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第16話:真名の呪縛。巫女『守宮澄』を解き放つ声

 

 ゾワゾワとする悪寒を堪えながら、村の方向に目を向ける。

 

(やっぱり、来たか……)

 

 まだ姿は見えないが、明らかにヤツの気配が近付いている。

 鐘の音でバスが来たことに気付いたのかもしれない。逃がすつもりはない、と言われているようだ。

 

 ドッドッドッド……、プシュー……

 

 そうこうしているうちにバスが先に到着した。

 プシュー、ガチャン、と重い音が響き、車体前方の扉が開いた。

 

「珍しいな。今日は二人か」

 

 運転手はここに来た時と同じ人物だった。

 3日ぶりに見ても、やはり人形のように表情はない。それでも、元の世界へ送り届けてくれると思うと、なぜか親しみを覚える。

 

「チケットを」

 

 運転手は拓海に手を差し出した。

 拓海は一瞬俺の顔を見たが、頷くと素直にチケットを取り出す。

 

「確認した」

「あっ」

 

 運転手が言った途端、チケットは一瞬だけ青い炎を上げて燃え尽きた。

 呆然とする拓海に手で乗れと合図を送ってから、俺の方を向いた。

 

「キミも」

 

 ゴクリ、と喉が鳴る。

 拓海がおずおずとバスに乗るのを横目で確認して、深く息を吸い込んだ。

  

「あの、俺、チケット持ってなくて……でも、」

「問題ない。ここに来る意思はなかったと、3日前に確認している。名前を」

「……は、」

 

 運転手の言葉に、意気込んでいた気合が一気に抜ける。

 

「須々木恒一です」

「確認した。さあ乗って」

 

(……助かった……!)

 

「旅人! 早く乗って!」

 

 安心感のあまりぼうっとしていたら、拓海から叱咤が飛んだ。

 見ると、打ち合わせ通りの位置にある窓はすべて開かれ、手にはロープが握られている。

 慌ててバスの乗降口に向かうと、ボンッ、と見えない何かに弾かれた。

 

「あれ?」

 

 手を伸ばすと、そこに見えない壁のようなものがある。

 

「――どうした?」

 

 運転手の声に振り向くと、バスの周囲は黒い靄で埋め尽くされていた。

 その瞬間、全身が氷水に沈められたような寒気が走る。

 

「あ、ああ……」

 

 恐怖が追いつく前に、ガクガクガクと体が震える。

 乗降口に早く行きたいのに、足が動かない。

 

――――キュリ、キュリ、キュリ……

 

 巫女姿の怪異は見えないが、あの声だけが響く。

 

――――キュリ、キュリ、キュリ…… 

 

「こいつは、我の乗客だ。役目通り、返さねばならない」

 

 その瞬間、別の圧力が割り込むように掛かり、冷気が幾分和らいだ。

 震えは残るが、手足は動かせる。

 

「旅人っ、何やってんだっ!」

 

 拓海が乗降口から手を伸ばしてくるが、やはり壁に阻まれているようで、近付けない。

 

「くそ、何だよ、この壁……っ」

 

 ドスドスと力任せに殴るが、吸収されるようにビクともしない。

 

――――キュキュ、キュキュ、キュリ……キュリ……

 

「……お役目を忘れたか? 望まぬ者を村に留めることを、お護り様が望むと思うか」

 

 壁を叩く音の向こうで、怪異と運転手のやり取りが続いている。

 自分の力ではどうにもならず、俺は運転手の背中越しに目が離せない。

 

「――お護り様が呼んだと?」 

 

――――キュリ、キュリ、キュリ…… 

 

 ここに来て、運転手の“存在”が微かに揺らいだ。

 

「なるほど、だからお主は……」

 

 靄の圧力が増し、冷気が襲ってきたが、運転手が押し返した。


――――キュリ! キュリ!

 

 運転手の抵抗に、靄が怒りを見せる。

 境界線上で青と紫の炎が飛び散るが、どちらも退かない。

 

「だが、お護り様の意思ならば……なおさら、住人にはさせられぬ」

 

――――キュリ! キュリ! ……キュキュ! キュリ!

