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戦士ヴィルテンと凍土の狼退治(3)

 異世界、二日目の朝――いや、昼間だった。窓から外を覗いてみると、既に太陽が高く昇っていたのだ。

 普段の俺だったならば、決して生活のサイクルを乱す事は無い。ジャスト6時間眠れば、スイッチを入れた様に目が覚める筈だった。それが崩れたのも、やはり新しい世界の風土に触れた心地好い疲労感が原因だろう。

 思えば今までの生活は、狭い部屋に一人で閉じこもり、延々と画面と睨み合う作業の様な物だった。それがどうだ、今の俺は世界最高の戦士様だ。街の子供、大都市の名士、ご近所のアイドルに至るまで全てが俺を讃える。

「……そういえば、なんでこんな時間に……?」

 この宿に泊まったならば、娘さんのモーニングコールに加え、暖かい朝食がセットと相場が決まっている――味に関しては、昨日、幻想を打ち砕かれたが。

 俺がこうして眠っているというのに放っておいて、一体何をしているのか。宿泊客を忘れたんじゃないだろうなと、俺は少しだけ不快な気持になった。

 だが、一人でむすくれていても仕方がない。昨夜に苦労して外した鎧ともう一戦。構造は知っていたが、外すより装着が難しい。十五分も悪戦苦闘し、ようやく全ての部品を身に付けた。

「おーい、娘さーん……」

 娘さんと呼ぶのも不自然な気がするが、しかしどう呼んだ物だろう。そう言えば宿の娘さんに、名前は設定されていなかった。NPCとしての名称が『宿の娘』、人の名前には不適切だ。

 余計な事をあれこれと考えながら階段を下りたが、然し誰もいない。宿の主人もおかみさんも、見事に何処にもいなかった。

「……じゃあ、中央広場か?」

 運営が年に数回開催するイベントでは、NPCが街の広場に集まり、普段とは趣の違う言葉を掛けてくれたりする。普段なら宿などの施設NPCは動かないのだが、ここはリアルな世界、そういう事もあるだろう。一人置いてけぼりにされた不満は有るが、俺もそこへ向かう事にした。お祭り騒ぎならば、戦士ヴィルテン様がいなくては始まるまい。


 武器防具屋、食糧屋、貸し倉庫屋など、中核的施設の集まった通りを南へ進む。中央広場とは言いながら、三方向に広がった街である為、エリア移動してくると最初に到着するのが中央広場なのは、ネーミングの矛盾かも知れない。

 噴水が目印の広場には、予想通りに大勢のNPC――いや、街の住人がいた。こう呼び直したのは、彼らが発している雰囲気に、とてもイベント時の浮かれ騒ぐNPC達と繋がらない重苦しさが有ったからだ。

 建物の影から、彼らの様子を観察する事が出来た。誰も笑っていない。それどころか、何人かは石畳に膝を付いて泣いている。泣き叫ぶ者の肩を抱いて慰めてるのは教会の神父、然し彼もまた悲痛な表情を浮かべていた。

 彼らは俺に気付いていない、なぜかそれに安堵してしまった。嘆く彼らの中に、自分が混ざっていてはいけないと思ってしまったのだ。これに似た居心地の悪さは――そう、小学校の同級生が事故で死んだ時に、葬儀に参列させられて以来だ。自分にとっての赤の他人が死んで、悲しむ事を強要されている様な――俺は、その頃から友人が少なかった。

「……おい、ヘルプ機能」

「はい、なんでございましょうかしら」

「何だよ、あれ。俺は、こんなイベント知らないぞ……!?」

 呼びつければ、あの赤髪の女は直ぐに現れる。世界を知りつくした俺が知らない、所謂イレギュラーの事態に気が動転しながら、この出来事へのヒントを求めると、

「当然でございます。あれはイベントではございません。日常生活に於いて、起きて当然の出来事ですわ」

 女はすう、と指を持ちあげ、人だかりの方を指差した。

「人が集まり過ぎていて見えませんかしら。でも、彼らにも生業が有る。きっともうすぐ、誰かが『片付け』に来るでしょう」

「……何の事だよ、はっきり言えよ」

 しまった、止めておけばよかった、後悔が俺に圧し掛かる。知らない振りをして、俺はさっさと宿に戻っていれば良かったのだ。早々に剣と盾を構え、クエストの攻略に移れば良かったのだ。

