第一章 護衛依頼 8
日が暮れ始め、トーアとギルは宿に戻ることにする。
ヒリアとの別れ際、アレリナはコッコが産んだ卵を使った料理がお奨めと聞き、宿へ戻る足は早まった。
「トーアちゃん、おかえりなさい」
すでに食堂は他の護衛依頼を受けた冒険者達で埋まっており、フィオンとゲイルもテーブルについていた。
夕食は既に頼めるようで、フィオンとゲイルはトーアとギルを待っていたらしい。早速、トーアはギルとメニューを確認する。
手早く注文を決めた頃、エプロンをつけた男性が近くにやってくる。
「ご注文はお決まりですか?」
「えっと『ふわふわ大オムレツセット』でお願いします」
「僕も同じものを」
「私は『とろとろ黄身のスープセット』」
「『胸肉のカリカリステーキ』すね」
トーア、ギル、フィオン、ゲイルの順でそれぞれ注文を済ませ、料理がやってくるのを待つ。
しばらくして、トーア達のテーブルにそれぞれが注文した料理が運ばれてくる。
トーアとギルが注文した『ふわふわ大オムレツセット』はサラダとパン、そして大きな皿に載せられた大きく高さのあるオムレツのセットで、別添えにラカラらしき赤いソースがついていた。
フィオンの注文した『とろとろ黄身のスープセット』は大きなスープ皿の中心に半熟の大きな黄身が浮かび、他には鶏肉と野菜が刻まれて入っている。一緒にパンがセットになっていた。
フィオンの隣に座っていたトーアの元に鶏がらから煮出したスープの香りが届き、思わず喉を鳴らす。
――明日の朝食は注文できたらスープセットにしよう。
そう決めたとき、向かい側に座るゲイルの前に『胸肉のカリカリステーキ』が置かれる。皮をパリパリに焼き上げた胸肉のステーキで、香ばしい香りがトーアの元に届いた。ステーキの付け合せにはパンとスープがついている。
それぞれが注文したものがそろい、トーアは小さく頂きますと言って手にしたナイフとフォークで大きなオムレツを割る。
ふわっと湯気が立ち上り、甘みを感じさせる卵の香りを堪能する。とろりと半熟の卵と共に、コッコらしき肉と野菜が流れ出てくる様子にトーアは思わず笑みを浮かべていた。
フォークでオムレツを掬いとり、口に運ぶと最初に濃厚な黄身の味で口の内がいっぱいになる。
黄身の味の後にはコッコの骨から煮出したらしい出汁の味、コッコ肉を齧ればじゅわりと肉汁が溢れ出てきた。
「ん~……!」
パンと共に半分ほどまでオムレツを食べ進め、残りは赤いソースをかけて食べ始める。
赤いソースはトーアが考えた通りラカラのソースで、甘みの強いオムレツに酸味の効いたソースで味が引き締まり、思わず口角が上がる。
ギルもまた笑みを浮かべながらパンと共にオムレツを食べていた。
フィオンは最後に残した黄身をそっとスプーンに載せて口にそっと運び、一口で黄身を口の中に収めると美味しさにふふふ……と含み笑いを漏らしていた。
ゲイルは最初に食事を食べ終わっていたが、肉汁が残った皿をじっと眺め、今にも舐めだしそうだった。だがトーアとギルがパンで皿に残ったオムレツを拭い、口に運んでいるのを見るとパンを追加注文していた。
食後のお茶を飲んだ後、トーアはフィオンと共に湯を浴びるため部屋に戻る。
ギルとゲイルは食堂に残っていた。
湯をあびると言ってもいつもトーアがしているのと同じようにお湯につけたタオルで身体を拭く程度のものである。
先にフィオンが湯を浴びる事になり、トーアはフィオンの背中を拭く事にした。
「ん、フィオン、気持ちいい?」
「うん、ありがとう、トーアちゃん」
今は同性とは言え、初めて他人の裸を見る事にトーアは変な視線を向けていないだろうかと、内心、緊張しながら手を動かす。
しばらくして、身体を拭い終わったフィオンと交代してトーアは三つ編みを解いた。
「ぁ……トーアちゃんの髪を解くところ初めてみたかも」