 

 緊迫した空気が辺りに充満する。

 運転手は怪異とやり取りしたあと、あり得ない角度で顔をこちらに向けた。

 

「ひっ」

 

 咄嗟に小さく声を上げてしまうが、無表情な顔は現状を伝えてくる。

 

「俺は送り届ける役目だ。だが、『山靄さんあいの』の考えは違うらしい」

 

――――キュリ、キュリ……

  

「さんあいの……って、名前?」

 

 場違いだが、この世界で“名前”は特別な意味を持つ。

 だから、あえて聞いておく。

 

「俺たちに名はない。呼び名は区別だ。……ともかく、あいつはお前を仲間にしたいと言っている」

「そ、それは、お断りです!」

「――だそうだ。山靄の」

 

――――キュリ! キュリ!!

 

 ギュウッと、圧力が再び上がる。

 

「こんなのは、お護り様が……、………………うん?」

 

 運転手は靄の向こうの“何か”に気付き、手を振り抜いた。

 途端、靄の一部が吹き飛ばされ、あの巫女姿の人影が垣間見えた。

 

「……お護り様……」

 

 しかし一瞬で、再び靄に包まれた。

 

――――キュリ、キュリ……

 

「…………」

 

 運転手はしばらく無言で靄を睨む。

 

「……はあ、山靄の、諦めるつもりはないんだな」

 

――――キュリ!

 

 運転手は前を向き、恒一に告げる。

 

「その壁は俺では破れない。帰りたければ、あんたが直接説得するしかない」

「……そう、ですか」

 

 目の前の靄は怒りに渦巻き、紫の炎が火花のように視界を掠める。

 とても、言葉が通じるとは思えなかった。

 

「旅人! いい、無理すんな! 危なすぎるって!」

 

 壁を叩きながら拓海が叫ぶ。

 

「俺も残るから! 別の脱出方法を探そう! だから……っ!」

「先客……」

 

 心配を掛けるのが悪くて、無理やり笑ってみせる。

 

「無理だ。チャンスは一回。ここで村に残れば、あいつはどんな手を使っても、仲間にするだろう」

「……!」

 

 運転手の無情な言葉に、拓海は言葉を失う。

 

「……成功すれば、壁は消える。失敗すれば、村に残る。それだけだ」

「…………」

 

(やっぱり、そうなるか)

 

「……いいんですか?」

「俺は役目を果たすだけだ」

 

 運転手は靄から視線を外さず、抑揚のない声で告げる。

 

「すみません。……わかりました」

 

 俺がこれからやろうとしていることを、運転手は理解しているのだろう。

 正直、ここまで来てもまだ躊躇している。

 

 だけど、帰らなくちゃいけない。拓海と一緒に。

 

「先客」

「な、なに……?」

 

 呼びかけると、不安そうな瞳が揺れる。

 

「大丈夫だから、……絶対にバスに乗る。そこで見ててくれ」

「旅人……」

 

 背を向け、靄に向かって一歩前に出る。

 境界線ギリギリで止まり、深く息を吸った。

 

 パン、パン!

 

 勢いよく柏手を打つ。

 空気が神社の境内にいるように、清浄に入れ替わった気がした。

 

須々木(すずき)恒一(こういち)!」

 

 名を呼んだ途端、視界がぐわんと歪む。

 靄の中に取り込まれたと気付いたが、声を張って叫ぶ。

 

「俺は、拓海と一緒に、元の世界に帰りたいっ!」

 

 靄は俺の存在を飲み込もうと蠢き、咀嚼するように蠕動する。

 しかし強い意志で願い続け、必死で意識を保った。

 

 足元がぐらつき、視界がチカチカする。圧力が絶え間なく加わる。

 だが、仕掛けだと気付き、観察を続ける。

 ゆっくりと体が沈んでいく。幾層にも重なった黒い靄は、わずかに色が異なり、それぞれ感情を帯びているように見える。

 

――――キュリ、キュリ……

 

 正面、一番大きな塊が『山靄の』本体だろう。

 言語化はできないが、悲しみ、慕情、慈しみ、庇護欲――怪異とは思えぬ感情が俺に向けられてくる。

 どうして、それを俺に向けるのか。

 

