断章一 ガルゲイル・グランドンの敗北 3
その後、また今までの生活に戻ったゲイルだったが、トーアがエレハーレに戻り、一人で異界迷宮『小鬼の洞窟』に出発した事を知る。
一人で異界迷宮に挑戦するというのは無謀だと思ったが、それもまた自信の表れなのだろうと怒りを覚える。
仲間達からは異界迷宮へ行く事に難色を示されたが、一人でも行くとゲイルは用意を整えた。ゲイルを一人で行かせるのもどうかとパーティを組んでいる面々はゲイルと共に異界迷宮『小鬼の洞窟』へと向かった。
異界迷宮『小鬼の洞窟』に到着するが、寝泊りのための建物にはトーアの姿はなかった。
「おい、ゲイル、何するつもりなんだ」
「……別に、ゴブリン討伐で名を上げた冒険者に手ほどきしてもらうだけだ」
建物の入り口でパーティの一人に尋ねられ、ゲイルは答える。その答えを聞いて尋ねた仲間は頭を掻いた。
「ゲイル、ゴブリン討伐で手柄を取られたのはわかるが、なんでそこまであのリトアリスにこだわるんだ?」
「それは……」
咄嗟にゲイルは答えることができなかった。
なぜ、こんなにもリトアリス・フェリトールにこだわるのか。答えを考えているうちに、『異界渡りの石板』を保護する建物から黒髪の少女、リトアリス・フェリトールが姿を見せる。
声をかけると警戒した様子で、こちらの出方を窺ってくる。すでに駆け出しと言えない雰囲気をまとった少女にゲイルは模擬戦を申し込んだ。
だが、そこでゲイルは稽古をつけるようなトーアの戦い方に今まで腹の底に溜め込んだものを吐き出すように剣代わりに使っていた薪を横に投げ、腰に差したままの剣に手を伸ばす。
「剣を抜くなら容赦しないけど、覚悟は……いい?」
トーアから放たれる殺気に自然と手が止まっていた。
トーアの目に映る自分自身の姿が、『人』から『物』に変わったと確信できるほどの殺意。これ以上、手を伸ばせば、自分は抵抗できないまま殺されるであろうとゲイルは死を覚悟した。
呼吸をゆっくりしようとするが、浅く、早くなっている。動かない手を歯を食いしばって何とか、剣から離れさせる。
それしか助かる道はなかった。
唐突にトーアからの圧力がなくなる。
助かったと、ゲイルは思った瞬間、視界が暗くなり意識が遠のいた。
肩を叩かれる感触にゲイルは目を開く。
「ゲイル!大丈夫か!?」
「あ、ああ……ここは?」
辺りを確認すると夕暮れ時の街道沿いに座りこんでいるようだった。
仲間からトーアとの摸擬戦後、意識を失ったゲイルを担ぎ、ここまで移動したらしい。
ゲイルが無事だということに仲間はほっとしているようだったが、トーアとの摸擬戦で何も出来なかったゲイルを責めることはなかった。
誰もがトーアと対峙した時、ゲイルと同じことになると思ったからだった。
「……エレハーレに戻るか」
「ああ……」
よろめきながらも立ち上がったゲイルの姿を見て、ゆっくりと街へと移動し始める。
日がほぼ落ちるころにエレハーレへ着き、宿へと向かう。
装備を脱いだゲイルはそのまま一人で酒場へと足を向けた。
一人、酒を傾けているうちにトーアとの戦いの事を思い出し、ため息をつく。
どうすればあの年齢であれほど強くなれるのか、何を見て、経験すれば、あのような目を出来るのか、ゲイルは想像できなかった。
そして、ゲイルはリトアリス・フェリトールにこだわった理由に気が付いた。
――そうか、俺は……憧れたのか。
年下の少女に憧れるという感情に少し恥ずかしさを覚える。初めて姿を見たときからゲイルが冒険者として想像していた姿を体現するようなトーアの所作、言動がゲイルを自然とひきつけていた。
もう一つはトーアと自分自身を比べ、自身の不甲斐なさ、失望がゲイルを苛立たせ、トーアと戦う事を駆り立てさせた。
手にしていたコップを置き、大きくため息をつく。
だが故郷の村を出てから、今までで一番、すっきりした気分をゲイルは味わっていた。
「……若いの」
「なんだ?」
店主である老人の声にゲイルは顔を上げる。
