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第二章 白兎の宿 7

 悪夢を見たような目覚めにトーアは思いっきり顔をしかめる。窓から差し込んでくる朝日さえ疎ましく、身体にかけた毛布に顔を埋めた。

 大きく息を吸い、ため息のように吐き出したトーアはゆっくりと身体をおこし、もう一度、溜息をついた。

 銀板に刻まれた刻印の効果は確かに発揮され、あの男性が居る純喫茶のような場所に行く事はできたが、それは明晰夢を見ているかのような俯瞰で自分を見ているような、奇妙な感覚だった。

 今までは異界迷宮の『別の空間に移動する』という事に干渉して、生身のまま移動していたため、このような事が起こっていると男性から説明を受ける。

 そして、『神託の巫女』も同じような感覚で話すのかと聞くと、幼い頃から慣れているため、トーアの様にはならないらしい。


「ああ、もう……最悪……」


 枕元の銀板をチェストゲートにしまいながらトーアは悪態をつく。気分も最悪だが、目覚めの悪さだけではなく、昨日の夜、ギルと話したトーアの推測はすべて的中し、そういう世界なのだと言われた事も原因にある。

 トーアの懸念もそこはうまくコントロールしていますので、と大神に電話していたときに見せた黒い笑顔で締めくくった男性を思い出し、トーアはまた溜息をついた。

 発端であったCWO以外でのレシピの入手方法は、空のレシピページを開き、正しい手順で製作を行うことで、レシピが入手できるというもの。

 この方法であれば知らない技術を開発するためには沢山の試行錯誤が必要になる。だがトーアが頭を抱えたのは、ついでのように男性が言った『この世界のレシピは今のところCWOにあったもので全て』というもので、例外はトーアが持つ勇者の剣のレシピだけ。

 CWOのほぼ全てのレシピを集めたトーアならば、新しい技術を発表し放題、独占し放題という情報だった。


「全く……私に何をさせたいんだか……」


 歴史が変わるほどの技術は流出させる気は元々なかったトーアだったが、男性との会話で余計に気を使う必要がでてきた。

 今のところ、一つの料理のレシピを譲渡する予定だが、どちらも既存のものを組み合わせたものなのでいつかは誰かが思いついただろうと、トーアは考える事にした。


「……私達が考えた刻印や装備を外に出すつもりはないけど」


 トーア、クアル、メリアの三人、『気狂いかしまし』が考えた武具シリーズ『戦場の貴婦人』やトーアが得意とする黒重鋼を使った武具シリーズ『黒金』、他の悪ふざけにも似た規格外の装備品は、作れるだけの技量をもった人物がいないので、レシピを渡す事は考えられない。

 誰とも無くつぶやきながらベッドを出て、憂鬱な気分になりながらも簡単に身だしなみを整え、部屋を出る。ちょうど部屋を出てきたギルと会い、ギルだけが察する程度に主語を少なくして聞いたことを話した。