「そうだった?」
「うん、いつも三つ編みにしてるか纏めちゃってるし……すごく綺麗な黒髪……」
フィオンが夢中で髪を梳くのをくすぐったく感じながら、好きに触れさせる。はっと夢中になっていた事に気が付いたフィオンは恥ずかしそうに手を離した。
解いた髪をひとつに縛りなおした後、タオルで身体を拭き、フィオンに背中を拭いてもらう。
「ふぅ……ありがと、フィオン」
「どういたしまして」
すっきりした気分で服を着替える。何故か上機嫌なフィオンに首を傾げつつ、ギルとゲイルの男性陣と交代した。
ゲイルはギルの背中を流すと意気込んでいるのに少しだけ不安になりつつ、しばらくフィオンと共に食堂で待つことにする。
しばらくして苦笑いを浮かべたギルと、しきりに謝るゲイルが食堂に戻ってきた。
「どうしたの?」
ギルに尋ねると苦笑いを浮かべたまま、ゲイルに背中を強く擦られすぎたらしい。
すいやせんと小さくなっているゲイルにギルは気にしていないと肩を叩いていた。
もう少し雑談をしていたかったが明日も早いため、トーア達は部屋に戻りそれぞれのベッドに横になる。
寝れないかと思っていたトーアだったがあっさりと眠りについていた。
翌朝、四人の中で最初に目を覚ましたトーアはリュックを手に静かに部屋を出る。宿の裏の井戸の近くで身だしなみを整えながら、登る朝日を眺めていた。
――やっぱり馬車とかでの移動だと時間がかかるなぁ。まぁ……それ以外に移動方法がないっていうのもあるけど。
トーアが身だしなみを整え終わった頃、同じ依頼を受けた冒険者や、ギル、フィオン、ゲイルが姿を見せ始める。
ギル達に先に食堂に居ることを告げて先に食堂に戻った。
四人がテーブルに揃ってからトーアは朝食を頼む。朝食は夕食と異なりメニューは一つだけだった。
コッコの骨から煮出したスープに溶き卵を流し込んだもので、蒸したコッコ肉の塊が中心に入っている。
スープはあっさりとしているかと思ったがこってりとしており、コッコ肉はぷるぷるとした歯ごたえがあった。
――おいしい……けど、パンよりもご飯で雑炊というか水炊きっぽい感じにして……。
コッコの肉を咀嚼しながらトーアは小さく息をつく。エレハーレには結局、米はなかったが王国で二番目に大きい都市であるラズログリーンならと考えていた。
朝食のあとすぐに用意を整えて隊商はアレリナを出発し、王都主街道を進む。昨日と同じく穏やかな天気と心地よい風が吹き、馬上のトーアは心地よさに自然と鼻歌を歌っていた。
昼食はアレリナの宿で出発際に受け取ったチキンサンドで塩気の効いた味付けだった。
てりやきで食べたいと思いながら少し早めに昼食を食べる。立ち上がったトーアはジェリボルトの居る先頭の荷馬車に近づいた。
「すみません、ジェリボルトさん、狩りに行きたいのですが」
「今晩の夕食ですか……?出発までに戻ってきていただければ構いません」
ジェリボルトから快諾を得たトーアは、一人で休憩地近くの森へと足を向ける。
昨日のホーンディアの肉はチェストゲートにあるが、昨日の肉を普通に取り出すのはチェストゲートを知らない相手に取って驚きよりも引かれる可能性が高い。
「今日は何を作れるかな……」
果物や野菜を採取しながら森を進んでいると黒い牛のような魔獣を見つける。ホワイトカウのような牧歌的な印象はなく、全身が筋肉で覆われているのがわかるほど動くたびに肉が隆起した。頭部には三つの角があり、太く、鋭く尖っている。
それはCWOのブラックバイソンというモンスターに似ていた。ブラックバイソンはブラウンボア以上の突進力と後ろ足での蹴りが脅威のモンスターと知られていた。
強力なモンスターであるものの、ホワイトカウよりも丈夫な皮、装飾から薬の材料となる角、脂肪分が少なく赤みの強いしっかりとした味わいの肉、とホワイトカウと同じく捨てるところがないモンスターである。
