第二章 白兎の宿 11
翌日も朝から多くの客が訪れ、トーア達は忙しく対応する事になる。
あっという間に日が沈み、閉店の時間となった。店内の清掃を終えた頃、約束通りジェリボルトが宿に姿を見せる。
「初めまして、クリアンタ商店の筆頭商人、ジェリボルト・アーフェンナと申します。お忙しい中、こうして時間を作っていただき、ありがとうございます。いまラズログリーンを賑わせているリリーテナーさんとこうして会うことができて光栄です」
「初めまして、ジェリボルトさん。私の名前はご存知かと思いますが……リリーテナー・フィルールと申します」
笑みを浮かべたジェリボルトとテナーが握手を交わし、そのまま、取りとめの無い世間話から今後の商売についての展望を話し始めた。
その様子をトーアは昨日と同じようにテーブルに座りながら聞いていた。
――ああいう腹芸っていうのは苦手だなぁ……。
回りくどいような感じがして苦手だが、作ったものを売買するのに多少は必要な事も十分理解していた。
先日訪れたアルバインと違い、トーアという伝手を使ったが、ジェリボルトはこちらの事情を汲み事前にアポイントメントを取り、挨拶の中にもテナーへの配慮を含ませている。
若くして商店の筆頭商人という立場に立つ人物だなとトーアは声に出さず称賛する。
顔つなぎが終わり、ジェリボルトが立ち上がった。
「それでは今後ともご贔屓に。リトアリスさん、このような機会を作っていただきありがとうございます。リトアリスさんがいずれラズログリーンで商売を始める時は、協力できることがあれば協力させてください」
「ええ、その時はもちろん」
トーアは笑みを浮かべるジェリボルトに笑みを返しながら握手する。
ジェリボルトの言ったのは手放しの協力宣言だったが、トーアは鵜呑みにはしなかった。若くして出世頭、筆頭商人という地位に立つジェリボルトを称賛はしていたが、抜け目ない瞳を見たからだった。
ジェリボルトが去るのを見送って一息ついたトーアは店の入り口に人の気配を感じて顔を向ける。
外に立っていたのはアルバインで、トーアの視線に気が付き軽く会釈をした。
「テナーさん」
「ええ……」
店に入れてもいいか確認を取り、頷くテナーを見てアルバインを食堂に招いた。
「こんな時間にどうされたんですか?」
「リリーテナーさんにお願いがあってきたのですが……」
「私に?ですか」
「はい。ラズログリーンにラコメを広めるため……講習会の講師を勤めていただけないでしょうか?お願いします!」
勢い良く頭を下げたアルバインの姿に、テナーはぽかんとした表情をしていた。ジェリボルトとの会話のあとのためか余計に驚いているようだった。しばらくして言われた事を理解したのか困惑しつつも慌ててアルバインに頭をあげるように言った。
「アルバインさん、それは私に頼まなくても、もっと詳しい村の方……いえ、そもそもアルバインさんが講師になればよろしいんじゃないでしょうか」
「恥ずかしながら、私はラコメを炊けません。妻が……いるので。それに村の者を呼ぶとなるとまた何日も待たなければならないのです!それに今、私が戻った場合、どうなるか……」
アルバインの立場はかなり揺らいでいるようだった。
そもそもラズログリーンにやって来たのも危険な行為なようで、アルバインが居ないうちに、新しい村長を擁立などされれてしまう可能性もある。
「なので、戻るまでになんとしてもラコメを多く売る方法を考えなければなりません!」
「講習会を行ったとしても、ラコメの消費が増えるとは……」
テナーは反論するが、それは現状の『白兎の宿』の人気を考えれば説得力に欠ける話だった。
「それでも何もしないよりはマシですから!」
すがるようなアルバインの目にテナーは、息を吐き少し考えさせてほしいと言った。アルバインはもう一度頭を下げた後、食堂を出て行き、それを見送ったトーア達はアルバインのあんまりな態度に疲れがどっと押し寄せてくる感覚にため息をついた。
