第二章 ウィアッド 5
用意を整え、森へと二人は出発する。ディッシュは出会ったときと同じく短槍を持ち、短弓を肩にかけていた。森に入る前にディッシュは足を止めてトーアに向き直る。
「トーア。森に入る前にこのラクアの森について説明するぞ」
「はい」
南の国境線である険阻な黒竜山脈のふもとからからウィアッドの南東から南西に広がる鬱蒼とした森は、ラクアの森と呼ばれている。
ウィアッドの住人が狩りを行うのは森全体から見て極浅い場所のみで主に、角を持った兎であるホーンラビット、大人が抱えるほど巨大なファットラビット、茶色の体毛に僅かに黒が混じる猪のようなブラウンボア等の魔獣を罠や弓を使って狩りを行うとディッシュの解説をトーアは受ける。
「魔獣……ですか」
今まで何度か耳にしていたが、魔獣がどういうものなのか確認していなかった。
「ああ。マナと呼ばれる魔法の源を体に持ち、知性のない獣を魔獣、ある程度の知性を持ったものを魔物と呼んでいる。村に居たホワイトカウやホーンシープも魔獣だがあいつらは気性が穏やかな部類だからな。ああして飼いならせるんだ。トーアのところでは呼び方が違っていたのか?」
「いえ……あまり変わらないです」
トーアは誤魔化すため首を横に振った。定義が曖昧な分け方だとも思う。
「今日というかいつも深いところには行かない。ラクアの森の深いところはブラウンベアが縄張りとしている場合が多い。ブラウンボアも手に負えない場合があるが、ブラウンベアは別格だ」
ディッシュの説明を聞くことに専念しようとトーアは、魔獣についての思考を頭の隅に追いやる。
ブラウンベアとは全身が茶色の2mを超える熊のことで、四足での移動速度は速く、木にも登る為、出会ったら逃げることも困難だという。
本来、ディッシュ達、ウィアッドの狩人たちは森の様子を日々観察して危険な魔獣や魔物が村の近くへ来ていないかを監視するのが仕事らしい。
「だが、いつもは森の奥に居るブラウンベアも数年に一度、森の極浅い場所、村に近いところに出てくる場合がある。その時は村総出で狩りだ。宿に泊まっている冒険者にも依頼してな」
「なるほど……だから、一応の訓練は必要ということですね」
「そうだ。はぁ……あいつらもこう物分りがいいと助かるんだが……」
ノルドと同じようなディッシュの言い様にトーアは乾いた笑いを漏らした。
「まぁ、ブラウンベアは今の時期なら滅多に出てくるわけじゃないが注意は必要だ。先に俺が先行するからトーアは後をついて来てくれ」
「はい、わかりました」
先を歩き出したディッシュの後について、トーアは森の中へと入っていく。
前の時は異世界に来た直後で気が回っていなかったが、ラクアの森の植生は非常に豊かで【物品鑑定<外神>】を使うと、様々な物の素材となる植物や果実がいたるところに群生していた。
――ああ……採取したい。でも【初心者】のせいでろくな結果にならないだろうし……。
【初心者】の特性である、生産・採取成功率半減を思い出してトーアは泣く泣く採取を行うことを諦めた。短槍を持ち直し、足音と気配を消して進むディッシュの後をトーアは足音を立てないように追った。
ディッシュの後について森を進んでいるとハンドサインで止まる様に指示される。トーアは立ち止まり姿勢を低くした。更に草陰から覗く様にハンドサインが示される。ゆっくりと草陰を覗くと少し離れたところで、茶色の塊が草を食んでいた。頭にはせわしなく動く長い耳のほかに白い円錐状の角があるのが見えた。
ディッシュはあのホーンラビットを狙うらしい。まだこちらに気が付いていないようだったが忙しなく動く耳を見る限り警戒しているようだった。トーアがしゃがむとディッシュは矢筒から矢を取り、短弓に番えた。
