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異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件  作者: ベルナルド
一章 キャンウィング領編

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第三十一話 眠れる獣(レンside)


 俺は勇者だ。

 洗礼の日、俺は勇者であると認められた。


 その言葉を聞いた時、胸の奥が燃えるように熱くなった。

 昔から、勇者に憧れていた。

 絵本の中に出てくる勇者様。邪悪な魔族を倒し、世界を救い、弱き者に手を差し伸べ、どれだけ絶望的な状況でも決して諦めない存在。


 俺も、そんなふうになりたかった。

 強くて、真っすぐで、誰かに頼られて、誰かを守れる男に。

 サラにかっこいいところを見せられる男に。

 ルークスに負けないくらい、胸を張れる男に。


 だけど、勇者になることと、勇者であり続けることは違った。

 勇者だと言われた瞬間から、周りの目が変わった。

 騎士たちは俺を見る。民衆は俺を見る。

 サラも、エリシアも、俺を見る。

 みんなが、俺なら何とかしてくれると信じている。

 その視線が、こんなにも重いものだなんて知らなかった。


 俺は勇者だ。

 なのに、町を救えずにいた。

 師匠とルークスに任された役目。

 街に残り、サラやエリシアを守り、民衆を駅へ誘導する。

 それが、俺に託された仕事だった。


 ルークスは師匠と一緒に森へ向かった。ガードナーさんも街のために動いた。

 エリシアは父親を失ったばかりなのに、領主の娘として立とうとしていた。

 サラは傷ついた人を癒やし続けていた。

 なのに俺は、ただ声を張り上げることしかできなかった。


「こっちだ! 駅の方へ逃げろ!」


 何度も叫んだ。何度も人々を誘導した。

 騎士たちと一緒に道を作り、押し合う民衆を落ち着かせようとした。

 けれど、人はそう簡単には動かない。


 誰かが泣く。誰かが怒鳴る。

 誰かが転び、誰かがそれを踏みそうになる。

 子どもの泣き声と、女の悲鳴と、騎士の怒号が混ざり合い、広場は一つの大きな混乱になっていた。

 その中心で、俺は剣を握っていた。


 勇者の剣ではない。ただの剣だ。

 それでも、俺が握れば少しだけ光る。

 勇者の痣が反応し、俺の身体の奥から熱が湧き上がる。

 でも、それだけだった。

 それだけでは、混乱する人々を救えなかった。


 その時だった。

 広場に満ちていた邪気が、膨れ上がった。

 最初は、地面の下で何かが蠢いたような気がした。

 石畳の隙間から、黒紫の靄が噴き出す。それは霧ではなかった。煙でもなかった。

 触れたものの温度を奪い、光を濁らせ、そこにあるはずの影さえ飲み込んでいく、粘ついた悪意そのものだった。


 広場の端に立つ建物が歪む。

 街灯の光が、一つ、また一つと潰されるように消えていく。

 逃げようとしていた民衆が足を止め、騎士たちが剣を構え、サラが息を呑む音が聞こえた。

 空を覆っていた影すら、その邪気に呑まれていく。

 まるで、夜よりも濃い闇が生まれようとしていた。


 次の瞬間、空が軋んだ。


 見上げると、黒い空に一本の亀裂が走っていた。

 雷ではない。雲が裂けたのでもない。

 空そのものが、内側から引き裂かれていた。

 黒い裂け目の縁から、赤紫の光が漏れる。

 ひび割れは音もなく広がり、まるで世界そのものが悲鳴を上げる前に、痛みを堪えているようだった。

 そこから、何かが落ちてくる。


 最初に見えたのは、巨大な爪だった。

 次に、夜よりも黒い鱗。幾重にも重なった角。

 大気を押し潰すほどの翼。

 裂けた空の向こうから、巨大な邪竜が産み落とされるように姿を現した。

 それは飛来したのではない。


 世界の傷口から、災厄が生まれ落ちたのだ。


 邪竜が顎を開いた。

 赤く濁った眼が、広場を見下ろす。

 黒紫の邪気がその身にまとわりつき、石畳が割れ、瓦礫が浮き上がり、周囲の建物が悲鳴を上げるように軋んだ。


 誰も動けなかった。俺も、動けなかった。

 こんなもの、絵本にも出てこない。

 魔族。魔物。ドラゴン。

 言葉なら知っている。

 けれど、目の前にいるそれは、そういう名前で片づけていいものではなかった。


 災害だった。

 邪竜の口元に、黒紫の光が集まる。


「まずい!」


 誰かが叫んだ。

 次の瞬間、ブレスが広場へ向かって放たれた。

