第二章 白兎の宿 2
数日前にちょうど宿泊客が途切れた際、軽い風邪のような症状を自覚したテナーは大事をとって宿を休みにする。その時、テナーの娘である少女、ミリーフィア、ミリーが母であるテナーのために手料理を作ったのだが、それが非常に不味かった。テナーが居ない時に料理をしてはいけないと、ミリーに約束させてしまうほどのものだった。
その料理のせいか、少しだけ悪かった体調が完全に崩れてしまい、テナーはベッドの上で過ごすようになる。
宿を休みにしていたせいか、心配したご近所さんが様子を見にやってきた。テナーが体調を崩した事を知り、何かあれば手伝うと約束する。
運が悪いことにちょうどお昼前という時間にご近所さんは来た為、帰り際ミリーに料理を頼んでしまう。
結果はミリーの料理を食べて顔を真っ青にして店を出て行くことになった。
それを知ったテナーはミリーを叱り、テナーが許すまで料理をしないようにと叱る。
「宿は開かなくてもいいと言ったのだけど……ミリーはいつまでも閉じておくことは出来ないって聞かなくて……」
テナーの視線がミリーに移ると、ミリーの瞳から大粒の涙がぼろぼろと流れだした。
「だ、だって!お父さんとお母さんの宿が……なくなっちゃうかと思って……!料理を作ったらダメってわかってたけど、お母さんの料理の評判を聞いて楽しみに来てくれたのかもしれなかったし……!」
母親であるテナーが寝込んだ状態でも宿を開いていた理由を身体を震わせながら語ったミリー。テナーはそっとミリーを抱き寄せて、頭を撫でる。
「テナーちゃん、ミリーちゃん!?大丈夫かい!?」
ミリーがテナーを想う優しさに胸を暖かくしていると、店に壮年の女性が飛び込んで来る。手にはなぜかフライパンが握られていた。その表情は決死の覚悟が滲むもので、ぎろりとトーア達を睨みつけられる。
「あ、おばさん……?えっと、大丈夫ですよ?」
ぽかんとしながらもテナーは首を傾げる。涙が落ち着いたミリーも同じように首をかしげていた。
「あ、あれ?なんだい、ミリーちゃんの料理の事でこっちの人たちに何かされてるのかと思ったよ……」
「お、おい!大丈夫か!」
テナーがおばさんと呼んだ女性がフライパンを下ろしたところで、次は壮年の男性が、伸ばし棒らしきものを片手に店に飛び込んできた。
何も起こっていないとテナーの説明で理解した男性は、ほっとした表情をみせて手にしていた棒を下ろした。
男性も女性と同じようにテナーとミリーを心配して、武器になりそうなものを手に店に飛び込んできたらしい。
トーア達がテナーとミリーを責めていたわけではないとわかると二人はテーブル席に座り、店の評判が悪かった理由を説明してくれるという。
「いや、ミリーちゃんだけで店を切り盛りするってのが心配でな……もし料理を出せば酷いことになるだろうし、冒険者ってのは荒っぽいのが多いからな」
「それで……テナーちゃんに悪いと思ったけど……宿に行きそうな人は適当な理由をつけて別の宿に行ってもらってたんだよ」
それを聞いたエリリアーナはなるほどと一つ、頷いた。
「私が冒険者の方から聞いた話は、宿に行こうとしたら今は閉まっていると宿の近くに住んでいるという人に話を聞き、別の宿を教えてもらったということでした。それでこのお二方と別の方から話を聞いて、ミリーの料理に原因があるとわかって、慌ててリトアリスさん達を止めに……間に合いませんでしたけど……」
ちらりとゲイルのほうをみて、後悔を滲ませてがくりと肩を落とすエリリアーナ。エリリアーナのせいではないと女性が肩を叩いていた。トーア達が止められなかったのは、たまたま誰も近くに居なかったかららしい。
白兎の宿で何が起こっていたのか、全てがわかりテナーもほっとしたようだった。
男性と女性もほっとした表情をして、今後もそれとなく白兎の宿に協力していくと再び約束して、食堂を出て行く。
見送ると小さく、くぅとお腹がなる音が聞こえる。音の元であるミリーに視線が集まると、恥ずかしそうに顔を赤らめてテナーに顔を擦り付けて隠れた。
トーア達も夕食を食べ損なっているため、空腹を感じ始めている。だがこのまま『白兎の宿』で夕食を食べるというのは難しそうだった。
「私が、何か作りますね」
いまだ顔色の優れないテナーが立ち上がろうするが、すぐにふらついて椅子に腰を落とす。
