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戦士ヴィルテンと凍土の狼退治(1)

 視界全てが白かった。

 数本の枯れ木の他は起伏すら無い、無縁に続くかと思わんばかりの雪原。俺は重すぎる剣を杖にしながら、影すら見えぬ街へ、絶望的な南下をつづけていた。

「ぜぇっ、ひぃ……ここは何処だ、何処なんだよ……!」

 返事は無い。クリック一つ、キーの組み合わせによるショートカットで立ちあがるヘルプ機能は、ここには存在しない。そもそも、入力媒体さえ有りはしない。この世界に交わる為には、凍傷になりかけている二本の脚と、もう持ち上げる事さえ覚束ない両腕を、どうにか鞭打って働かせなければならないのだ。

「出してくれよ、誰か! 俺は、俺は……」

 叫ぶ為には、息を吸わなければならない。喉が凍りつきそうだ。実際に、鼻の中はもう氷掛けているだろう。豪奢な兜は残念な事に、呼吸器を保護してくれる設計になっていなかったのだ。疲労しきった俺の声は、きっと吹きすさぶ風に比べれば、妖精どもの羽音のように頼りないものだったに違いない。

 膝までを雪に埋めたまま、俺は、背後に奇妙な違和感を覚えた。気配察知なんて上等な技術は持っていない、『サーチ』の魔法の効果を持つ消費アイテムの効果だ。敵が迫っている。もう、振り向くのも嫌だったが、背後から攻撃を受けるのもまた嫌だった。おそるおそる、俺は振り返り――狼の群れが、俺を追ってくるのに気付いてしまった。

「ひー―うわ、あああ、ああ、助けて、助けてえっ!」

 オークションに出せば、リアルマネーで数百万円の値打ちが付くだろう剣を、ドロップ率0.00001%の盾を投げつける。重くてさっぱり飛ばない。足元に落ちて、雪の中に消えた。投擲したアイテムを雪原で再取得するには、足元を調べなけれならないのだった。つまり、拾い上げるという動作が必要だ。

 もう、身を守るものは、分厚くて無駄に重いばかりの鎧と兜しかない。逃げ切れず、背中に二頭の狼が飛びかかる。俺は雪原にうつ伏せに倒されー―腕が引っ張られる。無理やり、仰向けに起こされようとしているのだ。

 脚から頭まで覆っているこの防具は、序盤の雑魚敵である狼の牙など、決して通さないだけの防御力を誇る。だがデザインは、キャラクリエイトの恩恵を受ける為、顔面と手の部分がガラ空きだ。ヤバい、顔を腕で覆った。普段のプレイなら、素手の一撃で撲殺出来るというのに、防御は無いも同然に引きはがされる。

「嘘だろ、俺は……俺は、ワールドランク1位で、俺は――ぎゃあああ、ああがあああぁっ!?」

 両腕に激痛。骨をあっさり噛み砕かれた。防御だって実装されている範囲でマックスまで振り分けているんだ、俺はドラゴンの炎だって耐えきれる体の筈なのに。

 俺は世界最強の戦士、ヴィルテンに生まれ変わった筈だったのに。




「ええと……めんどくさいな、今日も円の一点買いで良いだろ。どうせ幾らでも増やせるんだ」

 事の始まりは、ある朝の事。俺、観世かんぜ 冬人ふゆひと27歳は、リアルマネートレードに勤しんでいるところだった。

 椅子に腰かけ、HMDヘッドマウントディスプレイを装着し、五感を完全に専用端末に同期させる事でログインするー―その世界の名は、『ワールドクリエイター』。日本が誇る純国産のMMORPGであり、お隣の国では劇薬扱いされ、政府による禁止命令さえ下る代物だ。

 悪用しようと思うなら幾らでも使い道が有るだろう、世界最高の技術を、娯楽の為だけに用いる……全く贅沢な話だとは思う。が、その贅沢さが故に、世界中が魅了され、数千万とも言われるユーザーを抱えている。となれば、世界中の金もそこで動いているわけで、努力を重ねたものには相応の恩恵も有るのだ。

 俺は今、ゲーム内の通貨(単位は、日本人に馴染みやすくG)を用いて、ネット銀行から円を買っている。交換レートは100000:1、レベル100前後のプレイヤーが6時間程頑張れば、缶ジュースの一本も購入できる相場だ。マウスに乗せた右手を動かし、カーソルを運び、入力欄に希望の取引金額を記入する。

 1,000,000,000G――日本円にするなら、10000円。これが、俺の日収である。決して少ない金額では無い、それどころか下手な仕事をするよりよほど稼げている。学生の長期休業が重なる時期など、美味い時には日収が五万近くになる事も有った。俺は間違いなく、勝ち組みなのだと言いきれる。

 ここまで稼げるようになるまで、初期投資も十分に行った。足掛け七年、プレイ時間は四万時間を超えている。宣伝の稚拙さで初期の注目度が低かった為、序盤の競争が緩かったのが、俺が今も独走している理由の一つだ。

