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第二章 白兎の宿 9

 白兎の宿の営業が再開された初日、エリリアーナは正に戦場と化した昼頃に顔を見せる。


「いらっしゃいませ!エリリアーナさん!」

「えっと、ミリーちゃん……これは?」


 笑顔で出迎えたミリーに、食堂の状態に疑問を浮かべながら尋ねる。

 食堂はほぼ満員で、テーブルに座った皆が汗を流しながら深皿に盛られた『餡かけおこげ』を口に運んでいた。

 不思議そうにするエリリアーナにミリーは何があったのか話し始める。


 開店から訪れたのは試食を手伝っていたガーランド達で、知り合いの冒険者達をつれてきた。

 『白兎の宿』の噂を聞いていた冒険者達は朝から白兎の宿にやってきたことに難色を示していたが、ガーランド達になだめられて新しいメニューである『餡かけおこげ』を注文する。

 テナーとミリーだけで調理と配膳を終え、熱々の餡が香ばしく揚げられたラコメにかけられた瞬間、ぱちぱちと音を立てた。そのパフォーマンスに歓声をあげつつ、ラコメを使った全く新しい料理に冒険者達は目を輝かせ、熱々を口に運んだ。

 餡の熱さに悲鳴を上げる事になったが、すぐにその美味さに歓声を上げて熱と戦いながら木匙を口に運んでいた。

 こっそりと様子を見ていたトーアは、うまくいきそうな感触に笑みを浮かべている。

 その冒険者達が帰り、ちょうど炊き上げたラコメが全てなくなり次は昼だと用意を進めた。『餡かけおこげ』の好感触にミリーはテナーに抱きついてにっこりと微笑む。テナーもほっとしたような表情を見せた後、お昼からも頑張らないと、と気を引き締めていた。

 問題は昼からで朝の冒険者達が広めた噂に食堂に入りきらないほどの客を呼んだ。


「トーアさん、ギルさん、フィオンさん、ゲイルさん!お話があります!少しの間、食堂を手伝ってください!ギルドへ依頼を出します!」


 食堂でラコメの仕込みを終えた少しの空き時間にテナーはトーア達に頼み込んだ。トーア達は顔を見合わせた後、依頼を受けることにする。今までこうして協力してきたトーア達に断る理由はなかった。

 そして、トーアはテナーと共に厨房で料理を作り、ゲイルは皿洗い、フィオンはミリーと共に注文と配膳を行っている。ギルは以前、エレハーレでランクGの仕事をしたときに客に気に入られ仕事にならないことがあったため、倉庫から必要な食材を運んだりと裏方の仕事をしていた。


「いや、まぁ……わかるけどね」

「ギル、ラコメの追加お願いー」


 苦笑いを浮かべて呟いたギルの言葉はトーアは聞こえなかったようで、首を傾げている。

 なんでもないと首を横に振るギルを不思議に思いながら、トーアは土鍋で次々にラコメを炊き、追加で作成した中華鍋でおこげにしていた。


 説明を終えたミリーにエリリアーナも新しいメニューに興味が湧いたのか、空いた席に座り『ミニコッコ肉を使った餡かけおこげ』を注文する。


「はい、すぐにお持ちしますね!」


 ぺこりと小さく頭を下げたミリーが厨房に戻り、しばらくするとフィオンが小さな土鍋と、深皿を手にやってくる。


「お待たせしました。『ミニコッコ肉を使った餡かけおこげ』です」


 深皿を置いて土鍋から餡をかけるとミニコッコの骨を煮出した出汁の香りとぱちぱちという音と共に香ばしい匂いが立ち上った。

 ごくりとエリリアーナが喉をなして木匙を手に取る。


「餡がとても熱いので注意してお食べください、ではごゆっくり」


 小さく頭を下げたフィオンがテーブルからはなれ、エリリアーナは早速、白いおこげと呼ばれた部分と餡をからめて、木匙で掬う。


「っ!?あつっ……んむっ……はふっ……あふっ……!」


 息を吹きかけ恐る恐る口にするが、餡の熱さはエリリアーナの予想を上回っており、熱を逃がしながらおこげを噛み砕く。途端におこげから染み出した油の甘みが、やや塩気の効いた餡と混ざり、絶妙な味を口の中で生み出した。