 考えるより先に、身体が動いた。

 守らなければ。それだけだった。

 俺は剣を前に突き出し、勇者の痣へ意識を集中させた。

 何をどうすればいいのかなんて分からない。

 呪文もない。技の名前もない。

 ただ、俺の後ろには民衆がいた。サラがいた。エリシアがいた。騎士たちがいた。

 だから、守らなければならなかった。


「うおおおおおおお!」


 剣から光が広がる。

 金色の光が半透明の壁となり、俺たちの前に展開された。

 ブレスがぶつかる。腕が軋む。

 足元の石畳が砕け、膝が折れそうになる。


 熱い。重い。怖い。

 それでも、俺は剣を下ろさなかった。

 光の壁がきしみ、黒紫のブレスが左右へ裂けていく。

 周囲の建物の壁が焼け、広場の噴水が砕け、水が蒸発して白い煙を上げる。

 やがて、ブレスが途切れた。


 俺は肩で息をした。

 守れた。そう思った。

 けれど、戦いは終わらなかった。

 邪竜が翼を広げる。その風圧だけで、人々が吹き飛ばされる。

 騎士たちが盾を構えて前へ出た。

 だが、爪が振るわれるたびに、一人、また一人と倒れていく。


「治癒を!」


 サラの声が響いた。


 彼女の手から白い光が広がり、倒れた騎士たちを包んでいく。

 けれど、傷が深すぎた。聖魔術でも塞ぎきれない傷があった。

 血が止まらない者もいた。目を開けたまま、動かなくなる者もいた。

 サラの顔が青ざめていく。

 それでも彼女は、手を止めなかった。


 俺は邪竜へ斬りかかった。

 何度も、何度も。

 剣を振るう。光を叩きつける。

 勇者の痣が熱を持つ。

 けれど、届かない。


 邪竜の鱗は硬く、剣は弾かれる。

 光の斬撃は邪気に飲み込まれる。

 足を狙っても、尾に弾き飛ばされる。

 翼を狙っても、黒い靄が盾のように広がる。


 勝てない。

 その言葉が、何度も頭をよぎった。


 なあ、ルークス。

 俺はどうすればいい。

 いつだって、お前は俺に正しい道を教えてくれた。

 サラが嫌がっている時も、森へ行く時も、師匠に挑む時も。

 俺が突っ走って、間違えそうになった時、お前は面倒くさそうな顔をしながらも止めてくれた。

 でも、今ここにお前はいない。


 俺が決めなきゃいけない。

 俺が、勇者だから。

 剣を握る手の力が、少しだけ弱くなった。

 その一瞬を、邪竜は見逃さなかった。

 巨大な尾が横から襲いかかる。


「ぐあっ!」


 身体が吹き飛んだ。

 地面に叩きつけられ、何度も転がる。

 肺の中の空気が全部抜け、視界が白く弾けた。

 遠くで誰かが俺の名前を呼んでいる。

 声がぼやける。音が遠い。身体が動かない。


「レン!」


 頬に温かい手が触れた。


「レン、しっかりしなさい!」

「さ……サラ……?」


 目を開けると、サラがいた。

 額には汗が浮かび、青い髪は乱れている。

 服には血がついていた。

 それが自分の血なのか、誰かを治療した時についたものなのか、分からなかった。


「俺は……どうなって……」

「ドラゴンに吹き飛ばされたのよ」

「あいつは……何なんだよ」

「分からないわ」


 サラは、はっきりと言った。


「でも、やるしかないのよ」

「俺に……勝てるか?」


 情けない声だった。

 自分でも分かった。勇者が言う言葉ではない。

 みんなを守るはずの男が、言っていい言葉ではない。

 でも、口から出てしまった。


 サラは俺を見つめた。


 泣きそうな顔ではなかった。

 怒っている顔でもなかった。

 ただ、まっすぐだった。


「あんたは勇者でしょ」


 その言葉が、胸に刺さった。


「勝てるかどうかじゃない」


 サラは続けた。


「助けるんでしょ」

「助ける……」

「聞こえないの?」


 サラが、邪竜を見た。


「あの子、まだあなたを呼んでる」


 その瞬間だった。

 小さな声が聞こえた。

 広場の喧騒の中で。邪竜の咆哮の奥で。

 崩れる建物の音と、人々の悲鳴の隙間から。

 小さな、小さな声が聞こえた。


「……殺して」


 息が止まった。


「私を殺して……お願い、勇者様……」


 確かに聞こえた。


 この声は。


「エリシア……?」


 森で聞いた時と同じだった。

 盗賊に襲われ、助けを求めていた声。

 レン様は私の勇者様です、と笑っていた声。

 領主の娘として立とうと、震えながらも前を向いていた声。

 あの邪竜の中に、エリシアがいる。

 殺してほしいと願いながら。

