第三章 露店市場 1
エインシュラルド王国の都市、ラズログリーン。
王都エインシュラの東、エレファイン湖の対岸に位置し、エインシュラルド王国でも有数の大都市の一つ。だが、そこを目指す者達には『迷宮都市』の名のほうがなじみ深いかもしれない。
王国の発展期に相次いで発見された『迷宮』の調査拠点を始まりとするラズログリーンは、『迷宮』の調査が進むにつれて得られる富と名声は数多くの人間を引き寄せ、大都市と呼ばれるほどに成長した。
『迷宮都市』の名の由来は、街の周囲に存在するランクFからAの『異界迷宮』、天然の洞窟が迷宮化した『固有迷宮』が数多く存在することから来ている。
大都市となった現在でも富と名声を求めて数多くの冒険者、商人、生産者などが国内外から集まり続けているが、やってきた者で自身の夢や野望を叶えれる人間は一握りにも満たない。成そうとする者、成した者、成さなかった者、成せなかった者が住まう場所というのが昔と変わらぬラズログリーンの姿だった。
ラズログリーンの都市構造は都市を囲う外壁から外側を『外縁部』、内側を『東区』、『西区』、『南区』、『北区』、『中央区』と六つに分けられている。
外縁部は都市の基幹である食糧生産などを行っており、放牧地である草原や畑、果樹園が並ぶ牧歌的な風景が広がっており、都市部から離れた場所にはいくつかの村、または集落があった。都市の中心部である中央区から区画同士を分ける街道が東西南北に向かって互いの区画を分け、北と南は王都主街道へとつながっている。
北東の区画を『北区』、南東の区画を『東区』、南西の区画を『南区』、北西の区画を『西区』と呼び、都市の主要な区画としてラズログリーンの住人のほとんどが暮らしていた。
この四つの区画に立ち並ぶ施設や住民の貧富に差はあまりない、しかし、外縁部に比べれば裏路地といった例外はあるが少しだけ裕福と言える。
そのためか外縁部の人々は外壁の中に住む人を『街暮らし』、外壁の中に住む一部の人々は外縁部に住む人々を『外暮らし』と呼び、ただ住んでいる場所をさす程度から侮辱の言葉として使われる場合もあった。
ラズログリーンの中心部にあたる『中央区』は他の区画と建物だけではなく街の雰囲気が異なり、立ち並ぶ建物はみな広い敷地に庭園や噴水、馬車が乗り付けれる広い玄関など、贅を凝らした造りになっている。
中央区に住むのはいわゆる『成した者』達で、富を持ち、それでいて余裕のある富裕層が暮らしている。
一部に貴族の別宅があるが建てられた建物のほとんどが成功した商人や冒険者の自宅であり、贅を凝らした外観は己の成功を誇示していた。
他の中央区の建物は裕福な住人を客にした高級商店や、別宅を持たない貴族やたまたま大きな“成功”を手にした冒険者向けの高級宿や娼館が立ち並んでいる。
中央区の中心にはラズログリーン一帯と周囲の迷宮の管理をギルドと共に行っている伯爵位を持つ貴族、通称『迷宮伯』の邸宅があり、隣には冒険者互助組合のラズログリーン本部が建っている。
冒険者として最も成功した一例である『迷宮伯』の邸宅がラズログリーンの中心地にあるためか、ラズログリーン中央区に住む人々の一部には“『迷宮伯』の邸宅の近くに住居を構えることが最良であり、逆に他の区画に近い土地は中央区の中でも格下”と考える風潮があった。
ラズログリーン中央区の中心部にほど近い建物の一室で男は手にしていた紙を机の上に放り投げ、ため息とともに紫煙を吐き出した。
時刻は二つの月が空高く上がる頃合いで、歓楽街や酒場を除き街の明かりのほとんどは消えている。
男のいる部屋は机の上で【刻印】が刻み込まれたランプのような魔導具が放つ一定の光が照らしだしていた。
光を放つ魔導具は【魔法基礎】が使えない人間でも使える高級な部類の代物で、男はそれを日常的に使用できる立場にある。
照らされた部屋に置かれた小物や家具は男の自己顕示欲を表わしているかのような過剰で悪趣味な装飾がついており、部下から成金趣味と陰口をたたかれていた。
