第一章 二人の旅人
アルタ共和国
人類最強と謳われる元旅人の若者フェネリスを王とし設立されたばかりの新興国家である。
歴史は浅い国だが、王が旅先で見つけた名産物に歴史的書物や物品を目当てに旅人が数多く訪れる為、昼夜問わず賑やかな国である。
「あとはこの道をまっすぐに……あら? なにやら騒がしいですわね。喧嘩かしら」
依頼を受けに役場まで来たクラリッサが見たのは目的地の奥にある王が住む城の前の門に出来た人だかりだった。
「何度も言うように、用があんのはテメェじゃねぇんだ。分かったらさっさと中に案内しやがれ!」
「こちらも何度も言ってるとおり、 王に会いたいならその為の書類等を書いてもらわないと――」
「そんな物どうでもいいだろうが。俺は王さまと決闘したいだけだっつうの。それに、あんなまどろっこしい物書いてられっか!」
どうやら王への挑戦者のようだ。手順を踏まない無法の銀髪の青年に衛兵が手を焼いている場面のようで、人だかりはそれを見に来た野次馬と言ったところだろう。
「誰だか存じませんが、面妖な方ですわね。死ななければよいのですが……」
この国に来る者は多からず少なからず王の噂を知っている。
その噂の中の一つの、共和国家設立の為の諸国合併に武器を持って異議を唱えた者に対し、女であれ子供であれ老人であれ全て斬り伏せたという伝説はこの世界に生きる者なら誰でも知っていると言われるぐらい有名だ。
そんな伝説を持つ男に喧嘩を売るのは正気の沙汰ではないことぐらい子供でも分かるだろう。
そんな噂を思い出して歩を止めていることに気付きクラリッサは我に帰った。
「他人を心配している時ではありませんでしたわ。早く依頼を受けに行かないと」
基本的に依頼は早い者勝ちなので、依頼を受けに来たら人気のある依頼が全て持っていかれているなんてざらなのだ。
クラリッサは立ち止まっていた分を取り返そうと先程より少し歩を早め少し歩を早め役場まで急いで行ったのだった。
――――
「ここですわね」
周りの建築物より少し豪華なそれの前には“役場”と書かれた大きな看板が立てかけられていた。
クラリッサは中に入るとマール洞窟での討伐依頼を受けるむねを伝えるべくまっすぐに受付まで歩いて行った。
普通、依頼は酒場で受けるものなのだがここでは珍しく依頼を扱う為だけの施設として役場がある。
途中で後ろから乱暴に扉を開ける音がしたがそんなことを意に介さず受付まで辿りつくとボードに大見出しとして蜥蜴の絵と一緒に張られている依頼書を指差した。
「この討伐依頼を受けたいのですが」
「この討伐依頼を受けさせてくれ」
「え?」
「あ?」
依頼受諾の宣言が何故か二重に聞こえたことに驚き、クラリッサが声のした方を向くとそこには先程城門の前で衛兵ともめていた青年の姿があった。
クラリッサと同じ依頼書を指差しているところから青年も同じ依頼を受けようとしているようだ。
とはいえ、先に来て先に宣言したのだからもう私の依頼だ。相手もそれを理解して今回は手を引いてくれるだろう。
「残念ですが、これは既に私が受け――」
「これは俺様の依頼だ。アンタは引っ込んでな!」
「なっ……!?」
どうやら譲る気はないようだ。
かといってこんな千載一遇のチャンスを「はい、そうですか」とみすみす見逃すようなクラリッサではない。
「大体なんですか。人の依頼を横取りするようなタイミングで現れて! 非常識なのではないですか?」
「横取りもなにもまだ受諾してねぇんだからあんたの依頼じゃないだろが!」
「私の方が宣言が早かったのだから私が受けるのが当然のことですわ」
「なに寝言言ってやがる。俺様の方が早かっただろうが!!」
既に水掛け論に成り果てた口論を3分程続けた末、これ以上続けても無駄だと悟った青年が背中の剣の柄を握った。
「あーもう埒が明かねぇ! こうなったらこれで決着つけようぜ」
そう言って青年は背中から両手剣を降ろすと同時に鞘から引き抜き構えをとる。
「あら奇遇ですわね。私も同じ事考えていましたわ」
それに応えるかのように、怖気づくことなくクラリッサも背中から鎚を引き抜き下段に構える。
両者の周りには既に緊張感が漂いはじめ、皆もそれに気付き自然と役場内は無音になった。
