第三章 露店市場 4
翌朝、トーアとギルの予想通り、ゲイルは二日酔いで部屋から出てくることはなかった。以前作った抗酩酊薬を渡そうかと思ったが自業自得だと桶と柑橘を絞った水差しを部屋に置いてきた。
フィオンは、ラズログリーンの露店市場と商店を覗いてくると、朝早くから白兎の宿を出ている。
「それじゃいってきます」
「はい、トーアさん、ギルさん、いってらっしゃい」
「いってきます」
トーアとギルはお昼の少し前に旅装を整えて白兎の宿を出発した。
二人の目的地は異界迷宮で、攻略よりも迷宮での素材採取が目的だった。
宿を出てすぐに二人の後をつける存在に気が付いた。トーアがギルへ視線を向けると、すでにギルも気が付いていたのか小さく肩をすくめていた。
尾行者を無視した二人は大きな通りに出て、異界迷宮最寄りの集落に行く馬車に乗ってラズログリーンを出発する。
尾行者は二人が辻馬車に乗るとそれ以上、あとについてくることはなかった。行き先が異界迷宮と勘付いたのか、これ以上の尾行は困難と諦めたのかもしれなかった。
「……何がしたいんだろうね」
「監視……というよりも、どちらかと言えば観察って感じかな」
次第に遠くなっていくラズログリーン南側の門を眺めながらつぶやく。ギルの言う通り、目的が監視というよりも、こちらの目的や行動を観察しているように思えた。そろそろ直接話を聞こうかとトーアが思っているうちに、馬車はとある集落に到着する。
そこはラズログリーンの南側に広がる畑で野菜を作る農家たちの集落で、トーア達の目的地である異界迷宮最寄りの場所になる。
降りたすぐそばに案内板が立っており、指示の通りに歩くと集落から一時間ほどで異界迷宮を保護する建物に到着した。
昔は人々が住む場所からそれなりの距離があったらしいが、保護用の建物が畑の真ん中になるほど、人の生活圏に呑まれてしまっている。
ギルドの異界迷宮についての資料にそう書かれていたことを思い出しつつ、トーアは休憩用の建物の扉を開けた。
周囲の農家の手によって掃除などされているのか、はたまた農家の休憩所としても使われているのか『灰色狼の草原』の時のように埃が舞うことはなかったが冒険者の姿はなかった。
「この類の異界迷宮は人気ないのかなぁ」
「そうだろうね。同じような灰色狼の草原と同じく魔物を探して当てもなく歩き回る必要があるだろうし、囲まれる危険もあるとしたら避けたいのはわかるかな」
「まぁ……そうだよね」
特に休憩はせず、トーアはギルと共に『異界渡りの石板』に触れて、ランクF異界迷宮『眠り羊の高原』に移動する。
『眠り羊の高原』は山々に囲まれた緩やかな傾斜がある草原が大部分を占める。
山の頂上へと視線を登らせていくと次第に岩肌が露わになり、途中から真っ白な雲が山頂を隠してしまっていた。
山を下る方向へと視線向けると草原から深い森に変わっていくがこちらも途中から真っ白な霧が視界を塞いでいる。
ギルドの資料ではどちらの霧の中も一定の距離までは進めるものの、ある程度の距離を移動すると霧に入り込んだ場所に戻ってしまうとあった。異界迷宮という領域の端なのではという議論があるとギルドの資料には書かれているのをトーアは思い出していた。
「ちょっと風が冷たい、かな」
「山の麓みたいだしね」
草原のほぼ中心地に異界渡りの石板があり、すぐ近くには『灰色狼の草原』と同じように野営の後があった。
この異界迷宮に現れるのは名前の由来となった眠り羊、スリーピングシープ、シェルゴート、赤尾鷲、森にはラージスネーク、ホーンディアといった魔獣である。
草原地帯の標高が高い場所では元の世界で山岳部のみで見つけることができる草花も見つけることができた。
「まずはスリーピングシープをみつけないとね」
CWOでも存在した魔獣、スリーピングシープ。
