第三章 露店市場 6
白兎の宿を再び拠点にして異界迷宮で採取活動で消耗した物を補充し、数日間を準備に奔走したトーアは再び旅装を整えてテナーとミリーに見送られ白兎の宿を出発する。
迷宮探索に行くときと同じ装備に身を包み、周囲の気配を探りながら大きな通りへと向けて歩いていく。
大きな通りに出るとお昼間際の時間帯であったためか、クエストを終えたか休みをとっているだろう冒険者や街に住まう人、旅をする人、商人……など数多くの人であふれていた。
人混みの中を歩いているとすぐにいつも通り後を追う人間が現れ、トーアはうんざりとしたようにため息をつく。毎回同じ人間が尾行をしているためかすっかり気配を覚えてしまっていた。
一度だけミリーと出かけた際に軽く威嚇してみたが、尾行する人間が変わり距離が離れた程度の変化しかなかったため、次はどうしようかと考えていた。
しかし、いまはそんな事にかまっている場合ではないと道の端で足を止めて、外套の中でパーソナルブックを開いたトーアは宙に地図を表示させる。設定でトーアだけしか見れないようにしてあり、南区の主要な部分のマッピングは終わっていた。
目的地の方向を確認したトーアは目についた路地へと入っていく。そのあとを尾行者が付いてきているのを気配で探りつつさらに奥へと迷う素振りなく進んでいく。路地を進んでいくと徐々に道が乱雑で入り込んだ細い作りへと変わり始め、尾行者が焦ったように距離を詰めてくる。
人気も少なくなり、トーアは次第に『成せなかった者』が住まう迷宮都市の薄暗い領域へと踏み込み始めていた。大通りの喧噪は遠く、生活音が僅かに聞こえるだけ薄暗い路地が前後に続いている。
人気が無くなった事と十分に尾行者との距離が縮まったのを見計らい、もう一度辺りに人がいない事を気配を探って確認したトーアは、角を曲がり追跡者の視線が途切れた瞬間に真上へと飛び上がった。
建物の壁を蹴り音を立てず近くの建物の煉瓦屋根に着地したトーアは、そのまま静かに三角屋根の最も高い場所へと移動する。
追跡者に気づかれないような位置取りで下の様子を確認すると、角を曲がった追跡者がトーアの姿が消えた事に気が付かずにそのまま道を進んでいった。
――こんな撒き方、想像しないよね。
師匠との鬼ごっこで三次元空間の移動感覚は鍛えられてしまったなぁと、良いやら悪いやらと肩をすくめたトーアは静かに立ち上がる。再度、地図で方向を確認し瓦屋根の上を静かに歩き始めた。
次第に建物の瓦屋根が補修されずに砕けたり剥がれた状態のままになり、崩れた壁材が補修されず放置されたものが目につき始める。大通りの喧噪は聞こえないほどの奥まで進んできた。
周囲の気配を確認した後、屋根から路地へと静かに降りる。
降り立った路地の入口の幅は大人が一人歩けるほどしかなく、そして、路地の半分以上を木箱が塞いでいた。
辺りを確認した後、壁と木箱のわずかな隙間を横になって通り、木箱の裏側へとトーアは体を滑り込ませる。
この木箱はトーアが路地の幅を測って作り設置した物で、路地の奥を隠す目的があった。さらに木箱には簡単に移動されないよう使わない岩石類を詰め込んである。
身体を滑り込ませた細い路地の奥は行き止まりになっており、行き止まりの壁際にはまた木箱積まれて置かれていた。
木箱に近づいたトーアはかがんで下段の木箱の側面を軽く叩く。すると小さな音を立てて側面の板が外れ、開いた。何度も試した仕掛けだが予定通りの動作にトーアは頬を緩める。
下段の木箱は仕掛け箱であり、特定の場所を一定の強さで叩くことでこのように開くようになっている。こちらもトーア謹製の箱だが中は空であり、建物に接した部分には板がつけられていなかった。
「【ホームドア】」
木箱に接した壁にホームドアを発動するといつもの扉とは異なり木箱の寸法にぴったりのくぐり戸が現れる。現れたくぐり戸を開けて体を中に滑り込ませ、木箱の仕掛け戸を閉じてホームドアの扉を閉じた。
扉と木箱の出来栄えにトーアはその場で小さくガッツポーズをする。
――ふっふっふー、この秘密基地感!