「ギルドタグは返還してないから、クエストとして受けることも出来るけど……はぁ……あまり気が乗らないわ」
他の店もラコメが炊けるようになれば、今の白兎の宿の賑わいに陰りが出る事を嘆いているのかもしれない。そんなトーアの考えが伝わったのか、テナーは困ったように笑いながら手を横に振る。
「他のお店がラコメでにぎわうなら私はそれでもかまわないわ。休んでいた時の分は取り戻しているし……それにうちだけが儲けているというのもご近所さんにも悪いしね」
それにしてもあの言い方はちょっとねと苦笑いを浮かべつつ余裕を見せるテナーに勘違いをしていたことを気付いたトーアは敵わないと思いつつ釣られて笑った。
それと同時にラコメに関してのテナーの持つアドバンテージは他の料理人に比べて遥かに高く、トーアの調理を身近で見ていたこともあり、どのような可能性があるのか薄々感づいている事にも気が付いた。
他の料理人にラコメの炊き方を教えたとしてもテナーと同程度にラコメを扱える人が出てくるのは当分先のように思えた。
「気が乗らないっていうのは、来るであろう人たちが年上しか来ないことよ」
「それは……確かに」
以前、トーアが剣を鍛えるところをみせる程度であれば、気兼ねすることはない。だがラコメを炊く手順は見て覚えろというには酷な話だとトーアは思った。
「まぁ、みんな知りたいだろうし、気にしないことにするわ」
「という事は、アルバインさんの頼みごとを聞くんですか?」
「ええ。アルバインさんの甘い見通しで今後、どうなるかわからないけど、今ラコメの供給を止めてもらうわけには行かないから。それに、無茶な事を頼むのだから、それ相応の対価があってもいいわよね」
それもそうですねと頷いたトーアに、テナーは頷き返した。
三日後、通常営業をいつもより早い時間で終えた白兎の宿の食堂には、ラズログリーンの料理人たちが集まっていた。
アルバインを通じて、パストリア卸売店からラコメを購入したことのある店に向けてラコメの炊き方の講習会がある事が伝えられ、すぐに参加希望者が多く集まる。
一度だけでは教えきれない人数になったため、このような講習会は今後、数回行う予定になっていた。
白兎の宿の食堂で手順を説明したあと、実際に調理場で調理を行う。炊き上がったラコメはトーアが塩なし、塩ありの『おにぎり』を作り、試食と共に正しいラコメの味を知ってもらっていた。
「これが正しく調理されたラコメの味……」
驚いたように口を動かす年嵩の男性の姿を見ながら、トーアは熱々のラコメを手で握り、次々におにぎりを作り続けていた。
夜もふけた頃に講習会は終わり、食器を片付けおわった時には、ぐったりとトーア達はテーブルに腰掛けていた。
パストリア卸売店の協力もありラコメの量は問題なかったが、厨房で手順を説明し質問に答えていたテナーの声は涸れ、おにぎりを作り続けたトーアの手は真っ赤だった。
店の中で案内などをしていたフィオンや使用済みの食器を洗っていたゲイルもぐったりしている。
ミリーは途中から船をこぎ始めたため、すでに部屋に戻り眠っていた。
「お疲れ様でした……」
「テナーさんもお疲れ様です」
ぐったりとしたテナーだったが、表情は笑みを浮かべている。アルバインとの交渉でパストリア卸売店を通じて格安かつ優先的に土鍋とラコメを卸してもらうことにもなり、今後の事を考えると笑いが止まらないようだった。
その交渉には喧々諤々と色々とあったらしいが、無茶な事を先に言い出したアルバインの不利は覆る訳もなく、テナーの独壇場だったらしい。
高い授業料になったわねと、交渉を纏めたテナーは好戦的な笑みを覗かせていた。
このままテーブルで眠りそうになった事に気が付き、トーアたちはそれぞれ部屋に戻る。
ホームドアで汗を流した後、欠伸をしながらベッドに横になったトーアは、今後の事を考え始めた。