家畜化されたホーンシープの原種にあたるという設定で、野生の羊とは思えないほど体毛が成長しふわふわもこもこになる。
だがその体毛は一定の長さになると毛先からある成分を放出しながら消失していく。その成分は睡眠導入剤に似たもので、どんなに怒り狂った生物でもスリーピングシープの群れに囲まれると穏やかな眠りへと落ちてしまう。
眠ってしまう以外に身体に害はないが、スリーピングシープが近くにいる限り、安らかに眠り続けてしまうのである意味、危険な存在でもあった。
あたりを見渡すと茶色の体毛の一団が一塊になっているのを発見する。
風向きを確認して風上に移動したトーアはチェストゲートから防塵マスクを取り出した。
「この世界のスリーピングシープでも、これで防げればいいんだけどね」
「先に僕が試すよ」
「……うん」
唯一の救いとなるのはタオルで口を覆う、または呼吸を止める程度で睡眠導入成分を防ぐことができるという事。
だがそれはCWOでの話であり、ギルドの資料にもタオルを使うことや呼吸を止めるだけで害はなくなるとあったが念のため確認することになった。
ギルは作業が可能なようにトーアが採掘の際に使っている防塵マスクと同じものを用意していた。
最初に防塵マスクを着けたギルがスリーピングシープの一団に近づき、問題がないかを確認する。
ギルが眠ってしまった場合は息を止めたトーアが突入し、ギルを回収する手はずになっていた。
「じゃぁ、行ってくる」
「うん……気を付けて」
初めはトーアが試すつもりだったが、もともとこの世界に必要として呼ばれたのはトーアだからとギルが先に試す事になった。
――そういう事を建前にしてるけど、あれはなんというか……甘やかされているというか……庇護するっていう意思を感じる。
ギルは溺愛するタイプなのでは?とトーアは訝しみつつ、スリーピングシープの群れへと近づくギルの様子を遠目から観察する。
スリーピングシープの群れはギルに気が付いたものの、逃げ出すそぶりは見せず、呑気に草を食んでいた。
そのままスリーピングシープの傍に立ち、様子を見ていたギルだったが問題なしと判断したのか、腕を振ってトーアに合図を出す。
それをみて合図を返したトーアは、防塵マスクを身に着けてギルと合流するために歩き出した。
トーアが近づいてもスリーピングシープは姿を確認しただけで逃げ出すそぶりはなく、野生の魔獣にしては呑気すぎるのではと逆に心配になってくる。
CWOでも気性は非常に穏やかで体毛の特性のこともあって、外敵らしい外敵もいなかったなぁとトーアは思いながら、チェストゲートからシェルゴートの毛を刈ったはさみを取り出した。
「めぇー」
トーアがはさみを取り出した事に反応したのか、一頭の一鳴きにその場にいたすべてのスリーピングシープが一斉に顔を上げて、トーアに視線を向けた。
一様に警戒の色を見せたスリーピングシープにトーアは動きを止め、ギルと視線で会話をする。
一度、様子を見るべきと結論し、トーアは手にしていたはさみをゆっくりとチェストゲートに収納した。
「めー」
群れの一頭が再び鳴き声をあげるとスリーピングシープたちは徐々にトーアから視線を外して草を食むことを再開し始める。
思わずギルと顔を見合わせて、少し離れる事にした。
風上に移動した二人は一度、昼食にしようと水筒で喉を潤しつつ、その場に腰を下ろす。
「さっきの反応、明らかにはさみを警戒していたね」
「CWOじゃ、あんな反応なかったのに……」
金属のにおいに反応したのかと思ったが、二人は腰に剣を下げ、一部とは言え鎧を身に着けている。
はさみ自体に問題があるとすれば、害を与えるわけではないしと二人は首をひねる。
昼食を食べ終わり、長閑に草を食むスリープシープを眺めているとギルはあっと声を上げる。