 赤毛の女は、どこまでも、どこまでも事務的だった。

「街の住人の一人が、狼に襲われて死にました。病気の父親の為に、森に群生する薬草を摘みに行った帰りです」

 女が指で示した方向、人の群れが割れて、それが見えてしまった。衣服と肌の境目が分からない程に赤く染まった――きっと少女だったのだろう、死体を。

 ヤバい、ヤバいヤバいヤバい、吐き気がする吐き気がする吐き気がする、涙腺が暴走する肺がストライキを起こす胃が反逆する、ガタガタガタガタガクガクガクガク、スケルトンソルジャーにでも成り下がったかの様に股関節も膝関節も笑う笑う笑う。

「うう……うぇ、げえっっ……げ、おえっ……」

「片足は無くなって、内臓もズタズタになって、普通ならその場で死んでいたのでしょうが……余程、帰りたかったのでしょうね。薬草を口に咥え、両手と残った足で雪の中を這いずり、臓物を引きずってまで街に戻ってきました。……ああ、出発したのは昨日の朝で、返ってきたのは今朝早く、夜明け前。あの森へ往復するには、常人なら半日は掛かりますからね」

 朝食を済ませていなかったのが幸いだ。吐き出したのは胃液だけ、それ以上は腹に入っていなかった。四つん這いになってげえげえやらかす俺に、この赤髪の女は、どこまでも冷静に状況を解説していた。

「つまり、クエスト『凍土の狼退治』の冒頭部分ですわ。プレイヤーに対しては倫理の問題から語られずに居た真実が、これです。クエスト説明で死亡を告げられていただけの少女でさえ、この世界では生きていた……ええ、過去形です」

「……止めてくれ、止めろ……」

「ご質問は以上でよろしいのですか? 畏まりました」

 言うだけ言って、赤髪の女は消える。俺も、一刻も早くこの場を立ち去ろうとした。世界最高の戦士が嘔吐している姿なんて、誰に見せられるというのか。早く、宿に戻って――

「戦士様、ですよね」

 ふらふらと立ちあがって歩きだした俺の背に、涙交じりの声が突き刺さった。

「娘さん……」

「どうして、こんな所に居るんですか」

 振り返れば、名も知らぬ宿の娘が、流れる涙を拭おうともせずに立っていた。

 ぎゅっと両手を握りしめ、強く両足を張って立っている彼女は、俺よりずっとずっと強く見える。なんだかそれが怖くなって、目を逸らそうとした。

「私の友達が死にました、ハンナって子です。大きくなったら教会で、純白のドレスを着て結婚式を上げたいって、子供みたいな事を何時も言ってた子です」

「……ぁ、それは……ぅ、残念、だったね」

 女の子を慰める言葉なんて知らない。長い事ワールドクリエイターをプレイしていれば、変な相談を持ちかけられる事も有った。だが、顔も知らない相手に持ちかけられる話なんて大した事が無くて、適当に相槌を打っていれば優しい人などと言われたのだ。

 彼女は本気で悲しんでいるし――どういう事だろう、本気で怒っている。

「……ええ、とっても残念です。彼女のお母さんは早くに亡くなりました。お父さんは病気気味で、高いお薬が無いと咳が止まりません。息を吸えないくらいに辛いらしくて、発作が始まると、ハンナだけじゃ抑えられないくらいに体が跳ねます」

「ぅあ、その……」

「完全に咳を止める事は出来なくても、森の薬草で症状を緩和する事は出来ます。あの森に狼が住み着いた秋までは、ハンナが月に一度、薬草を集めに行っていました――でも、もうハンナはいません」

