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第8話:チケットの在処と吊り橋効果


  

 カタン、と木戸が開く音が遠くで聞こえた気がしたが、反応は出来なかった。

 その時。

 

 カーーーン……

 

 意識の隅で、鐘の鳴る音が響いた。

 

「良かった。0時だ……」

 

 先客のホッとした声がすぐ近くに聞こえた。

 

 カーーーン……カーーーン……カーーーン……

 

 

 

「……え、なに」

 

 急速に意識が浮上して、自然と瞼が開いた。

 嘘みたいにぱっちりと目が覚める。

 

「……やっぱり怪異が力を使ったから、今回も早かったみたいだ」

「えっと、まさか?」

 

 まるで麻酔でも使ったのかと思うほど、全く痛みを感じなくなっている。恐る恐る右手を上げてみると、普通に動いた。

 

「……うわ、本当だ……」

 

 ついさっきまで、熱を持ちズキズキと痛んでいた右手が完全に元通りだ。

 手でグーパーしても、指をバラバラに動かしても、違和感すらない。

 

「え、うそ、マジ?」

 

 飛び起きて、タオルを剥ぎ取り、腕を回してみる。全く異常がない。

 さっきまで血まみれだったタオルが、綺麗な状態で周囲に散らばっている。裂けて血まみれになっていた服もすっかり元の状態に戻っている。

 

 痛みが無くなったことで、冷静になった頭がこの世界の異常性を理解して、ぞぞぞぞぞっと悪寒が走る。こんな、あり得ない力を持った怪異。呼ばれた気がしたから大丈夫なんて、良く思えたもんだ。

 簡単に話し掛けて良い存在じゃなかった。ヤバい、ヤバすぎる。

 

「夢って言われた方が余程信じられる……」

 

 現実に打ちのめされている俺とは逆に、安心した先客は気が抜けた様子だ。

 

「はー……良かった。すっごい血が出てたから、本当に死ぬかと……鐘まで保ってくれて、良かった……」

「ほんっとうに、ごめん!」

 

 先客はぐったりと頭を垂れている。

 本当に軽率な行動を反省しないといけないと、両手を顔の前で合わせて何度も謝罪していると、はあ、と先客が呆れきったような息を吐いた。

 

「あのさ……」

「はい」

 

 真剣な表情の先客に、思わず背筋が伸びる。

 

「……僕、神社に忍び込んでくる」

「は? なんで?」

「……あのさ、チケットって、どこから出てくると思う?」

 

 ふいの質問に、俺は少し考える。

 

「……賽銭箱の前って話じゃなかったっけ……」

「それ、毎回怪異がその場で作ってると思う?」

「そりゃあ、これだけの村を作れるぐらいだから、チケットぐらい簡単だろ」

「僕は、そうは思わない」

 

 先客は自分の考えを述べるために、俺の近くににじり寄った。

 

「怪異は0時の鐘で一気に村を元に戻すんだよ。それ以外に力を使っているところは見たことがない。例外は旅人がやられたような攻撃の時だけ。それだって、物を作り出してはいないだろ?」

「うん?」

「つまり、チケットも最初から作ってあって、それを渡してるんじゃないかと思うんだ」

「待て、それじゃ話がおかしい。0時になったら元に戻るんだろ? せっかく渡したチケットが怪異の元に戻るじゃないか」

「状態が戻るだけだよ。ほら、このタオルだって、取ってきた家に戻ってないだろ?」

 

 畳まれてこそいないが、渡されたタオルは洗いたてのようにふわふわしていた。

 

「なるほど、あくまで物質的な時間経過をリセットしてるだけってことか」

 

(じゃあ、あの血も、痛みも……)

 

 何枚もあった血まみれのタオルと感触から、それなりの出血があったと思う。だけど、それが消えているということは、体の中に戻ったということか。

 痛みの記憶は、生々しくまだ残っている。だけど、身体的ダメージは残っていない。この不思議な感覚は、まさに悪夢を見たあとのようだ。

 