「はさみが嫌じゃなくて、毛を刈られる事を嫌がっているとしたら?」
「ああ、なるほど!」
身を護るための体毛を刈られてしまうのはスリーピングシープとしては避けたいのかもしれない。
『灰色狼の草原』で毛を刈りとったスチールシープは刈り取られても体毛は武器になる、だがスリーピングシープは体毛がある程度成長するまで睡眠導入の効果はなくなってしまう。
今までの経験からスリーピングシープたちははさみが自分たちの脅威になっていると知っているのかもしれなかった。
「スリーピングシープの採取難度って低いからねぇ……」
採取難度は前提条件が特殊なシェルゴートほどではなく、家畜化されたホーンシープを初心者向けとするなら、スリーピングシープは少し難しい程度。その難しさも防具さえそろえればホーンシープとさほど変わらなくなる。
考えてみれば異界迷宮『眠り羊の高原』は人里からも近い立地であり、迷宮内の森に行かなければ魔獣らしい魔獣も出てこない。戦える術を持った冒険者でなくとも探索が可能と言えた。
異界迷宮には自己責任で入れるため、過去か現在もかはトーアにはわからないが、スリーピングシープの毛を刈り取りにやってくる人間がいるのかもしれない。
「そうなると……スチールシープの時みたいに近くにいる子からっていうのは難しいね」
戦う能力がなさそうなスリーピングシープだが、高原や山岳を飛び跳ねる脚力を持った後ろ脚での蹴りは強烈で、眠ってしまったら反撃もできないので非常に危険である。
「魔法で柵を使って一頭ずつ刈ってしまうのはどうかな?」
ギルの魔法であれば可能なことだった。元の世界で羊の毛刈りをするのと変わらないことかとトーアは頷いた。
「なら柵は高めでお願い、羊とかヤギは低い柵くらい飛び越えちゃうから」
わかっているとギルは頷いて、再び防塵マスクを身に着ける。
トーアも同じように防塵マスクをつけて、チェストゲートからはさみを取り出してリュックサックに移しておく。
風上からスリーピングシープに近づき、五メートルほどの距離の場所でギルはしゃがみこみ、魔法の詠唱を始める。
僅かな魔力の動きにスリーピングシープたちは草を食むのをやめ、顔を上げ始めるがギルの詠唱が先に完了した。
「『土流結界』!」
魔力を込めた手をギルは地面にたたきつける。
スリーピングシープたちの周囲の地面が波打ち、二メートル以上の高さの土の壁が現れ、スリーピングシープたちを閉じ込めた。
上部は開いているものの、土の壁は内側に弧を描いて返しになっており、スリーピングシープたちが壁を蹴って逃げ出さないように工夫されている。
続けて土の壁にスリーピングシープが一頭だけでてこれるだけの穴をあけて、逃げ出そうとするスリーピングシープを捕まえる度に塞ぐ。
捕まえたスリーピングシープをスチールシープと同じように座らせて、はさみで毛を刈り取っていく。
毛を刈り取られているスリーピングシープはどこか諦めた目をして、遠くを見ていた。
「はい、ありがとう」
開放すると落ち込んだ様子で少し離れた場所からトーアに視線を向けてくる。
――すごく……いたたまれない……。
数頭の毛を刈ったところでスリーピングシープたちを『土流結界』から解放する。群れの数頭のみの毛を刈り取ったので、群れでいれば問題はないだろいう判断だった。
スリーピングシープの群れに最後の数頭が合流するとトーア達から離れるように駆け出して行く。それを見送ったトーアは刈り取った毛をまとめて、チェストゲートに収納した。
「そうだ、ギル、ちょっとお願いした事あるんだけど……」
「なんだい?」
頼みたいことを説明するとギルは少しだけ首を傾げ、少し考えた様子だったが何かに納得したのか頷いた。
山岳地帯にある低い丘、その前まで移動した二人は丘の形を確認する。