弓を引き絞る音も気にするかのようにディッシュはゆっくりと弓を引き、中腰に立ち上がり狙いを定め、矢を放った。
弦のわずかな音に反応したホーンラビットは草むらに飛び込もうと飛んだ瞬間、ディッシュの放った矢が命中する。
「キュイッ!?」
回避されることを想定した上で矢を放つディッシュの腕前にトーアは感嘆する。
「ディッシュさん、やりましたね」
「ああ、これくらいはな。……っと言いたいところだが、ここまで綺麗に命中したのはたまたまだ」
ディッシュは話しながら、ホーンラビットに近づき止めを刺した。そして、近くの木に吊るして血抜きを始める。血抜きが終わるまで多少時間があるためか、ディッシュがトーアの方へと顔を向けていた。
「そういえば、トーアは武器の扱いを教わったと言っていたが、冒険者か何か似たような職業についていたのか?」
「……似たようなことは少しだけ」
「ふむ……。トーアはエレハーレ、職業神殿に行くのだろう?その前に、ギルドに行って冒険者登録しておいたほうがいい」
「ギルドで冒険者登録ですか?」
「ああ。トーアの事情が事情だから身分を証明する術がないだろう?職業神殿を使うときには身分証明を行わないといけないんだ。冒険者は互いに違法行為を見張るということからある程度の身分は保証されるんだ。冒険者の依頼の中には犯罪者となった冒険者を捕まえるというものもある。まぁ……あまり気持ちのいい仕事じゃないがな」
「そういうことですか。ならエレハーレに到着したら最初にギルドに行ってみます」
職業神殿へ行くことも必要だが冒険者志望の青年が話した内容を思い出して、冒険者となってお金を稼ぐ方法もある事を知る。
しばらくしてホーンラビットの血抜きが終わり、ディッシュがその場で手早く解体をする。腹を開いて内臓を取り除いて不要な部分は土に埋める。肉や毛皮はディッシュの用意した革袋につめられ、革袋はディッシュの背負うリュックサックに収められた。
「よし、次はトーアが先を歩いてくれ。森の様子がおかしかったり、変な方向へ行きそうな時はとめるからな」
「わかりました」
トーアは短槍を手にディッシュの前に立って森の中を歩き出す。
闇雲に歩いても魔獣に出会うかどうかは運なので、少しでも魔獣の居る方へ行くために目印となる足跡や餌を食べた跡、糞、獣道を探す。CWOでも同じように再現されており、スキルによって発見しやすいように補助は受けられる。だがトーアはアビリティが使えない【初心者】状態でも、経験からどこに目をつければいいのかわかっており獲物の痕跡は探すことが出来た。
森の中を静かに進むが今のところトーアが進むのをディッシュが止めるということはなかった。
魔獣の痕跡をたどり、周辺を警戒しながらトーアは森の中を歩く。ディッシュは静かに後ろをついてきていた。
辺りを見渡したとき、少し離れた森の開けた場所にブラウンボアが居るのを見つける。CWOでも同系統のモンスターは存在していたが見つけた個体の大きさは小さく、口の横から突き出した牙も小さい。恐らく親離れしたばかりの若い個体かもしれないとトーアは思い、ちらりとディッシュのほうを窺うと小さく頷いた。ブラウンボアを狙うのは問題ないと判断したらしい。トーアは頷いてゆっくりとブラウンボアの居る開けた場所へとゆっくりと近づいていく。
草陰からブラウンボアの様子を窺うと地面に鼻をこすりつけ頭を左右に振り、餌か何かを探しているようだった。遠くもなく近くもない距離でタイミングを探る。
ブラウンボアの身体が真横を向いた瞬間、トーアは草陰から一歩で飛び出し、二歩目でブラウンボアに向かって飛ぶ。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
