第三章 露店市場 3
翌日、トーアが眠たそうにしているのをフィオンに心配されつつ四人は寝泊りしていた建物を出発する。
異界迷宮『第七坑道』はラズログリーン南西の森の中にあり、やや迂回する形になるが獣道や草原を通るよりも整えられた王都主街道を通る方が道のりは楽だった。
王都主街道を歩いてラズログリーンに向かいながら、途中で道をはずれて森に入りブラウンボアとホーンディアを狩る。白兎の宿の店主とその娘であるテナーとミリーへのお土産であり、テナーに頼んで小さなパーティを開こうとトーアは考えてのことだった。
その後、何事もなくラズログリーンに到着した後は南区のギルドでクエストの報告を済ませて、白兎の宿へ向かう。
「いらっしゃい……ああ、トーアさん、ギルさん、フィオンさん、ゲイルさん、おかえりなさい」
配膳を終えたテナーがトーア達を出迎え、自然な笑みを見せた。
それぞれ挨拶を返していると階段をリズミカルに降りる音が響き、ミリーが食堂にやってくる。
「おかえりなさい!」
満面の笑みで飛びつき抱き着いてくるミリーをトーアは受け止め、そのまま抱きしめる。
「ただいま、ミリーちゃん。お土産を狩ってきたから、今日はごちそうだよ」
「お土産!……えと、狩ってきた?」
嬉しそうに目を輝かせ耳をぴんと立たせた後、ミリーはトーアの言葉に小さく首をかしげた。
ミリーの様子に思わず笑みが漏れたトーアは、後でねと言ってミリーを開放する。まだミリーは不思議そうな顔をしていたが小さく頷いて宿の仕事へと戻っていく。
テナーから部屋の鍵を受け取り、トーア達はそれぞれの部屋の前で別れた。
部屋に入り鍵をかけたトーアは旅装を解きながら、ホームドアを発動し初期設定の部屋へと真っすぐ向かい、軽く汗を流した。
軽装に着替え一息入れたトーアはリュックサックを片手に食堂へ降り、調理場へと顔を出した。
忙しい時間が終わったのか一息ついているテナーが椅子に腰かけており、トーアが顔を出すとどうしましたかと首を傾げた。
「テナーさん、相談があるんですが……」
「相談ですか?」
はいと頷きながらリュックサックに手を入れてチェストゲートから解体したブラウンボアとホーンディアの肉を調理台の開いているところに取り出していく。
「これで夕食を作ってほしいんです」
リュックサックから次々と取り出される肉にテナーは次第に目を丸くしていく。夕食を頼む理由を説明するとテナーは優しくほほ笑んだ。
「わかりました。そういうことなら腕によりをかけて作らせてもらいますね。……それにしても、その……多すぎませんか?」
「あ、お土産でもあるので、余った分はそのまま店のほうに使ったり、テナーさんとミリーちゃんで食べてください」
ちょっと呆れた視線をテナーから受け、誤魔化すように笑いながらトーアは食堂へ逃げる。
食堂のテーブルには既にギルとゲイルが座っており、トーアはフィオンの姿がないことを不思議に思いながら席に座った。
「フィオンはすぐに出かけたって」
「んー……何かあったのかな」
トーアが不思議そうにしていたのに気が付いたのかギルはテナーから聞いたという話を口にした。ギルと共に何かあったかと首をひねる。
「あー……もしかしたらでやすが……」
ゲイルはフィオンが出かけた理由が気が付いたようだったが、宿の扉が勢い良く開く音にさえぎられた。
「トーアちゃん!ギルさん!ゲイルさん!私、やりました!」
喜色満面といった具合のフィオンは足音を響かせてトーア達の座るテーブルに真っすぐやってくる。そして、手にしてたパーソナルブックをテーブルに置いて開いた。
「私、【下級剣士】になりました!」
