第13話:絶望の淵で交わした約束
恒一は、周囲を警戒しながら、先客の様子を見守っていた。
幸運にも、その間に怪異が近付く気配はなかった。
そうして、体感で小一時間ほどが経った頃、先客がばつが悪そうな表情を浮かべて戻ってきた。
柳ヶ瀬のことが、よほどショックだったんだろう。
内容までは聞こえなかったが、考え込んだり、叫んだりする様子は見えていた。少しは落ち着いたのなら、良いんだけど。
「もういいのか?」
「うん……」
また泣いていたのか、顔が赤い気がする。
しかし、大人の気遣いとして、見ないふりをした。
「……ごめん、動揺して。柳ヶ瀬さんのことは……きっと、あれで良かったんだと思うけど……」
「そっか」
心配そうな表情を浮かべる恒一に、拓海は気まずそうに告げる。
「お、……僕、恥ずかしいけど、柳ヶ瀬さんのこと、ちょっと恨んでたの、思い出しちゃって……」
「……恨んでたのか?」
「うん、……その、一緒に帰ろうって言ってたのにって」
柳ヶ瀬は、先客にとって頼れる大人だったんだろう。
なのに死んで、住人になってしまった。
恨んでしまう気持ちはわかる。
「でも、柳ヶ瀬さんにも、事情があったんだよね。……そんな当たり前のことにも気付かなかった」
「そんなもん、気にすんなって」
「でも……」
「最後、柳ヶ瀬さん、お前に感謝してたじゃないか」
「そう、かな……」
いったん顔をあげ、恒一が周囲を確認する。
「……大丈夫そうだな」
恒一は先客に近寄り、耳元で小さく囁いた。
「たくみって名前で合ってるのか? あとは、苗字だけだな」
先客はハッとして、恒一を見上げた。
「あ、それ、実は思い出して」
「え、本当に?」
先客も恒一を見習って、耳元で小さく声を出す。
「うん。僕の名前は、佐原拓海。……柳ヶ瀬さんと話してるうちに、思い出したんだ」
「そうか、……そうか、良かったな……これで、バスに乗れるな」
恒一の心底ホッとした顔に、拓海は罪悪感を覚える。
「……でも、チケットは1枚……」
「先客が使うんだ。俺は運転手と掛け合ってみるから」
「そんな訳には……」
拓海はジャンパーのポケットに入れていたチケットを取り出した。
恒一に手渡そうとした時、記名欄が目に入った。
「あ……」
そこには、『佐原拓海』という文字が浮かび上がっていた。
「……これ、先客のチケットだったんだな」
「じゃ、じゃあ……旅人の分は?」
「大丈夫。何とかなるって」
拓海の名前が書かれたチケットを見て、恒一は確信を持った。
このチケットは『帰還許可証』みたいなものだ。
自分の手にチケットがないということは、まだ『許可』が降りていないということだ。
最初から引っかかっていた、俺を呼んでいる気配。
あれが、『お護り様』の奥にいた“何か”なのは、もうわかっている。
「…………あ、」
――繋がった。
そうか、そういうことか。
「旅人? 何か思いついた?」
「いや、……ううん」
(思いついたけど、これ、やっちゃマズいやつ、だよな?)