あまり話したことはないが、ゲイルたちが飲みに来るのは決まってこの酒場だった。
「今までで一番すっきりした顔をしておる」
「そんな変な顔をしてたか?」
店主である老人の言葉を鼻で笑うと老人は頷き、『この世の終わりを毎日迎えているような顔をしておった』とグラスを磨きながら言った。
そう言われてゲイルは息をつき、確かにな、と独り言つ。
村に居ても何も成せず、冒険者としても大成できなかったら、俺はなんなのだという気持ちを抱えていた。
現実への失望と諦めが、ゲイルの視野を狭くしていたようだった。そこへ絵物語で語られるような冒険者であるトーアを見て、ゲイルは再び『どうすればトーアのようになれるのか』を考え始めた。
それは村で生活していたときに冒険者の話を聞き、考えた事と同じで自警団で剣の腕を磨いたのと同じ発端だった。
「……まだ、間に合うか……?」
「若いの。間に合う、間に合わないではないとわしは思うぞ。おぬしはまだ生きとる。こうしてわしの酒場に来るんじゃから、明日も知れぬ身という訳じゃないじゃろ。生きてるならやれる事をやってみるのがいいんじゃよ」
「……そう、だな」
残っていた酒を飲み干して、酒代をカウンターに置いた。
「俺が何をやれるか、考えてみるぜ」
何度か頷いた老人を横目に、ゲイルは酒場を後にした。
翌朝、ゲイルたちの泊まっている宿にクラン『蒼竜騎士団』から手紙が届く。内容はゴブリン討伐で失態をおかしたゲイルたちへの警告だった。
「……こういうときだけ口を出してくるなんてな」
手紙の内容を読み上げたゲイルは、顔をゆがめながら手紙をテーブルの上に投げる。
クランに所属していると言っても、ほとんど放置されている。方針を指示されるわけでもなく、技術の訓練を付けてくれる訳でもない。そして、失敗をすればこうして警告がやってくる。
「……俺、部屋に戻ってる」
テーブルについていたパーティメンバーの数人が立ち上がる。別のメンバーは街に用事があると言って宿を去っていた。
「……ゲイル。リトアリスのことは……」
「ああ、いや、もういいんだ。アレですっきりした」
自身の心の整理が付いたゲイルは今までよりもすっきりした気持ちだった。今まででのゲイルであればクランの警告に怒りを覚えたかもしれなかったが、今のゲイルにとってクランに所属している理由はもうなかった。
クランから脱退してもよかったが、再びソロに戻るのもなと悩んでもいた。
エレハーレでは、トーアが貴族の坊ちゃんの鼻っ柱を叩き折るという『灰鋭石の硬剣騒動』が起こり、ゲイルはギルドの裏の広場で一部始終を見ていた。
トーアと共に居るギルという冒険者もまた、トーアと同じ雰囲気を持った人物だった。
扱いの難しいとされる灰鋭石の硬剣であそこまで見事に木の板を切断できるのは何故か、才能か、努力かとゲイルは自問したが答えは出なかった。
その頃からゲイルは怠っていた剣の鍛錬やクエストを真面目にこなすようになる。それと同時にパーティメンバーが以前よりも無気力になっていた。
調子が悪い訳ではなく、ただやる気を失っていたようだった。
以前までの自分はこう他人に映っていたのかとゲイルは思い、何も言わなかった。言ったとしても言葉も何も伝わることはないと思ったからだった。
そして、トーアはまたエレハーレで騒動を起こす。
次は試剣術による決闘だという。灰鋭石の硬剣騒動で冒険者ではなく生産者であるという事に呆然とし、冒険者として食っているゲイルは色々と落ち込んだ。
そこでも、トーアとギルは素晴らしい成果を見せる。対戦相手のアメリアもまたすごかったが格が違った。
――俺もあんな剣、使ってみてぇな……。
ギルの試剣術に見惚れながらもそう思ったゲイルは、オークションを見物客として最後まで見る事にするが、あまりの高値に『今の俺じゃ無理』と素直に諦めた。
決闘騒動が終わった翌日、ゲイルはパーティメンバーから話があると言われ、宿でテーブルについていた。
「俺、冒険者を辞めて故郷に帰ろうと思うんだ」
「俺もだ」
