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最終話 壁に掛けられた写真

「お世話になりました。ありがとうございました。」


「お大事にしてくださいね~。」


迎えに来てくれた和央くんと、ナースセンターで看護師さんに挨拶して、1週間お世話になった病院を去る。


「でも、よかった。本当によかった・・・。」


今朝、医師の先生から腫瘍は良性だったと聞いてから、和央くんはそればかり繰り返している。


でも、あたしはそんな単純に喜べない。しばらく自宅療養は必要だし、経過観察や抜糸のために通院する必要もあるし、それに・・・和央くんにあのことも伝えないと・・・。


「じゃあ、クルマを回してくるからちょっとここで待ってて。」


病院の受付前のベンチにポツンと一人残されたあたしは、ここしばらくずっと考えていたことをまた考えてみる。


「紗季はあの人とずっとうまくやっていける?」


「大切な人を信じ切ってから、裏切られて奈落の底に落とされるなんて悲劇を味わって欲しくない。」


ママに言われたこと・・・もともとあたしも同じことを思って不安だった。どれだけ「紗季が大切」「紗季を愛している」って言ってもらえてもその不安は消えなかった。


不安になっちゃうから今だけ愛してくれればいいって思って、最近は考えないようにしていた。

それが、ママにもはっきりと突き付けられて逃げ場がなくなった。


病院のベッドに横たわり、考える時間は有り余るほどあったせいからか、そのことを昼も夜もずっと考え続けた。


こんな考えがずっと頭の中をグルグル回っていたけど、でも自分からあきらめることもできない・・・。ここまで好きになってしまったら、もう和央くんの方から捨ててもらわないと離れることもできない。


だから、あたしは決めた。このまま和央くんの関係は続けよう、だけど・・・・。


「お待たせ~。じゃあ行こうか!」


そこまで考えたところで和央くんが戻って来たので、あたしの頭の中だけでの考え事は中断された。


――


「あれっ?ちょっと部屋の様子が変わってる?」


久々に帰った部屋に入るなり、家具の配置が少し変わっていることに気づいた。


「あっ、ごめん・・・。しばらく自宅で療養するだろうから、安静にしてくつろげる場所が必要かなって思って。リビングの窓際にソファを入れてみたんだ。相談せずに進めちゃってごめん・・・。」