「悪いけど、俺は仲間にはなれない」

 

――――キュリ、キュリ……

 

 怪異からの思念らしきものが伝わってくる。

 それに触れて、胸に懐かしい気持ちが湧き上がってくる。

 

 もう取り壊されて二度と見ることはないと思っていた幼少期を過ごした家。

 夕焼けの公園で、迎えが来るまで遊び回った幼馴染たち。

 優しかった祖父と歩いた桜並木。

 中学の古びた校舎と体育館を駆け抜けて、友人たちとバカを言い合って笑い転げた日々。

 高校の時に告白して撃沈した、クラスの一番人気の女子と実習でペアになった時のこと。

 滑り止めが落ちたあと、奇跡的に受かった本命大学の合格発表日。


 次々と懐かしい光景が、浮かんでは消えていく。

 みんな暖かく、時にほろ苦い、大事な思い出だ。

  

 怪異の意図が伝わってくる。

 仲間になれば、ずっとこの世界に浸っていられる。

 辛いことも悲しいこともなく。

 ずっと。

 

 なんて心惹かれる誘いだろうか。

 傷付けられることがないと確定した過去に身を委ねる安心感。

 きっと、そこにいれば穏やかな幸せに浸っていられるのだろう。

 

(だけど、……俺には必要ない) 

 

「俺は、元の世界に帰る」

 

 心で呟いただけの言葉なのに、驚くほど大きく響いた。

 

――――キュリ、キュリ……

 

 怪異が未練がましく誘いを掛けてくる。

 無理やり仲間にするんじゃなかったのか。

 

 懐かしい光景は、止まることなく流れてくる。

 だけど、それは、

 ――“思い出”だからこそ、意味のあるものだ。

 

 ずぶり、とまた意識が降下を始めた。

 底の見えない暗い淵に、ひとり、沈み込んでいく。

 

 戻れなくなってしまう。

 根源的な恐怖に侵食されそうになった頃。

  

 やがて、重なり合う靄の向こうに、ぼんやりとした光が見えてきた。

 花びらが開くように、ゆっくりと。

 

――――キュ、キュ、キュ、キュ、キュ……

 

 急に怪異の声が近くなった。

 俺が光に接近するのを嫌がっているようで、邪魔しようとしている。

 

 心臓がギュッと締め付けられ、本能的な恐怖で体が震えだした。

 だが、腹に力を入れて弱気を吹き飛ばし、思い切って前に出た。

 

(ああ、やっと会えたな……)

 

 光は巫女のシルエットをしていた。

 

「俺を呼んだのは、あなたですか?」

 

 光は肯定するように揺らめいた。

 

――――キュ! キュキュキュ! キュ!

 

 靄が光との間に割り込むように押し寄せてくる。

 しかし、それを光が諌めた。

 

 ゆっくりと光の手が上がる。

 すると靄は、するすると道を開けた。

 反対に、恒一の意識は光へと吸い寄せられていく。

 

 淡い光から伝わってくるのは、神社で感じた清廉な気配。

 そこに、暖かく優しい慈愛が重なる。

 

(ああ……これは、ヒトの魂だ)

 

「あなたが、怪異を操っている?」

 

 確認したくて問いかけると、光が否定するようにぶるりと震える。

 

――タスケテ……


 微かな声。

 

――ズット、マッテタ……

 

 魂の言葉に耳を傾ける。

 

 怪異はおとなしく様子を窺っている。

 まるで巫女の沙汰を待っているかのようだ。

 

(……一か八か、やるしかない)

 

 パチ、パチ、

 

 小さく手を打った。

 今さら儀式めいたことは不必要かもしれないが、自分を鼓舞するためだ。

 

「俺は、須々木恒一です」

 

 軽く会釈をして、改めて巫女に向き直る。

 

「あなたは『お護り様』ですよね」

 

 ふわふわとした光を放ちながらも、巫女は微動だにしない。

 

「ここから、出たいんですか?」

 

 コクリ、と光が頷いた。

 

――――キュ、キュ、キュキュ、キュリ、キュリ……

 