丘の手前でギルは地面に手をついて魔法の詠唱を行い、しばらくして発動させた。大地が僅かに震え、すぐに収まる。
「どうかな?」
丘に近づき、トーアは地面に手をついて、チェストゲートに収納する。収納した後には、四角く切り取られた丘が現れた。
笑みを浮かべて大丈夫と伝えたトーアは次々にブロック状に分けられた土をチェストゲートに収納していく。
ホームドアの拡充のために必要な素材の一つである土だったが、トーア一人の手による採掘では限界があった。
そこで石材の切り出しと同じく土をブロック状に分け、それをチェストゲートに収納することで大量の土砂を手に入れる事を思いつく。ブロック状に分けるのはギルの魔法で頼むことを考えていた。
土にもアイテムランクが存在しているが今回手に入るものは軒並み【普遍】や【粗悪】だった。高いアイテムランクが必要なわけじゃないし、とトーアは気にせずに質よりも量を優先した。
小さな丘を全てチェストゲートに収めると別の丘も同じようにブロック状に切り分け、チェストゲートに収納する。
「こういうブロック状の世界を探検するゲームなかった?」
丘がブロック状に掘り返されつつある光景を眺めながらトーアは思わずつぶやいた。あのゲームも世界を資源扱いしていた気がした。
「ああ、あったね……」
同じようにギルも思い出したのか、少しだけ遠い目をしながら掘り返された地面を眺める。
さすがにすべてを掘り返すほどではないが、このような事をする必要がある程度にはトーアが必要とする素材の量は多い。
山の裾野で土の採掘と周辺の植物の採取を終えたトーアとギルは、山を下りて山とは反対に広がる森へと向かっていく。二人が森へと向かうのはもちろん木材の伐採が目的で、『灰色狼の草原』で伐採した木材が底を見せ始めていたのが理由である。
――あっちこっち行って素材を採取しているとCWOの初めの頃を思い出すなぁ……。
森の中を探索し目を付けた木に斧を振り落とすと、森にコーンと小気味よい音が響く。斧は以前購入したものではなくトーア作の物に変えており、より切れ味が増し使いやすくなっていた。
ギルは周辺の警備をしており剣に手をかけてはいるものの、トーアの伐採の様子を眺めている。
「ギル、そろそろ倒すよー」
「了解、あたりに魔物はいないし好きな方向に倒して大丈夫だよ」
わかったとトーアは頷いて、何度も刃を入れていくと小さな音が木から響き始め、初めはゆっくりとそして、最後は勢いよく、山の方へと倒れる。
鉈を取り出したトーアは倒した木から枝を切り落とし、丸太となった木とともに全てチェストゲートに収納した。
「じゃぁ、どんどんいこう」
斧を肩に担いだトーアはギルに声をかけて、森の中を歩き始めた。
そのままトーアとギルは森で採取と伐採、ときおり襲い掛かってくる魔獣を討伐し、迷宮の中で輝く太陽が傾き夕日に染まるころに異界渡りの石板から元の世界へと戻る。
迷宮内で休まなかったのは高原の夜は想像以上に寒く、風上にスリーピングシープがいた場合にその寒い環境で守る術なく眠ってしまう事を避けるためだった。
すでに陽は遠くの山脈に沈み始めており、トーアとギルは休憩用の建物へと入る。
建物の中に他の冒険者の姿はなく、二人っきりだった。
チェストゲートの中に入っていた素材で夕食を作り、たわいもない話をしながら済ませる。
トーアは暖炉に火を入れて毛布に包まりギルと共に壁際に腰掛けた。
ときおり薪がはぜる音が建物の中に響く。二人に会話はなく、ただ肩を寄せ合っているだけだったがトーアの中に今まであった緊張感はなく安心しきっていた。
ギルから受け取った指輪は作業中に無くしてしまわないようにと、余っていた革ひもに通し首から下げている。毛布の中で服の上からその指輪の存在を確認してトーアは笑みを深めた。