「あっ、いや・・うん。ありがとう。うれしい・・・。」


そっか・・・あたしも伝えてなかったもんな・・・。


あたしが決意したこと。


それはこの家を引き払って実家に帰ろうということだった。


それ自体に意味があるわけではない。


だけど、和央くんは東京に行ってしまい、あたしが一人この部屋で帰りを待つというのはあまりに辛い。何年も期待して帰って来てもらえなかったらと思うと耐えられない。


それ以外のこともそうだ。

和央くんとの未来を期待して、それで裏切られたら耐えられない。

だから和央くんとの関係は続けるけど、未来には期待しないようにしよう。


そうして、いつかやってくるお別れの日が来ても心が耐えられるように準備しておこう。


これ以上深入りしないで。別れるときには、「やっぱりね」って言えるように。


それがあたしの決意だった・・・。



実家は狭いし、このソファも引っ越しの時に処分しなきゃいけないだろうけど、それまでは使わせてもらおう。そう思ってソファに座ると,和央くんも隣に腰かけてきた。


「そういえばさ・・・和央くんって引っ越しの予定決まった?来月から東京だよね?」


その答え次第であたしも引っ越しの日程を決めよう。まずは体力を回復させないとだから、しばらく先になるだろうけど。


しかし、あたしの何気ない質問に、彼はなぜか答えるのをためらい、それから急にあらぬ方向を見てごまかすような笑いをした。


「・・・東京には行かない。ずっとここにいることにする。」


「えっ?来月から東京の法律事務所で働くことが決まったって言ってたじゃん。」


「あ~、それはもう断った。」


相変わらず視線はあらぬ方向を向いたままだ。


「じゃあどうするつもりなの?」


「どうしよっかな~。しばらくは平日の昼間からゴロゴロ~、ゴロゴロ~かな。あ~あ、ミスチル、もう1人メンバー募集とかしないかな~?」


「それは、飯尾和樹の現実逃避シリーズだろ~が!!ちゃんと真面目に話して!!」


「ボケて、ツッコんで、どっかんというのが普通のコミュニケーションだったのでは?」


「時と場所ってもんがあるでしょ!ちゃんと説明して・・・。」


ちょっと興奮してしまい、お腹の傷が少し痛んだ。落ち着かないと・・・。


「真剣な話、こっちで開業してもいいし、名古屋の法律事務所に勤めてもいい。それに会社の中で社内弁護士って道もあるから、仕事は心配しなくて大丈夫。」


「・・・そうじゃなくてさ。和央くんの夢のことだよ。渉外弁護士になるなら東京で経験積まなきゃダメなんでしょ・・・。」


あたしの言葉に、和央くんは頭をポリポリとかいて、照れたみたいに軽くはにかんだ。


「あのさ・・・紗季が手術して、入院する時に誓ったんだ。紗季が無事でいてくれるなら、僕の夢を差し出してもいいって・・・。」


「どういうことよ?」


「ほら、前に一緒に見たリリハナちゃんの話であったじゃない。何かを得ようとすれば何か代償を差し出さなければいけないって。僕は夢も紗季も両方欲しいって欲張っちゃったけど、得るためにはどちらかを代償にしないとなって・・・。それで紗季が無事なら、僕は夢を諦めますって、神様にお願いしたんだ。・・・いや、気の迷いとか迷信とかじゃないよ。あの日、僕が家にいたから救急車を呼べたけど、もし離れて暮らしたら、紗季が一人で救急車も呼べないで、腫瘍が破裂して手遅れになってたかもしれない。これからも同じことがあって、僕がいなかったら紗季を失うことになってたかもしれないって・・・。だから・・・夢を代償に紗季を選ぶことにしたんだ。」


和央くんの口調は控えめだったけど、あたしの方を見つめた瞳には確かな決意が宿っていた。その瞳がまぶしくて正視できず、あたしは視線を落とす。


「・・・前に言ったよね。あたしのせいで夢を犠牲にして欲しくないって。それで将来、こんなつまらない女のために夢と未来を犠牲にしたなんて言って欲しくないって・・・。」


「違うよ!!」


和央くんはあたしの肩に手を置いた。その瞳は一段と熱を帯び、力強さすら感じる。


「紗季のために我慢して未来を犠牲にするわけじゃない。僕が未来を、紗季とずっと一緒にいられる未来を自分で選んで、その代償を差し出したんだ。だからそんなことは絶対に言わない。」


「でも・・・あたしは自信がない。」


和央くんの熱い視線を受け止めきれず、あたしはまた目を逸らす。


「もう卵巣も片方取っちゃって子どもができないかもしれない。サロンも続けられなくなって借金を返せなくなるかもしれない。それがなくてもこんなつまらない女なんだし・・・。あたしにそんな代償を払ってもらう価値なんてない。」


「違うよ!紗季。こっちを向いて!」


和央くんの言葉に視線を戻すと、和央くんの瞳は相変わらず熱を帯びながら、しかし少し潤み始めていた。


「僕が代償を払って得たいのは紗季と一緒に過ごす未来なんだ。それ以外のことまでは望まない。ただ、紗季がずっと僕のことを好きでいてくれればそれでいい。それだけでも、十分に代償を払う価値があると思ったんだ。だから・・・。」


そこで言葉を詰まらせて、和央くんの頬に涙が一筋流れた。それを見て、あたしの胸にも何か説明しがたい感情が湧いて来て、胸が詰まった。


「だから・・・お願いだから一緒にいて欲しい。」


「和央・・・くん・・・。疑ってごめん。将来、裏切るかもしれないなんて思ってごめん。でも、もし裏切られてもいい。これから不安になってもいい。あたしはどれだけ怖くても和央くんを信じ続ける。それを代償にするよ・・・。だからあたしと一緒にいて。」