「そう、だから、大事なものは無くさないようにね。壊れても元には戻るけど、無くしたら終わりだよ」

「わかった。気を付ける。……しかし、不思議だな。ここまで元の状態を保とうとしてるのに、どうして迷い人が現れるんだ? 何をしでかすかわからない異分子に、何かメリットがあるのか……?」

 

 思ったままを話していると、先客が思い出したように口を開いた。

 

「この村を変えられるのは、迷い人だけだって、誰かが言ってた気がする……」

「変わってないじゃないか」

「変わってるよ。……迷い人が来なければ、この村はずっと江戸時代のままで閉じてたんだって。それが、新しい家が出来て、新しい住人が来る。時間は止まってるけど、変化はしてるんだよ」

「たしかに……」

 

 神社を中心とした一帯は、昔の建物(江戸時代なのか?)ばかりだ。バス停から神社に来るまでの道を思い出せば、まるで時を遡っているように思えた。

 

「とにかく、僕は神社に行くよ」

「怪異はどうするつもりなんだ? さすがに危なすぎるだろ……」

 

 再び神社に侵入する話に戻った。

 当然、賛成できるはずはない。

 

「怪異は『お護り様』として、村を巡回するんだよ。その間は神社に戻ってこないから、隙を狙うつもり」

「……それは、確かなのか?」

 

 そうか、俺が初めて村で見た時の怪異は、巡回中だったのか。

 いや、しかし、隠れて侵入して鉢合わせでもしたら、今度こそ殺されるかもしれない。それはさすがに危険すぎる。

 

「前に、怪異がいない時を見計らって、神社に行ったことがあるんだ」

「大丈夫だったのか?」

「その時は拝殿までしか行ってないけど、普通に賽銭箱の奥には入れたし、怪異が戻って来ることもなかった」

 

 怪異は『お護り様』として、村で生活している。だから、こちらがイレギュラーな行動を起こさない限りはその枠からはみ出ることはない、と先客は言う。

 

「ううーん」

 

 しかし、村から脱出しようとする(=バスのチケットをもらう)や、『お護り様』の居住区に侵入するというのは、立派にイレギュラーな行動に入るんじゃないか? と考えると、やはり危なすぎる。

 

「ダメだ。せっかくバスが来るのに……わざわざ危ない真似することないだろ」

「だからこそ、万全を期したいんだって」

 

 先客は引き下がらない。

 先に無謀なことをした自分としては、あまり強く言えないが、ここは理屈じゃない。先客を危険な目に遭わせられない。

 怪異に吹き飛ばされて怪我を負ったのが、先客だったらと考えるだけで、居ても立っても居られない。絶対にダメだ。

 

「大丈夫、上手くやる。旅人みたいに油断はしない」

「いや、でも……」

 

 先客はもう決めたとばかりに立ち上がった。

 

「とにかく、もうしばらくここで休んでて。傷は治っても、精神的なダメージはすぐには回復しないから」

「待てって、ひとりで行くつもりか?」

 

 慌てて恒一も立ち上がる。

 ここで先客が怪異にやられてしまったら、後悔なんてものじゃ済まない。

 

「とにかく、俺も行く」 

 

 どうやって止めればいい?……いや、神社に行くより良い方法はないのか?

 一緒に、元の世界に戻りたい気持ちは同じなんだ。

 

「とにかく、俺も行く」

「ダメだって」

「もう体は治った。連れてってくれなくても、勝手に着いてく」

 

 怪我の痛みを思い出して、萎えそうになる心を奮い立たせる。

 例え、また怪我をする羽目になったとしても、それこそ、殺されたとしても、先客一人で神社に行かせる選択肢はない。

 もしもの時は、俺が……。

 

(あれ……?)

 

 ふと気付いた。

 どうして、俺はこんなに必死になってるんだろう。

 

 いや、縁あって一緒に脱出しようと決めた相手を心配するのは当たり前だ。先客だって、俺の怪我を心配してくれたし、看病もしてくれた。逆の立場だったとしても、俺も同じようにしたはずだ。

 

 そうじゃなくて。

 先客にもしものことがあったと考えるだけで、狂いそうに不安になる。何としてでも守ってやりたいと思う。先客のためというより、むしろ自分のためだとすら思える。

 ここまでの強烈な感情。今まで感じたことがあっただろうか?