 怖い。俺より20cmも小柄な彼女が怖い。本気の怒りをぶつけられた事なんて何時以来だろう。七年か、もっと長い。十年か、いやもっともっと前だ。下手をすれば十五年以上――小学生の時にまでさかのぼるのではないか。

 親は厳しいとは言えなかった。周囲に友人がいなかったから、本気の喧嘩なんてした事はない。中学高校、小賢しさを磨いて目立たないようにしていた為、教員に叱りつけられた記憶も無い。俺の人生には、人と関わった経験というものが、ぽっかりと空いた穴の様に抜け落ちている。

「……どうして、早く退治に出向いてくれなかったんですか!? 簡単に倒せる、五分も有れば狩りつくせるって言ってたのに! あの森に入れないのがどういう事か知ってるでしょう!? 薬草も木の実も薪も取れない、他の街へ出かける事も出来ない! お医者様は狼が怖いって、秋から一度もこの街に来てくれないんです!」

 激しく非難されているのに、彼女の声はいよいよ悲痛さを帯びていく。墓地で出るバンシーの金切り声なんて比べ物にならない、魂の籠った本物の感情――心が押しつぶされそうで、俺は彼女に背を向けようとした。

「……やっと、行くんですか。一週間も、食べて寝て子供と遊ぶだけで……」

「え? ……ちょ、一週間って――」

 彼女が告げた日数は、俺に全く覚えのない事だ。俺は昨日、初めてこの世界に――反論しそうになって思い当る。俺は、この世界に居たヴィルテンと入れ替わった。もしかしたらあいつは、もう何日も宿に止まり、ただ食って寝て遊ぶだけの生活を送っていたのか?

 何て奴だ――とは、言えなかった。その暮らしはそっくりそのまま、俺の暮らしだったのだから。寝て起きて、ゲームに没頭し、合間合間に食い、寝る。そこに果たすべき義務は存在しない、自分の腹を満たす為の金銭さえ稼げればいい――或いは、既に稼げているからいい。

 だから、俺がやったんじゃないとは言えなかったのだ。顔が焼けるように熱い。彼女を見ていれば、羞恥で押しつぶされて死んでしまいそうだ。これが恋愛感情によるものならば、どれ程気が楽だった事か。

「別な宿に移ってください。私達、もうしばらくしたら帰りますから……その間に、荷物を……」

「……分かった。今から行ってくる」

 もとより、宿に戻る気は無い。戻れる自信、合わせる顔が無い――いや、これさえも建前だ。

 宿の娘、宿の主人、おかみさん。優しく持て囃してくれる筈の皆に非難される事が怖かったのだ。



 結局俺は、宿へは向かわなかった。あの建物へ踏み入る事さえ、今の俺には恐ろしい。その代わり、俺が集めた財産の下へ、つまりは貸し倉庫屋へと向かったのだ。

 武器も盾も、このエリアの戦闘で最高効率を叩きだせる装備を持って行こうと決めた。どんな敵でも仕留められる汎用装備ではない。雪原戦闘に特化した魔剣と盾で、狼どもを塵芥へ帰してやろうと決めたのだ。そうでもしなければ、俺はもう、あの宿へ近づく事が出来ない。

 柄でも無いが、義憤とやらで頭が痺れていたのかも知れない。あのハンナという子がされたより残酷に、狼達を殺してやらなければならないと、俺は思いこんでいた。

「はぁい、いらっしゃい。倉庫のご利用かしら、それとも私とイケない事? ……前者みたいね」

 貸し倉庫屋の女性は、昨日と変わらずの妖艶さで、俺を誘おうとしていた。然し、直ぐにそれを諦めたのは、俺の顔色が死人の様だったからでもあるのだろうか。

「ああ、そうだ。これから、ちょっと本気で行ってくる」

「了解よ、着いてきて下さる?」

 昨日と同じ様に、俺はカウンター奥の扉から、自分の財産の山の前に案内された。あいかわらず積み上げた装備や金は、どうやったら使いつくせるのだろう思う程の量だ。

 だが、俺が探し求めていた装備は、倉庫の入り口付近に纏めて置いて有った。『雪原セット』と名付けられた剣と盾、そしてその他アイテムを纏めた道具袋だ。

「……これだ。これで、狼なんかは……」

 剣も盾も、滞在エリアが雪原である場合のみ、ステータス全てに15~25%のプラス補正を加える、超強力なレア装備だ。単純なダメージの期待値であるなら、雪原での戦闘では、この組み合わせがゲーム中は最強だった。火力特化ではない片手持ちの剣で見るなら、単純攻撃力も高い。