 それでも、助けを求めている。


 どうして。なぜ。何があった。

 疑問はいくつも浮かんだ。

 けれど、それよりも先に身体が動いた。

 剣を持つ手に、力が戻る。


「任せろ」


 俺は立ち上がった。


 勇者の痣が熱を持つ。

 腕に刻まれたその印が、俺の心臓と共鳴するように強く輝いた。


「俺は、お前を殺さない」


 剣を構える。


「俺が、お前を救う」


 地面を蹴った。邪竜の尾が迫る。

 俺は跳躍して回避し、そのまま尾の上へ着地した。

 鱗は黒く、滑りやすく、触れているだけで足の裏から邪気が染み込んでくるようだった。


 それでも、走る。

 尾から背へ。背から首へ。

 邪竜の身体を駆け上がる。

 黒い靄が何度も俺を振り落とそうとする。

 翼が揺れ、身体が傾き、足元が崩れる。


 それでも、止まらない。

 頭部が見えた。

 赤く濁った眼が、俺を睨む。


「聖破斬!」


 剣に光を集め、頭へ向けて振り下ろす。

 だが、光は邪気に飲み込まれた。

 刃は頭の鱗に刺さったものの、深くは入らない。

 次の瞬間、黒い衝撃が爆ぜ、俺の身体は吹き飛ばされた。


「くそっ!」


 空中で体勢を立て直し、地面に剣を突き立てる。

 石畳を削りながら、何とか着地した。


「刺さりきらなかった……」

「勇者殿!」


 声をかけてきたのは、騎士団長だった。

 鎧は傷だらけで、額から血を流している。

 それでも、剣を握る手は震えていなかった。


「奴を倒せますか」

「分からない」


 俺は正直に答えた。

 勝てるなんて、簡単には言えなかった。

 さっきまで本当に怖かった。

 今でも怖い。

 でも。


「でも、俺は必ず奴を救う」


 騎士団長は、一瞬だけ俺を見た。


 そして、頷いた。


「分かりました」


 彼は剣を掲げた。


「おい、お前ら!」


 周囲の騎士たちが、傷だらけの身体で顔を上げる。


「勇者殿を援護しろ! 我々では奴に致命傷を与えられん! だが、道を作ることはできる!」

「はい!」


 騎士たちが動いた。

 盾を構える者。槍を投げる者。負傷者を下がらせる者。

 サラの治癒を受けた者が、歯を食いしばって再び立ち上がる。

 俺一人ではなかった。


 みんなが、戦っていた。

 俺は勇者だ。

 でも、勇者だけで世界を救うわけじゃない。

 きっと、こういうことなのだ。


 騎士たちが邪竜の注意を引く。

 サラが倒れた者を癒やす。

 俺はその隙を突いて、光の斬撃を叩き込む。


 一度では足りない。

 二度でも足りない。

 何度も、何度も斬った。


 騎士たちの数は徐々に減っていく。

 俺の出力も落ちていく。

 勇者の痣の熱が、痛みに変わっていく。

 それでも、邪竜の邪気も確かに減っていた。


 黒紫の靄が薄くなっている。鱗の隙間に、白い光が走っている。

 中にいるエリシアの声が、少しずつ近くなっている気がした。

 いける。

 このままなら、届く。


「みんな、下がれ!」


 俺は叫んだ。

 剣を空へ向ける。


 全身の力を、すべて剣へ流し込む。

 勇者の痣が焼けるように熱い。

 腕が裂けそうだ。胸の奥が痛い。

 でも、止めない。


 エリシアを救う。そう決めた。

 剣から伸びる光が、空へ向かって鋭く伸びていく。


「聖……滅……」


 邪竜が咆哮する。

 俺は歯を食いしばり、剣を振り下ろした。


「斬!」


 光が、広場を裂いた。

 巨大な斬撃が邪竜の身体を貫く。

 黒い鱗に亀裂が走り、邪気が光に焼かれ、邪竜の巨体が大きくのけぞった。


 次の瞬間、邪竜の身体全体にヒビが入る。

 黒い殻が砕けていく。

 角が割れ、翼が崩れ、尾が霧のようにほどける。

 邪気が悲鳴のような音を立てながら散っていった。


「やった……のか……?」


 誰かが呟いた。

 邪竜の身体が砕け、広場に煙が広がった。

 俺は剣を支えにして、何とか立っていた。

 膝が笑っている。腕が上がらない。

 それでも、目を逸らせなかった。

 煙が晴れていく。


 その先に、エリシアがいた。


 でも、俺の知っているエリシアとは違っていた。

 幼い少女のような姿ではない。

 背は伸び、顔立ちは大人びている。

 金色だった髪は、雪のように白く変わっていた。

 頭には二本の角。背中の辺りからは、大きな尾が伸びている。

 絵本に出てくる、魔族の姿だった。


 勇者が倒すべき敵。人々を苦しめる悪。

 そう教えられてきたものの姿。

 俺は一瞬、足を止めた。

