第10話:再会の薪割り。告げられた真実
先客の案内で向かった先は、神社を挟んでバス停の反対側の村外れだった。
こちらの方向は森に近く、家はあまり建っていない。石垣で補強された水路に、これまた季節外れの野花が咲いて、イネ科の植物が穂を実らせている。
歩いていくと景色はがらりと変わり、村の中というより森を切り開いたような道になってきた。それをしばらく歩き続けると、やがて水の流れる音とともに、清流が道に沿うように現れた。
森の中だというのに、ここはまだ村の範囲内なのか、村に入った時に感じた不穏な影の気配はない。清涼で新鮮な空気が肺を満たすが、これすらも怪異が再現しているものなのだろうか。
やがて道は小川の流れとともに、ログハウスのような造りの小屋が建っている場所に辿り着いた。
「ふんっ」
ゴッ、……カン、カン、
「ふんっ」
ゴンッ、…………カンカンッ、ゴッ、……ゴロン
切り株を使った台で、薪割りをしている男がいる。
割っては薪置き場に並べ、また次の薪を割る。
立ち止まって様子を見ているこちらに気付いていないのか、興味がないのか、淡々とした動きに変化は見られない。
これを毎日毎日、続けているのだろうか。朝になればまた割れていない薪が積み上がっているんだろうか。想像するだけで、不可思議な現象が賽の河原の石積みのように見えてくる。
「柳ヶ瀬さん……」
先客が思い詰めたような顔で、小さく呟いた。
「あの人が? この帽子をくれたのか?」
コクン、と先客が頷く。
「確か、あの人は、キャンプに来ていて迷い込んだって言ってた。だから、荷物はたくさんあって……前髪が邪魔だろって、帽子をくれたんだ」
自分の記憶を確認するように、先客がゆっくりと話す。
そうしている間も、柳ヶ瀬の動きは一定で変化がない。休憩する気配もない。
「柳ヶ瀬さんが、ここに住むようになってから話した?」
「うんん、……この場所にいるって、だいぶ後になって知って……ショックで……」
(……そりゃあ、ショックも受けるよな)
住人になったのを認めたくないって気持ちもあっただろうし、この、住人特有の生きてる感じがしない様子。知り合いだったなら、なおさら受け入れられないだろう。
先客がぐっと拳を握り、意を決したように一歩前に出る。
「あの……」
「待って、俺が行く」
話し掛けようとしていた先客を止めて、俺が先に話し掛けることにする。
この世界で『名前』は特別なものらしい。いきなり『柳ヶ瀬』の名前を出して、何が起こるかわからない。それなら、ただの『迷い人』である俺が、先に聞き出せることがあるなら、そうしたい。
「旅人、また……!」
「いきなりお前が行って、あの人が混乱したら、聞き出せる話も聞き出せないだろ?」
俺の言葉に先客が躊躇する。それは、そのまま先客の怯えを表していた。
「いいから、さすがに住人に何かされるとかはないんだろ?」
「うん……」
俺はゆっくりと柳ヶ瀬に近付いていく。先客はぴったりと後ろについてきた。
「あのー、すいません。ちょっと聞きたいんですけど」
何も知らない顔で、話し掛ける。
柳ヶ瀬はしばらく薪を割っていたが、しばらくして手を止めた。
「あー、ここは霧守村だ。何もない村だが、ゆっくりしていってくれ」
振り向くと同時に、穏やかな笑顔を浮かべ、柳ヶ瀬は用意していたような言葉を話した。先客からハッと息を飲む気配がするが、素知らぬ顔で会話を続ける。
「そうですか。良いところですね」
「そうだろう。何せ、お護り様が守ってくださってるからな」
柔らかな口調だが、視線は合わない。
当然、先客に気付いてもいない。
「この道を真っ直ぐ行くと、二手に分かれていて、右の方に行けば神社に出る。左に行くと――」
聞いてもいないのに、柳ヶ瀬が道案内を始めた。それをうんうん聞きながら、様子を観察する。