――そろそろ、冒険者稼業を再開しないとね……。
ゲイルやフィオンの訓練は続けているが、実戦で戦わなければ役に立つ技術ではないとトーアは考えていた。
まずはテナーに、店の手伝いをやめるタイミングを話してからだなと思い、トーアは目をつぶった。
ラコメの第一回講習会が好評のうちに終わったという報告を受けて、ジェリボルトは動かしていたペンを止めて笑みを浮かべる。
「わかりました。ラコメの入手については今のところ、パストリア卸売店からしか手に入りませんが、直接手に入れる方法も検討してください。それと直営店の料理人たちにラコメを使った料理についての研究もお願いしてください」
直属の部下は、はいと返事を返して退室して行った。
ペンを動かすのを再開したジェリボルトだったが、ふとペンを止めてテナーの傍に立っていた少女、リトアリス・フェリトールのことを思いだしていた。
初めて出会ったのは、ジェリボルトが王都主街道の隊商を率いていた時のこと。ウィアッドの長であるデートン・ウィアッドからエレハーレまで同乗させて欲しいと言われた時だった。
ブラウンボアどころか、ブラウンベアまで一人で討伐したという少女の最初の印象は凡庸と言ってしまえるもので、デートンの話を少しだけ疑ってしまった。
少女からの視線はこちらを窺うような警戒に似たもので、人見知りであろうかと考える程度だった。
長い黒髪を三つ編みにまとめ、光の加減で赤く見える瞳は少し珍しく目を引いた。少女と共にウィアッドを出発すると、率先して夜警に協力し、次の日の朝にはまだ幼いブラウンボアをあっさりと仕留め、朝食にと提供してくる。
歳相応の笑みを見せる姿に他の護衛たちからは『良い子じゃないか』と評価を受け、ジェリボルトも特におかしな子供という訳ではなかった気がした。
エレハーレに到着し別れ際になって、夜警時に空に浮かぶ二つの月を見つめる目が外見とかけ離れていた事を何故か思い出す。遥か遠くを見るような、望郷を滲ませたその姿にジェリボルトは何かを感じる。
「そうですか……では今後、エレハーレの生活の何か必要なものがございましたら、是非クリアンタ商店をご贔屓に」
「はい、その時はお願いします」
こうして個人に贔屓にしてほしいと売り込むのは滅多にない。
苦笑いを浮かべていたが、それでもこの縁を途切れさせてはいけないと、商人の勘が告げ、それをジェリボルトは信じ、行動した。
後日、灰鋭石の硬剣を端とする事件のあらましを王都主街道のある街で聞いたとき、ジェリボルトは声を出して笑ってしまった。
こういう事か!という衝撃と、自身の勘を信じてよかったという安堵、エレハーレへ同行したという恩があるという計算高い部分は一度、宥めておいた。
確かに恩はあるはずだったがそれだけを前面に押し出せば、良い顔はしないはずとジェリボルトは考える。
今は直接顔を合わせ、様子を探るべきだろうと気持ちを落ち着けた。
その後、剣の鍛造による決闘騒動では、別の人員を使ってリトアリス・フェリトールの剣を競り落とそうとしたが、それは失敗に終わった。成熟したブラウンボアをなます切りにし、仕込まれていた短剣を両断したが剣に目立った破損は無いというギルビット・アルトランの腕前は称賛すべきだが、その腕前に耐える剣を鍛え上げるリトアリス・フェリトールの腕前は驚くべきことだった。
たまたま隊商の休憩地としてエレハーレですごしていた時、商品運搬で臨時に雇っていたパーティが契約を破棄して姿を消したと言う問題が発生し、頭を抱えていた同僚を見て、これはチャンスかもしれないと思った。
リトアリス・フェリトール、ギルビット・アルトランの噂は集めておくように指示を出していたため、エレハーレのどの宿に宿泊しているか、どのようなスケジュールで動いているかまで把握していた。
現在、エレハーレに滞在し、パーティで二つの異界迷宮から帰還している。
――そろそろ、ラズログリーンに移動する時期ではないだろうか?
