第9話:帽子に残された記憶の残滓
めでたく両想いになったとはいえ、浮かれてる状況じゃなかった。
結局、恒一の意見が通り、二人で神社に侵入することになった。
万全を期すために、今は鳥居が見える場所で怪異の様子を窺っているところだ。
怪異は毎日午前中に巡回に出て、昼頃に戻って来るらしい。ただ、時間の流れが元の世界とは違うため、感覚に頼るのは危ない。
怪異が神社を出て行ったらすぐに侵入し、目的のチケットを発見したらすぐに逃げると決めた。
「あ、出てきた」
先客の声に神社を見ると、怪異がゆっくりと鳥居に向かって参道を歩いている。
(え……怪異の姿が……前よりハッキリ見える?)
攻撃された時は、ぼんやりとしたシルエットで何となく人のように見えていただけだったのに、今は人の形がよく判る。巫女姿の着物も靄の向こうに透けて見える。
(これって、こっちの世界に侵食されてるってことか……?)
怪異から攻撃を受けたせいだろうか。
長期間この村にいる先客が、記憶を失ったとはいえ、自我を保っているのだから、時間経過だけが原因じゃないはずだ。
怪異は鳥居を出ると、二人が待機している方向に歩いてくる。気付かれているのかわからないが、じっと息を殺して通り過ぎるのを待つ。
ひたひたひた……
静かな神社前を、怪異の足音が近付いてくる。
息を殺しながら、見つからないようにと必死で祈った。
ひたひたひた……
足音は一定の調子を崩すことなく、近付き、やがて遠ざかっていった。
『迷い人』自体に興味はないのか、単純に気付いてなかったのか。
「はーー……」
怪異の姿が民家の向こうに消えたのを確認して、お互いに深く息を吐いた。
しばらくは戻ってこないか様子を見ていたが、その気配はない。二人は顔を見合わせ頷くと、黙って神社の境内に入った。
拝殿の中は、怪異がいないと普通の空間だった。
「こっち」
先客が小声で先を促す。奥に入ってしまえば外からは見えなくなる。
本殿には行かず、拝殿奥から脇に入ると、住居と思われる小さな建物があった。こちらも新築のように美しく、掃除も行き届いてるようだ。
入口の引き戸には鍵が掛かっていなかった。少し力を入れただけで、スッと開いた。
入ってすぐ、狭い土間で一瞬靴を脱ぐのを躊躇ったが、土足という訳にもいかないと急いで脱いで片手に持った。
中は襖のない板張りの部屋で、文箱の載った机が1つ。あとは箪笥がひとつ。腰ぐらいの高さに生け花が飾られた神棚のようなものがひとつ。壁には儀式に使うのか、神楽鈴が掛けられている。
「急ごう」
まずは文机の上にある文箱を開ける。ここが一番、チケットがありそうに思えたからだ。
中にあったのは、筆と硯。そして、和綴の帳面だ。チケットが挟まっていないかと、帳面をめくる。
「ん……? なんだこれ……」
中に筆で書かれていたのは、文字に似た何かだ。イメージの漢字と言った方が良いかもしれない。暗号かもしれないが、文字ではなく、全く読めない。
(『お護り様』の真似事かな……)
1頁ずつ確認したが、チケットはなかった。
文箱の中には他に何もなく、持ち上げてみても、下にも何もない。
(次は……)
先客は箪笥を調べている。
じゃあ、と恒一は神棚に向かった。
神棚にはしめ縄と紙垂が掛けられ、両脇に白い菊の花が添えられている。その奥に神社本殿を模した小さな建物が安置され、その前には鏡や神饌が置かれている。
まずはじっくりと観察して、チケットがありそうな場所を目で探る。しかし、見える範囲にチケットらしき紙片は見当たらない。
他人の家の神棚に触れるのに抵抗はあるが、そうも言っていられない。神饌の置かれた台を持ち上げてみたりして探っていると、奥の建物の模型の扉が開きそうなことに気付いた。
扉の前にある鏡をそっと退け、扉を開けてみると、中に白木の位牌のようなものがあった。それを避けて中を見ても、何もない。
位牌にはカバーのようなものが掛かっていた。念のために外してみると『守宮澄 刀自命』と墨字で書かれていた。……やはり、手がかりになりそうなものはない。
