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第6話:神社の怪異。奥に潜む『誰か』の視線

 

 時刻は無視して。

 

 神社は早朝の清廉な空気に包まれていた。

 白く磨かれた玉砂利に、切り取られたばかりかと思うような石灯籠。

 新しいだけじゃない。この場所だけ、村の建物とは明らかに造りが違う。神聖で触れるのを躊躇うほどに。

 そして正面に待ち構えている鮮やかな朱色の鳥居。土台となっている石積みは大きく、上部に楕円形の『霧守神社(きりもりじんじゃ)』と書かれた額があるのも特徴的だ。それを飾るように美しいしめ縄と紙垂が揺れている。

 その鳥居を二人で見上げながら、思わず感想が口から漏れた。

 

「……怪異がいるとは思えないぐらいに綺麗な神社だな」

 

 そう大きい神社ではないので、拝殿まで真っ直ぐに見えているが、怪異のいる気配もない。神々しい雰囲気だけが伝わってくる。

 

「よし、行くか」

 

 一歩踏み出そうとして、隣にいる先客が動けないでいるのに気付く。

 ああ、怖いんだ、と雰囲気で察して腕を取ってやる。

 

「敷地内に入るぐらいなら平気なんだろ? 俺がいるから心配すんな」

 

 自分でも根拠のない自信だと思うが、行かなくちゃいけないなら、虚勢ぐらいいくらでも張ってやろう。

 

「うん」

 

 先客は腕を引くと素直についてきた。

 そのまま、ゆっくりと朱色の鳥居をくぐった。

 

 次の瞬間、唐突な圧が掛かった。

 

 そして、音が消える。

 早朝の静けさの中にあったのに、それでも微かな葉擦れの音、遠くの鳥の声があったのだと気付く。今は、耳が痛くなるほどに全くの無音だ。

 

 そして、自然と視線が向いた拝殿奥、賽銭箱と鮮やかな紐が下がった鈴のさらに奥、そこに怪異はいた。

 

「おお……」

 

 思わず声が出た。見たのは二回目だが、こうしてじっくり見るのは初めてだ。

 距離にして20メートルぐらい離れているだろうか。怪異の全身がよく見える。初見では黒い靄としか認識出来なかったが、こうして見ると、なるほど人型と言えなくもない。

 

「旅人……あの怪異がどう見えてる?」

「え? ああ、うん、何となく人の形には見えるけど」

 

 質問の意図を測りかねたが、素直に答える。

 

「僕には、あの怪異が、不気味な巫女さんに見える……」

「え?」

 

 それは、人によって怪異の姿が違って見えるということか。

 確認しようと先客の顔を見ると、額に脂汗が滲んでいるのに気付いた。

 

「……大丈夫か? 苦しい?」

「違う。……情けないけど、怖い」

「一時撤退するか? 別に神社は逃げないだろ」

「旅人は、平気なのか?」

「いや、充分怖いけど……」

 

 言われてみて、初見時より怖さを感じていないことに気付く。それより、訳のわからない世界で一人ぼっちだった時の方が余程怖かった。自分より怖がっている人間がいると、逆に冷静になるというが、それだろうか。

 

「んー……」

 

 先客が戻ろうと言わないので、その場に立ったまま観察する。

 特にこちらに興味がないのか、それとも神社では定位置から動くつもりがないのか、怪異は黒い靄をゆらゆらとさせて佇んでいるだけだ。それが逆に怖くもあるが。

 

「ちょっと、どいてちょうだいな」

 

 いきなり背後から声を掛けられて、飛び上がるほどにビックリした。

 慌てて振り返ると、着物姿のおばさんと小さい男の子の二人連れが鳥居の前に立っている。どうやら、お参りの邪魔になっているようだ。

 

「あ、すいません。どうぞ」

 

 自然に場所を譲り、石畳の参道から脇に避ける。

 ガラガラと鈴が鳴り、パンパンと柏手の音が響く。

 

「なむなむー」

 

 子供の声が聞こえてきた。その前にいるのが黒い怪異でなければ、とても穏やかな光景だろう。

 その時、怪異がゆらりと、ゆっくり動いた。

 あ、と思った時には遅く、怪異の手らしき部位が子供に伸びる。

 

(まさか、子供を……?)