 だが、最近の俺は、少しばかり憂鬱であった。

「……ああもう、飯買いに行かなきゃ」

 たまったゴミを蹴散らし、玄関までの道を作る。財布をポケットに詰め込み、高校時代のジャージを着こむ――今まで、下着姿だったのだ。着替えるのが面倒だったから。

 そうだ、着替える事さえ現実では手間が掛かる。『ワールドクリエイト』の世界ならば、洗練されたメニューから装備品を選び、ワンアクションで上下の着替えが完了するというのに。

 食事もそうだ。ゲームの中は、美麗な街を歩いて、異種族の美少女の売り子から、一口で一日行動出来るアイテムを購入する。現実は、ぼろアパートから狭苦しい田舎道を歩き、コンビニの店員に嘲笑われながらおにぎりとお茶を買う。

 眠くなるという事さえ煩わしい。夢は時に奇跡の様な景色を産むが、それが『ワールドクリエイト』で実装できないレベルだった事はない。悪夢など見た日には寝汗が酷く、時間を無駄にさせられたという気分になる。その六時間をプレイに費やせたなら、どれ程に素晴らしいだろう。

「……あっちが本物の俺なんだ、今は仕事でこっちに来てるだけなんだ」

 虚しい妄想と、分かってはいる。だが俺は、この世界に希望を見出せないのだった。


 現在は午前八時、海の向こうのプレイヤーたちが活気づいている時間帯。ここで席を外すのは惜しいが、国内プレイヤーが本腰を入れる時間で無いだけマシだ。玄関に出て、サンダルを足に引っかけると――

「うーし、ここだここだ。ちゃちゃーっと開けちゃっておくれよ」

「了解しましたです、師匠!」

 ドアの向こうで、誰かが話しこんでいるような声がした。

「……誰だよ、ったくもう……」

 ドアノブがガチャガチャ音を立てている。用件が有るならチャイムでも使えばいいのに――と思って、俺は気付いた。チャイムを使いたくない用事、なのだとしたら? 開けてくれというのは、もしやこの扉の鍵を開けてしまえ、という事かも知れない。

「こ、こ、こ、こらぁっ!」

「ひゃあっ!?」

 突然に大声を出した為、声が裏返った。内側から玄関を開け、ドアを思いっきり押して開いてやる。何かにドアがぶつかった手応えの直後、誰かを師匠と呼んでいた方の声が、素っ頓狂な悲鳴を上げた。

「人の部屋に、お前達何を――――を、お……?」

 そこに居たのは、上がった悲鳴に負けず劣らず、頓狂な格好の二人だった。

 引っ繰り返った少女は、背中から何か、白鳥の羽の様なものを付けている。ふりふりとしたドレスは、古代ギリシャ風のもの――なぜか、頭にわっかの飾り。

「あらあら、ものすごい元気にお出迎えありがとうございます、うふふ」

 もう一人は、背の高い女。俺が175cmって所だから、立って並んだ感覚からして、170cm以上だろうか。こちらは羽こそ付けていないが、やはりギリシャ風の、布を体に巻いた格好である。保険のセールスマンもかくやという素晴らしい笑みを見せた女は、腰を直角に折って頭を下げ――

「ファイネスト天使代行業、『ワールドクリエイト』プレイヤー・ヴィルテン様を、アント・アスマの大地へご案内する為に参りました」

 アント・アスマ、『ワールドクリエイト』のメイン舞台となっている大陸の名前。そしてこの格好、明らかにまともな人間ではない。確実に、やっかいな部類の人間だと分かる筈だ。

 だが、女が再び顔を上げ、俺と目を合わせた途端、なぜかその言葉の真贋を疑う心が緩んだ。明らかなミス、失敗だ、普通の知性が有るなら疑ってしかるべきだったのに。

「上がらせていただいてもよろしいでしょうか? この姿、他の下界人には見られたくありませんの……」

 長い赤毛――明るい茶髪ではなく、本物の赤――を靡かせ、周囲をきょろきょろと見まわす女を、俺は自室へと招き入れてしまったのだ。



「まあ、凄いお部屋……必要なものを最小限の空間に押し込めた、利便性重視の空間ですわね」

 赤毛の女、天使代行業などと名乗る彼女は、ごみ溜めの様な部屋を見て、聞いた俺が呆れる様なお世辞を言ってのけた。

「ぇ、あー……ええと、とりあえず座ってください」

「お構いなく。私はこのままの方が楽ですの……と、唐突なのですがヴィルテン様」

「……あー、俺の名前は観世 冬人って言いまして……」

 プレイヤーネームで呼ばれるのが気恥かしくなり、俺は自分から名乗り、訂正を促す。だが、女はあの営業スマイルを浮かべたままだ。

「いえいえ、これからの貴方は、望むのならばヴィルテン様となれるのです。アント・アスマ最強の戦士にして、最高の財力の持ち主。その一言が大陸の相場を変動させるVIPに……」