「そうか……トーアの言うとおり、か」

「私はその、色々とアレだけど、ギルはどうなの?」

「どうって……野営の時にするような簡単な料理ぐらいだよ。あとは入手が時期限定だったものくらいかな」


 CWOのイベントのみで手に入るアイテムのレシピは、無料で配布されるため大体のプレイヤーが持っている。

 イベントを盛り上げるためのお遊びアイテムだが、おかしな機能を備えたものが多いため、外部に出す事はしないとギルと話して決めた。

 テナーに渡す予定のレシピについては、もともと目新しいラコメを使った料理ということで問題ないという事に落ち着く。


「あ、そうだ……一つ頼み事していい?今日ギルドに行ったらでいいんだけど……」

「なんだい?」


 トーアはテナーにレシピを渡した後のことを考え、ある懸念からギルに頼みごとをする。最初は怪訝そうな顔をしていたギルだったが理由を聞いた後、朗らかに笑みを見せる。


「ああ、まぁ、確かにね。トーアも良く気が付いたね」

「まぁ……ね。経験あるし」


 ばつが悪くトーアは視線を逸らしたが、それを見たギルは再び笑っていた。


 朝食を済ませると、ギルはフィオンとゲイルと共にギルドに出かけて行く。出がけに昼食には戻ってくる事とギルに例の事を頼み、トーアはミリーと共に三人を見送った。


「じゃぁ、私たちは私達で頑張りましょうか」

「はい!お母さーん!」


 食堂から厨房へと早足で向かって行ったミリーの後を追いつつ、トーアは頬をたたいて気合を入れ、エプロンを身につける。


「テナーさん、これが『餡かけおこげ』のレシピです」


 厨房で緊張した面持ちで待っていたテナーからレシピを譲渡するための用紙を受け取り、目の前でレシピを用紙に写してテナーに差し出した。

 礼と共に頭を下げてレシピを受け取ったテナーはどこか安心した表情で受け取ったレシピをパーソナルブックに挟んだ。パーソナルブックに挟まれたレシピが僅かに光を放ち消える。

 続いてテナーがパーソナルブックを開き、内容を確認するが怪訝そうに顔をあげた。


「トーアさん、こんなにいいんですか?」


 申し訳なさそうな顔をするテナーにトーアは頷く。

 テナーの反応の理由は、トーアが渡したレシピには昨日の葉野菜とミニコッコ肉を使ったものだけではなく、他のバリエーションも含め譲渡したためだった。市場で見かけた食材を使ったものだけにしており、あまりにも特殊な素材を使うものは除いている。


「バリエーションを出した方がいいかと思ったので……まぁ、他の作り方の例と思ってもらえれば……」


 ありがとうございますとまた頭を下げたテナーにトーアは慌てて頭を上げてもらう。バリエーションを出すためとは言ったものの、トーアのレシピの一割程度の内容なので、礼を言われることに少しだけ気が引けていた。

 レシピを熟読しているテナーから疑問があげられ、トーアはそれに答える。あらかたの手順を理解したテナーにトーアは厨房の隅に置いてあった中華鍋をテナーに差し出した。


「そうだ、テナーさん、コレを使ってください。普通の鍋だとラコメの調理がやりにくいと思うので」

「そんなことまで……い、いいんですか?」

「はい。また作ればいいので」


 にこやかにトーアが言うと、テナーがまた頭を下げて礼を言ったあと、不思議そうに顔を上げる。


「トーアさんが作ったんですか……?」

「え、ええ。まぁ……なので、気にしないでください」


 はははとトーアは誤魔化すように笑ったあと、早速作って見ましょうとテナーを急かし、話題を変えた。

 調理の用意をするテナーの後ろで、様子をみながら中華鍋が土鍋みたく売れるかもと思い、店を出した時の商品候補にトーアは追加する。

 ラコメが炊き上がる時の土鍋がごとごとと揺れる様子に母子揃っておっかなびっくりな反応をしながらも、他に問題は起こることなく、テナーは『餡かけおこげ』の基本的なレシピを完成させる。


「と、トーアさん、試食をお願いします」

「ん……ちゃんと揚がってますね。餡の味もいいと思います」


 緊張した表情のテナーの『餡かけおこげ』を少しずつ味わいながら、トーアは評価を伝える。

 が、内心は物凄く申し訳ない気持ちで一杯だった。トーアの前には【物品鑑定<外神アウター>】のARウィンドウが表示されている。

 確認したアイテムランクから良く出来ているだろうと、それっぽく見せて『餡かけおこげ』の餡とおこげを一緒に口に運ぶ。


「美味しいですよ、テナーさん」

「ありがとうございます、トーアさん!あとは……どんな内容でメニューとして売り出すかですね……」


 それ以上はテナーが模索すべき内容であり、口を出すべき事ではないと、そうですねとトーアは頷くのみだった。

 トーアの様子から意図に気が付いたのか、テナーは大きく頷き返して、ミリーと共に何を具にするか、どんな味付けにするか、楽しげに、そして、真剣に話しはじめた。


「色々と試したいところだけど、トーアさんから貰ったレシピをすべて作ってみましょう」

「うん、頑張ろうね、お母さん!」


 そんな二人の微笑ましいやり取りを見て、トーアはふっと笑みを浮かべた。小さな鍋を取り出したテナーは見惚れるほどの手際で餡を作り、再び、トーアの前に置いた。

 ここからはアイテムランクではなく、味付けという事を考えるため、トーアは真剣に味わい、テナー、ミリーと議論を交わす。だがそれも土鍋一杯に炊いたラコメがなくなる頃には限界を迎える。