 

 愕然として見詰めるしか出来ない恒一の目の前で、子供が笑う。

 

「お護り様、ごきげんよぉ」

 

――――キュリ、キュリ……

 

 小さな、高い音が聞こえる。まるで、子供の言葉に返事をしているようだ。

 黒い手は、子供の頭に伸ばされ、触れ、ゆっくりと撫でているようだ。

 

「いつも見守りくださり、ありがとうございます」

 

 母親もふたりの姿を見て、微笑んでいる。

 作られた笑顔なのかもしれないが、これまでの住人の様子と違い、全く違和感を覚えない。自然な、親子の参拝風景だ。

 

――――キュリ、キュリ……

 

 やがて親子は手を振って拝殿を後にした。俺達の横を通り過ぎる時に、軽く目礼され、俺も釣られて頭を下げた。

 

「ちょっと、あまり親しくしたらダメだって」

「あ、いや、ごめん、つい」

 

 先客に突っ込まれて気付く。今、普通の親子に接するようにしてしまった。

 

「危ないってば。そんなじゃ、怪異にあっさりと取り込まれるよ」

「いや、大丈夫だろ」

 

 住人たちは動く死体だと言う。だけど、この世界はそれで成立している。むしろ異分子は俺たちだ。だから、帰る。それだけの話を、怪異にわかってもらうだけのことだ。

 

「……ちょっと、俺、試してみたいことがあるんだけど」

「え? まさか、もう祈るつもり?」

「いや、さすがにそれは失敗した時のリスクがデカいから、もうちょっと情報が欲しいかな……そうじゃなくて、普通に怪異と話してみたいんだけど」

「えええええ??」

 

 静かな境内に大きな声が響き、怪異の視線がこちらに向いた、気がする。

 

「先客こそ、ここでデカい声出すなよ」

「……旅人が、馬鹿なこと言うからだろ……」

 

 一気にぼそぼそと小さくなった声で先客は文句を言う。

 

「大丈夫だと思う。あの親子を見ただろ、いきなりここで襲ったりはしないんじゃないか?」

「そんなはずない。失敗した人が殺されたのは、ここなんだよ?」

 

 先客と話しながら、怪異を盗み見るが、やはり特に動く様子はない。

 今も怖いし嫌な気配も感じるが、それよりも清浄な……化け物に対しておかしな感覚だが、それを感じる。

 この場が『そういう場所』というだけで、化け物がそう擬態しているだけかもしれないが、それでも……

 

「大丈夫な、気がする」

 

 村に入る前に感じた、“呼ばれている”感覚。

 それが、神社に入った途端、はっきりと形を持った。

 

――――キュリ、キュリ、キュリ……

 

 怪異が、恒一に向けるように、微かな音を出した。

 

「旅人……やめて」

 

 青い顔をしている先客の手が、強く恒一の腕を掴んだ。しかし、恒一は安心させるように笑う。

 怖くない訳じゃないが、俺は『名無しの旅人』だ。

 いつまでも、ここにいるつもりはない。

 

「ちょっと離れて……鳥居の外にいてくれ」

「旅人っ!」

 

 拓海の手を優しく外して、ゆっくりと参道に戻った。正面を向くと、怪異はこちらの様子を伺っているようだ。

 そのまま拝殿に向かって脚を進める。

 緊張で心臓が高鳴るが、これは恐怖のせいじゃない。何か、得体の知れない、でも期待もある、そんな緊張感だ。

 

 やがて、拝殿の入口に着いた。賽銭箱にはまだ遠いが、ここまでにしようと、恒一は決めた。

 

「…………」

 

 数メートルの距離を挟んで怪異と向き合う。

 

(俺の直感が正しければ……)

 

 恒一は覚悟を決めて、怪異の顔と思しき部分に目を向ける。

 

――――キュリ……

 

 怪異が応えるように鳴いた。

 見た目は恐ろしいというのに、この距離にまで近付くとはっきりとわかる。怪異の中、その奥に、明らかに異質な神聖さを感じる。

 恒一は目を薄めて、怪異の靄の向こうにいる『誰か』に意識を向ける。

 

 俺を呼んでいる。

 ずっと呼んでいた。

 

(お前は、誰なんだ……?)

 

 悪い気配じゃないのはわかる。

 だが、油断しちゃいけない。

 

 意識を目の前の怪異に向け、慎重に気持ちを傾けていく。経験はないのに、自然とどうすればいいのかがわかる。

 

――――キュリ、キュリ……

 

 周囲から切り離されるように、自分と怪異以外のものがぼやけてきた。だが、不思議と不安は感じない。

 慎重に、だけど少しずつ、立ち位置はそのままに、意識が怪異に近付いていく。


――――キュリ、キュリ、……レタ、……キュリ、

 

 見た目は黒い靄のままなのに、穏やかそうな年配の女性が二重写しのように見えてきた。

 

――――ヨウ……ソ、キリ……リムラヘ……キュリ、

 

 音にはならない、意識が伝わってくる。

 

(お護り様でいいのかな。俺は『旅人』だ)

 

――――タビビト、……デテユク、オヒト……

 

(そうだ、俺は帰る)

 

――――キュリ、……

 

(バスのチケットをくれないか?)

 

――――アナタノ、ナマエ……ハ?

 

 ゆっくりと意識を同調させながら、怪異の様子を注意深く窺う。

 二重写しの巫女は、変わらず穏やかな表情を浮かべている。この姿は住人に見せている『お護り様』の姿だろう。

 まだ、違う。この奥にいる。

 

(あと、もう一人、『先客』の分もチケットが欲しい)

 

――――センキャク、……デテユク、オヒト……

 

 ゆらり、ゆらり、靄が周囲に漂い出す。

 注意深く、その端に意識で、そっと触れてみる。

 ゾクリとするような嫌悪感に怯むが、同時にその向こうにある、……感情のようなものが伝わってきた。

 言語には出来ない。温かい、……慈悲? 困惑、後悔……深い愛…………救済を求めている……?

