第十章 十二時間のデスゲーム 9
レスティと戦った日から一週間が過ぎる。トーアは死ぬ事も生きようという気力も沸かず、ただ呆然とベッドに寝転がり天井を眺めていた。
食欲も沸かず、眠っているような目が覚めているような夢現の中ですでに思考らしいものは何もなかった。扉を開ける音に視線だけを扉に向ける。
「レスティの一件以来じゃな」
「サクラ……さん」
サクラの後から部屋に入ってきたギルに助けられながら、身体を起こした。サクラがギルに目配せをするとギルは少し迷ったような顔をした後、部屋を出て行った。
「さて、何か悩んでいるようだの」
「それは……その……」
ベッドの近くの椅子に腰掛けたサクラの問いにトーアは視線を彷徨わせる。レスティを殺した事は正しかったのか、答えは見つかっていない。
視線を戻したサクラの表情は怒っている訳でも同情する訳でもなく、真っ直ぐにトーアの事を見ていた。素直にその事を口にする。
「普通はそうじゃな。わしもそうじゃった」
「え……」
同意するように頷くサクラに目を見張る。
真っ直ぐにトーアに視線を向けながらサクラは過去の経験を話し始めた。
ある拳法の免許皆伝を持つサクラは若い時分に行われた非公式な他流試合で、相手を殺めたことがあると語る。それは互いに手にした“人を殺す為の技術”を惜しげもなく使った『死合』と言える戦いだったらしい。
「互いにそのような結果を迎えても良いと、覚悟を持って戦いに挑んだんじゃ。わしは悩んだ、もしわしが死んでいたら、もし殺さずに戦いを終わらせる事ができたらなとな。覆せもしない事を何日も飲まず食わずで考え続けた」
昔を思い出しているのか、僅かに視線を伏せたサクラの言葉を聞きながら、今のトーアに似た状況にサクラが陥っていた事を理解する。
「そんな事をしていたらその時はまだ許婚で、この『サクラ』のデザインの元になったわしの嫁にの……おもいっきりぶん殴られた」
「え……」
「『いつまで悩んでるのよ馬鹿!そんな事をしているとあなたが死んじゃう!』と気丈なあいつがぼろぼろと涙を流しながら縋り付いてくるんじゃ。嫁に言われるがまま風呂に入ったときに見た鏡にはわしはげっそりと痩せ細っておってな……」
「サクラさんはどうやって……答えを見つけたんですか?」
好々爺と言ってもよいサクラに、そのような面影は見られない。トーアがいま探している答えを見つけたのか、その答えを聞きたかった。だがサクラは首を横に振る。
「答えなぞ、まだみつかっとらん。今もまだ方法があったのではないかと悩んでおる。わしは良し悪しではないと思うんじゃ。これは一生、死ぬまで。もしかしたら死んだ後も向き合い続けなければいけない事とわしは気が付いたんじゃよ」
サクラの言葉に、トーアは口を閉じてうつむいた。今までのトーアも、答えを問うたトーアもまた逃げているのではないかと思ったからだった。そして、向き合うというサクラの覚悟に驚きを覚える。
「……わしの話はそれだけじゃ。少しは参考になればよいがの」
そう言ってサクラは椅子から立ち上がり部屋を出て行った。残されたトーアは再びベッドに横になり、サクラの言ったことを噛み砕くように考え始める。
陽が高く上ってもトーアは、自身と向き合いながら考え続け、ギルが部屋に入ってきたことも気付かないほどに集中していた。
「トーア?」
「あ……ギル……?」
ギルの声に反応して視線を向けると、入り口に立つギルの後ろにディーの姿を見つける。
「ディーさんがトーアに話があるみたいなんだ」
「やぁ、トーア。ギル、すまないが少し外してくれないか」
ディーの言葉にギルはどこか悔しそうな表情をした後に小さく頷いて部屋を出て行った。サクラが座っていた椅子にディーが腰掛けるとふっと笑みを浮かべる。その笑みはどこかレスティが見せたものに似ていた。
「サクラさんの話は聞いたかな?」
「……過去に人を殺めたという事なら」
ディーは小さく息をつき頷いた後、視線を部屋の窓に向ける。だがその目は窓の外よりも遠くを見つめていた。
「僕も……僕も同じさ。人を殺している。それも何人もね」
トーアの状況、サクラの話を切り出したため、ディーが何をしたのかはある程度予想が出来たものだったが、何人もという台詞に目を剥いた。
「実は僕は別の国の人間でね。その国は十年ほど前まで独裁者が居た国で、中堅どころの官僚である父と専業主婦である母、姉の四人家族で暮らしていた。父は官僚としては少なからず恨まれながらもうまく生きていた。僕もその後を継ぐため勉強していたんだ」
十年ほど前まで独裁者が居たという言葉に、学生だった頃に毎日のように放送されていた独裁者を含む国の首脳陣が僅か数日で殺されたというニュースを思い出した。
じっとディーへ視線を向けるが、ディーは窓に視線を向けたままだった。
「いちおう平穏といえる日々を送っていた。僕も下級官僚として父とは違う部署で働きはじめた。だけどある日、父と母が罪を犯したという事で拘束され、姉もまた連れて行かれた。後日、両親は拘束中に自らの罪を悔い自殺したという事を知らされた」
「そんな……」
「そんな事が横行していた国でもあったんだ。姉は生きているようだったが、戻ってこなかった」
その後、ディーは両親の死と姉の行方を独自に探し出そうとしたが、その時の上司に探す事も公言する事も辞めるように言われる。両親の後を追いたくなければという脅し文句をつけて。