 

(あー……、ひょっとして、これ、吊り橋効果ってやつか?)

 

 確かに、美少女と見間違うくらいの美形で、性格だって可愛いと思う。泣いた顔も可愛かったし、何なら色気すら感じたぐらいだ。

 でも、男だぞ、と自分に言い聞かせている時点で、答えは見えていた。

 

「絶対に行く」

 

 力強く断言すると、先客が狼狽える。

 

「なんで……」

 

 綺麗な眼がまたきょろりと周囲を巡る。どうにかして止めさせようと思っているんだろう。だけど、先客だって不安な筈だ。俺が怪異にやられたのを目の前で見たんだから。

 

「行くったら、行く」

「だから、なんで……」

「理由は同じ。俺もひとりになるのはイヤだから」

 

 単純なもので、自分の気持ちを自覚した途端、すとんと覚悟が決まる。

 そうだ、俺は、名前も知らないこの子が好きなんだ。

 

「……絶対に、帰りたいんだ。覚えてないけど、でも、ここにいるのはイヤだ」

「うん、帰ろう」

「でも……」

 

 ぐっと先客の喉が動く。

 

「怖いんだ。……記憶が朧げで、自分が何者かもわからなくて、ただ怖くて……」

 

 声が震えている。また泣いているんだろうか。

 

「もし、このまま記憶が戻らなくて、元の世界に戻っても、誰も僕を覚えてなくて……そう思うと、全部、怖い……」

「そっか……」

 

 心細そうな様子に思わず手が伸びて、抱きしめてしまいそうになる。それをぐっと堪え、背中を撫でる。

 こんな状況につけ込むのは良くない。だが、適当な慰めも言えない。

 

「でも、ここにいるのはイヤなんだろ」

「……うん」

「じゃあもし、帰る家がわかんなかったら、うちに来いよ」

「え……?」

 

 先客がぱちっと目を瞬かせた。涙が一雫、頬を伝うのを見て、庇護欲が沸き立つ。

 下心がないとは言えないけど、守ってやりたいという気持ちは本心だ。

 

「ワンルームだから狭いけど、それは我慢しろよ」

「え、でも……」

「お前のこと覚えてるやつがいなくても、俺は覚えてるし。戻りさえすれば、何とかなるだろ」

 

 う、あ……と小さい声を発したあと、先客の涙腺が決壊した。

 

「……ぞ、ぞんな……ひぐっ、言わないでよ……」

「いいだろ。これで、心配事のひとつぐらいは消えただろ」

 

 先客が抱えている不安の全てを知ることは出来ない。

 だけど、これからのことなら別だ。気休めの提案かもしれないが、無事に二人揃って脱出出来たら、それも悪い話じゃないと思った。

 

「た、旅人……」

「なに」

 

 先客が泣き顔のまま、見上げてくる。

 涙で潤んだ瞳がきらきらと光を反射させている。それが、とても綺麗だと思った。

 

「……自分でも、はっきりしないんだけど……」

「うん」

 

 ごしごしと涙を雑に拭って先客が顔を上げる。

 

「僕、旅人のことが好き……かも」

「…………」

 

 突然の言葉に、ピキッと固まってしまった。

 

「……え? ……あ?」

 

 言葉が出てこなくて、人差し指で何度も自分を指した。

 

「……イヤだった? ごめん……」

「あ、いや、違う、違う、これは、びっくりして……っ!」

 

 焦って、どもって、挙動不審になってしまう。だって。

 

(うわ、うわ、人生で初めて告白された……! しかも、これって、両想いか!?)

 

 自分で吊り橋効果を疑っていたぐらいだ。俺よりずっと不安だった先客の身に起きても不思議はなかったのかもしれない。

 

「俺も、先客が好きだ」

「……うん、良かった」

 

 先客の形のいい唇の端が、少しだけ持ち上がった。

 

「……なんか、絶対に二人で戻ろうって気になった」

「僕も……」

 

 ドキドキしながら、俺より随分と小さい手を取った。柔らかくて、暖かい。

 

「……えへ」

 

 頬を赤らめ、そっと笑う先客は、とても可愛かった。

 

 


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