護衛依頼を出せば顔を合わせることができ、直接様子を知ることが出来るとジェリボルトは同僚に隊商のリーダーを頼み、代わりに問題を解決すると提案する。感謝とともに交代してもらい、ギルドに指名で護衛依頼を出した。
久々に顔を合わせたリトアリス・フェリトールは、以前会った時とは、纏う雰囲気が違っていた。熟練の職人のような落ち着き、浮かべる笑みにも余裕を感じさせた。
その場で護衛依頼を受諾してもらう事になり、商品移送の憂いはなくなった。
トーア達が店を出て行った後、ジェリボルトは椅子に深く腰掛け、息を吐く。商品移送の憂いはなくなったが、今までリトアリス・フェリトールを商店付きの職人に誘おうと脳内で考えていた計画を忘れる事にした。
「……あの人に首輪はつけられない」
考えてみればおのずとわかることだった。
たとえ遥かに財を持っていたとしても逆らうのは難しい貴族に、策を弄したとしても正面からぶつかるような人物。そして、噂に聞く特異個体やブラウンベアを容易に討伐するだけの戦闘能力。
もし、策に嵌めて自身が望まない環境に落とされたと気が付いたとき、どうなるだろうかとジェリボルトは考えて、獰猛な魔獣を脆弱な木の檻に入れるようなものだと、笑う。
そして、有能な生産者との縁を失うという結果だけが残る。もっと悪ければ王国から出て行くかもしれないというところまで想像し、ジェリボルトは息を吐いた。
「このままの関係を続けたほうが得策……ですね」
恩を売っておけば必ずその恩を返そうとする義理堅い人物でもあるとジェリボルトはトーアの事を評していた。
現状維持を決めたジェリボルトは、引き続きそれとなく情報と噂を集める事を決める。
ラズログリーンに移動した後、トーア達の様子を見るため、ラズログリーンでの勤務に一時的に切り替えてもらう。
数日が立ち、護衛依頼を出さないがラズログリーンで待機をお願いしていたガーランド達やトーアと共に護衛を行った冒険者達から、いまラズログリーンで出回っている真新しい穀物であるラコメを使った料理を出す店のことを聞く。
「あのリトアリスが絡んでる」
ヴォリベルが言葉少なく言った情報に、ジェリボルトは自ら店に行く事をすぐに決めた。
その料理の味は明らかに既存のモノと異なり、価値がないとクリアンタ商店で判断していたラコメの可能性をまざまざと見せ付けられるものだった。
クリアンタ商店の別の商人がラコメの卸売の打診を受けていたが、断っていた事を思い出す。
『白兎の宿』の評判を聞けば、頭を抱えるだろうと一人息をついた。護衛依頼を頼んだフィオンが給仕をしているのをみて、トーアに顔つなぎを頼む。
ラコメの卸しはできないかもしれないが、宿ともなれば入用なものは大量にある。
そして、それはクリアンタ商店で扱っている商品だった。
話を聞いたトーアの顔は少し迷ったようだったが、店主に顔つなぎが出来る結果になり、ジェリボルトは顔に出さずにほっと息をついた。
ずっとペンを動かさず、思考に沈み込んでいた事に気が付き、ジェリボルトはペンを再び動かし始める。
リトアリス・フェリトールの周辺で次はどんな事が起こるのか、注意しなければと思いつつもどこか期待し、それを楽しく思っている事に気が付いた。
「このような気持ちになるのは、若い頃以来ですね……」
ぼそりと呟いた後、まだ見習いだった頃、どんな商人になるか、そして、どんな品物と出会えるのか、クリアンタ商店に所属する商人を纏める筆頭商人の一人という地位に立っても、隊商での行動をやめなかった自身の根にあるものに気がつき、ジェリボルトはうっすらと笑みを浮かべた。