年齢は30代後半から40代にかけてといったところで、髪には白髪が少し混じっている。キャンプに行く途中だったというのは本当のようで、アウトドアメーカーのロゴの入ったウェアを着ていて、ボトムもカーゴパンツだ。
「――左に行くと、川に出る。水は澄んでいて、夏は涼しいぞ」
(この世界に、夏も冬もないだろうに……)
声はあくまで穏やかで、抑揚も自然だ。他人から見れば、何の違和感もない会話だろう。
だが、近くで見れば一目瞭然だ。決定的に違う所がある。
(……目、だ)
生きている人間とは違う、意思の感じられない薄く濁った瞳。
表情は笑っているのに、目元の筋肉がまったく動いていない。目線はこちらに向いているのに、焦点はズレている。明らかに俺たちを見ていない。いや、見えていないというべきか。
よく見れば、血の気の引いた肌も相まって、まさに生きる屍だ。
「村に来たばかりなら、神社に行くといい。お護り様に挨拶しておけば、村の者も良くしてくれる」
言葉の切れ目も、呼吸も、完璧だ。だがそこに強烈な違和感を覚える。普通なら、相手の反応を見て言葉を紡ぐ。けれど柳ヶ瀬は、ずっと同じ調子で話し続けている。
反応を見るために薪の方に向かい、わざと綺麗に積み上げられた薪を蹴る。
ドサドサッと数本の薪が地面に転がった。
「何もない村だが、取り立ての野菜は旨いぞ」
しかし、柳ヶ瀬は同じ方向を向いたままで話し続ける。薪には見向きもしない。
「特に今の時期は大根が……」
「……あのっ!」
柳ヶ瀬の言葉に、急に大声で言葉を差し込んでみる。
「うま……」
ぴたり、と。
それまで淀みなく動いていた柳ヶ瀬の口が、不自然に止まった。数拍遅れて、ぎこちなくこちらを向く。
「どう、した?」
次にどういう『台詞』を選択すればいいのかを待つように、初めてこちらに注意を向けたように感じる。
「薪……?」
ようやっと、薪が崩れているのに気付いたようだ。しかし、それにも怒った様子は見られない。
「この村って、外に出られるんですか?」
柳ヶ瀬の動きが止まった。
風が抜ける。
木々がざわめく。
それなのに、目の前の男だけが、切り取られたみたいに静止している。
――やがて。
ぎし、と軋むように、再び口が開いた。
「……ここは霧守村だ。何もない村だが、ゆっくりしていってくれ」
最初に声を掛けた時と、まったく同じ声音で。同じ笑顔で。
背後で、先客が小さく息を呑んだのがわかった。
何も言わないでいると、柳ヶ瀬は薪を拾って元通りに積み上げた。
そして、何事もなかったかのように、再び薪割りを始めた。
「ふんっ」
ゴッ、……カン、カン、
「ふんっ」
ゴンッ、…………カンカンッ、ゴッ、……ゴロン
しばらくその様子を眺めていたが、先客が決意の籠もった目線で合図してきた。
柳ヶ瀬が住人になっているという現実を目の当たりにして、否が応にも理解したんだろう。
「お前の名前を思い出せるような話題で……『柳ヶ瀬』の名前は出すなよ」
「わかってる」
ぼそぼそと小声で話し合って、先客は柳ヶ瀬の元に歩み寄った。
「お久しぶりです。……僕のこと、覚えていますか?」
ゴッ、……カン、カン、ゴッ、……カンカン、……ゴロン
割れた薪が足元に転がったところで、柳ヶ瀬は顔を上げた。
「……ここは霧守村だ。何もない村だが」
「わかってます」
先客は柳ヶ瀬の言葉を遮って前に出た。
そのまま強引に目線を合わせに行く。
「覚えてませんか?」
「…………」
柳ヶ瀬の視線がわかりやすく揺らぐ。
「……ここは霧守村……」
「わかってます」
先客は容赦なく、柳ヶ瀬の言葉を遮る。
そのまま続けて、フリーズしている柳ヶ瀬に向かって話し掛ける。
「僕のこと、覚えてないんですか? これ、くれたでしょう?」
そう言って、名前の書かれた部分を指で隠しながら、キャップを柳ヶ瀬の目の前に翳した。
「…………」