「悪いが、俺も」
その話にパーティメンバーの一人が凄まじい形相で立ち上がるが、何も言わずに再び椅子に腰を下ろした。
ゲイルは薄々こんな事になるのではないかと日々無気力になっていく仲間を見て思っていたが何も言わなかった。相談されれば一緒に考えるぐらいはしたと考えていた。
「……わかった。クランのほうには伝えておく」
「引き止めないのか?」
頷いたゲイルに辞めると言った仲間は申し訳なさそうに顔を伏せながら尋ねる。
「引き止めても拗れるだけだ。それに死んで別れるわけじゃねぇし、辞めても冒険者として再起したいと思ったらまた始めればいいだけだ。その時は声をかけてくれりゃ、何か出来るかもしれねぇ」
ゲイルの言葉にやめると言った仲間は伏せていた顔をゆっくりと上げる。
「ゲイル……おまえ、変わったな」
「……そうかもしれねぇ。いや……俺としてはいろいろと思い出しただけなんだがな」
薄く笑みを浮かべながらゲイルは頭を掻いた。
「……俺も冒険者を辞める」
今まで沈黙していた一人が、顔を上げて言った。故郷に帰るのかとゲイルが静かに訪ねると首を横に振る。
「エレハーレで……その、結婚する」
「……はぁっ……!?」
思わぬ言葉にゲイルだけでなく、他のメンバーも声を上げる。相手は誰だと問い詰めるとゲイルたちが懇意にしている道具屋の一人娘だという。
一目惚れをしたとかで必死にアプローチしていた姿を思い出したメンバーは小さく笑い声を上げる。結婚した後は入り婿として一緒に道具屋をやっていくという話を聞き、ゲイルたちは誰もが黙ってしまった。
「……飲みに行くか」
「え、今からか?」
「おう。なんつうか……めでたいじゃねぇか」
「ああ、そうだな……!」
パーティに残ったのはゲイルとあと一人だけ。辞めて行く仲間の事をクランに報告をしなければならないし、その後に別のパーティに移動するのか、追加のメンバーがエレハーレにやってくるかを確認する必要があった。
その日は、行きつけの酒場で仲間の結婚を祝う。その中で、ゲイルはある事を決めた。
翌日、故郷へ帰るというメンバーはそれぞれ出発し、残ったのは冒険者を続けるゲイルともう一人だけだった。結婚すると言ったメンバーは道具屋で居候している。
宿に残ったゲイルは、残った仲間と共にテーブルで今後の事を話し合っていた。
「この後、どうする?」
「とりあえず、クランに報告だな」
文字が書けるゲイルがクランへそれぞれの脱退理由を手紙に書き、そこにゲイルは自身の名前も書き込んだ。
「ゲイル、お前も辞めるのか!?」
「冒険者は辞めないがな」
「なんだよ……!なんで今になって言うんだ!」
声を荒げ最後に残った一人は立ち上がる。それは昨日、冒険者を辞めると言われ、立ち上がった時と同じ形相をしていた。
「思うところあってな」
「俺だって思うところはある!こんな……馬鹿にされてるような扱いされてるんだからな!」
バン!と拳をテーブルに叩きつける。
しかし、ゲイルの決意は変わらなかった。その様子を見て息を吐いて椅子に座りなおした。
「……考えは変わらないんだな」
「ああ。クランを辞めることは考えていたからな」
手紙を丸め、最後の一人となった仲間に差し出す。何か言いたそうに口を開いたが、ゲイルが差し出した手紙を受け取った。
「わかった……冒険者を続けるならどこかで会うかもな」
「その時はよろしくな」
ああと最後の一人は頷いた。
翌日、クランの報告のため、最後の一人はエレハーレを旅立ち、ゲイルは宿を引き払い、トーアとギルが拠点としている『夕凪の宿』へと向かった。
いま出来る事、まずはもっと傍で憧れの人物を知ること。マクトラル商会の一人娘が弟子入りを懇願しパーティを組んでいることをゲイルは思い出した。
――色々とやらかしちまったから断られるかもしれねぇ……。だけどよ、それでもいま出来る事はまずはこれから、だ。
頭を下げてでも何をしてても自分が抱いた夢を叶えるため、ゲイルは『夕凪の宿』のスウィングドアを押した。