「トーアさん、これなんかどうでしょうか」

「いや、あの、すみません、テナーさん……もう、限界です」


 倉庫にある素材でトーアが渡したレシピで作れるものを全て試し、トーアの前には様々なバリエーションの『餡かけおこげ』が置かれている。

 トーアはテーブルに突っ伏しながら首を横に振っていた。胃の中が餡を吸って膨らんだラコメで一杯になり、これ以上、何かを口にすることを体が拒否していた。

 厨房で試食し続けるというのもどうかという事で、今は食堂で試食を行っている。


――予想通り……こうなった……。


 片手でお腹で抱えつつ、いろいろなものが胃から湧き上がってくる感覚にもう片方の手で口を軽く押さえる。早く増援がこないかとトーアは祈っていた。


「大丈夫ですか、トーアさん……なんというかすみません」


 よろよろと身体を起こしたトーアは、ギルに頼んでいた事をテナーに話す。


「いえ……揚げたラコメはお腹に溜まりやすいので……。試食についてなんですけど、私の知り合いの冒険者に協力してもらおうと思ったんですけど……よかったですか?」

「トーアさんの?」


 首を小さく傾げるテナーにトーアが頷くとカランカランと食堂のベルが鳴り、狼顔の獣人が店内を見渡すように視線を向けた後、食堂の中に入ってくる。


「ここは白兎の宿で間違っていないか?」

「は、はい!そうです……けど……」


 空になった食器を片付けていたミリーが入ってきた人物の接客に向かうが、声が尻すぼみに小さくなっていった。入り口に立つ人物にトーアは座ったまま声を上げる。


「ヴォリベルさん、こんにちは」

「おお、リトアリス。ギルビットから話を聞いてやってきたが……大丈夫か?」

「ええ、まぁ……でも、今はあまり触れないでください……いろいろと限界なんです……」

「あ、ああ……わかった」


 ちょっとの衝撃でいろんなものが決壊しそうになっているトーアの答えに、ヴォリベルは曖昧な笑みを浮かべる。

 ミリーはやってきたヴォリベルの顔を窺いつつもそれとなく距離をとり、ぴんと耳を立てていた。元の種族が狼であるヴォリベルに、兎耳を生やしたミリーは本能的に恐怖を感じているようだった。


「えっと、トーアさん、その方は?」

「先ほどお話した知り合いの冒険者の一人で、クリアンタ商店の護衛依頼を何度も受けているパーティの方です」


 トーアはこうなる事を見越して、ギルに護衛依頼を受けた冒険者をギルドで見かけたら声をかけてほしいと頼んでいた。ギルは笑っていたが、トーアと同じように信用はしているのか断ることはなかった。短い期間、共に護衛依頼を遂行した程度だが、依頼内容に背く事をするような人達ではないとトーアは信用している。そして、白兎の宿の営業が再開した時には、『餡かけおこげ』を宣伝してもらおうと考えていた。

 その事をテナーに説明してトーアは頭を下げる。


「本当はテナーさんに了解をとってからと思ったのですが……」

「いいえ、ありがとうございます。私達だけで味を決めるのはやめた方がいいですし……頼めるような私の知り合いも、ほとんどラズログリーンに残っていませんから」


 少し寂しげにするテナーの表情に、深い事情を聞くこともできず、ありがとうございますとだけトーアは言った。


「いいえ、トーアさんが礼を言う必要はありませんっ!それは私がいう事であって……ありがとうございます」


 丁寧なテナーの礼に照れくさくなり、トーアははにかんだ。

 様子を見ていたヴォリベルに向き直り、トーアはかいつまんで事情を話すとヴォリベルはあごをなでながら、ちらりとトーアへ視線を向けた。


「いつもながら……リトアリスは何をしたいのかわからんな。いや、行動という事ではなく、冒険者なのか、鍛冶師なのか、料理人なのかという意味でな」

「は、ははは……私も実はそう思ってます……」


 狼顔でもはっきりとわかるほど、ヴォリベルは口の端を歪め困ったように笑みを見せる。考えないようにしていた事をトーアは指摘され、乾いた笑いを漏らした。

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