草陰から飛び出し数歩でブラックバイソンとの距離を詰め、渾身の右フックを繰り出した。
「ふんっ!」
何かを察知したブラックバイソンが臨戦態勢に移る前にトーアの右拳、ブラックバイソンの左側頭部に当たる。
鈍い打撃音とともにブラックバイソンの首があらぬ方向に曲がった。
ぐるんと白目を剥いたブラックバイソンはそのまま真横に倒れ動かなくなる。
血抜きを始めたトーアは、いままでの植生やブラックバイソンが生息して居ることを踏まえ、生態系が少し変わりつつある事に気がついた。
CWOで見かけた植物ばかりだったが、ウィアッドやエレハーレで見つかるものとは少し違った薬草が見つかり、ブラックバイソンも狩れたこともあり、トーアはほっと笑みを浮かべる。
しばらくしてブラックバイソンを綺麗に解体し、チェストゲートに収めたトーアは森の中を駆け出した。
「お待たせしました!」
野営地に到着すると既に荷馬車は用意を整えていた。
「丁度用意が整ったところです。成果はどうでしたか?」
「今晩は期待してください」
笑みを向けるとジェリボルトは一瞬、驚いた顔をしたがわかりましたと大きく頷いた。
一番後ろの荷馬車に飛び乗ったトーアをフィオンとヴォリベル達が出迎える。
「お、戻ってきたな。どうだったんだ?」
「黒いホワイトカウみたいな魔獣を倒しましたよ」
「ここらで黒いホワイトカウみたいなって言やぁ……ブラックバイソンか!」
一人の冒険者が上げた声に幌馬車に乗っていた冒険者達はざわついた。ブラックバイソンという魔物はトーアの冒険者ランクであるFでは倒せるような相手ではなく、一つの上のEランクの冒険者がしっかりとした準備を整えれば何とかなるという程度の魔獣ということだった。
幌馬車の近くで話を聞きながら馬を走らせていたゲイルはぎょっとした顔をする。
「……いや、トーアの姉さんなら驚く話じゃねぇのか……?」
手綱から手を離して器用に馬を操りながらぶつぶつと呟き、首を捻っていた。
「流石だな。……となれば夕食はかなり期待できる……な」
「…………」
ヴォリベルの言葉にブラックバイソンの話題で盛り上がっていた冒険者達がぴたりと話すのをやめ、静かになる。そして、少しの間のあと、ごくりという音が辺りから一声に鳴った。
「夕食をお楽しみに」
何を作るか決めているトーアがそう言うと再びごくっと喉を鳴らす音が響いた。
食欲が馬車の足を速めたのか、前日よりも早い時間に野営地に到着する。途中でゲイルと交代したトーアは、馬からおりて鞍をはずそうとしていた。そこへクリアンタ商店の護衛へ指示を終えたジェリボルトがやってくる。
「リトアリスさん、夕食の用意を優先していただけないでしょうか?」
「え、それは……」
一応、護衛として依頼を受けている手前、トーアのわがままが含まれる夕食の用意を優先していいのかと他の冒険者に視線を向ける。
「おう、こいつらは俺らがやっておくし、こっちが終わったら何時も通り手伝うぜ」
冒険者の一人が答えると他の冒険者達も頷いていた。
そんなのでいいのかと思いながらトーアはわかりましたと頷き、外でかまどの用意を始める。
「今日は外で料理するの?」
「はい。明日にはラズログリーンに到着しますし、ちょっと豪勢にと思いまして」
一足さきにトーアの近くに来ていた護衛依頼を受けた冒険者の中で【調理】アビリティを持つ女性に話しかけられ、頷きながら簡単な竈を用意する。
いくつか竈を作った後、建物の台所でブラックバイソンの肉を塊に切り分け、【調理】アビリティを持つ女性にソースとなる果物を大きめに切るように頼んだ。
トーアはトーアで、ジェリボルトから受け取った大量のレドラを四つに切り、芯と皮を取り除き始める。
一つの鍋から溢れるほどみっちりとレドラを縦に押し込んだ後、同じ大きさの鍋を蓋代わりにかぶせた。