無事に現実世界に帰る。拓海も一緒に。
それが最優先なのは、間違いない。
そのために取るべき選択は――――
柳ヶ瀬が消えたあとも、二人は住民に聞き取りをしてみた。
最初は住人らしく決まった言葉しか話さなかった柳ヶ瀬が、拓海にあげた帽子を見たことがきっかけになり記憶が戻った。
だから、他の住人にも同じような可能性があるんじゃないかと考えたからだ。
結果として、読みは当たった。
根気よく、相手の情報を読み取り、うまく記憶の糸口を掴めた数人が、柳ヶ瀬のように『生前』の記憶を思い出した。
が、その中に、恒一に取って有意義な内容は含まれていなかった。
バスのチケットをもらって、バスに乗って帰還する。
それ以外の方法は、いくら尋ねても見つからなかった。
カーーーン……
結果らしい結果を出せないまま、0時の鐘が鳴る。
追い打ちをかけるように、
カーーーン……カーーーン……カーーーン……
昼とも夜とも言えない、ぼやけた色の空に、鐘の音が響き渡る。
ついにバスが来る日を迎えてしまった。
鐘の残響が消え、一日歩き回った疲れが、嘘のように引いていく。
恒一たちには、この世界の時間の流れがわからない。住人たちは、どうやってそれを察知しているのか。街角で様子を見ていたが、いつの間にか人の姿は消えていた。
「…………」
心配そうに恒一を見上げる拓海に苦笑する。
(やっぱ、一緒に帰ってやりたいよな……)
残された時間は、体感ですら不確かな半日。
(できれば穏便な方法を見つけたかったけど……)
「一度、戻ろうか。しばらくは人も来ないだろうし」
「うん……そうだね」
悔しそうな顔を浮かべる拓海を促して、拠点にしている粗末な小屋への道を歩く。
不思議な色の空に、時代劇のセットみたいな町並みも、もう見慣れてしまった。
「…………」
横並びで歩き、真横にある頭頂部が目に入る。柔らかそうな髪が、帽子がなくなったせいでふわりと乱れている。
記憶が戻ったことで、出会った頃のような儚げな雰囲気は消え、年相応の生気が感じられる。不安そうなのは同じだが、そこにツンとした反骨心のようなものも垣間見える。
本人は隠しているようだが、そこがまたどうにも年下らしくて可愛く思える。
ク、とつい漏れてしまったのに拓海が気付いて、見上げてくる。
「……なん……どうした?」
大きな瞳に一瞬きつく睨まれたが、すぐに目線をずらされた。
「……なんでもない、ちょっと思い出し笑い」
「呑気だなぁ、もう。こっちは心配してるってのに……」
木戸を閉め、上がり框に座り込むと、自然と息が漏れる。
さっきの鐘のお陰で肉体的な疲れはないが、それでもホームに戻ってきた気がする。
「なあ、先客」
「……なに?」
ちょこんと横に座り込んだ拓海の顔を覗き込む。
「明日は、お前が先にバスに乗れよ」
「なん、……どうして?」
弾かれたように見返してくる拓海に、少し考える。
(バスの運転手に直接掛け合うつもりだけど、もしダメだったら、お前まで帰れなくなっちまうだろ?……は、言い方が悪いな)
「こういう時は、乗れるヤツが先に乗るもんだ。先に乗ったヤツと一緒に行きたいんだ、って理由もつけやすいだろ?」
「……そっか、なるほど……」
うん、と拓海が頷いたのを確認して、明日やるべきことを考える。
バスの運転手が素直に乗せてくれれば、それが一番だが、乗車拒否されたら、どうするか。緊急避難と言い張ってでも、説得するつもりだけど、それが運転手に通じるかどうか。無理なら、拓海に窓を開けてもらって、そこから侵入するとか? いっそバスにしがみついてでも……何か引っかける道具でも使って、安全帯の代わりにすればいけるか? まさか、警察官の怪異とかはいないだろうな。もしそうなったら、未成年を保護したとかなんとか言って……。
(どこまでやれるかはわからないけど、まだ言葉が通じるだけマシなんだよな)
それより、俺をわざわざ呼び寄せた怪異の中にいる存在が、目的を果たさないままで、俺を逃がしてくれるだろうか。俺の分のチケットがないというのは、そういう意味だろうし。
最悪、気が進まないが、“目的”を果たす方向に動くしかないのかもしれないけど。……うん、やっぱり気が進まない。
「あのさ……」
「うん?」
拓海の声に思考が止まって、顔を上げる。