 でも、本当に一瞬だけだった。


 角があった。尾があった。髪の色も変わっていた。

 姿は、まるで魔族だった。

 それでも、俺にはエリシアにしか見えなかった。


「エリシア!」


 俺は駆け寄った。

 倒れそうになった彼女の身体を抱きとめる。

 想像していたよりも軽かった。

 さっきまで邪竜だったなんて信じられないほど、彼女の身体は震えていた。


「大丈夫か、エリシア」


 俺の声に、エリシアの瞼がゆっくりと開いた。


 赤紫に濁った瞳。

 けれど、その奥には確かに、あの時のエリシアがいた。


「申し訳……ございません……レン様……」

「いいんだ」


 俺は彼女を強く抱えた。


「何があった」

「ミシェルが……裏切りました……」


 エリシアの声は弱々しかった。


「私に……カプセルを……それから、マリーが……」


 言葉が途切れる。

 エリシアの目から涙がこぼれた。


「私のせいで……街が……」

「違う」


 俺はすぐに言った。


「これはミシェルのせいだ」


 エリシアに街の惨状を見せないよう、俺はそっと身体の向きを変えた。

 広場はひどい有様だった。

 石畳は割れ、建物は崩れ、騎士たちは傷つき、逃げ遅れた人々の泣き声が聞こえる。

 全部を守れたわけではない。

 それでも、エリシアにそれを背負わせたくなかった。

 少なくとも今だけは。


 その時、一つの影が広場に落ちた。

 俺は顔を上げた。黒い影が揺れ、人の形を取る。

 ミシェルだった。


「はぁ……」


 ミシェルは、疲れたように息を吐いた。


 だが、その顔には笑みがあった。


「あなたは、本当に期待通りに動いてくれる」

「ミシェル……!」


 剣を握ろうとした。

 だが、手に力が入らない。

 さっきの一撃で、俺の身体は限界だった。


「勇者であるあなたなら、ドラゴンを倒せるはずだと思っていました」

「なにを……言ってる」

「おかげで、貴重なデータが取れました。魔族化した対象を、勇者の力でどこまで浄化できるのか。実に興味深い結果です」

「ふざけるな!」


 俺は叫んだ。


「なぜ裏切った! 何が目的なんだ!」

「私だって、何度も同じ説明をするつもりはありませんよ」

「何度も……?」


 嫌な予感がした。

 ミシェルは、俺を見て笑った。

 その笑みは、今まで見たどんな表情よりも不気味だった。


「ああ、失敬」


 彼はわざとらしく首を傾げた。


「あなたのご友人にも、同じ説明をしましてね」


 心臓が、嫌な音を立てた。


「ルークスと……師匠は……」


 声がかすれた。


「どうなった」


 ミシェルは、少しだけ楽しそうに目を細めた。


「ジャン様は消えました」


 世界から音が消えた。


「そして、ルークス君は滝へ落ちました」


 ミシェルは優しく続ける。


「傷を負い、魔想を使い果たし、立つことも難しかった彼が、夜の滝つぼへ落ちた」


 言葉が、ゆっくりと胸に刺さっていく。


「さて」


 ミシェルは微笑んだ。


「あの状態で、生きていると思いますか?」


 俺の手から、剣が滑り落ちた。

 金属が石畳に当たる音が、やけに遠く聞こえた。


 サラが何かを叫んでいた。

 エリシアが俺の腕の中で震えていた。

 騎士たちがミシェルへ剣を向けようとしていた。

 街はまだ燃え、誰かが泣いていた。


 でも、何も聞こえなかった。

 ルークスが。師匠が。

 俺に任せてくれた二人が。

 勇者の痣から、光が消えていく。


 胸の奥にあった熱が、静かに冷えていく。

 俺は勇者だ。そのはずだった。

 なのに、俺の中で勇者の光は、ゆっくりと眠っていった。


「くは」


 暗闇の底で、誰かが笑った。


「ようやくか」


 それは、俺の声ではなかった。

 けれど、どこか俺の内側から響いているような声だった。


「代われ、小僧」


 意識が沈む。深く、深く。

 勇者の光が眠ったその奥で、別の何かが目を覚ました。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

彼の精神は勇者になっていなかった。だが、今本当の意味で勇者になった。

しかし、この世界はそれで救えるほど甘くない。絶望は彼の中に眠る獅子を呼び覚ますことになる。

特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。

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