「んんっ~~!」


 熱い、だが、また味わいたくなる。

 熱さに怯まずにさくさくのおこげを崩し、汗をかきながら息を吹きかけ、口に運ぶ。

 あっという間に深皿のおこげはなくなり、身体は餡の熱さで暖かさと満腹感に思わず幸福の溜息が出る。


「おいしかった……」


 しみじみと呟くエリリアーナのテーブルにテナーがやってくる。


「テナー?もう大丈夫そうね」

「ええ、心配してくれてありがとう、エリー。……正直、ここまですごい事になるとは思っていなかったの」


 小さな声で呟くテナーにエリリアーナは苦笑する。トーア達に白兎の宿を紹介してよかったとそっと息をついた。


 エリリアーナがリトアリス・フェリトールの事を知ったのは、エレハーレで起こった灰鋭石の硬剣フレッジブレードを発端とした貴族とのいざこざの噂がラズログリーンに届いた時だった。

 灰鋭石の硬剣フレッジブレードを作る鍛冶師というだけでその腕前は、鍛冶屋、商店から一目置かれる。

 その少女が自ら条件を提示し、自ら作り上げた灰鋭石の硬剣フレッジブレードで木の板を切らせたという。

 ギルドには、エレハーレギルド長からの詳細な報告書が提出され、リトアリス・フェリトールという少女の腕前が偽りなきものであることもわかった。

 エリリアーナはその話を聞いたとき、どんな少女なのか想像することが出来なかった。

 加工の難しい灰鋭石の硬剣フレッジブレードをわざと湾曲させて作るだけの鍛冶の腕前、そして、特異個体と称される凶暴な魔物をほぼ単独で討伐するだけの戦いの技術、権力の象徴である貴族に対し真っ向から立ち向かう無謀とも言える胆力。

 外見の噂は聞いていたが、エリリアーナの頭の中で人物像が結ばれなかった。

 さらに伝わってくる噂にますます人物像がぼやけて行ったが、一つだけ気になる事があった。


『リトアリス・フェリトールは好意には好意を、敵意には敵意を返す』


 顔を合わせたことがあり、リトアリス・フェリトールの人柄に触れた冒険者たちはそう話していた。

 血なまぐさい場所で生きている冒険者からそのような評価を得るのは稀有な事で、その冒険者達はリトアリス・フェリトールに信頼が生まれているようだった。

 数日後、本人と出会うことになる。

 ちらりと見た限りでは普通の少女だった。カウンターへと近づいてきたその吊り目気味の瞳を見たとき、寒気にも似た何かを感じる。

 今まで聞いてきた人物像なんてものは粉々に打ち砕かれ、そして、ますますわからなくなった。

 見た目は幼さを残した少女、一瞬だけ瞳に映したのは明らかに死線を潜り抜けてきた歴戦の猛者の輝き。カウンターにやってきた頃にはその鋭さは巧妙に隠されてしまった。

 クエストの報告後、宿を紹介して欲しいと言われて、ギルド推奨宿をいくつか紹介する。伝え聞いていた人柄からもしかしたらと友人であるテナーの店の事を話した。

 その結果、こうして元気な姿と満員御礼な店の状態を見ることができて、噂通りの人物なのだろうとほっとしていた。


「そろそろギルドに戻るわ。料理、おいしかったわ」

「ゆっくりしていけばいいのに。ああ、そうだ。トーアさん達にクエストをお願いしたの」


 店の状態を見て、ああとエリリアーナは納得する。


「わかったわ。店の手伝いって事で申請して受理しておくわ」

「お願いね」


 料金を支払いエリリアーナは店を出た。店の外には若干、行列ができており、良いタイミングで店に入ることが出来たと少しだけ得した気分になる。

 ギルドでも白兎の宿の事を宣伝しようと思いながらエリリアーナはギルドへと足を向けた。




 その後、三日間、トーア達は白兎の宿で働く事になる。

 当初、トーアは一日もすれば落ち着くだろうと高を括っていた。日を追うごとに客は増え、最大時には入り組んだ場所にある白兎の宿から大きな通りまで長い行列が出来たこともあった。