 

――――アナタノ、ナマエ……ハ?

 

(チケットをもらうのに、名前は必須なのか?)

 

 怪異と意思疎通を試みながら、その向こうの感情を読もうと神経を研ぎ澄ませる。

 精神的な負荷が掛かっているのか、軽い目眩を感じる。手指の先も冷たくなってきた。

 

――――ナマエ、……キュリ、ナマ……エ……、キュリ、……キュリ……

 

 (ここまでか)

 

 怪異の向こうに、こちらから呼びかけてみているが、反応は薄い。

 それより先に怪異の方が異変を感じたらしく、同調が緩んできた。

 

――――キュリ、キュリ、キュリ、……キュリ、キュリ……

 

(俺の名前は”まだ”言えない)

 

 怪異の言葉が意味をなさなくなってしまった。

 チケットをもらうという意味では失敗だが、コンタクトの初回と思えば悪くない結果じゃない。

 こちらからも意識をずらすと、上手く同調は切れた。

 ブワッと一気に視界が広がり、周囲の様子が戻ってきた。

 

「……え」

 

 ぱち、と瞬きすると、目の前に無表情な女の顔があった。

 

「旅人ーーっ!!!!」

 

 いきなり先客の大声が聞こえた。

 

「しっかりしろ! 旅人っ! おいっ! 旅人ぉぉっ!!!!」

 

 一気に戻って来た意識。眼前の女の顔に驚いて、一瞬パニックになる。

 だから、目の前の女の体を突き飛ばしたのは、反射的だった。

 

 ドンッ!

 

――――――タスケテッ!

 

「えっ!?」

 

 突き飛ばした反動で、2、3歩後ろに後退る。

 そこで自分が立っているのが、拝殿の最前だったと気付いた。

 

「いつの間に……」

「おい、大丈夫かっ!」

 

 駆け寄ってきた先客に腕を捕まれ、拝殿の外に連れ出された。

 

「え、先客……?」

「いいからっ! 逃げるぞっ!」

 

――――キュリ、キュリ、キュキュキュ、……キュリ、キュリ!

 

「へ?」

 

 後方へ視線を送ろうとしたが、その前に先客に強く腕を引かれた。

 

「追ってきてる! 早くっ!」

「えっ、えええっ!」

 

 ブワッと後ろから強烈な圧が襲いかかってきた。恐怖に硬直した脚が地面に縫い止められたように動かなくなる。

 

――――キュキュキュ、……キュリ、キュキュキュ……

 

 圧倒的な黒、闇、悪意。

 ぎゅうう、っと心臓を掴まれるような、圧迫感、……飲み込まれる!

 

 ガツンッ! 

 

 突然、右腕に衝撃が走り、恒一の体は地面に叩きつけられた。

 

「がふっ!」

 

 衝撃に声が漏れ出た瞬間、強烈な痛みが全身を駆け抜けた。

 

「っ……う、うわあっ……あ”あ”あ”あ”~~~っっ!!!」

 

 体が勝手に跳ねるように痙攣する。腕が変な角度に曲がっているのがわかる。おそらく皮膚も裂けた。庇うように伸ばした左手が触れられないぐらいに痛い。

 

「あ、あ”あ”……ああ……ゔゔっ」

 

――――キュリ、キュリ……

 

 怪異の音に、危機が去っていないことを知り、痛みの中、無理に瞼をこじ開けた。

 

「ゔ、ゔ、……はぁっ、はぁっ……ぐぐっ、ゔゔ……っ」

 

 どうやら鳥居の外にまで吹き飛ばされたらしい。鳥居の向こう、神社を背に怪異が近くまでやってきていた。靄がゆらりゆらりと大きく揺れ、怒っているのだと感じた。

 

(突き飛ばしたから、怒ってるのか……?)

 

 しかし、怪異は鳥居をくぐってまでは近寄ってこなかった。しばらくこちらを凝視していたが、やがてゆっくりと拝殿へと引き返していった。

 

「……ゔぐぅっ!」

 

 僅かに安心した途端、再び強烈な痛みが戻ってきた。おそらく右手は折れてるだろう。押さえた左手に生暖かい液体の感触がある。結構な出血もあると見た。しかし、それらを確認する前に、視界が急速に霞んでいく。

  

「大丈夫かっ! しっかりしろっ!」

 

 先客の声に、返事をすることも出来ない。

 

(先客は、怪我してないか……? ダメだ、もう目が……)

 

 視界が揺れ、世界がぐにゃりと歪む。

 右腕が燃えるように熱い。耳の奥では脈がガンガンと鳴っている。

 

 そのまま俺の意識は途切れた。


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