「テナー!そんな身体じゃ無理よ!」
「そうです、立ち上がれないくらい体調が悪いんじゃ……。あの、よろしければ私が作ってもよいでしょうか……?」
よろめいたテナーを支えるエリリアーナを見て、トーアは思わずそんな提案をしていた。
厚かましいお願いだと後悔するが、ミリーに料理を任せるのは論外、テナーの体調では竈の前に立つのも難しそうだった。
「……トーアさんはどれくらい料理ができるのかしら?」
「腕前についてはまぁまぁだと思います。野営の時には主に私が料理しています」
面接じみた質問にトーアは素直に答える。
だが、傍に座っていたフィオンは、驚きに目を丸くした後、そんな事ないと声を上げた。
「トーアちゃん!それは謙遜が過ぎるよ!トーアちゃんの料理はいつも美味しいってみんな言ってるじゃない!」
むっと唇を尖らせながらフィオンは捲くし立て、異界迷宮に行った際にトーアが作った料理をあげていく。
「いや、あの、フィオン、その場にあったもので適当に作っただけだから……」
「いいえ、フィオーネさんの様子を見ればリトアリスさんの料理がとても美味しいことはわかるわ。料理をお願いします、食材は少ないかもしれないけど、倉庫のものを使ってください。ミリーに案内させますので、後はお願いします」
頭を下げたテナーにわかりましたとトーアは頷いて、ミリーとともに立ち上がる。テナーはエリリアーナが支えて部屋に戻って行った。
「トーアさん。何を作りますか?」
「そうだねぇ……とりあえず、何を作るかより、何があるか、だね」
ミリーに案内されて店の奥にある厨房から行ける倉庫は半地下になっており、空気がひんやりとしていた。
足の早い葉野菜や生肉といったものはなく、木箱にはじゃがいものようなテイトの実などの根菜類があり、小麦粉などの粉モノも保管されていた。他には調味料のストックが綺麗に整頓されて棚に並んでいる。
しっかりと燻されたベーコンや乾燥させた腸詰めも油紙に包んで奥にあった。
倉庫の奥へと進み、トーアはあるものに目を留める。
乾燥した植物の茎から出来た縄で編まれたソレは、その食材を連想させるのに充分なインパクトがあった。
過去にはそれを巡って騒動が起きたりもしたもので、こちらの世界に来てからは、ラズログリーンであればもしかしたらと希望を抱いていた。
薄茶色で円柱状のソレに恐る恐る触れると、ぎっしりと詰まっているのか硬いが、わずかに中のものがざらりと音を立てる。
「……ミリーちゃん、これ、何?」
「あ、これはラコメっていう穀物です。少し前からいつも小麦粉とか買うお店で売られてるみたいです。土鍋っていう調理器具のために、お母さんが買ったって言ってました」
CWOと同じラコメという名前と土鍋という単語に驚きつつも薄茶色の円柱状のもの、俵の中身を見てもいいかと確認をとり、中のものを取り出した。
薄暗い倉庫の中でも綺麗に精米され、濁った水晶のような輝きを持った米が姿を見せた。
それも元居た世界でトーアが日常的に口にしていた短粒種とわかり、思わず声を上げる。
「ギル!ギルー!来てっ!米がっ!お米がっ!!」
「トーア!?米って……うわっ!?本当だ!米だ!!」
トーアの声にギルはすぐに倉庫にやって来た。トーアが差し出したラコメを見て、表情を緩ませる。そして、手を取り合ってその場で小躍りを始めた。
はっとしてぽかんとした様子のミリーに気が付いたトーアとギルはこほんと一つ咳払いをする。
「……ラコメって名前らしいよ」
「ああ、うん。同じだね」
何とは言わず、ギルは嬉しそうに頷いた。土鍋もあるみたいと告げるとギルはとても嬉しそうな表情で微笑んだ。
俵は一度開封された後が、あるのでテナーが料理に使ったのだろうとトーアは思い、ミリーにその事を尋ねる。
「はい、ラコメを買ってきたときにレシピも貰ったとお母さんは言っていて、試しに作ってみたんですけど……」
言葉を濁して若干、顔を曇らせる。どうやらうまく炊けなかったらしい。
――レシピがあったとしてもラコメを竈で炊くのは、コツがいるし……恐らく、蓋を開けたのかな。
土鍋を使ってラコメを炊いたときに起こりそうなことを思い浮かべつつ、作る料理を考え始めていた。