緊張感がピークに達し二人が一足踏み込もうとした直前、
「いい加減にしなさーい!!」
突然、これまで沈黙していた人物の叫びが役場に響いた。
「あなた達いい加減にしてください。これ以上ここで騒ぐのなら衛兵呼びますよ!」
受付嬢の鶴の一声により対峙する二人の頭からは血が一気に引いた。
「そ、それは……」
「困る……な」
今後の滞在に支障をきたす為、流石に逮捕されては敵わないので二人は渋々武器を納めたのだった。
――――
「まったく……最初からこうすればよかったんだ」
「それはこっちの台詞ですわ」
騒動から数時間後、そこには互いに妥協した後になんとか和解し、例の洞窟に向かう為、森の中を歩く二人の姿があった。
「それにしても報酬金が要らないだなんて、あなたは本当に何が目的なのですか?」
「契約を結ぶ前に言ったろ? ただ単にその依頼を達成しねえといけない用があるだけだ」
クラリッサは報酬金全額を、青年は依頼達成の結果を受け取るということで互いに和解したのだった。
「あ」
「ん? どうかしたのか」
「いえ、自己紹介がまだであることを思い出しまして」
「別にいいだろそんなの。一緒に仕事すんのも今回限りだろうし」
「だからと言って一つ一つの巡り合わせを無下に扱うのはどうかと思いますわよ? もう少し出会いを大切になさった方がよろしいですわ」
「るっせぇな……分かった分かった。じゃあ、言い出したアンタからどうぞ」
「クラリッサと言います。以後、お見知りおきを」
「アルス=シークだ。アルスでいい」
と青年はぶっきらぼうに答えたのだった。
「ほら、これで満足したろ? さっさと洞窟に向かうぞ」
アルスが一歩踏み出した直後、近くの草むらからガサリと音がした。
それと同時にクラリッサが臨戦体勢をとる。
「敵ですわね。さ、早く貴方も構えてください」
「あ? 俺? しねぇよ、めんどくさい。こいつら二頭位ならアンタ一人で十分だろ」
「な、何を言って――」
クラリッサが言いきる前に目の前の草むらから大型の狼が飛び掛かってきた。
「ハッ!」
狼狽えることもなく、クラリッサは左に体を捻り、その勢いで相手の体の側面に槌を打ちすえる。
ギャン、という断末魔をあげた相手は真横に吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。
その勢いを利用し、左足を軸にして身を翻したその先に、まさに今、クラリッサの喉笛に喰らいつこうと口を開いて飛び掛かってきたもう一匹の狼がいた。
「甘いですわ」
クラリッサは右足で地面を蹴り、まだ残っている勢いごと相手の顔の側面を振り抜く。骨が砕ける音と先程の個体と同じような断末魔が森に響き渡ったのを最後に、森は静寂を取り戻した。
「ふぅ……」
不意討ちを切り抜け安堵したクラリッサは槌を背中にしょい直す。
「お疲れさん。以外にやるなアンタ」
対して、不意討ちに気づいていながら微塵も戦う意志を見せなかったアルスは上から目線で先程のクラリッサの戦いを評価していた。
「『お疲れさん』じゃないでしょう! どうして戦わなかったのですか」
「最初に言ったろ? アンタ一人で十分だって。実際どうにかなったんだから良いじゃねぇか」
「良いわけありませんわ。もし私が負けていたらどうするつもりだったのですか?」
「その前に助けに入ったさ。ま、あんな雑魚に劣るようじゃ近いうちにその辺でくたばることになる運命だろうがな」
アルスはそう言い切りまた洞窟に向かって歩き出した。
「……何様ですの」
不満を呟きながらもクラリッサはついていく。
これまで数多くの旅人に出会い、少なからずパーティーを組んでの旅も少なからずこなしてきたクラリッサだったが、ここまで不愉快にされたのはこれが始めてだった。
これも報酬の為。これが終わったら二度と組むこともない。
そう自分をなだめようとしても上手くいかない。
自意識過剰で自己中心的。そのうえ、最低限の礼節すら出来ず、上から目線ときたものだ。
助け合いが基本である旅人としての能力が著しく欠如しているとしか考えられない彼はいったいどうやって旅をしてきたのだろうか?