(ここでもないか……)
位牌を戻し、扉を閉める。
先客の所に行くと、彼は中に入っていた着物を1枚1枚、チケットが挟まっていないか確認しているようだ。
(どうだった?)と、目線で問われ、首を左右に振る。先客も着物を探りながら(こっちも)という風に首を振った。
チェックが終わった着物を畳まずに箪笥に戻していく。0時になれば元通りになると知っているからだろう。
(無駄足だったか)と落胆しつつも長居は出来ない。先客を促して、早く戻ろうとした時、先客が神棚に目を留めた。
「え、あれ……」
思わず声が出たといった感じの先客に釣られ、神棚を見る。すると、神饌の台の上に薄水色の紙片が置かれているのが目に入った。
さっきまで間違いなく、そんなものはなかった筈なのに。
先客が素早く、忍び足で神棚に近付き、紙片を手に取った。
「これ、チケットだ。……でも、1枚だけ?」
「どこから出てきたんだ? さっき見た時はなかったぞ」
「あ……」
良く見ると、模型の前に置かれた鏡が、薄っすらと光っている。表面が、内側から呼吸するみたいに、わずかに明滅していた。
(これ、怪異の中にいた人の、巫女の気配がする。……じゃあ、チケットはあの巫女さんが?)
引き寄せられるように、そっと指先で鏡に触れる。
ひやりとした感触と同時に、頭の奥に、直接何かが流れ込んできた。
――――――……ンデ……ワタ……ヲ……ンデ……
言葉になりきらない、欠けた音。
それでも、何かを伝えようとしているのが、はっきりと伝わってくる。
――――――……ガイ、…………デ…………
途切れ途切れの音が、無理やり引き伸ばされるように歪む。まるで、水の底から声を出しているみたいに。
恒一は、消えかけの光に向かって、小声で呼びかける。
「どうして俺を呼んだんですか? あと、チケット、もう1枚もらえませんか?」
自分でも場違いだと思うくらい、現実的な要求だ。けれど、今にも消えてしまいそうな気配に焦っていた。
――――――………………、…………
返ってきたのは、意味を結ばない沈黙だけだった。
光が、ひときわ強く脈打つ。
次の瞬間、ふっと、——何かが、途切れた。
「あ……」
思わず声が漏れる。
さっきまで確かにあった気配が、完全に消えていた。まるで最初から何もなかったみたいに、鏡はただの古びた面に戻っている。
先客は何も気付かなかったのか、チケットを見つめたまま黙っていた。
(ダメか……)
もう一度神棚を隅々まで探してみたが、やっぱりチケットはこれ1枚しかなかった。
(仕方ない。帰ろう)
口パクで先客に合図して、怪異の家から出る。
拝殿に出る前に、外の様子を窺うと、参拝する住人が時々現れるだけで、怪異の姿はなかった。
神社を出て、何事もない振りで元いた家に戻る。
怪異の姿はなく、住人の様子も特に変化はなかったが、それでも木戸を閉めたら、一気に緊張が解けた。
へなへなと崩れるように上がり框に座り込んだ。
「あー、メチャクチャ緊張した……」
「うん……」
ここまで無言だった先客も、やっと人心地ついたようだ。
「……でも、1枚しか手に入らなかったね」
先客がポケットに入れていたチケットを大事そうに取り出してじっと見ている。
「これ、僕には使えそうにないし……1枚ってのは、そういう意味なのかも」
受け取って確認すると、裏面に名前欄があった。その横には『必須』と書かれている。
「きっと、僕が名前を忘れたから、1枚なんだよ。……もう、ここの住人になってしまってるのかも……だから、旅人が使ってよ……」
諦め半分、自棄半分といった先客に、恒一は不敵な笑みを浮かべる。
「馬鹿だな、諦めるのは早すぎるだろ。まだやれることが残ってる」
「やれること……?」
「正解なんてわかんねえ。でも、足掻くくらいは出来るだろ」
先客が恒一に縋るような目線を向ける。
かろうじて泣いてはいないが、目元は赤く染まっている。その心細そうな表情を見ていると、滅多に発揮されない恒一の男気がむくむくと湧き上がってくる。
(くそー、放っとけないって!)