 宿の手伝いをしていたゲイルは、効率的に皿を洗う方法を見つけ、フィオンはいくつもの皿を同時に運べるバランス感覚を身につける。

 テナーは新しい『餡かけおこげ』を作り、ミリーはついに一人でラコメを炊けるようになった。

 その日の営業を終えて、ぐったりとテナーとギル、トーアを除く三人は食堂のテーブルに突っ伏していた。


「お疲れ様でした……」


 声をかけるテナーにも疲労が滲み出ており、ぐったりと椅子に腰掛けている。

 疲れきった面々にトーアはギルとともに夜食のスープスパを置いた。

 料理の際に出たミニコッコ肉の端切れとくず野菜と、トマトに似たラカラを使ったスープを、平麺に絡めてある。


「うー……トーアちゃんのパスタおいしいよぅ……」


 疲れた顔をしたフィオンだったが、トーアが深皿を前に置くとのろのろとフォークを持ち、パスタを口に運び始めた。

 ゲイルとミリーは黙々と口にパスタを運び、頬を膨らませている。テナーはゆっくりとパスタを食べながら、どうやって作るのかと考えているようだった。

 トーアもテーブルに座り、パスタを口に運ぶ。さっぱりしたラカラの酸味にミニコッコや野菜の出汁が出ている。スープが良く絡むためか、疲れた状態でもつるつると食べる事が出来た。

 すぐにそれぞれの深皿は空になり、満足げなため息が食堂に響いた。


「あ、テナーさん、お客さんの中で気になった人が何人か居たんですけど……」

「気になった人?」


 この数日で、テナーの敬語は取れてトーア達と砕けた口調で話すようになっていた。ミリーもトーアたちに懐き、特に共に配膳をしているフィオンにはべったりである。

 首をかしげたテナーにフィオンは頷き、料理を楽しみに来ているというよりもテナーのように料理を観察し、研究しながら食べていたと話す。少し考えた後、合点がいったのかテナーは微笑みを浮かべて気にしないでと首を横に振る。


「多分だけど、ご近所のお店の店主か料理を担当している人だと思うわ」

「敵情視察ってやつですかい」


 ゲイルが尋ねるとテナーが恐らくねと微笑みを深くする。少しだけ困ったように笑ったようなテナーの表情を不思議に思い、トーア達は首を傾げた。


「でも私も宿を始めた時は同じような事をしていたわ。レシピはなくとも味を盗もうと思ってね。あの時は暖かく見守ってくれた……ううん、『盗んでみろ!』っていう気概を感じたわ。だから、お店に影響が出ない限り、気にしなくていいから」


 トーア達は頷いた後、ゲイルとフィオン、ミリーは部屋に戻る。食器を片付けたトーアとギルは、テナーに挨拶をして借りている部屋に戻り、明日のために早めに眠りについた。




 翌日も朝から客が詰め掛け、トーアは茹る様な暑さの厨房で汗を拭いながらラコメを炊き続けている。

 当初、ラコメは朝、昼、晩の三回に分けて炊く予定だったが、来店する客の多さに、臨時で常に炊いていた。

 昼を大分過ぎた頃、食堂は客で一杯になっているが注文は落ち着いたため、トーアが作ったおにぎりで交代で昼食を摂る。具は余っていた肉とくず野菜を細かく切り、甘辛く煮詰めたもので少しだけ塩気を強めにしてある。


「初めに比べれば少し落ち着きましたね」

「そうね……」


 ゲイルとギルは先におにぎりを食べており、それぞれ仕事に戻っている。フィオンとミリーは交代でおにぎりを食べていた。

 食後の冷たいお茶を飲みながら、テナーと新しいメニューのアイディアを話していると裏口からギルと男性の話し声が聞こえてくる。

 頼んでいたラコメや食材の追加が来たのかと会話に耳を傾けていると、ギルが厨房へ姿を見せた。


「テナーさん、ちょっと来てもらってもいいですか?」


 少し困った顔のギルに、テナーはどうしたのかしらと立ち上がる。

 念のためとトーアも立ち上がり、テナーとギルと共に裏口へ向かった。

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