怒りが興味に変わってきた頃、ようやく目的地に着いた。
「何ボサッとしてんだ。ここからが本番だぜ」
「分かってますわよ」
返事もそこそこにクラリッサは先に入っていったアルスを追うように歩を進めた。
――――
「はぁ……はぁ……ふぅ」
肩で息をしていたクラリッサは入口から少し入ったところの広けた場所で大量に襲いかかってきた凶暴化した生物を片付け終えたのを確認しようやく一息ついた。
「ふあぁ~……ん、ようやく終わったか」
対してその彼女の後方で丁度昼寝から目覚めたアルスは涼しい顔だ。
「『終わったか』、じゃありませんわ! どうして貴方は戦おうとしませんの!?」
「俺には雑魚をいたぶる趣味はないんでね。わざわざ突っかかってくるっていうなら話は別だがな」
「そこが謎なのですわ。何故貴方は襲われないんですの?」
凶暴化した生物達はなぜかアルスのことは襲おうとしない。
「さあ? 凶暴化しても喧嘩を売っていい相手かどうか位の分別はあるんじゃねえの?」
クラリッサの問いにまだ半分寝ているような状態でアルスが答える。
「そんなことより、さっさと奥に行こうぜ」
「そうですわね。こんな空気の澱んだ場所に長居は無用ですわ」
――――
入口付近で襲いかかってきた生物がこの洞窟内のほとんどだったのか、奥に進んで行っても少々の魔物しか出現せず、クラリッサが思っていたよりも早く最奥まで訪れることができた。
「ようやくゴールか……無駄に時間がかかったな」
「悪かったですわね。一緒に戦ってくれればもっと早く来れましたわよ?」
「御免被るぜ。めんどくせー」
「めんどくさいって……」
「ま、龍が人間相手にビビりはしないだろうからそんなことは言ってられねえけどな。油断して丸焼きとか笑えねえ冗談だ」
その時、地面が揺れる。
遅れて洞窟内が大きく揺さぶられるような咆哮が響きわたりようやく目標の目の前にいることに気がつく。
数度目の地響きが鳴り終わり、依頼の討伐対象が姿を現す。
伝承にある通り人間の何倍もの体躯を持つその姿は、対峙する者全てに畏怖の念を与えるような強大な存在感を感じさせる。
「お出ましのようだな。やっと剣が抜け……」
「どうしました?」
剣を抜こうとしたアルスは右手を腰の左側に携えている剣の柄にかけたところで止める。そして臨戦態勢をとるクラリッサの横でアルスは剣を構える代わりに大きな溜め息をつく。
「露骨に嫌そうですわね。何か御不満でも?」
「不満しかねえよ。何が龍だ、図体がデケエだけのパチモンじゃねえか」
「龍なら今、目と鼻の先にいるではありませんか! 貴方の目は節穴ですの!?」
「それはこっちのセリフだ。そいつは龍じゃねえだろうが、よく見やがれ」
「どっからどう見ても龍ではありませんか。伝説通りの強烈な威圧感を感じますわ」
「……ああ、なるほど。アンタ、本物の龍を見たことねえのか」
「当然でしょう? 龍族はその凶暴性と希少性ゆえに伝説になるほどの存在――」
話を遮るように、クラリッサ目掛けて龍が火球を吐き出す。
「きゃあっ!」
不意を突かれたクラリッサに火球が直撃した――ように見えたが、当たる瞬間に冷気の防壁がクラリッサの身体を包み炎熱によるダメージを打ち消す。だが、流石に爆発により発生した衝撃波からまでは身を守れなかったようで、クラリッサの身体は大きく吹き飛ばされる。
空中で体制を立て直し、どうにか受け身をとり息をつく暇もなく武器を構える。
「理由はよくわかりませんが、何が何でも戦う気は無いようですわね……それなら私一人で戦うまでです!」
