立たないほどむごいものだったことにため息をつく。あれでは何を作ってもトーアが満足することはなさそうだった。
デスゲームという状況の中でも生産をやめることはしなかったトーアは手を握ったり開いたりを繰り返して、早く生産できるようにならないかと小さく呟いていた。
「トーア、ちょっといいか?」
「なんですか、ディッシュさん」
調理場から顔をディッシュに呼びかけられてトーアは顔を向けた。
「後でノルドのところに行ってくれないか?あいつ、ブラウンボアの皮を持っていったら、本当に飛び上がって喜んでな……礼を言いたいそうだ」
「はぁ……飛びあがって……」
ノルドが飛び上がって喜ぶところを想像したがいまいちイメージがつかなかった。
「わかりました。宿の方が一段落したら行って見ます」
頼むぞとディッシュは言い残して調理場に戻り、裏口から出て行った。
トーアが狩猟し、村の若い男達が恐らくうまく解体したのならブラウンボアの皮は傷のない綺麗な一枚皮になっているはずだった。あの皮でノルドは何を作るのだろうかと思い、自分だったらと妄想を膨らませる。
宿泊客に呼ばれていることに気が付いたトーアは小走りに近づく。
「なんでしょうか?」
「ブラウンボアが狩れたと聞いたんだが、宿でだしてくれるのか?」
「あ、はい。夕食の時に提供できるよう、準備をしております」
「そうか……そいつは楽しみだな」
トーアと宿泊客の話を聞いていた他の客達もブラウンボアが提供されると聞いて嬉しそうにしていた。
しばらくしてブラウンボアの準備ができたのかデートンが調理場から顔をだし、丁度、カウンターの中に居たトーアの隣に立った。
「トーア君、ブラウンボアの件を聞いているよ。お疲れ様」
「あ、いえ、その……たまたまうまく行っただけですから」
「致命傷だけを与えて他は無傷と言うのだから、すばらしい成果だよ」
デートンに褒められてトーアは照れる。会話を続けながらデートンは宿の目立つところに一枚の紙を張る。トーアが内容を覗き込むとウィアッドに隊商がやってくるというものだった。到着した当日には小さなバザーが催されると書かれていた。
「隊商……ですか?」
「ああ。複数であったり、一つの商店であったり色々あるが、国内の村や街を回るんだ。今回来るのは主に王都主街道やその周辺の村を巡回する商店だね」
「なるほど……」
張り紙に書かれた隊商の到着の日付は七の月、三の日。今日は一の日であるため、二日後に到着予定とわかる。
――王都主街道を巡回する隊商……ウィアッドで商売を終えたらどちらの方向へ向かうのだろう。エレハーレ側へ行くのなら乗せて貰うことはできないかな?
張り紙を見て考えていたトーアはデートンに顔を向けると、デートンもまた考えこんでいたトーアを見ていたようでトーアの言葉を待っているようだった。
「……デートンさん、隊商はどちら側に向かうんですか?」
「隊商はエレハーレの方角へ向かうようだよ。トーア君、隊商に乗せてもらうつもりかな?」
「は、はい……そういうのは問題ないのですか?」
「ふむ。隊商のリーダーとの交渉次第という所だね」
「交渉次第……」
「……トーア君、駅馬車よりも早くエレハーレに向かいたいのかね?」
「は、はいっ……!職業が……空白なのがその……不安で」
トーアはデートンの問いかけに大きな声で答えた。空白が不安というのは嘘だが、職業が【初心者】であることや生産が思うように出来ないとわかり、トーアの中で焦燥感だけが膨らんでいた。
「トーア君が望むなら、私が隊商と交渉してもかまわないよ」
「ほ、本当ですか?」
「だが、その分トーア君に渡す賃金を差し引くことになるが構わないかね?」
最初に交渉したときには銀貨六枚で、そのうちの一枚は駅馬車に使う予定で他はエレハーレでの滞在費にすると言う話だった。働く日付が少なくなるということはその分、賃金も減るというのは道理だった。隊商にどれくらいの金額が掛かるかわからなかったが、エレハーレで宿を取るくらいは手に入れて置きたいとトーアは考える。
「……具体的にどれくらいの金額になりますか?」
「予定していた日数より半分だから単純に計算して銀貨三枚だね。隊商に支払う分を考えればおそらくトーア君に渡せるのは銀貨一枚と半銀貨五枚から銀貨二枚という所だね。それでも……」
デートンはそこで言葉を切る。トーアはじっとデートンを見ていた。