 周囲の靄が、巫女の返答に反応して激しく動き出す。

 それだけで、怪異から『逃したくない』という強烈な意思が伝わってくる。

 

「…………」

 

 全てが狂った村だった。

 時が止まったまま忘れられた、死人が過ごすための村。

 生きた人間がいていい場所じゃない。もう二度と戻りたくない。

 

 それでも、怪異には、守るべき理由があるんだろう。

 

(悪いけど、――俺は帰る)

 

 すう、と息を吸った。

 正解であってくれと、祈りながら。

 

「――守宮(もりみや)(すみ)さん」

 

 キン、と一瞬、凍りついたように全ての気配が止まった。

  

「思い出して。自分のことを」

 

 祭壇奥にあった位牌に書かれていた名前。

 不自然な生け花は、葬儀が終わってまだ間もない頃。

 神座しんざには似つかわしくない、手向けられた白菊の花。

 その時点から時が止まった。

 怪異が時を止めた理由が、その人物の死がきっかけだったとしたら。

 

「守宮 澄さん」

 

 柳ヶ瀬さんは記憶を取り戻して、村から消えた。

 だったら、巫女は……


――――キュ、キュ、…………キュリ……

 

 怪異が、困惑している。

 ここにいる巫女は『お護り様』だと、怪異も思っていたのかもしれない。

 

――チガウ……

 

「え……」

 

(守宮澄、じゃない?)

 

 ドッと冷や汗が出る。

 そんな、それ以外に思いつく名前なんてない。他の方法も思いつかない。

 

(どうしよう、どうすれば、ここから逃げられる……?)

 

 必死で次の手を考えながら、巫女を凝視する。

 光はゆらゆらと揺れる。

 

――カメイ、チガウ……

 

(カメイ?……カメイ、家名、……苗字か!)

 

 そうか、『守宮』をモリミヤと読んでしまった。

 他の読み方は……しゅぐう? しゅみや?

 

(……いや、待てよ。『守宮』って、どこかで見た気がする……)

 

 苗字じゃなかったと思う。

 じゃあ、どこで?

 

(……難読漢字か? だったら、テスト? いや……)

 

 靄はたゆたいながら、ゆっくりと周辺を満たしていく。

 巫女の隙を見ながら、何としても俺の邪魔をしたいんだろう。……ということは、俺のやり方は間違っていないということだ。

 

(守る、に宮。宮って、宮殿とか、神社とかだよな。……思い出せ、思い出せ……あ、そうだ。前にクイズで見たんだ。変な雑学で……)

 

 雑念を飛ばして集中する。

 テレビの向こう、派手なセットの中で出された答え。

 

(そうだ、守宮って、イモリ……いや、違う)

 

(……ヤモリだ!)

 

 思い出した勢いで、巫女を見る。

 巫女はじっとしたままで、俺の言葉を待っている。

 

「……ヤモリ、スミさん、……ですよね?」

 

――ア、ア、……

 

 巫女から漏れる光が僅かに強くなった。

 俺はダメ押しのように、もう一度呼んだ。

 

「……ヤモリ、スミさん……! 思い出して!」

 

――――キュキュ、キュキュ! キュリ! キ、キュキュリ!!! 

 

 巫女の光が正視できない程、一気に膨れ上がった。

 ぱりん、ぱりん、と何かが弾けるように千切れていく。

 

――ソウ、ワタクシ、ハ、……ヤモリ、スミ……

 

 真っ白に塗りつぶされた世界で、清廉な声だけが響く。

 

――イカネバ、ナラヌ、バショ……ヤット、カエレル……

 

 声がゆっくりと上がっていく。

 

――――キュ、キュリ、キュキューー! 

 

 怪異の声が悲しそうに響く。

 目を閉じていても、靄が筋になって光へ伸びていくのがわかる。

 

――カンニン、ナ……カンニン、シテ、ナ……

 

 光が靄に向かって、謝罪を繰り返す。

 その声には、慈愛が含まれていた。

 

 声が小さくなり、光が段々と薄れていく。

 このまま靄の中に取り残されるのか――

 

 そう思った、その瞬間。

 

「旅人っ!!!!!」

 

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