第一章 輪廻の卵 1
光に包まれた視界が戻り、幸太の目に最初に入ってきたのは『生あります!』という張り紙だった。
思わず目を疑い何度か瞬きを繰り返し、目頭を押さえる。あたりからは人のざわめきと注文を確認したりする掛け声が聞こえてきた。壁には最初に見た張り紙以外にもメニューと値段が書かれた紙が何枚も貼られ、居酒屋の個室のように見える。
近くのテーブルにはくたびれたワイシャツを着崩した男が座っており、手にはお猪口、テーブルの上にはつまみらしき焼き鳥と熱燗が入っていると思われる徳利がある。男はどこかで会ったことのある気がした。
「よぉ、来たな。まぁ、座れ。立ったままじゃ話も出来ないだろ」
「あなたはだ……え……?」
幸太は口から出た予想外の声色に手で口を押さえる。驚きに視線をさまよわせていると男はそれが面白いのか口角を上げてにやけていた。
その態度が少しだけ気に障る。だが視線は口を押さえた手から体へと移り、手は後頭部に揺れる黒髪の三つ編みに触れる。身体の感覚も過去に一度だけ経験したものと同じだった。
疑問で頭が一杯になりながらもゆっくりと男の向かい側の席に座る。
「……どうして、トーアの体に……デスゲームは終わったはずなのに」
男に視線を向けながら言葉を呟くが、男は手にもったお猪口を飲み干して手酌で徳利からお猪口へ透明な液体を注いだ。幸太はむっと思わず男を睨む。
「慌てんなって。いわゆる時が来たって奴だ。トーア、いや、特級創作士 リトアリス・フェリトールに依頼したいことがある」
「時が……来た……?」
男の言葉に幸太は眉を寄せていた。
一度、息を吐いた後に明野 幸太は、VRMMORPG“Crafting World Online”のプレイヤーキャラクターである、リトアリス・フェリトールとなってこのような居酒屋の席に座っているのか、記憶をたどり始める。
その日は幸太は珍しくシステムエンジニアの仕事が早く終わり、日が昇っている時間に自宅であるマンションへ帰る事ができた。明日からは連休でこれと言った予定もなく、仕事も区切りが付いた為呼ばれることもないと幸太は思っていた。
家事を済ませた後に早めのシャワーを浴びてPCを起動し、続けてVRMMORPG“Crafting World Online”を起動する。
VRゲームは登場当初はヘルメット型の画面とコントローラー、床に歩くとスライドする床を必要とする体感型のゲームであったが次第に技術革新が進み、ヘルメット型コントローラーにより、脳波の読み取りと電気刺激によって視覚、聴覚、触覚、嗅覚、触覚を擬似的に体験することを外科手術なしに可能にした。
元々は医療目的に使用されていたが、ゲームのコントローラーとして発売されると様々なジャンルのゲームに利用されるようになる。その中でもたびたび小説やアニメ、ゲームの題材として取り扱われたMMORPGとの相性は良く、VRMMORPGとして新しいジャンルを作り上げる。
と、少し前に夕食時に見たテレビ特集の事を幸太は思い出しつつ、ヘルメット型のコントローラーを身につけ、ベッドに寝転がった。
VRゲームの操作感は明晰夢がよりはっきりとしたもので、多少慣れは必要なものの体を動かすと同じようにキャラクターを操作することが出来るようになる。
そしていつもプレイするゲーム、“Crafting World Online”、通称“CWO”は半年前に10周年を迎えた長寿VRMMORPGの一つで『世界を創るMMORPG』を謳い、神話やファンタジーを主題とした物語に登場するような多種多様な種族となってゲームを行うものになる。
プレイヤーキャラクターにレベルという概念はなく、その代わりにアビリティという技術のまとまりが数多く用意されている。謳い文句の通り登場する建物、乗り物、道具、武具、食べ物、釘一本に至るまでプレイヤーが生産可能である。
キャラクターを成長させる為には、プレイヤーが必要と思ったアビリティのレベルを上昇させることで技となるスキルや、ステータスの大部分を決定する職業が取得できるというスキル制と呼ばれるMMORPGに分類される。