「……すいません、話が見えてこないんですが」

「この世界に、貴方は未練を残していますか?」

 正直に言って、この女の言う事が荒唐無稽だとは感じていた。だが、その一言。未練の有無を問われた俺は、二の句を告げず押し黙ってしまう。

「一日の平均ログインは十六時間、睡眠時間の倍以上。そして、食事などに割り当てる合計時間の八倍……貴方は『ワールドクリエイト』で、現実の倍の時間を過ごす日々を送っているのです」

 その通り、俺は世間的に言われる廃人という奴だ。完全にMMOに没頭し、それ以外の事をしたいとさえ思わない。生きるのに必要で無ければ、食事も睡眠も、全て削ってしまいたい程なのだ。

「私達は……そう、高い所から降りてきました。とあるお方の依頼を受けて」

「……その、依頼っていうのは……」

「ゲーム内の最高峰プレイヤー達を、実際にアント・アスマに転生させる事でございますわ」

 だから、こんな言葉でさえ、俺は簡単にぐらついた。良い話には裏が有ると、理屈では知りながら、既に心は信じる方へと傾いていた。

「……はは、あんた、俺をからかってるんだろ。そんな事、出来る訳が――」

「出来る訳が無いという全ての声を、捩じ伏せてきたのが『ワールドクリエイター』でございます」

 そうだ、そもそも全ての技術は、実現前は不可能とされていた。五感に直接アクセスし、三六〇度完全な視界と音響を提供する、そんなゲームが生まれる筈がないと、俺さえも高を括っていたのだから。そんな俺は初日にあの世界に魅了され、そして大学に行かなくなった。親を騙し騙しゲームを続け、三年が過ぎてばれる頃には、一日に5000円程は稼げるようになっていたのだった。

「ちょっと、話を聞かせてくれ」

「その為の私です。……少々愉快でない話ともなりますが、この世界も遥か昔は、とても文明的生活が送れる環境ではありませんでした。幾人かの英雄が地を切り開き、弱者の安寧を約束した事で、非力な人間は世界の支配者たる権利を得たのです……が、翻ってアント・アスマはどうでしょう?」

「それは、その……」

 公式サイトに掲載されている、世界概要の項目を見れば分かる。大量の魔物に支配され、人間の居住区画は分断されているのが、あのゲームの世界観だ。その為、戦闘技術を持ったプレイヤーは、都市間の移動が出来ないNPCに持て囃されている。

「誰かが、英雄にならなければいけない。世界を切り開く剣が無ければ……魔物の群れを恐れぬ、最強の技術と装備の持ち主が。そして、世界最高の人脈の持ち主が……分かりますか? それが、貴方――ヴィルテン様なのです」

「………………」

 今の俺からすれば、ゲーム中に登場するモンスターの殆どは、ソロプレイで容易に狩る事が出来る相手であった。世界を脅かす魔王さえ、ゲームのシステム上、何百回となく討伐している。世界にはびこる魔物の全ては、蹂躙されるべき雑魚でしかなかった。

「多くの民草が、英雄を待ち望んでおりますわ。そして貴方は、この世界に掛ける望みなど無い。ならば……」

「……どうすればいいんですか?」

 嘘ならば、もうそれでも良いと思った。こんな嘘をつく理由が思い付かなかったからだ。金銭の要求も無い、この女に少しばかり従ってみても良いだろう……と、俺は思ったのだ。

「私の目を見てください。力を抜いて、楽にして……ただし、瞼は降ろさないでください」

 立ったままの女が、腰を曲げ、椅子に座った俺の顔を覗き込む。髪と同じで真っ赤な虹彩の目だ。吸い込まれそうな、不思議な光を放っている。視線を外せなかったし、外そうとも思えなかった。

 女がナイフを取り出し、自分の指先に傷を付けた。細い傷から、血が泡のように丸く膨らむ。それを女は舐め取り、舌で自分の指に塗りつけ――俺の唇に触れさせた。

「『お眠りなさい』、次の目覚めは大陸の屋根の下。『お眠りなさい』、貴方はヴィルテン、アント・アスマ最強の戦士」

 目は閉じていない筈なのに、視界が暗くなっていく。暗闇の中に、赤い丸い物が二つ浮いている様な――ああ、あの女の目か。

 それもやがて見えなくなって、部屋の時計の音さえ聞こえなくなる。



「さあ、目覚めましょう。貴方を、世界が待っています」


 目を覚ました時、俺を照らしていたのは日光だけ。蛍光灯も、PCの灯りもない。小さな小屋の粗末なベッドの上に、鎧を身につけたまま、俺は横になっていた。

 ああ、ここは確か、昨日のプレイを中断した宿だ。この景色は見た事がある……が、この臭いは知らない。太陽の光を存分に浴びた布団の臭いを、俺は知らない。

「お早うございます、もう朝ですよ、戦士様!」

 左手の方角には部屋のドア。NPC、宿の娘の明るい声が、俺にこの世界の実感を与えた。

更新頻度は少なくなると思います。

もう1つの連載の息抜きに、人気のジャンルを書いてみたかった、というところです。

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