 ずっしりと手に来る重さに、俺は、武器を握っているのだと実感した。もう直ぐだ。7年の積み重ねを、俺は自分の手で試すんだ。

「ねぇ、戦士様。凄い顔をしてますわよ、どうしたの?」

「……あんたは、あれを見て平気なのか?」

 俺は余程怖い顔をしていたのだろうか、それとも青ざめていたのか。何れにせよ、昨日と何も変わらない女性の態度が、俺はなんとなく気になった。誰かが辛い思いをしているのに、どうして平気な顔を――そんな、理不尽な怒りが原因かも知れない。

「ええ、平気ね。少し見に行ったけれど、別段どうとも思わなかったわ」

「人が死んだんだぞ!? それも、あんな酷い死にざまで……」

「珍しく無い事ですもの。あんな事でうじうじして、仕事をおろそかにはできないわ」

 貸し倉庫屋の女性は、俺の理不尽さを受け流す様にしながら、手元の書類に何かを記述していた。装備、アイテムの預蓄状況の記録だろうか。

「悲しい事だけど、悲しみに浸るなんて贅沢よ。戦士様は、私に贅沢をさせてくださるの?」

「……どういう事?」

「今日の仕事をおろそかにして、明日のお客さんを失っても、私が一生食べていけるという安心を下さるの? そうしたら、私はあの広場で、他の誰よりも激しく泣いて見せてもいいわぁ……ふふ、泣き真似も、泣いていない振りも、どちらも得意だもの」

 書類の記録を終え、紙の半分が、俺の受け取り控えとして渡される。

 彼女が何を考えているのか、俺には良く分からなかった。悲しそうな顔には見えないが、言う事が底抜けに明るい訳でもない。昨日のように俺に迫ってくる事も無く、寧ろ一定の距離を置いている様にさえ感じた。

「冷たいんだな」

「かもね。昨日の改まった戦士様より、今の突き離す様な戦士様の方が好きだもの。お仕事が終わったら一杯やらない? 安いお酒でも、心地良く酔う方法を知ってるのよぉ……ふふ、ふ」

 彼女は、俺に愛されたいと願っていないだろう。だが、俺に好意を向けられれば、彼女が喜ぶ事は確かだ。一方で彼女は、きっと身近な存在だっただろう街の住人が死んでしまっても、まるで悲しまないのだ。俺が死んだとしても、やはり悲しみはしないだろう。

 軽い吐き気がする。惨殺死体を見てしまった時の様な、堪えがたいものではない。喉の奥に留めて置けるが、中々薄れようとしてくれない、重苦しい吐き気だ。頭痛までがそれに伴い、酷く酷く苛立ちが募る。

「……俺は、あんたが嫌いかも知れない」

 今頃にして俺は、俺が好かれていない事に気付いたのだ。俺の人間性は、彼女の好意の対象外。そして、宿の娘からは嫌悪の対象だった。

 何時も何時もそうだ。表で何か綺麗な事を言おうとも、大概の奴は、腹の底で俺を嘲笑う。俺という人間の人格を否定し、レッテルを張って指差し嗤う。

「死なないでねぇ、戦士様。貴方は、公的な遺言状を一切残していないんだもの……公の財産にするには惜しいわぁ……ふふ、ふふ」

 良いだろう、戦士ヴィルテンの力を見せてやる。人格なんて所詮、実力の前では無意味なもの。そう知らしめてやらねばならない。俺は最強の戦士だ、狼なんかに負ける理由は無い。

 荷物袋を担ぎ、倉庫を後にする。背後から、彼女のくすくすと籠る様な笑いが聞こえ続けた。

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