VRゲームのため生産も戦闘も現実に近い動きを必要とし、アビリティレベルを上昇させる際には何度も同じ動きを必要とする。手を抜いたり、いい加減な物を作るとアビリティレベルを上昇させるのに必要な経験値は得ることができない。半ば冗談として『努力センサーなるものが実装されている』と話すこともあった。
幸太がプレイを始めたのは、CWOが正式サービスを開始した10年前。まだVRゲームは技術的に未熟でコントローラも大きく重たいものだった。今では、かなり小さく軽量化されているものを使っている。
プレイ歴10年は古参として扱われるが、幸太としてはまだゲームをやりきったという達成感は得られていない。だからこそ今日もプレイヤーキャラクターであるリトアリス・フェリトールとなってCWOにログインする。
腰に届く黒髪を三つ編みにしてまとめ、吊り目気味の瞳は光の加減で赤く見えるダークレッド、背丈は160cmほどで身体つきはスレンダーなものにしてある。胸の膨らみは控えめながらも主張をする手のひらに収まる大きさで、声色は女性にしてはやや低めに設定されている。
他のプレイヤー達からは“トーア”の愛称で呼ばれており、リトやアリスの愛称を使うプレイヤーは既に居たため、友人がトーアの愛称を考えてそう呼ばれているうちに、定着したものだった。幸太もトーアの愛称は気に入っており、自己紹介の際にはトーアと呼んでほしいことを付け加えている。
プレイスタイルは生産系のアビリティを全て扱うことが出来る生産者スタイル。ただ、他のプレイヤーからの評価は『確かに生産者として腕は最良。だが、おまえのような生産者が居るか!』と口を揃えて突っ込まれてしまう。幸太も思い当たる点が多々あるため、否定は出来なかった。
「さてと……依頼も手紙もなし。今日も頑張りますかー」
明日は連休で家事も済ませてあるため、日が昇るまでCWOをプレイしても問題ない。ビバ週末と幸太は鼻歌を歌いながらCWO内の自宅で生産の準備を始める。
幸太ことトーアが取り組んでいるのはCWOで重要な要素である“転生”に必要なアイテム、輪廻の卵の生産。それもCWOで最も新しく実装された“半神族”と呼ばれる種族へ転生することが出来る物をこの一ヶ月作り続けていた。
CWOにおける転生の効果は二つあり、ステータスの若干上昇とアビリティキャップの上昇がある。
アビリティキャップとは、取得可能なアビリティレベルの合計値であり、その数値を超えてアビリティを取得することは出来ない。トーアは数日前にアビリティキャップに到達し転生を行う条件は揃っているし、輪廻の卵の生産には成功していた。だが、それでも転生を行わないのはトーアのステータスでは10段階あるアイテムランクの最も高い【外神】級の生産が可能だからだ。
どうせなら最新の種族を最高のアイテムランクで転生したいと考えて、今に至る。
CWOの生産は現実に沿った方法または似た方法で行われるものが多く、ただ漠然と行うと大概失敗する。初めはスキルの補正などでなんとなくコツはわかるが、生産するアイテムの難度が上がるにつれて、何度も繰り返したり、経験やプレイヤースキルが物を言うようになる。
輪廻の卵の生産は生産系アビリティ【錬金】によって行われ、それぞれの加工、抽出、混合の各工程でしっかりと加工を行えば【外神】級が生産できたはずだった。
トーアは【錬金】に補正を与える装備を着込み、化学実験で使われるような機材が並ぶ机に向かった。他の生産系アビリティ【調合】に似ているが【錬金】は、素材からエッセンスを抽出し、核となる素材と混合し、目標物を生産する形になる。
採取したり、他のプレイヤーから購入した素材を刻んだり、潰したり、煮出したりとそれぞれの方法でエッセンスを抽出する。
核となる『熾天使の羽』と呼ばれる素材が浮かぶガラス製のビーカーに、エッセンスが同時に注ぎ込まれ僅かな光と共に混ざり合い結晶となっていく。
この段階になれば何も出来ることはないのでトーアは祈るような気持ちでその様子を見守る。
「よし……これで完成っと……」