机の上に投げ出された紙は男の部下が行っていたミソレルタ村での裏工作の報告書で失敗に終わったという言葉で締められている。
現在はパストリア卸売店のみが販売を行っている土鍋の販売権を奪取するために行われた裏工作は、ラコメの調理の難しさをあえて指摘せず販売させ、ラコメの価値を下げ、土鍋の価値を上げることでミソレルタ村の西側と東側のパワーバランスを変え、西側の人間を村長にすることを目的としていた。
そして、その協力の見返りに西側の集落が作成している土鍋の販売先を男が管理するリステロン総合商店ラズログリーン支店へ替えさせ、土鍋の販売によって生まれるであろう莫大な利益を男の実績にするはずだった。
もともとは男の部下が立案した裏工作であり、不安要素はいくつかあったがあえて指摘はしていなかった。裏工作が失敗した場合に男に実害はなく、成功した場合は益にはなると踏んだ男は裏工作を実行させた。
当初、裏工作は順当に進んでおり、ラズログリーンでの土鍋の評判は高くラコメの在庫が焦げ付き始めていた。
が、突如として白兎の宿で提供されるようになった『餡かけおこげ』と、のちに行われた正しいラコメ調理法の講習会によってこの裏工作はあっさりと失敗する。
誰かが、調理法と活用法を白兎の宿の店主である、リリーテナー・フィルールに伝え、あまつさえもレシピまでも提供した。……らしい。
らしいというのは噂程度の情報とリリーテナーの態度から推測されたからであり件の要注意人物である、リトアリス・フェリトールが一枚噛んでいる可能性が非常に高かったが確証はなかった。
一件の顛末を思い出した男は再び、ため息とともに紫煙を吐き出す。
ふと東側の閉鎖的で老獪な村民たちの傀儡になっていると考えていた若き村長であるアルバインの情けない顔が浮かんでくる。
「もしや、一番の狸はあの若造か……?」
アルバイン自身は村長になるため東側の中心人物たちの支持を得ているそのため逆らえず言いなりにならざるを得なかったはずだった。だが結果的にどこにも角を立てずに焦げ付いたラコメの在庫をさばき切って東側の住人の機嫌を取りつつ、正しい調理法を宣伝することによってより土鍋の需要を増やし西側の住人の懐を温め、村長交代の口実を潰した。
この一連の騒動に関わったいくつかの商店、西側、東側の集落という様々な人間の思惑が入り乱れる中、村を潤わせ自身の株を上げるという最良かつ最大の利を得たのは無能で操り人形と思われていた、アルバイン・ミソレルタではないのだろうか。
一連の出来事を冷静に分析して至った結論に男はアルバイン・ミソレルタの顔や態度を思い返し、まさかなと小さく鼻で笑う。椅子から立ち上がり机に投げた紙を僅かに火が入った暖炉に投げ入れた。
次の行動のため頭を働かせながらゆっくりと燃えていく紙を眺めていると、部屋のドアがノックされる。
「どうした」
「店長、失礼します。管理部からの手紙と……件の人物の報告書です」
入ってきたのは部下の一人で、言葉通りにいくつかの封筒を男に見せた。
「机の上に置いておいてくれ」
「わかりました」
部下はそれ以上は何も言わずに言われた通り封筒を机に置き、部屋を出ていく。男は火かき棒で暖炉を混ぜ、紙が完全に燃え尽きたことを確認して暖炉の前から離れる。
椅子に戻った男は再び葉巻を口に咥えながら、先に管理部から届けられた封筒を手に取った。
リステロン総合商店はラズログリーンと名前が付けられる前、まだ村でさえなかった時に開業した歴史ある商店で、今ではエインシュラルド王国の村や街だけではなく他の国にも支店があるまで成長していた。
巨大になった組織を維持・管理するため特殊な組織構造をしており、各支店を経営する支店長と支店長を管理しリステロン総合商店全体の舵取りを行う管理部という上下構造をとっている。
各支店から昇格した管理部の商人を幹部とも呼ばれていた。
幹部になるにはある程度の支店長の経験と優秀な実績を収める必要があるというのが支店長たちの共通の認識である。