力強く宣言したフィオンのパーソナルブックの職業欄には【下級剣士】とあり、戦闘系アビリティ【剣】のレベルが上がった事で新しい職業が手に入ったらしい。
「おめでとう、フィオン」
「ありがとう、トーアちゃん!」
はにかむフィオンにトーアは笑いかける。ゲイルは眉を寄せて難しい表情をしている。
「やっぱそうすか……。俺も一応は【下級剣士】なんすが、フィオーネの姉さんみたいな早さで手にはしてないんすよ……腐ってた時期もありやしたから仕方ねぇんすけど……ま、俺のことは置いておいて、フィオーネの姉さん、おめでとうございやす!」
昔のゲイルであればもっと別の反応だったかもしれないが、今は晴れやかな表情でばっと頭を下げて祝いを口にしていた。
ゲイルは精神的にも成長をしているんだなぁとトーアは思うが、ゲイルの言葉にフィオンの成長速度はCWOで日常的に行われている効率的な育成法を使ったからかもしれないと気が付く。ちらりとギルに視線を送ると、うっすらと苦笑を浮かべて小さく首を振っていた。
――ギルも気が付いたみたいだけど……やってしまった事は仕方ない……かな。
気が付かなかったことにしたトーアは小さく頷き返す。
「フィオン、テナーさんに料理を頼んでるから早く着替えてきたら?」
「あ、そうするね!」
パーソナルブックを手にしたフィオンは宿の二階へと駆けて行った。調理場から顔をのぞかせたテナーに小さく頷いて料理を頼み、トーア達はミリーに飲み物を注文する。
しばらくして軽装に着替えたフィオンが戻ってくるとテナーとミリーが料理を両手のトレイに乗せてやってきた。
「フィオンさん、おめでとう」
「おめでとうございます!」
二人からもお祝いを言われ、フィオンは照れながら礼を返す。並べられていく料理の種類と量に驚きと戸惑いを見せながらフィオンとゲイルは交互にトーアとギルを見る。
最後に飲み物をミリーから受け取り、フィオンとゲイルから向けられる疑問の篭った視線にトーアは小さく頷いた。
「とりあえず、ご飯を食べる前に少しだけ」
コップを手にしたままトーアがそう切り出すとフィオンとゲイルは何を察したのか緊張した様子で背筋を伸ばす。そんな二人の様子にトーアはふっと笑みを浮かべる。
「そんな改まった話じゃないよ。私のわがままでパーティを解散する事になったお詫びとお礼かな」
「トーアちゃんが謝ることじゃないよ!」
視線を少し下げたトーアが呟くとフィオンは体を乗り出してそれを否定した。
「初めからトーアちゃんがパーティを組む条件として挙げていた事だし、私はそれでもいいって言ったんだから!」
「そうっすよ、弟子入りはダメだって言いながら、戦い方から何まで教えてくれたじゃねぇですか!」
あれは恥ずかしかったからとは言えず、そして、いろいろとバレバレだったことに恥ずかしくなったトーアはきゅっと口を閉じる。
「二人ともありがとう」
礼と共にトーアが軽く頭を下げると嬉しそうにフィオンは微笑み、ゲイルもまた照れたのか誤魔化すように笑っていた。
その様子を見ていたギルはほほ笑んだあと、手にしていたコップを掲げる。
「よし、食べよう。明日に響かない程度にね」
「うん……新しい門出に、フィオンの職業取得を祝って……乾杯!」
『乾杯!』
それぞれがコップを掲げた後、テナー手製の料理にトーア達は手を伸ばした。
日が沈みゲイルが酔いつぶれたのを機にお祝いはお開きとなる。
フィオンは先に部屋へと戻り、トーアとギルは酔いつぶれたゲイルを部屋へと運んだ。
運び終わったトーアとギルは顔を見合わせて、困ったように笑いながら軽く肩をすくませる。
「この調子じゃ、明日は二日酔いかな」