くぐり戸の先はホームドアの初期設定の部屋に備え付けられた土間のような倉庫で特に使っていないため、何も置かれていない。
わざわざ白兎の宿の部屋でホームドアを使わずにこのような事をしたのはホームドアの充実のために不審がられずに作業が出来る環境を用意するためだった。
白兎の宿の手伝いながら夜な夜な考え思いついた方法は、CWOで行われている『ホームドアを秘密基地にする』というもの。人目につかない場所でホームドアを使い、トーアはそこに潜伏しつつホームドアの拡充を図る計画を思いつき、こうして実行に移した。
「まぁ……何日かに一度は戻らなきゃいけないだろうけどね」
クエストに行っているという事にしているので不審がられない程度には白兎の宿に顔を出すべきだなと一人ごちたトーアは、身に着けていた旅装を脱いでチェストゲートに入れて、代わりに革製のサンダルを取り出した。
ホームドア内の階段を下りて地下一階部分に並ぶ部屋の一つに入ったトーアは思わずため息をつく。部屋には大きめの作業机がぽつんと壁際に置かれているだけで閑散としていた。
地下一階には同じような部屋がいくつもあり、それぞれが各アビリティ用の作業場になっている。
鍛冶や木材加工用の部屋もこの階層に存在し、他の部屋よりは多少道具がそろっている。
全盛期には程遠い現状をちょっとだけ嘆きつつ、作業台の近くに置いた椅子に腰掛ける。
作業机の上には木製の台が設置されており、ずれないように机の端に引っ掛けられるようになっていた。
チェストゲートから布を取り出して台の隣に広げ、その上に魔導石を大きさ、アイテム等級順に並べていく。
大きさ、色合い、色の濃さは様々だが、当初予定していた数より多めに揃っている事にトーアはほっと息を吐いた。
最初に手を伸ばしたのは手に入れた魔導石の中で最も大きく、アイテム等級の高いもの。トーアの手に収まってしまう程度の大きさで僅かに黄色みを帯びていた。
それを【灯火】を使って生み出した光に当てながら様々な角度から、このあとの作業でどのように加工するかを考えながら見ていく。
「やっぱりぎりぎりだなぁ……」
予定よりは数はそろったが質は十分とは言えず、辛うじて目的に耐えうるものは揃えることはできていた。作成できる代物のクオリティには首をかしげてしまうかもしれなかったが。
現状では仕方なしと気を取り直して、チェストゲートから木製の作業箱を取り出して開く。今回のために追加で作成した棒やすりが並べられて収められており、大きい物から小さい物、目の粗い物から仕上げに使うための目の細かいものまで、十分な種類をトーアは作成していた。
棒やすりを一つ手に取り、魔導石を台に押し当て固定し表面を削っていく。
手を動かすたびに魔導石の状態を確認しながら、少しずつ形を整えていく。
トーアが作業を始めたこの部屋は石や宝石などの研磨を行う石工のための部屋になる。
足踏み式の研磨機さえ作らずに部屋に作業机だけあるのは今回の作業で必要なのは研磨機によって宝石を磨くことでも、ファセッターを使って特殊なカッティングや精密な研磨をすることでもなく、形状を整えるために切ったり、大まかに削って形を整えれば問題なかったからだった。
だが表面を磨く際に平面研磨機だけでも、木材と砥石で作っておけばよかったなぁ、とちょっとだけ後悔するのはもう少し後の話である。
「んー……まぁ、こんなものかな」
大き目で目の粗い棒やすりで削りだした魔導石は六角柱状になっており、トーアは光に当てて狂いがないか確認していく。
目の細かい棒やすりで表面をある程度整えた後、砥石に当てて滑らかにするだけにまで作業を進め、トーアは一旦、手にしていた魔導石を横に置いて、息をついた。
削られて粉末となった魔導石は魔力を伝える優れた素材となるため、獣の毛を使った刷毛を取り出して丁寧に集め、木を彫って作った入れ物にまとめておく。机を綺麗にしたトーアは、手に入れた物の中で二番目の魔導石に手を伸ばした。
二つ目と三つ目の魔導石は一つ目と同じように削りだし、トーアは一旦手を止める。
ぐぅぅぅぅ……。
片付けを終えたトーアのお腹が大きな音を立てた。
「……あぁ……うん、お昼も食べてなかったしね」
すでに時刻は陽が沈み切った時間になっており、手早く机の上を片付けると初期設定の部屋で簡単な食事を作って一人でもくもくとお腹に収める。
使った食器を洗ったあとは軽い足取りで一階部分のある部屋へ向かう。材料や加工のための道具がある程度、整ったことで完成した物を置いてある部屋だった。
「ふふふ……ついにお風呂だ……!」
廊下からすぐの脱衣所ですぐに服を脱いでお風呂に飛び込みたかったが、勝手に風呂が沸くようなものはまだ作れない。一旦、脱衣所をそのまま通り過ぎ、部屋の端に設置したお風呂に近づいた。
作成した風呂の大きさは現状で十分なサイズで良いと言うことで、大人一人が軽く膝を抱えて入れるようにしていた。
素材には檜に似た香りの良い木を使用し、端に鉄製の筒が木製の柵で区切られた空間に立てられている。筒はかなり厚みのある作りで底部分はふさがれていた。
壁際に作成した竈のような火おこし台で薪に火をつけ、十分に燃え始める間に魔法でお風呂に水を入れた。薪が赤く燃える状態になったのを確認し、やっとこを使って鉄の筒の中にそっと入れていく。
次第に鉄は燃える薪で熱くなり、熱伝導によって水が温められ、結果、風呂が沸くというのがこの『鉄砲風呂』の仕組みである。
「……すぐ熱くなるわけじゃないけどね」
筒の中に薪を足して温度を調整しつつ、そわそわとトーアは待った。
しばらくして少し熱めというトーア好みになったところで一度、脱衣所に戻って服を脱ぎ、手ぬぐいを片手に一緒に作った手桶でかけ湯をした後、ゆっくりと湯船に身体を浸していく。
「ぅ……ん……はぁぁぁー……」
ちゃぷんと肩まで浸かると自然とため息とともに声が漏れだしていく。強張った身体がほぐれ、疲れが湯船に溶け出していくようだった。
――あー……やっぱり、これ、これですよ!お風呂に浸からないと……。
湯桶の中で体を弛緩させ、湯桶の縁に頭をのせる。仄かに香る木のにおい、暖かなお湯にトーアは深く息を吐いて笑みを浮かべた。
「お風呂、最高!」
トーアは声と共にざばっと右手を上へと突き上げた。