ディーはそのやり方に呆れと共に怒りを抱く。そして、表面は従順に仕事をこなし、裏では真相を探りながら自身がのし上がるための情報を集め始める。
「それで……ディーさんのお姉さんは……?」
「姉は独裁者の目に留まり、慰みモノにされた。逃げ出さないように足の腱を切られ、座敷牢のようなところに閉じ込めて毎日、死ぬまでね」
視線を下へと向けたディーの手は真っ白になるほど硬く握り締められていた。
「……初めからその可能性には気が付いていた。だけど僕は姉に、姉さんに生きていて欲しいと願っていた。姉の事を調べる過程で同じ境遇にあった、あっている人たちが居ることもわかった。……だから、僕は計画を立てることにしたんだ」
ディーの声色に暗い、澱みが混ざる。
「あのために動いたのは僕一人じゃなかった。だけど、全ては僕の手で行った。最初に独裁者を殺し、それに連なる首脳陣も全員、同じように殺した。二度と姉と同じ境遇に誰も遭わないためにね」
ディーの独白にトーアは息を呑んだ。じっとディーの顔を凝視していると、ディーはそれに気が付いたのか少し恥ずかしそうに頬をかいた。
「現実のニュースで僕の顔は見たことあると思うけど、この顔は若い頃に似せてあるんだ」
「なるほど……」
世界が騒然となった首脳部殺害事件は、犯人自ら警察組織に出頭する事で幕を閉じる。そしてディーは『成した事』によって生まれた多くの支援者達から守られながら、自ら獄中で生活を始めた。支援者から殺風景な獄中でも外の景色を楽しめるようにVRゲームを用意してくれたとディーは話す。
「だけど、そろそろCWOにログインすることは出来なくなるから、イベントの始まりを見た後にトーアやレイ、レスティ、CWOの友人達に持っているアイテムを全て渡して“引退”しようと思っていたんだ」
その言葉にトーアは、その国がいまどうなっていたかを思い出す。
ディーのクーデターまがいの殺人劇はあっさりと幕を閉じた。独裁者の後継者になろうとディーを劇的に処刑しようとする人間も居たがディーが殺される前に阻まれる。他国の介入、数度のクーデターを繰り返し、近年、自立した政府が樹立し十年近く続いた混乱が収まり新たな国として復興を始めようとしていた。
つまり、過去の犯罪者でもあるディーの処遇はどうなるのか理解する。
「そんな、まさか……」
「うん。国もやっと落ち着いたし死刑が執行されるだろうね。あんな事をやった手前、すぐに死刑って決まったんだけど、国の大混乱で十年以上放置されることになるとは思わなかったよ。支援してくれる一部には、僕を担ぎ上げようって言う人も居るけど、初めから支援してくれる人ほど……僕の死刑を止めようという人はいないね」
自身の死という結末を受け入れているディーの表情は非常に穏かでくつろいだものだった。それは達観したとも取れるディーの態度にトーアは言葉を詰まらせる。
「……どんな建前を口にしても僕がやったことは復讐なんだ。この終わり方は最初に引き金を引いたときからずっと決めていた。全て終わった後はしかるべき罰を受けようって」
ディーの覚悟に触れ、トーアは何も言わずに一度だけ頷いた。
「まぁ、こんな僕の身の上話がトーアの役に立つかわからないけど、なんというか……経験者として話しておくべきと思ったんだ。迷惑かもしれないけど、トーアの事は歳の離れた妹、もしくは娘、いや、息子のように思っていたからね」
「ぁ……」
優しく頭を撫でられて思わず、ぽろりと涙が落ちる。
トーアもまた天涯孤独の身の上であり、ディーの事を年の離れた兄のような、叔父のようにどこか思っていた。
「トーア、過去は戻せない。現在は未来のために何を行うか考えてみたらどうかな。例えそれが贖罪のために死を選ぶ事になってもね」
ディーは立ち上がるとそのまま部屋を出て行った。トーアは結局、はいともうんとも頷けないままだった。そして、夕日が部屋に差し込む中、トーアは再びベッドに横になる。そして、再びサクラの話とディーの話を考え始めていた。
――私は、ずっと……レスティさんを殺した事から逃げ出そうとしていた……。
そのことを認識する。そして、それに向き合う事が出来るのかと考えたが、サクラの言葉を思い出し人生を賭けて向き合い続けなければならないと理解する。
いつの間にか陽は落ち、部屋は暗闇に包まれた。トーアはゆっくりと目を閉じる。
『トーア、私を殺してくれ』
暗闇の中でレスティが前に立っていた。対峙するトーアの右手にはレスティを刺した短剣が握られ、すぐに夢なんだと理解する。
「レスティさん、私はあなたを止めるためにあなたを殺します。だけどもう逃げません。レスティさんを別の方法で助ける事ができなかった、この方法でしか止める術がなかった……こんな私を……許さないでください」
近づくレスティが涙で歪む中、そっと抱きしめる。そして、あの時と同じように違う心持ちで短剣を前へと突き出した。
『ありがとう、トーア』
「礼を言わないでください……レスティさん。……ごめんなさい、さようなら」
レスティは安らぎを得たようにうっすらと笑みを浮かべ、光の粒となって消える。その場でトーアは自身の無力さに悔しさ感じ、声もなく泣き続けた。
「もう誰も殺しません、殺さないようにします。もう二度と誰も救えないような事は起こさないと誓います……」
誰も聞かれることはないと思いながらもトーアは一人、小さく宣誓する。その呟いた宣誓がその場に溶ける様に消える前に再び、トーアの意識は暗転した。