「まったく……身持ちを崩さないようにって言ったんだけどな」
苦笑するギルに笑みを返して、トーアとギルはゲイルの部屋から出て『第七坑道』での約束である二人だけの飲み会のため、トーアの部屋からホームドアへと二人は移動する。
トーアが案内したのは初期設定の部屋で、この日のために簡易ながらもトーア謹製の木製テーブルとイスが置かれていた。
「お酒は口当たりがよくて、度数が軽いものを買ってきたよ」
「ありがとう。元の世界じゃ少しは呑めてたしCWOでも大丈夫だったけど……こっちじゃどうかわからないしね」
ギルがチェストゲートから酒瓶を取り出し、トーアは錫でできた食器とコップ、つまみになりそうな干し肉や豆類を取り出した。
「軽食は……もういいよね」
「うん、テナーさんの料理でお腹はいっぱいだよ」
向かう合うように椅子に座った二人は、ギルが魔法で用意した氷とお酒をトーアが用意したコップに入れる。
「じゃぁ、乾杯しようか」
「うん」
キンと冷えた錫製のコップを手にギルと軽くコップを触れさせる。小さな金属音を響かせた後、トーアはお酒を少しだけ口にふくむ。すでに果実で割られているのか、アルコールは弱く口当たりもジュースのようだった。
「うん……おいしい」
「よかった」
トーアは自然と笑みを浮かべる。ギルはトーアの様子に、優しい笑みを浮かべていた。
――なぜ、ギルはそんなに優しく私を見てくれるのか……そんなのわかってる。……と思う。
コップを両手で持ちながら、半ば無意識にギルをじっと見つめてしまう。
この飲み会を切り出したのはギルとの関係を進展させる、もしくははっきりさせるためだった。
「ギル……あの……」
「トーア、いいかな?」
互いに同時に口を開き、思わず笑ってしまう。
「うん、ギルからどうぞ」
「じゃぁ……」
笑いが収まった後、先に話す事を譲るとギルは立ち上がり、トーアの傍へとやってくる。
手にはパーソナルブックがあり、何かを操作していた。
「トーア、突然かもしれない、けど話しておきたいことがある」
「は、はい」
チェストゲートから何かを取り出し後ろ手に持ったギルがトーアの前に膝をつき、開いている手でトーアの左手を手に取りながら見上げてくる。
真剣な表情、視線にトーアは体の向きをギルに向けて背筋を伸ばした。
ギルは少しだけ口を開くのを迷ったあと、息を吐き覚悟を決めたように口を開いた。
「異世界に行かないかと大神に言われたとき、僕が唯一条件としてあげたのは、トーアと同じ世界へ行く事だったんだ」
ギルが話し始めたのはトーアにとって、唯一負い目と感じていたギルの異世界転移の事だった。
思わず手を引きそうになったトーアだったが、ギルはトーアの手を離さなかった。
「重たい話だと、わかっている。だけど……トーアに惹かれてしまったんだ。トーアがコトリアナに行かなければ、お付き合いを申し込むことだって考えていた」
しかし、その話はトーアが異世界へ行くことを選択したことで果せなくなった。トーアもまたギルのプレイヤーである日暮かえでに好意をもち、友人以上の好意は抱いていた。
連休前に一度会って話がしたいと、同じような事を切り出す事を考えていた事を思い出す。大神のせいで考えている暇もなくなってしまったうえ、引き返すこともできなかったが。
「互いにこんなことになった、でも、僕はトーアの事がやっぱり好きなんだ」
「っ……」
真剣な表情のまま、告げられた言葉にトーアは胸が締め付けられる。
嫌悪はない。むしろ世界を超えてまでトーアの後を追ったギルの想いの強さに申し訳なさを覚えてしまう。
「あの時と同じ言葉で申し訳ないけど、僕にはやっぱりこれが一番しっくりくるんだ」
