ふたりっきりの帰り道で
ふたりっきりの帰り道、笹山も私も黙ったままだった。
何か口にしたら泣いてしまいそうで、私は唇を噛んでうつむいて歩く。私の手首を掴んだ笹山が、とてもゆっくりと前を進んでいた。
笹山は何も訊かない。
だから私も黙ったままだ。
わかんない、とお互いに吐き出したまま、動けなくなっていた私をカエル男が立たせ、手首を引いた。抗うこともせず着いていく私は、私らしくない。
魔法だ、魔法のせいだ。
私にかけられた魔法が、私を私じゃなくしている。
そう、思いたかった。
連れてこられたのはサークル会館の部室で、珍しいことにだれもいなかった。パイプイスに促されたけれど、座る気力さえ湧かない。肩を押されようやく、座った。
「…間宮」
なによ、といつもなら返事をしている。でも、私は口を開くことができない。笹山を見ることも、…と思ったら顎を促され無理矢理上向かされた。
「キスしてほしいんだけど、」
いつものセリフ、を言ったカエル男はいつになく真剣だったから、思わず息を飲んだ。視界が潤んで顔が沸騰する。
「…間宮?」
わかんない、わかんないよカエル男なんて。
「…キスなんか、しないわよ」
途切れ途切れだけれど言えた。こぼれた涙は止まりそうにない。
「俺が嫌い?」
ああ、殴りたい。人の気も知らないで、キスをねだって、それで、私を揺るがすカエル男が、私は。
「…キスしたら、魔法がとけちゃう」
魔法にかけられのはあんただけじゃない。私も、だ。
だれかが私に魔法をかけたんだ、と思った。そうじゃなきゃ、いきなり笹山がかっこよく見えたり、話すだけで嬉しくなったりなんかしない。姿を見るだけでどきどきする、そんなの私じゃない。
どうしよう、どうしよう、と悩んでいたら笹山が自分はカエルだと言い出した。カエルの魔法を解くのはキスだけだ。
キスで解ける魔法。
それに気づいたら怖くなった。私のキスで笹山がカエルに戻るなら、笹山のキスで私の魔法も解けてしまう。
笹山が好きだ、って魔法が解けてしまう。
解けてほしい、と思ってたのに解けてしまう、と考えたら笹山とキスなんかできないと即答していた。
もう、自分が自分でわかんなかった。
「なのに笹山、毎日毎日キスしろって言うし私ぐっちゃぐちゃなのに、人の気も知らないで。魔法が解けたら、怖いのに。笹山のこと好きな私がいなくなっちゃうかもしれないのに。なのにあんたは、人の気も知らないで」
言いたいだけ、言ってやった。そして黙った。笹山は黙ったまま。
掴んだ顎を離さないからうつ向けもしない。視線だけ外して、また泣きたくなった。じんわり、視界が歪む。
もう、泣いてなんか、やるものか。
だってこんなの私じゃない。意地になってぎゅっと目を瞑ったら、すんごい近くになまあったかい息を感じた。
そんで、触れた。
「…は?」
え、って思って、急いで目を開けて見た真ん前に、びっくりするくらい近くに笹山の顔があって、それにまた驚いたわたしの額が笹山のにぶつかった。
「…ったー、」
軽く、だったのだけど漏れ出た悲鳴に笹山が額を合わせてくる。
「……色気が、ねぇ」
反射的に笹山の腹を殴っていた。
ぐ、っと呻いた笹山が、顎を掴んでいた手を耳から後頭部に回して、引き寄せた。
引き寄せられた。
そして、また触れた。
今度は分かった、というか頭がついてきた。
これは、キスだ。
「なんで、」
「りょーおもいだから」
ぽろっと訊いたのにさらっと答えられた。
「ちが、」
「ちがくねえ。あんっな熱烈な告白を聞き間違えるはずがないっしょ」
こくはく。いつ、どこで、だれが、…と辿ったところで、自分の言ったセリフが蘇った。
いま、ここで、私が。
「っんとに、可愛いなあ、間宮」
ぞわわ、と震えが走った。なんだこれ、足先から頭のてっぺんまで小さな揺れが通ったの。
瞬きをするたびに世界の色が変わる。
分かった。
キスしたからだ。
「キスしたから、魔法がとけちゃったんだぁ」
「ばぁか、解けてないよ」
「でも、」
「俺、カエルになってないもん」
うしし、と笹山が笑う。なんで笑えんのよ、そんな、してやったり、みたいに。
「だって間宮も、俺が好きなままっしょ」
うん、と頷いたら笹山がものすっごく嬉しそうな顔をするものだから、自分の失態に気付いた。
「カエルの魔法は解けないよ」
額を合わせたまま笹山がいう。
「だって間宮が新しい魔法をかけたから」
ちゅ、と軽い音がして唇が離れた。
「間宮に惚れるって魔法」
また、キス。
「…キスするたんびに、解けちゃうじゃん」
「ちげえよ、キスするたんびに新しい魔法がかかるの」
そんで惚れ直すんだ、と笹山がキスした。
「間宮もそうだろ?」
ああやだ、ほんとに、このカエル男は。
悪態ついても、瞬きするたびに世界が色を変えるからだめだ。この男に惚れていくからだめだ。
「なあ間宮」
私は諦めるしかない。気づかないふりなんてもう出来ないんだ。
「キスしてほしいんだけど」
悪い魔法使いが目の前にいる。笹山の言葉が、目が、全部が私に魔法をかける。
私を変える。
覚悟をきめ、そろそろと、近づいた。
悪い魔法使いはどっち?
本編はこれでおしまいです。ありがとうございました。