続き物を書く
マン・ネリカは、当然のように“しょうせつのがっこう”を卒業しました。
その後も、出版社からの依頼にそのまま応じて小説を書き続けます。
「もっと読者のコトを考えて!」と言われれば、読者が楽しめるような小説を書きます。
「続編に続く形で終わらせて!」という注文がくれば、そうします。
「主人公がピンチになると人気が落ちるので、なるべくそういったシーンは書かないように」という指示があれば、それに従います。
「努力したり、訓練したりする場面は読者が退屈するので、なくしてください」と来れば、いつの間にか強くなってしまっていることにします。あるいは、突然、眠らせていた力が覚醒するとか。努力するにしても、そのシーンはカットして“数ヶ月後~”みたいな表現にします。
この国の読者というのは、とかくそういったシーンを嫌う傾向にあるのです。
一生懸命努力して、少しずつ能力を上げていくなどというのは、時代遅れ。そうではなく、サッと強くなり、パッと敵を倒す。そういうのが流行っていました。
マン・ネリカは応用力のある方だったので、そういった指示が来れば、注文に応じてすぐに小説の内容を変えることができました。そういうのを苦手とする小説家も多い中、マン・ネリカにとっては雑作もない作業でした。
ただ、心の中ではいつも何かがきしみ続けていました。心の底で誰かが叫んでいます。
「違う!違う!こんなのは小説じゃない!本物じゃない!偽物なのよ!早く気づいて!取り返しがつかなくなる前に!」と。
けれども、マン・ネリカは、そのような心の叫びを無視し続けました。目の前の注文をこなすコトで精一杯でしたし、何よりもそれで読者のみんなが喜んでくれるのです。それに勝る喜びがあるでしょうか?ありはしません。
小説家にとって、読者に喜ばれる。それは、最高の名誉でした。小説を書く目的そのものと言ってもいいでしょう。出版社の人の指示に従い、小説を書き、人気が出る。本も売れる。この小説に関わっている人たちみんな儲かる。それでいいじゃありませんか。何を迷うコトがあるというのでしょう?
こうして、マン・ネリカの快進撃は続きます。