第一章 護衛依頼 2
翌朝、朝食を終えたトーアは、同じように朝食を終えたギルとフィオンに今日の予定について尋ねる。
「今日はお休みの予定だよ。明日はー……クエストに行くと思うけど」
「僕も同じかな。流石に駅馬車が来る日まで遊んでいれるほど懐事情が良いわけでもないしね」
「私も同じ感じかな……」
トーアの懐事情的にはアメリアとの決闘後のオークションの売り上げがあるため、ある程度は問題はない。だがラズログリーンでなくともどこか拠点を持つ予定ではあるため、その時のための資金を用意しておく必要があった。
とりあえず今日は休みと言いつつ、ホームドアで昨日の作業の続きをする予定ではある。
部屋に居ることを告げたトーアは、カウンターの椅子から腰をうかせるが、バタン!と入り口のスウィングドアが乱暴に開かれた。
酒場に響いた大きな音にトーアは入り口を見ずに浮かせた腰を下ろす。また、厄介事が向こうからやってきたのだろうと小さく溜息をついた。そんなトーアの様子に気が付いたのか、隣に座るギルは苦笑を浮かべている。
「ここにリトアリス・フェリトールが滞在していると聞いてやってきたんだが」
扉を開けた人物の声に再び小さく溜息をついたトーアは、目を入り口に向けた。
スウィングドアを開けて立っていたのは男性で二十代の半ばと言ったところ。濃いブラウンの髪を短く切りそろえ、身につけているのは一部に金属板を使った皮鎧で腰には剣があった。旅装というよりも宿から移動してきたと言った感じで、手には私物が入っていると思われる筒状の鞄がある。
エレハーレでも良く見るスタイルの冒険者然とした格好に冒険者が何のようだろうかとトーアは不思議に思う。
酒場の中からトーアへ向かって様子を窺うような、好奇を含んだ視線が向けられており、ベルガルムもそれとなくトーアに追い出すのか答えるのかと尋ねるような視線が向けられていた。
そして、入ってきた男もあのように尋ねたものの、トーアの方をまっすぐに見ており、見当はついているようだった。
フィオンは静かになった酒場の雰囲気に視線をあたりに彷徨わせ、ギルは睨みつけるような視線を男に向けている。
どうするかという選択はトーアにゆだねられており、それを自覚しているトーアは再び溜息をついてカウンターの椅子から降り、男に向き直った。
何をするのかわからないため、脚は肩幅に開き、全身をやや脱力した状態にする。
男の顔をじっと見るとどこかで見たようなと小さな疑問が湧き上がるが、とりあえず今は男の質問に答えようと考えた。
「私がリトアリス・フェリトールだけど、何か用?」
男の表情が僅かに明るくなると、手にしていた鞄から手を離しその場に落とす。ぼすんという音ににわかに酒場に緊張が走るが、男はそのままその場に膝をついて、手をつき、額を床にこすり付けんばかりに下げる。
酒場に居た宿泊客やカウンターに立つベルガルム、そして、ギルやフィオン、前に立つトーアも呆気にとられるなか、男はその場で見事な土下座をしていた。
「下っ端でも、何でもいい!俺をリトアリスさんのパーティに入れてくれ!いや、俺をあんたの弟子にしてくれ!!」
頭を下げながら大きな声で言った男の言葉に、トーアはついどこか遠くを見そうになる。
呆気にとられていた宿泊客達も次第に男の言葉を飲み込んだのか、声を潜めて言葉を交わし始めていた。
次第に店中の視線を感じ始めながら、トーアは猛烈な既視感に襲われる。その時と同じように思わずどうすればいいのかと、辺りを視線だけで助けを求める。
だが、ギルは先ほどよりも表情が厳しいものになっており、あまりいい解決策を提案できる様子に見えず、フィオンは色々と思うところがあるのか口に手をあてて、ばつが悪そうに顔を横に向けていた。店の宿泊客達は完全にこの状況を他人事のように傍観どころか出し物のように楽しんでいる。
結局、この状況をどうにかできるのはトーアだけらしく、三度目の溜息をついたトーアは一歩、男に近づいた。
「とりあえず、顔をあげて。……事情を聞きたいんだけど」
「へ、へいっ!」
顔を上げた男の顔を再び見た、トーアはゴブリン騒動の時に助け出したパーティの一人であること、そしてその後に『夕凪の宿』でまぐれと言った人物だと気が付いた。
「……まさか、ゴブリン討伐の時に助けた人?」
あ!という声が座っている常連客から上がり、トーア以外にも男が何を言ったのか気が付いたようだった。声を上げた常連客は辺りの客から事情を聞かれ、小声で説明する。
客達の男へ向ける視線に厳しいものが混じり始めたが、男は頭を再び下げた。
「あ、あの時は礼も言わず、その後も変ないちゃもんをつけて、申し訳ありやせんっ!」
頭をぶつけたゴンという音と謝罪に常連客たちはまた声を潜めて話し始め、男の様子にトーアは頭を掻いた。
「あの事は特に気にしてないから、ほら、立って」
「へ、へいっ……!」
男は立ち上がったものの、何度も頭を下げながらカウンター近くの空いたテーブル席に座った。トーアも男の向かい側の席に座ると、ギルやフィオンも席を移動してくる。
フィオンの時と違い、『夕凪の宿』の個室に四人は流石に入りそうになかった。
「えっと……とりあえず、名前は?」
「あっしの名前はガルゲイル・グランドンといいやす。ゲイルと呼んでくだせい」
自己紹介とともにテーブルに手をつき頭を下げる男、ガルゲイル・グランドン。トーアの名前は知っているため、ギルとフィオンがそれぞれ自己紹介をする。