調理場に戻り土鍋を見せてもらうと、かなり大きなもので何度も使った後がある。一人用の土鍋も一つだけあり、そちらはあまり使われた形跡はなかった。
「こっちはすごいんです!煮込み料理とか、蒸し料理とか、鍋に使ってもじっくり火が通って、それでいてなかなか熱が逃げないってお母さんが言ってました!」
土鍋を取り出したテナーは耳をぴんと立たせて興奮気味に話す。そして、食べた料理がおいしかったと頬を緩めていた。
すでにトーアの頭の中で土鍋でご飯を炊くことは決定しており、土鍋に触れながら頭の中では、土鍋炊き立てご飯!というフレーズがぐるぐると回っている。
――だが、おかずはどうする……。炊き立てご飯と卵と醤油があれば、もう何もいらないくらいなのに……。
ううんとトーアが悩んでいると、厨房にある裏口に人の気配を感じ顔を向ける。
「ミリーちゃん、夕飯作りにきたけど……」
裏口には少し申し訳なさそうな顔で先ほど来ていた近所の女性が厨房を覗き込んでいた。
一旦、家に戻ったそうだが、テナーやミリーの状態を思いなおし夕飯の支度が出来ないのではと思い様子を見に来たらしい。料理の用意をしているトーアの姿を見て、戸惑っているようだった。
テナーから事情を聞いた女性は、ならこれを使ってくれないかと木のボウルをミリーに渡す。
「うちの庭で飼っていたミニコッコさ、卵も持ってきたんだ」
布に包まれた大人の手に握れるほどの卵をトーアに差し出してくる。
ミニコッコは、家庭でも飼い慣らせるように品種改良されたコッコで、正式な名称はレッサーコッコ、通常のコッコと異なり温厚らしい。その代わり、身体が小さくなり、生み出す卵も小さくなっている。
七面鳥サイズのコッコが普通の鶏と鶏卵サイズになったという事を理解したトーアは小さく頷く。
軒先で簡単に飼育する事ができるため、数羽飼い、日常的には卵を取り、特別な事があったり歳を経たミニコッコは潰して、食肉にするという事だった。
「本当はテナーちゃんの調子が悪い時から、作りに来てあげればよかったのだけど……」
申し訳なさそうにする女性にミリーは首を横に振り、気にしていないと話す。テナーが認めたトーアが料理するならと、ミニコッコと卵を残して女性は帰って行った。
残されたミニコッコ一羽分の肉と数個の卵。
その素材から作る料理を決めたトーアは、借りた部屋に一度戻り、チェストゲートから必要な道具を取り出した。
「じゃぁ、早速作ってみましょうか」
「は、はい!」
「……ミリーちゃんは見学ね」
「あ……はい……」
厨房に戻りまな板の前に立ったトーアの言葉にミリーは俯きうなだれる。真っ白な兎耳もぺたんと伏せてしまう。あの料理を作ってしまう原因がわからないまま、料理を手伝わせる気にならなかった。
「じゃぁ、まずはミニコッコの下処理からね」
パーソナルブックを現し、料理に必要なレシピのページを捲り、専用の棚らしきものに開いたまま立てかけておく。その様子を見ていたミリーが不思議そうに首を傾げていた。
どうしたのかと視線で尋ねると、少し迷った様子を見せたミリーだったが一生懸命な様子で口を開いた。
「あの、お母さんもそうしてたんですけど、なんでパーソナルブックを開いて立てかけておくんですか?」
「え……?」
耳を疑うようなミリーの問いにトーアは硬直する。CWOでもそんなことを尋ねるプレイヤーは存在しない。
この世界でもCWOでも何かを作る時には必ず、パーソナルブックのレシピのページを開く必要がある。この事は常識で誰もが知っていることとトーアは思っていたが、ミリーの言葉から知らない人は知らないのだと、驚きつつも理解する。
パーソナルブックを使わずに料理を作ったとしたら、【粗悪】の料理を作ってしまうという原因になりえた。
「料理、ううん、何かを作る時に必要な物って何かわかる?」
「え、えっと、料理の時は食材と調味料、お鍋とかの道具ですか?」
「うん。作るためには素材と道具が必要だけど、それ以上に必要なもの、それがレシピ」
トーアは立てかけておいたパーソナルブックを手に取り、設定を一時的に変更してレシピの内容がミリーに見えるようにする。
「レシピ……?」
「料理に必要な材料と道具、調理の方法が書かれているものだよ」
レシピをまじまじと見つめたミリーは視線をトーアに移す。その瞳には、本当に?と確認するようなものが含まれていた。