光が収まりビーカーの中には純白の鶏卵が浮いていた。この一ヶ月の間に見慣れたが見た目は鶏卵と似ているが、触感は石のようで、光にかざすと虹色に反射する。卵のとがった方には、天使の輪を模したサンライトイエローの輪がある。
生産に僅かに手ごたえを感じながら、【輪廻の卵<半神族>】は見た目からはアイテムランクが判断できない為、トーアは恐る恐る鑑定スキルを発動する。
トーアの目の前に半透明の四角い枠が浮かび上がる。CWOでは見慣れた拡張現実を使用したARウィンドウに書かれたアイテムの鑑定結果にトーアは胸を高鳴らせながら目を通す。
「……お?おぉ!やった!出来た!ついにできた!!」
思わず歓声を上げて飛び上がる。他に人の目がないからこそ出来ることである。
両手で手の中にある【輪廻の卵<半神族>】【外神】を眺め、顔が緩みきっていることに気が付く。辺りには誰も居ないことは承知しているが、あたりを確認して背もたれのない丸椅子に座って光に輪廻の卵をかざす。口角が上がりきっているのはトーアは自覚していたが、誰も見られることはないと、そのままにした。
いつまでも輪廻の卵を眺めていないでさっさと転生してしまおうと、トーアは椅子から立ち上がろうとした。ふと思い直して残っている素材の数を確認していく。何度も生産できるように多めに集めていたのを思い出して輪廻の卵があと何個作れるか確認する為だった。完成済みの輪廻の卵は脇にそっと置いておく。
「あと、一個分かな」
1ヶ月の間、トーアが生産したものの【外神】級に届かなかった輪廻の卵は全てゲーム内のオークションに出品している。もともと出回る数が多くないため、割と高値で売却することが出来た。
「……まぁ、作っておいて損はないしね」
そのせいで起こったある事をトーアは思い出すが、すぐに気持ちを切り替えて再び生産の準備を整えてから輪廻の卵の生産を行う。一度生産出来てしまったためか変な緊張はなかったが、手は抜かずにしっかりと手順を進めて今までにない手ごたえを感じながら生産に成功する。
「よしよし、アイテムランクはどんなも……の……え?」
深く考えず鑑定スキルを発動して表示されたARウィンドウを見て、トーアは目じりを押さえ軽く揉む。今はまだそんなに疲れていないはずと一度、鑑定結果のウィンドウを消して再び鑑定スキルを発動するが結果は変わっていなかった。
手の中にある二つ目の【輪廻の卵<半神族>】【外神】級にトーアは思考停止した。
「……いやいや、なんでなんだよぉー……」
思考停止から復帰しトーアは思わず顔を手で覆い、椅子に崩れるようにして座り込む。二個連続で作ってしまいこの一ヶ月の頑張りとはと少しだけ考えてしまったのは仕方ないことだと思う。
一つ目の輪廻の卵を左手に、なんだかんだ言いつつもしっかりと握っていた二個目の輪廻の卵を右手に持ち、二つを掲げるようにして光に照らす。
「……ふふ……ふふふふふ……」
顔がゆるゆるに崩れるのも、不気味な含み笑いが漏れるのも気にせずに二つの輪廻の卵を眺める。経過はどうであれ二つできたことは本当に嬉しかった。丸椅子に座りのけぞりすぎて床に倒れこんでも喜びは覚めることはなかった。
トーアは床にそのまま寝転がりながら二つ目の輪廻の卵をどうしようか?と考えながら二つの輪廻の卵を眺める。だがすぐに口から含み笑いが漏れてきてしまう。このままでは一向に解決しないと一旦、二つを視界の外に動かした。輪廻の卵の売却云々について考える時、苦々しい思い出が蘇ってくる。
トーアは1ヶ月の間に一度だけ、【外神】級の一つ下のアイテムランクである【喪失】級の【輪廻の卵<半神族>】を生産することが出来た。【外神】級を諦めて転生するかを一日近く悩んだ末に、妥協はしないと思い切ってオークションに出品した。
初めは様子を見るためか、誰も入札がなかったが戦闘系のトッププレイヤーの入札後、目まぐるしく金額がつりあがって行く。トーアはその様子を見て顔が盛大に引きつったのを思い出す。
