第二章 白兎の宿 10
裏口には何度か顔を見たことのある男性と見慣れない男性が立ち、テナーの姿を見ると見たことのある方の男性が頭を下げる。
頭を下げた男性は、唯一ラズログリーンでラコメを卸し、販売している『パストリア卸売店』の店長で、『白兎の宿』が大量のラコメを注文している事からか、店長自ら配達をするという高待遇を受けている。
「毎度ご贔屓にしていただきありがとうございます。ご注文のラコメをお届けに参りました」
「ありがとうございます。ところで、そちらの方は?」
見慣れない男性はパストリア卸売店の従業員という訳でもないため、様子を見ていたトーアはギルと静かに視線を交わした。
「えぇっと、こちらの方はですね……」
迷惑そうな顔を隠そうともせず、言いよどむ店長にテナーも顔を若干、しかめる。
視線が移った事に気が付き、見慣れない男性は腰を折った。
「初めまして、ぼ……私、ミソレルタ村の長を任されております、アルバイン・ミソレルタと申します。ミソレルタ村ではラコメを作っております」
僕と言いかけたのか、アルバインと名乗った男性はすばやく言いなおして笑みを見せる。
アルバインはさらに口を開こうとするが、パストリア卸売店の店長から先にラコメを運び込みたいと言われ、素直に後ろに下がった。
トーアとギルがラコメの入った俵を抱えて倉庫に運び込んでいる間、テナーが料金を支払い店長と声を潜めてなにやら会話をしていた。ラコメと共に運ばれてきた土鍋も厨房の専用の棚に移し終えて、納品を確認したパストリア卸売店の店長はぺこりと頭を下げる。
「今後もご贔屓に!」
お辞儀をしたパストリア卸売店の店主はちらりとアルバインを見る。
テナーの視線が移った事に気が付いたアルバインは口を開くが、声を出す前にテナーが先に話しかける。
「お話があるとお聞きしましたが今は何分忙しく、申し訳ありませんがお店が閉まった後、改めてお時間をいただけないでしょうか」
「……わかりました。忙しい時に押しかけて申し訳ありません。後ほどお伺いします」
アルバインは詫びをこめた礼をした後、パストリア卸売店の馬車と共に去って行った。裏口から見えなくなるまで見送った後、テナーは困った顔をしながらふぅと肩の力を抜いていた。
「一体、どうしたんですか?」
「店長さんから聞いた話だと、少し前にラコメの仕入れで一緒についてきたそうよ。それでこの店の噂を聞いて、顔つなぎを頼まれたって。迷惑料なのかはわからないけど、少しまけてもらったわ」
はぁと溜息をテナーはつく。ラコメを買いすぎているから苦情が来たのかと思ったが、生産者が出てくることにトーアとギルは顔を見合わせていた。
「すいやせん!注文がきやしたんで、お願いします!」
三人がアルバインが訪ねて来た理由を考え込んでいるとゲイルが裏口に駆け込んでくる。
「考えていても仕方ないわね……お店が閉まった後に来るみたいだし。トーアさん、ギルさん、迷惑かもしれないけど、同席してくれないかしら」
「それは……構いませんが、私達の事をどう説明するんです?」
トーアはギルと視線を交わしギルが頷いたのを見て、トーアはテナーの言葉に頷きつつ、尋ねた。
「従業員として紹介するわ。臨時で雇っているだけだけど……言わなければ、わからないわ」
悪戯っぽく笑ったテナーに釣られてトーアはギルと共に笑みを浮かべる。嘘は言っていないとギルとともに頷いた。
夜のことを考えつつラコメを炊いているとフィオンが顔を厨房に顔を出し、トーアを呼んだ。
「どうしたの?」
「ジェリボルトさんが来てて、トーアちゃんを呼んでほしいって」
ジェリボルトさんが?とトーアは首を傾げる。
特に約束はしていない事を思い返しつつ、テナーに厨房を離れてもいいか確認を取ったあと、食堂へ向かった。
「こんにちは、ジェリボルトさん」
「お忙しいところ、申し訳ありません、リトアリスさん」
ジェリボルトはテーブルに一人で座っており、トーアは向かい合うように椅子にこしかける。
「今日はどうされたんですか?また、護衛依頼でしょうか?」