自他ともに認める安全牌の男として、恋愛とは全く無縁の人生を歩いてきた。こんな状況下で年下(しかも美形)と両想いになって、頼られて、ここで頑張らなくて、いつ頑張ると言うのだ。
「そうだな。……まずは先客の名前なんだけどさ。どうにかして思い出せないかな、と思ってさ。ほら、俺と話してる時にも、急に思い出しただろ? 何か、きっかけがあれば思い出すんじゃないか?」
「ううん、自分では、わかんない……」
困り切った顔で首を傾げる仕草も可愛い。
いかんいかん、浮かれてる場合じゃない。
「少しでも、何か覚えてないか? 苗字の1文字だけとか、字画が多かったとか、中性的な名前だったとか」
「ううーん……」
何か、手がかりになりそうなもの……と、いろいろ思い付く限りを口にしていく。
「じゃあ、こっちに来た時の荷物とかは? 財布とか、スマホとか……」
「わかんない。持ってたのかも……」
「んー……」
劣化しないとはいえ、手元から離してしまえば手掛かりはない。じゃあ、現在身に付けているものにヒントはないだろうか、と考える。
「……パンツに名前書いてるとか」
「幼稚園児じゃないんだから」
「まあでも、何かヒントとか……」
改めて先客の格好を見る。
赤いジャンパーが目に付くが、その下のトップとボトム、どちらも薄手の夏物だ。その格好からちょっと浮いた色褪せたオリーブグリーンのキャップ。
「ごめん、ちょっと帽子を見せて」
「うん、いいよ」
キャップを外すと、ふわっと明るい色の前髪が落ちてきた。思ってたより髪が長い。似合っているけど、帽子を被っていないと、邪魔そうだ。
先客が前髪をかきあげながら、手渡してきたキャップを受け取る。特に特徴はないな、と思いながら裏側を見ると、こすれて薄くなったマジックの文字を発見した。
「YANA、GASE……やながせ、これ、苗字じゃないのか?」
「え? ……あ、そうかも……、……?」
言われて初めて気付いたように、先客がキャップを見る。
「……いや、これ、僕のじゃない」
「え?」
「これ、もらった。……ヤナガセって、誰だっけ……?」
しばらく考え込んでいたが、目を瞬きながら顔を上げる。は、と一瞬、呼吸が止まったのがわかった。
「……あ、……柳ヶ瀬、さん、……」
「思い出せた?」
「僕と同じ、迷い人で……」
「その人は? 脱出したのか?」
今、ここにいないということは、そういうことじゃないのか。
「違う、住人になって…………ああ、そうだ。村の外れ……川の側に……住んでる」
「そうなのか……」
じゃあ、失敗したのか。
知り合いが住人化したのなら、心穏やかではいられないだろう。イヤなことを思い出させてしまった。
しかし、手がかりになりそうなのは確かだ。住人になったとはいえ、知人だったのなら、何か情報は得られるかもしれない。
「……ごめん、辛いだろうけど、会いにいってみよう。ひょっとしたら、何かヒントがあるかもしれない」
「うん……」
先客の表情は冴えない。
会いたくないという気持ちがひしひしと伝わってくるが、それ以上に帰りたいという意思は強いのだろう。ぐっと目線を上げて前を向いた。
「行こう、旅人」