トーアはたとえ、それでもエレハーレに向かいたかった。
職業神殿に行ったとしても、【初心者】の状態が改善されるかどうかはわからなかった。だが、今すがれるのは“職業神殿がある”ということだけだった。先立つものがなければ、宿無しになるかもしれない。最も最悪のパターンである飢えて死ぬということだけは避けたかった。
トーアはいま出来ることを考える。
「デートンさん、相談があります」
「……なにかね?」
デートンは言葉を切った時からトーアの雰囲気に何かを察したのか、いつもの柔和な表情から目を細め厳しい表情になっていた。だがトーアはそんなデートンを真っ直ぐに見据えて言葉を続ける。
「私の宿の仕事を少し減らして、狩りに行くことを許してもらえませんか?私の狩りの腕は今日のブラウンボアでわかってもらえたと思います。狩った獲物は全てデートンさんにお渡しします。その分、賃金に上乗せしてもらえないですか?」
今のトーアに出来る最大限の事で賃金を補う方法を考えて狩りに行くことをトーアはデートンに提案する。
今日の狩りでトーアはある程度の手ごたえを感じてもいた。本来の職業である【特級創作士】には及ばないものの、安全策を取り無茶をしなければ【初心者】であればある程度は戦うことが出来た。
「その内容だと、私が安く買い叩くことが出来るが……いいのかね?」
「はい。私が無理を言っていることは承知していますから……」
デートンの人柄からトーアはそんなことはしないだろうとふんでいた。
ウィアッド、そして、国に不利益を起こさないのであれば、誠実な人物であるとトーアは考えている。だが、もし安く買い叩かれたとしても、数をこなせば村の噂となり、デートンの立場上、それなりの賃金を出さなければいけなくなると打算的な考えもあった。
デートンに視線を合わせたまま真っ直ぐに目を見た。しばらく考えこんでいたデートンだったが、いつもの柔和な表情に戻る。
「……わかった。トーア君の言った内容で構わない。だが狩りに出るときは私とディッシュに声をかけていくこと、そしてちゃんと無事に帰って来る事を約束してくれるかな?」
「はい……!わかりました」
デートンの言葉にトーアは頷いて頭を下げる。トーアの肩を数回叩いた後、デートンは調理場に戻って行った。
トーアは顔を上げてほっと息を吐いた。デートンにも何か思惑があるようだが、トーアの提案を受けてもらえたので今のところ問題はない。だがちゃんと魔獣を狩って賃金を払ってもらうまで、状況は何も変わらない。
よしとトーアが気合を入れているとカテリナが調理場から姿を現し、心配そうにトーアを見ていた。
また怒られるかなと身体を小さくするとカテリナはやさしくトーアの頭を撫でる。不思議に思い、カテリナの顔をトーアは見上げた。
「カテリナさん?」
「トーアちゃんは、行きたい場所があるのね」
頬を両手で挟まれて目を覗き込まれる。
カテリナは眉を寄せて今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「カテリナ……さん……?」
「私だって義父さんや義母さん、ミッツァさんほどじゃないけど、この宿でいろんな人を見てきたわ。夢を目指す人、夢に敗れた人……。トーアちゃんの瞳は夢を追う人じゃなくて、しっかりと目的地を見据えているわ。だから私が引きとめたり立ち止まらせたりしたらいけないのはわかってる。だけど、無茶と怪我だけは絶対にしないで。お願いよ」
「……はい、約束します」
トーアは頬に添えられたカテリナの手に手を重ねて、カテリナの瞳を見て頷いた。
「うん……。それなら私からは何も言わないわ」
手を離したカテリナは横を向いて目じりを指で拭っていた。
いきなりやって来たトーアのことをこんなにも心配してくれているカテリナに優しさにトーアも気恥ずかしいような、嬉しいような、胸が温かくなるのを感じていた。
「あ、あの、カテリナさん、配膳の方も一段落したので、ノルドさんのお店に行っていいですか?」
「え、ええ……ディッシュさんの伝言ね。調理場のほうも一段落したから……」
カテリナは調理場のほうへ向かいエリンに了解を取る。
「うん。義母さんが行っていいって。いってらっしゃい、トーアちゃん」
「ちょっと、行ってきますね」
エプロンと三角巾を外して、宿の裏口から外に出てノルドの鍛冶屋へと向かった。