この組織構造のため支店長に出世したとしてものし上がりきったとは言えず、男の野心は重要な拠点でもあるラズログリーンの支店長を任されても満足しなかった。
管理部からの指示が入った封筒を手に取る度にこの封筒を届ける立場に立ちたいと苦々しい思いを抱く。やや乱暴に封筒の封を切り、入っていた情勢の見解や今後の経営方針などの指示に目を通して専用の棚に収める。
火をつけた葉巻をふかした後、幹部となるため男がとっている行動の一つである、リトアリス・フェリトールとギルビット・アルトランの動向調査を手に取った。
「宿の一件に絡んでいる……とは思うが」
取り出した紙には小さな文字で事細かに二人の動向が書き込まれていた。二人、特にリトアリス・フェリトールはエレハーレでの勧誘を断った時から動向を調査の指示を出している。
監視の目的はラズログリーン支店に取り込むためのきっかけを探すほかに、他の商店や同じリステロン総合商店の他の支店へ勧誘されてしまう事の牽制もあった。
紙には白兎の宿に滞在し、ときおりパーティメンバーと共にクエストに出かけるか、白兎の宿の店主であるリリーテナーとその娘であるミリーフィアと共に買い出しに出かけるという今までと変わらないことが書かれていた。
内容に目を通した男は小さくため息をつく。
現在この報告書を書いているのは二人目の人間で、一人目はこれ以上は仕事ができないと直接訴え、仕方なく契約を解消した。
その原因となる出来事はリトアリスによって起こされており、今の情報量の少なさにも繋がっている。
一人目は過去に何度か同じような依頼をしており、それなりの金額を支払うだけの情報を手にしてくることも多く、男はその腕前を認めていた。
事が起こったその日、調査をしていた人間はリトアリスとミリーフィアが買い出しに出かけるのを追跡していた。
市場で出されている露店にミリーフィアが気を取られたその時、何気ない様子を装いながらリトアリスが調査をしていた人間を真っすぐに見たという。その目が語る意味を理解した途端、体中から冷や汗が噴き出し一歩も動けなくなってしまったと、調査をしていた人間は男の前で心配になるほど震えながら説明する。
だが男はその説明だけではその見られた意味を察することができずにいた。戸惑いを隠しながらどういうことなのかと尋ねると調査をしていた人間はそのリトアリスの目を思い出したのか、ぎゅっと目をつぶった後、震える声で囁くようにして短い言葉を口にする。
『私を見ている、お前を見ているぞ』
リトアリスの僅かに赤を帯びているはずの目が、陽が差し込まない井戸を覗き込んだような昏さを感じたと続けて話す。あれは何かリトアリスが“害を与えた”と思われる行動を起こせば、すぐに何らかの行動を、こちらが最も避けたい以上のことを引き起こすものだと、男は次第に大きくなった声で契約を打ち切ることを決断してほしいとわかりやすくにじませながら説明する。
視線を合わせたのは僅かな間だけだったが、それだけで調査をしていた人間の心をへし折っていた。
これ以上は出来ないと冷や汗を流しながら懇願する人間に男は内心失望したが、契約を打ち切ることを了承した。その後、別の人間を雇ったがリトアリスに牽制させるという失敗が起こらないよう決して悟られず深追いはしないように注意をつける。情報量が少なくなるというデメリットがあるが依頼を受ける人間がいなくなり、情報自体が手に入らなくなることを避けるため必要な事だと男は判断した。
だが状況が遅々として進まない事に若干の苛立ちを感じている。
「だが問題を起こされてもかなわんからな……」
再度、紫煙と共にため息を吐きだして報告書の最後まで目を通す。報告書の最後には直近の動向としてリトアリス達は異界迷宮の一つに向かったことが書かれていた。
これといった情報が書かれていない事に落胆しつつ男は紫煙を長々と吐き出す。ふとこのごろため息が増えたなと思いながら再び息を吐き出しそうになり、吐き出そうとした息を飲み込んだ。