「昨日の話、なんだけどさ。……もし」
ぼそぼそとした小さな声を聞き逃すまいと、耳を寄せる。
「元の場所に戻れたとしてさ。……もしも、誰も、ぼ、僕のこと覚えてなかったりしたら……本当に、家に行ってもいい?」
「もちろん」
頷きつつ、こっちの問題もあったと思い出した。
まずは脱出が先決だから、そこはあまり考えないようにしていた。
仮にここを脱出出来たとしても、そこから先に何が待っているかは未知数だ。俺だって元の場所に戻れるとは限らない。
長期間ここにいるという拓海は、俺よりずっと存在が不確かだろう。
わからない未来を想像して、いたずらに不安になるのは行動を縛る。今、考えることじゃないのはわかっている。
けど。
もしも、を考えても、それでも一人より二人の方がずっといい。
「元の世界に戻れたら、いつまで居てもいいぞ。なんだったら嫁に来いよ」
「ばっ、バカじゃねーのっ!? 俺、こんなナリだけど、男だぞっ!?」
「あはははっ」
真っ赤になって慌てる拓海の姿が可笑しくて、つい笑ってしまった。
俺の笑いにハッとして、拓海が気まずそうに横を向く。
「こ、こういう時に、冗談言うのは、……僕は、良くない、と思う」
「普通に、俺って言えばいいのに」
この際、男同士だとか、そんなことは置いておいて。本当に生きて戻れたら、それも悪くないと思った。初めての恋人に浮ついているのか、ただの現実逃避か。
笑いが引かず、まだ肩を揺らしていると、拓海が恨みがましそうに睨んできた。
「……笑ったな」
「ごめんって」
嫁は言い過ぎだけど、どんな場所だったとしても、一緒にいて守ってやりたい。
(それより、元の世界に戻れたら、俺なんかいらないってなりそうだよな)
その時に、ちゃんと手を離してあげられるかが心配だ。
そう考えるだけで、きゅっと胸が締め付けられた。
(ダメだ。脱出できるかより、失恋の心配してて、どうする!)
弱気をぶんぶんと首を振ることで吹き飛ばす。今はネガティブな思考は動きを鈍らせるだけだ。
「ちゃんと確認したからな」
拓海がじとっとした目つきで睨んでくる。
そういう顔も美形がやると、見惚れるだけだ。
(ああ、やっぱ、振られたくないなぁ……)
膝に置かれていた手を取って、ぎゅっと握りしめた。
「うん。たとえ元の世界に戻れなくても、側にいる」
これだけ綺麗な子なんだから、元の世界に戻れば、メチャクチャにモテるだろう。わざわざ年上の冴えない男と付き合うなんて、こういう極限状態が生み出した奇跡のようなもんだ。ひょっとしたら、元の世界で恋人だって……
「……そういえば、先客って、彼女とかいるの?」
「いまさらかよ!」
「だって、告白してくれた時って、記憶がなかったじゃないか」
「あー……」
拓海が気まずそうに顔を背ける。
「ひょっとして、覚えてないとか?」
「…………覚えてる」
苦々しそうな声に、「あ、やっぱり」とフラれ慣れしている理性がツッコミを入れる。
「……気の迷いだった? それは、ちょっとキツイなぁ」
「違うって! もう!」
しぼみかけた悪い予感を、拓海の声が消し去った。
「彼女はいない! もちろん、彼氏も! 俺だって側にいて欲し……ああ、もう!何言わせんだよっ!」
「はーーーー……、良かった……」
あまりにホッとして、拓海の焦りようも気にならない。
握っていた手を胸元に引き寄せて、両手で包み込んだ。暖かい。幸せの温もりだ。
「その、アンタこそ、どうなんだよ。彼女とか」
「え? いない、いない。人生で告白されたのも、両想いになったのも初めて」
「マジか」
拓海がぽかんとした顔で見上げてくる。
「ほんと。俺、すっごくモテないんだ」
「ええ、嘘だろ。周りの女ども、見る目ねーんじゃね? こんなにまともなのに」
また、拓海がハッとして口を閉じる。
「ひょっとして、褒められてる?」
「あーもー、気にするな!」
完全に不貞腐れた拓海は、そのまま板張りの床に寝転がって、背中を向けた。
「褒められることなんて、滅多にないから、聞きたかったのに……」
そんな恒一の呟きも、無視される。
しかし、耳の先が赤いのは見て取れる。
(ヤバい、可愛いなぁ……)
甘酸っぱい気持ちが胸を満たしていく。
何としても二人でバスに乗ると、改めて心に誓った。