「……うん」
ギルの雰囲気に次の言葉に予想が付いたトーアはそれを受け取るため手をつないだまま立ち上がる。
「リトアリス・フェリトールさん、僕、ギルビット・アルトランの妻になってくれませんか?」
ギルが口にしたのはまだ二人がCWOのプレイヤーであったとき、デートと称してフィールドを冒険した後、綺麗な夕日が見える丘の上で、膝をついたギルが口にした結婚の申し込みの言葉だった。
言葉と共に隠していた手をトーアの前に出す。手の上には銀色に光る指輪があった。
ギルの外見もあり乙女ゲームのスチルにも使われそうな雰囲気と言葉にトーアは思わず笑ってしまった。その時は「ギルにそんな事、言われたら断れないよ」と、トーアは左手を差し出していた。
そして、今回は胸に湧き上がってくる歓喜と愛しさと共に頷く。
「私もギルのことは好き。だから断る事なんてできないよ」
胸に広がる暖かな気持ちを言葉にして、左手の指を真っすぐに伸ばした。
指先に指輪が触れ、ギルの体温が残る指輪の感触に少しだけ怖気づいてしまったトーアは指を丸める。
「……でも、本当にいいの?」
「ああ、トーアがいいんだ」
ギルは笑みともにトーアの指を開き、指輪を左手薬指にはめた。
「アイテムランクが高いというわけじゃないけど……」
「私はこういうのに、そこまで価値は求めない……かな。気持ちが大事なわけだし」
指輪がはめられた左手をじっと見つめながらつぶやくと、椅子を隣に移動させて来たギルはほっとしたような、トーアらしいと笑みを浮かべる。
細身の銀の指輪、ギルの左手にもおそろいの指輪があった。
「CWOとは勝手が違うかもしれないけど、よろしくね」
「大切にします」
肩を抱き寄せられる。
「それでトーアの話は?」
「んー……?ギルのことが好きって言おうと思って」
ギルがお酒を少し口に含んだ後、ぽつりと呟くとギルは盛大にむせ始める。
「え、ちょっ……大丈夫?」
「げほっ……けほっ……げほっ……いや、なんていうか、不意打ちすぎないかな!?」
激しくせき込み涙目のギルの背中をトーアは優しくさする。
「だって……ふふふ……やっぱりうれしかったし」
コップを口にしながら左手の指輪を再び眺め、トーアがはにかむとギルは両手で顔を覆っていた。
「トーアが可愛すぎてつらい。マジ乙女……」
ギルの呟きにトーアは頬が熱くなるのを感じる。
「えっ……あっ、いや、いまの無し!……いや、無しじゃなくてもいいけど……もう女なんだし、いいでしょ!」
「はぁー……トランスセクシャルして乙女思考があるトーアに僕は驚きだよ」
顔を見せテーブルに肘をついたあきれ顔のギルにトーアは唇を尖らせた。
「それはこっちのセリフだよ。女の子としての自覚をーって言ったのはギルでしょ。まぁ、ギルはなんていうか初めから、イケメンでしたよー」
ついっと顔を背けるトーアをギルは後ろから抱きしめた。
「それは来る前からこうしようって、覚悟したからね」
「ひぇっ!?」
こめかみに小さなリップ音を響かせるギルにトーアは飛び上がり、思わず腕の中から逃げ出した。
「そ、そういうスキンシップはまだ抵抗があるというか、恥ずかしいというか!」
「乙女……」
ギルのからかいを含んだ呟きにトーアは地団駄を踏みそうになる。
「うっ、ぅぅぅぅっ……!」
「わかったから、ほら、何もしないから」
トーアが腰掛けていた椅子をギルがぽんぽんと叩き、トーアはしぶしぶ椅子に腰かけた。
「ああいうことは……今後という事で!」
「……今後は許してくれるんだ」
余裕を感じさせるギルの呟きにトーアは顔を赤くさせながら睨みつけた。