途中からはクランと呼ばれるプレイヤー達の連合のリーダーがクランを代表して入札を始め、集団としての資金力が出始めると桁が二つ上がり、トーアは出品せずに死蔵するかこっそり譲渡すべきだったと後悔する中、CWOのオークション最高落札金額を更新してとあるクランへと落札された。
問題は落札後で、生産可能なトーアを囲い込もうとするクランやパーティからの勧誘であったり、莫大な金額を得たトーアをプレイヤーを殺すプレイヤーであるPKから狙われたりと生産どころではなくなってしまった。
PKからは一人で居ないようにして自衛もしたが、しつこい勧誘だけは諦めさせることは出来なかった。しつこい勧誘を行うクランのプレイヤーのアビリティや装備が低いものとわかった後、トーアは一定期間までに接触することが出来たら考えると返事した。
その後、トーアはCWOで『修行プレイ』と称して凶悪なモンスターが出現する過酷な雪山で生活するプレイヤーの元へ行く。戦闘技術の師匠でもあるプレイヤーで事のなりゆきをゲーム内掲示板で知っていたためか、やりすぎたなと笑いながらたしなめられたのを思い出していた。
その後、期間が切れるまで師匠と共に久々の修行ライフを送る。結局、誰もそこまで到達することは出来なかったため、トーアは悠々と街へと戻る。
それによって一先ずは騒ぎは沈静化した。だが今回は【外神】級である。【喪失】級以上の混乱は目に見えていた。
「……今後は師匠のところに逃げても遠征を組んでまでやってきそうだし……」
トーアは秘密裏に処理することを考え、捨てるのは最初に却下し、次の転生をするまで死蔵するのもなんだか勿体無いような気がするしと床を転がりながら悩む。出品時に後悔した事まで思い出し、そして、ある事をひらめいて勢い良く体を起こす。
「そうだそうだ、譲ってしまえばいいんだ」
これは名案と【錬金】の補正用装備を脱ぎ、送る相手を選び始める。
付き合いが長くて、【喪失】級の騒動を知っていて、トーアの事情を知っていて転売などしない人物で、転生を控えているとなると一人しかいなかった。
CWOにおいてトーアと夫婦関係にあるプレイヤーである彼ならばと思ったが、まだゲームにログインしていなかった。トーアがCWOにログインした時間は考えてみれば他の企業であれば業務中と言っても過言ではない時間だったことを思い出し、【輪廻の卵<半神族>】【外神】を相手に贈ることにする。件名は『出来ちゃった』と冗談めかして。
輪廻の卵を送り、トーアは拠点でも広めに作ってある広間へ向かう。
「よし、じゃぁ転生といきますか」
輪廻の卵を持ち軽く握り締めると、目の前に『<半神族>へ転生を行います。よろしいでしょうか?』というウィンドウと『YES』、『NO』と書かれた選択肢が表示される。
迷い無く『YES』を選択する。
『本当によろしいですか?』
と、再度確認のウィンドウも『YES』を選択する。
手の中の輪廻の卵が小さな水音と共に砕け、床へと滴り落ちていく。
輪廻の卵が落ちた場所から魔法陣が広がり、浮遊感とともに身体が浮いた。ひざを抱えると純白の板がトーアを包み込み、巨大な卵となった。殻によって閉ざされ、目をつぶると一際大きな光を放ち、卵は消えた。
視界が戻るとあたりはどこまでも続く真っ白な場所で、目の前にトーアの姿があった。周りにはいくつものARウィンドウが多種多様な数値を表示して浮いている。
転生の特典として転生後の姿を変更することができる。普通の人っぽい種族から獣の顔が付いた種族に転生する場合もあるため、このようなキャラクターエディットが行えるようになっていた。
半神族は、転生前の種族と外見はあまり変わらないため特に調整の必要は無い。種族スキルを発動した時だけエフェクトが付く為、その調整をしてトーアはキャラクターエディットを完了する。
完成したトーアの姿を眺め、にっこりと笑みを作る。
「うん、かわいい」
並んだARウィンドウの中から『エディット完了』を選択する。
あたりの明かりが強く光を放ち始め、視界が白く染まっていく。転生した後は何をしようかと考えているうちに意識を失う。
意識を失う寸前『約束を果たしてもらうぞ』と男の声が聞こえた気がした。