柳ヶ瀬は帽子をじっと見つめているが、意味がわからないのか茫洋とした表情のままで固まっている。
(無理か……いや、まだだ)
こうなったら、名前を呼んで……それでも思い出さなかったら、柳ヶ瀬から聞き出すのは無理だろう。
その時、 柳ヶ瀬がぎゅっと眉を寄せて、小さく呻いた。
「あ、……うう、……」
その変化に目ざとく気付いた先客が、顔を覗き込んで畳み掛ける。
「覚えてませんか? 僕の髪が邪魔そうだからって、これ、使ってないからって……!」
「あ、ああ、…………うう、ぼうし……」
突っ立ったままで、柳ヶ瀬が苦しそうに顔を歪めている。
濁った瞳がびくびくと左右非対称に動いて、その不気味さに怯みそうになる。
しかし、先客はなおも言葉を続ける。
「いつも使ってたリュックから、これを出して、僕に被せてくれたんです……!」
「あ、うあああ……あああ……」
ぶるぶる震える手が、先客の持つキャップに伸び、掴んだ。
「おれ、の……おれ、おれ、おれ、……は、だれ……? ……おれ、おれ」
「やな……」
咄嗟に名前を呼びそうになって、先客が口を噤む。
柳ヶ瀬は帽子を掴んで凝視している。
「おれ、おれ、おれ、おれ、おれ、おれ、おれ、おれ、れれれ、おれ、おれ、……」
「そう、これ……あなたの、ですよね……!?」
強く握りすぎて、今にも帽子が破けそうだ。
「おれ、おれの、おれの、おれの、…………おれ、おれは……?」
一瞬の沈黙。
ガクガクと震える手から、帽子がぽとりと落ちた。
「おれ、俺は……」
濁った目はそのままで、しかし、視点が先客に定まった。
「………………た、……………………たくみ、……くん……?」
「あ……」
二人の視線が絡む。
柳ヶ瀬は先客を、たくみを認識しているとわかって、何故だかゾワッと背筋が粟立った。
「あ……え、僕……タクミ……? それ、僕……?」
今度は先客が狼狽えている。無意識に寄り添いながらも、瞳がきょろりと空を泳ぐ。
「良かった……たくみくん、無事で……うう、ああ……たく、み、くん……」
「ぼく、ぼくの名前、タクミ、なの……?」
柳ヶ瀬には先客の声がしっかりと届いているらしい。ゆっくりと頷いて、震えながらも顔を上げた。
「きみ、は、たくみ、くん。……おれが、こうなって、ひとりに、して……ごめ、……ごめん……でも、おれは……」
先客は真剣な顔で柳ヶ瀬の言葉に耳を傾けている。いつの間にか、その手が柳ヶ瀬の背中を支えていた。
「びょうき、で、死ぬ、から……バス、怖くなって……あれ、が、来る、から……」
(病気で死ぬ? “あれ”って何だ?)
先客は動揺のせいか、自分のことを考えるので精一杯な様子だ。
恒一は、そっと二人に近付いて、柳ヶ瀬の言葉に耳を傾けた。
「たくみ、……タクミ……」
先客は『たくみ』という言葉を何度も繰り返しては、首を傾げている。
「でも、もう、……いやだ。かえり、たい……ここは、……死なないけど、けど、……生きてもいない……」
絞り出すような柳ヶ瀬の声に、先客が顔を上げる。
「ずっと、このまま……」
「でも、帰れないんでしょ……? 怪異が、そう言ったの……?」
先客が悲痛そうな声を上げる。それに柳ヶ瀬は頷いて、
「お護り様が、……ああ、お護り様……お参りに、行かなくちゃ……」
すん、と柳ヶ瀬から表情がこぼれ落ちる。
「お護りさま……お護り様……」
柳ヶ瀬の震えが嘘のように止まり、動揺に乱れていた呼吸音が消えた。まるで人形のように規則的な歩調で、村へ続く道を歩いていく。
さっきまで立っていた地面には、踏み潰されたオリーブグリーンの帽子が残されていた。
「待って! もっと話を……!」
叫ぶ先客の声はもう届いていないのか、柳ヶ瀬の足は止まらない。
「ダメだっ! 行ったら、また――――」
瞬間、先客の体がビクリと揺らいだ。
――“その”光景が、頭の奥で弾けた。