「いえ、用事がある訳ではないです。世間話というか……ガーランドさん達からこの餡かけおこげの噂を聞きまして」
なるほどとトーアは頷いた。
店を再開した時から試食に協力してもらったガーランド達には情報を解禁してもらい、予定通りに店を宣伝してもらっている。
護衛依頼の雇い主であるジェリボルトにも話が行くのはおかしくない気がした。
「いかがでしたか?」
「ラコメでしたね。あれは面白いものです。それにヴォリベルさんから聞いたのですが、他にもバリエーションがあるとか」
「はい。季節の野菜や肉類は価格の上下がありますから」
トーアがレシピを渡した事を悟られない程度に情報をジェリボルトに伝える。
商人であるジェリボルトが偵察だけで用事を済ますわけではないとトーアは悟られない程度に警戒していた。
「そういえば、ジェリボルトさんは隊商で出発されていなかったんですね」
「ああ……はい。少し店での仕事がありまして、当分、ラズログリーンに滞在する予定です。良ければですが、こちらの店主の方を紹介していただけないでしょうか。ラコメを手配する事は難しいですが他の食材や消耗品等は宿としても必要かと思います」
今後、『餡かけおこげ』の噂がより広まれば大量の食材が必要になる。そして、クリアンタ商店の国内での交易だけでも様々な食材が手に入るのは、短い期間だが護衛依頼で行動を共にしたことですぐに察する事ができた。
「……少しお待ちください」
悪手かもしれないが、臨時店員のトーアが決めることではなく、直接テナーに確認を取ることにする。
厨房でテナーに経緯を説明すると、クリアンタ商店の評判を聞いているのか、そこの商人と顔つなぎができるのならありがたいと言った。
だが、今日はこの後にミソレルタ村の長であるアルバインと話をする予定がある。
テナーではなくトーアがジェリボルトに明日に会うことを伝えるとジェリボルトは笑みを浮かべた。
「わかりました。突然、言い出した事に対応していただきありがとうございます」
『餡かけおこげ』の代金を支払ったジェリボルトは立ち上がり会釈をして食堂を出て行く。テナーではなくトーアが対応したのは、他の店の店主や料理人が食堂にいたからで、人目を気にした為だった。
それでもクリアンタ商店の商人であるジェリボルトと、店員が親しげに話をしていたというだけで人目を引くかもしれなかった。
宿の閉店時間となり、食堂内と厨房の清掃を始める。
後片付けが一段落し、一息入れていると食堂にアルバインが姿を見せた。
ミリーがテーブルにアルバインを案内した後、テナーが向かい合うような位置に腰掛ける。
トーア達も少し離れたテーブル席に集まって座り、二人の様子を窺う。お茶を配膳したミリーもフィオンの隣に座ったのを確認したテナーが、改めて自己紹介とトーア達を紹介する。
事前に話していた通り、従業員と言っていた。
「それで、お話というのはどのような内容でしょうか」
「単刀直入にお話しますが、『餡かけおこげ』のレシピを譲っていただくことはできないでしょうか」
アルバインの申し出に、トーアは思わず腰を浮かしそうになる。
テナーだけではなく、その場に居たギル、フィオン、ゲイルも眉を寄せて、不快感を露にした。
「……それがどれだけ虫の良い話か、ご理解されていますか?」
僅かに怒りをにじませたテナーの言葉に、アルバインの顔色はさっと青くなる。
この数日でかなりの稼ぎを生み出し、これからも富を発生させるレシピを欲しいというのは理解に苦しむ発言だった。
「も、もちろん、何の対価もなしにという訳ではありません!」
「どれだけの額を用意されたとしても、お譲りするわけにはいきません」
断られる事を予想していたのか、ショックはないようだが顔を俯かせる。
「……ところで、なぜこんな無茶な事を?」
アルバインの様子に気になったのか、テナーはそっと尋ねた。
「それは……全ては私が招いた事です」
顔を俯かせながらアルバインはぼそぼそと話し始める。