戦意を喪失したアルスに見切りをつけ、龍に接近するクラリッサに向かって再び火球が吐き出される。
「そんな遅い球、不意打ちでなければ怖くありませんわ」
クラリッサは走りつつ槌を振りかぶり、向かってくる火球を龍に打ち返した。
吐き出した龍自身に着弾すると共に爆音が洞窟内に響き渡る。しかし、音とは裏腹に龍の鱗には傷一つ付いていない。
「伝承通り、これぐらいでは傷つきませんか……なら!」
一度槌を背中に仕舞い、右手を左袖に入れて引き抜く。その親指と人差し指の間には先ほどまで無かった三枚の長方形の紙が挟まれている。
「これならどうかしら!」
クラリッサが龍に向かって三枚の紙を放つ。その紙が手から離れた瞬間、紙は淡い青色の光の矢と化し、龍に襲いかかる。
光の矢を打ち落とそうと龍が火球の準備を始めるが時すでに遅く、瞬く間に龍の顔に突き刺さる。と同時に着弾地点の周囲ごと瞬時に凍結させる。
「そこ!」
光の矢に追走しながら距離を詰めたクラリッサが龍の頭上高く跳躍し、腕力に重力を加えた重撃を龍の凍結した顔面にお見舞いする。
「グガアアア!!」
凍った鱗を打ち砕かれ、露出した肉か燃ているかのような熱い血を流しながら龍は悲痛な叫びを上げる。
だが、それは龍の闘争心に火を付けるのに十分すぎるものだった。
洞窟が倒壊するのでは、と思う程の咆哮を上げると同時に龍は強烈な敵意をもった視線をクラリッサに向ける。
「先ほどまでは本気ではなかった……という訳ですか」
もう一度武器を構えたクラリッサを狙い、大きく息を吸い込んだ龍は高熱のブレスを吐き出す。
「この程度……あっ!」
一直線に吐き出される灼熱の火炎をひらりと避けたクラリッサは、ふと背後に視線を向ける。驚きの声を上げたのはその視線の先に壁を背もたれにして惰眠を貪るアルスがいたからだ。
「避けて!!」
「ああ゛……? もう終わったか?」
クラリッサの声で目を覚ましたアルスの目の前には灼熱の壁が目の前まで迫っていた。
手遅れだと悟ったクラリッサはアルスから目を背ける。直後、その鼻には人間が焦げたときに発生する嫌な臭いが――
「昼寝の邪魔だ」
入ってこなかった。
代わりに火球の爆発音にも似た音が聞こえ、何事かと目を向けると、そこには傷一つないアルスが右手に一筋の亀裂が入った長剣の柄を握って何事もなかったかのように立っていた。
「……え?、ええ!?」
てっきり灰になったと思ったアルスが平気な顔をしてそこにいたのを見てクラリッサの思考は停止状態に追い込まれる。
そんなクラリッサを意にも介さずアルスは龍に向かって歩き出す。
「こんな蜥蜴ごときに手こずるなんてな。よくもまあ今まで生きてたな――って聞いてねえか」
つかつかと、まるで目の前にいる友人に近づくように歩くアルスに龍は火球の連射で迎える。
その火球の嵐をアルスはまるで目の前を飛びまわる蠅を払うかのように剣で斬り払い、徐々に徐々に龍へ近づいていく。
「……っ! 貴方、これはどういう――」
「黙って見てろ雑魚が」
未だに思考が回復しきっていないクラリッサが口を開くが、突然、喉と心臓をわしづかまれているような錯覚に陥りそのまま固まる。
それと同時に先ほどまで暴れまわっていた龍が今では見る影もなく、時間が止まったように微動だにしなくなる。
そして――
「死ね」
驚くほど淡々と、そして樹から果実が落ちるように、龍の身体から頭部が分離してその場に崩れ落ちた。
文字通り龍の首を討ち取ったアルスの手には、元々は大剣だったと思しき柄だけが握られていた。
ここでクラリッサの意識は閉じた。