だがギルの声色は明らかに警戒と不満を見せていた。
「まぁ、弟子入りっていう話は置いておいて。私はそういうの募集している訳じゃないし」
「それじゃ、フィオーネの姉さんは……」
ゲイルのいいようにフィオンはぱちくりと目を丸くし、姉さん……とつぶやいていた。
「普通にパーティを組んでるだけだよ。ゲイルはパーティというかクランに所属していたと思うけど」
「すっぱり辞めてきやした」
背筋を伸ばしたままはっきりと言うゲイルにトーアは若干驚いた。が、すぐにその驚きはCWOでのものさしでの事であって、このコトリアナの世界でクランという組織が簡単に加入し脱退できるものかはわからない事に気が付いた。
トーアはCWOでクランに所属せず、フリーで気侭にプレイしていたが、噂を耳にしたり、ゲーム内掲示板でのやり取りを目にすることがあり、しがらみの多いものだと思っている。
ちらりと隣に座るギルに視線を向けると同じ事を考えていたのか、驚いたという風に一度だけ肩を竦めた。
以前、フィオンがクランに所属していたというのを思い出し、視線を向ける。
トーアの視線の意図に気が付いたのかフィオンは首を横に振りながら、手も左右に振った。
「ゲ、ゲイルさんがクランでどれくらいの地位に居たかは知らないけど……私の場合は、下っ端も下っ端だったから、やめると言ったらあっさり、やめさせてくれたけど」
「俺もクランの下っ端だったんで、簡単にやめる事ができやした。クランとの問題は何もないんで安心してくだせい」
本当に問題ないんだろうかとギルと再び視線を交わす。以前、聞いたクランの話から、大きなクランともなれば入ってくる駆け出し冒険者の数は尋常ではなく多いはずだった。だが夢見ていた冒険者の生活と現実が全くかけ離れている事に気が付いた者からやめていくため、クランを去る者も多いのかもしれない。
そのため下っ端がいくらやめようともクランとしては何も対処する気はないのかも知れなかった。
CWOでクランから猛烈な勧誘攻勢をうけたことのあるトーアは、うーんと唸る。それは結局、トーアの生産能力があっての事だったかもしれなかった。
「パーティに入るというのなら私の一存で決めることは出来ないし、私は冒険者として生活したくて冒険者をしている訳じゃないってことは聞いてる?」
「それは聞いてやす。それでもいいんで、お願いしやす!」
再度頭を下げるゲイルにトーアはギルとフィオンに顔を向ける。
「うーん……私はいいかなって思う」
フィオンはおずおずとゲイルの参入を認める。考えることもなくフィオンも同じようにトーアに頼み込んでパーティを組んだ経緯があるため、ゲイルの参入を断るということはしなかった。
「トーアちゃんは?」
「私もいいかな」
今までゲイルがしてきた事を思い出し、何か思惑があるのかもしれないと最初は考えたが、ゲイルのどこか鬼気迫る表情から感じたものがサクラに弟子入りをしたときのトーアが抱いた感情に似ている気がして、安易に断る気になれなかった。
ギルは椅子から立ち上がる。いきなりの行動にトーアはギルの顔を見たが、その表情は研ぎ澄ましたかのように厳しいものだった。
「僕はゲイルの覚悟を見極めたい」
「ギル?」
そう言ってギルはベルガルムに宿の裏を使ってもいいか確認を取った後、二階へと向かっていく。
「トーアの姉さん、こいつは?」
「姉さんって……」
ゲイルの発言にトーアは眉を顰める。辺りからは含み笑いが聞こえてくる。
「それはやめて。ギルは摸擬戦がしたいんだと思う、ベルガルムにお店の裏を使っていいか確認とっていたから。今も多分だけど摸擬剣を取りに行っているんだと思うし」
口を開けていたゲイルだったが、ギルの覚悟が見たいという言葉を思い出したのか、すぐに表情が引き締まったものに変わった。
トーアにギルの真意は完全にはわからなかったが、今までのトーアとギルが成し遂げた出来事から高まりつつある名声のおこぼれに与ろうと、浅はかな考えで近づいてきた人間ではないかと疑っているのかと考えていた。
「とりあえず、先に宿の裏へ行こう」
トーアの一言にフィオンは立ち上がり、ゲイルもまた立ち上がって共に宿の裏へと移動する。なぜか、野次馬のように何人かの客が宿の裏口から様子を見ていた。
少しも待つこともなくギルはトーアの作った摸擬剣を手にしてやってくる。常連客たちが野次馬しているのには苦笑を浮かべていたが、ゲイルに摸擬剣を渡すころにはその笑みは消えていた。
互いに数歩の距離を空けた後、先にギルが構える。摸擬剣の調子を確かめていたゲイルも大きく息を吸ってゆっくりと吐いた後、剣を構えた。その瞬間、ギルから風が吹いたような気がするほどの濃密な殺気が放たれる。
「ひっ……!?」
「フィオン、私の後ろに立って。多分、少しは楽だから」
小さく悲鳴をあげたフィオンは顔を青くしながら身体を竦ませた。身体も小さく震えていたが、トーアの後ろに回ると少し落ち着いたが隠れるようにしてギルとゲイルの様子を窺っている。
ギルが放った本気の殺気は今のフィオンには強烈すぎるだろうとトーアは思った。だがトーアとフィオンが感じているのは、単なる余波であり、本当の殺気はゲイルが真っ向から受け止めている事は口にしなかった。
野次馬になっていた常連客たちは離れているせいか、それなりに場数を踏んだ冒険者なためか、ぎょっとした顔をしているもののフィオンのように震えたりはせず、裏口から顔を覗かせて様子を窺っている。