アルバインの故郷は、ラズログリーンの遥か北、エステレア法国の象徴でもあり、国境線でもある霊峰エステシュレイアから伸びた山脈に北と東西を抱かれるような立地にある。
日当たりの良い東側はラコメを栽培する棚田が広がり、西側では焼き物に適した土が産出されるため陶器を主に作っている。盆地になっている中心部では野菜や酪農を主としており、村の中心部と言って過言ではない。昔から西側と東側は仲が悪く、中心部の人々が仲裁してきた。
「私の出身は東側の集落で、前村長と交代するため、東側の集落の支持を得ました。村長になり、ラコメを村の外に売って富を手にすると約束して」
ラコメの調理には特殊な釜が必要な事と、西側の集落へのメリットとして土鍋を作り、ラコメとともに売り出すことになる。
ラコメを買い取ってくれる商店は村にやってくる商店から紹介して貰い、今のパストリア卸売店を見つけることが出来た。
そして、土鍋とレシピ、ラコメのセットで売り出し始めたが、アルバインの予想を裏切る事が発生する。
「ラコメと土鍋の売り出しは好調でしたが、次第に土鍋の注文が増えました」
次第に村での力関係も変わり始め、村長の後ろ盾があった東側よりも多くの収益を手に入れている西側が大きな顔をし始めていた。
それが面白くないのは、勝ち馬にのったはずの東側の住人で、その矛先はアルバインに向かった。
「このままでは支持を失って村長の座を奪われるでしょう……」
アルバインの話を聞き終わり、トーアはこっそりと溜息をついた。
アルバイン自身もアルバインの故郷の村の住人も見通しが甘かった。そのお陰で北の山奥まで行かなくてもラコメが食べられたことを考えればよかったのかもしれない。だが、アルバインの底の浅い考えにがっかりしていた。
話を聞いたテナーだったが、絆された様子も無く一度だけ息を吐くとまっすぐにアルバインを見つめる。
「レシピを売ることはしません。これは私にとっても……この宿にとっても奇跡のようなものですから。……一つだけ助言というか、ラコメに関して言いたいことがあります」
「……なんでしょうか?」
テナーの言葉にアルバインはすがるような表情を見せた。
「ラコメを炊く難しさについてです。私はその……教えてくださる方が居て炊けるようにはなりました。ですが、レシピと土鍋だけを用意されても簡単には出来るものではないです。なのでラコメを普及させてラコメの売り上げを伸ばしたい、ひいては村の中のバランスを取りたいと思われるのなら、講習会のようなものをしてみてはどうでしょうか」
「ラコメが、炊けない、ですか?」
テナーの言い方に目を見開いて驚きを露わにしたアルバインは、トーア達の傍に座るミリーに視線を向ける。
こくこくと頷くミリーの姿にアルバインは驚いた表情のまま、口に手を当て視線をテーブルの上で彷徨わせていた。
「もしラコメが美味く調理できるようになれば、そこから新しい料理が生まれてラコメの消費量は増えるかもしれません、ですがそれも一時的なものだと思います。それも含めて色々と考えてみてはどうでしょうか」
「……わかりました」
目をつぶり考え込んだアルバインは何かを決断したのか、目を開き真っ直ぐにテナーに視線を返した。
「少し、考えてみます。今日はありがとうございました」
立ち上がり、テナーに頭を下げた後、アルバインは食堂を出ていく。
食堂の扉が閉まり、アルバインが去って行ったのを確認すると、テナーははぁーっと長く息を吐いて、ぐったりとテーブルに突っ伏した。
「テナーさん、お疲れ様です」
「ありがとう、トーアさん。ギルさん、フィオンさん、ゲイルさんも同席してくれてありがとう。でも……あの人がどうなるかわからないけど……」
新しいお茶を入れなおして、それぞれの前に置く。
アルバインの今後次第では村長の変更と共に方針が変わり、ラズログリーンにラコメも土鍋も入ってくることがなくなるかもしれない。
安定してラコメを手に入れるためにそれだけは何とかしてほしいとトーアは思う。その日は、全員が疲れた顔をして部屋に戻った。