トーアは空中で体を反りあがるほど短槍を振り上げる。
「ブゴッ……!?」
ブラウンボアは体を向けたが、飛び込んできたトーアに驚いたのか一瞬だけ動きが止まる。
刹那とも言える時間がブラウンボアの命運を分けた。トーアは動きの止まったブラウンボアの眉間に向けて体全体をバネのように使い短槍を振り下ろす。
皮、肉、硬い頭蓋骨を貫く感触。穂先の半分以上が突き刺さり再び硬い感触が短槍から手に伝わる。
更に腕の力だけでブラウンボアを突き潰して腹を地面につけさせる。着地と同時に短槍から手を離したトーアは、ブラウンボアに注視しながら距離を取って剣を少しだけ抜く。手ごたえはあり完全に頭部を槍が貫いているが警戒することはやめずに居た。
止めが必要かと距離を取ったトーアだったがブラウンボアは白目を向き、ぴくりとも動かなかった。
「ふぅ……」
「……見事なもんだ」
トーアが意表を突いて振り下ろした短槍はほとんどがブラウンボアの頭部に埋没しており、致命傷を与えていた。
「ディッシュさん、血抜きを始めましょう」
「ああ、そうだな」
ディッシュと共に頑丈そうな木にブラウンボアを吊るして、ナイフで喉と足の血管を切り血抜きを始める。
血抜きに失敗した肉は食べれるものの匂いが非常にきつくなる。なにより血から腐敗が始まり肉自体が傷むのが早くなってしまう。血のにおいに誘われた他の魔獣がよってくるかもしれないが肉の品質に関わる為、出来るだけ早く手を抜かずに行った方がよかった。
「よし、これでしばらく待てば血抜きは完了だ」
「はい」
血抜きをしている間、トーアはブラウンボアの頭蓋を貫いた短槍の穂先を見る。頭蓋骨を貫いたせいで刃が潰れてしまっていないか、気になっていた。
切っ先が少しだけ潰れていたが研ぎなおせば問題ない程度であった。だがすぐにディッシュから借りた短槍だということに気が付く。
「あの、ディッシュさん、ちょっと刃が……」
「ん?あぁ……これくらいならノルドが研ぐだろう。気にするな」
トーアの使った短槍の穂先を確認した後、ディッシュは腕を組んで吊り下げられたブラウンボアを眺めていた。その表情は何かを考えているようだった。
「ブラウンボア、狩るのはまずかったですか?」
「いや予想以上の収穫だ。若い個体で体は小さいがトーアは頭を突いてしとめたからな。毛皮に傷もない。すぐに血抜きもできたから肉の方も大丈夫そうだ。だがなぁ……どうやって持って帰るか……とりあえず、血抜きが終わったら内臓を取り出してみるか」
ブラウンボアは若く小さい個体だったが60kgはありそうで、吊り下げられた木の枝も大きく軋んでいる。
血と内臓を取り除けば多少は軽くなるかもしれないが、トーアとディッシュの身長差から木の棒にくくりつけて運ぶというのも難しそうだった。
しばらくして血抜きが終わり、ディッシュが内臓を処理するのをトーアは眺めていた。
「さて……どうするか」
「ディッシュさん、私が担いでみます」
「……な、なんだって?」
驚くディッシュを横目にトーアは木から降ろされたブラウンボアの足をつかみ、ファイヤーマンズキャリーという肩と首の後ろに対象を担ぐ方法でブラウンボアを持上げる。ずしりとした重みが身体にかかる。シーツが山積みになった籠や酒瓶の入った木箱とは比べ物にならないほど重たいが潰されることなく担ぎあげることが出来た。
「大丈夫そうです、ディッシュさん。村へ先導してくれますか?……ディッシュさん?」
「あ……ああ!すまん、村はこっちだ」
トーアの問いかけに呆然としていたディッシュは我に返り、村の方向へと歩きだす。何度も気遣うようなディッシュの視線に気が付きながらもトーアはしっかりと脚を踏み出して森を進み始めた。