そのままソファの上で和央くんの胸に飛び込み、抱きしめてもらいながら、涙で和夫くんの胸を濡らした。


もしかしたら窓の外から宙に浮いたリリハナちゃんがいつものニヒルな笑いをしながら見ているかもしれないな。ふとそう思ったけど、窓の方は振り返らなかった。


――


「あら、紗季さん、いらっしゃい!!待ってたわよ。会いたかったわ~。」


1年後の8月、あたしは和央くんと二人で、和央くんの実家を訪問した。


「母さん、何言ってんの。先週も来たじゃんか。」


「あらあら、かわいい奥様には何回も会いたくなるものよ。さあさあ、あがってちょうだい。」


「今日は写真を届けに来ただけだから。はいこれ。」


「まあまあ、寂しいこと言わないで。二人の手で飾ってちょうだいな。」


お義母さんに手を引かれるままにおうちにあがると、そのまま、以前お義母さんと二人で話をした応接間に案内された。


「はい。ここに飾ってちょうだい。」


纐纈家の家族写真が一面に飾られた壁は、去年見た時とは違い、真ん中だけぽっかりと空けられていた。


「じゃあ・・・。」


照れ臭さを感じながらも和央くんと二人で壁に結婚式の時の写真を掛けると、お義母さんは大砲みたいな望遠レンズがついたカメラでその様子をパシャパシャと撮影していた。


結婚式では、あたしの強い希望で魔法少女リリハナちゃん映画特別編をイメージしたウェディングドレスを着た。隣の和央くんもそれに合わせたデザインのタキシードを着てくれた。


バランスを心配してたけど、そんな二人の写真を並べて飾っても、意外と違和感ないかもな・・・・。


・・・いや全然違和感あるなこれ。一組だけコスプレカップルが混じっちゃってるし・・・。


「まあ、そのうち見慣れれば違和感なくなるよ。」


結婚してから、夫婦間限定のテレパシー能力が発現したらしい和央くんが、あたしの気持ちを察してフォローしてくれる。


「じゃあ、お二人とも。お茶を淹れるからちょっとお話ししましょうよ。」


お義母さんはスリッパをパタパタさせながら、和室の方へ引っ張って行こうとする。


「ごめん、母さん。この後行くところがあるんだ。」


「え~っ!!さみしいわ~。」


「いや、来週も来る予定だし。僕もそんなに話すことないって。」


「和央じゃなくて、紗季さんの話が聞きたいのよ。ほら。結婚生活はどうかとか。」


「あ~。纐纈紗季って名前を書くたびに、字画が多すぎてちょっと後悔してます。」


「そうよね~。わかるわ~。紗季さんも、外では旧姓を使っていいのよ。その方がモテたりするし・・・。」


「え~、じゃあそうしよっかな~!」


「ちょっと、母さんも紗季もふざけないの。約束の時間があるからもう行くよ。」


――


「えっと・・・約束の時間は1時だったか。ちょっと待たせちゃうな。」


クルマに乗り込んだ時、和央くんはそっとあたしの手を握ってくれた。柔らかい手の中に一つだけ違う感触。その銀色の指輪の硬さを中心に、あたしの手にじんわりと染みるような嬉しさが広がる。


「うん。ママも和央くんと会うのを楽しみしてたから、きっと首を長くして待ってるよ。最近はあたしよりも和央くんと話したいってよく言ってるし。」


こうやって手をつないでると、10年後も、20年後も、30年後も、ずっと二人で一緒にいられる気がする。

そう思った瞬間、お腹にトンッと軽い衝撃を感じた。


「ごめんごめん。二人だけじゃないもんね。リリちゃんもいるもんね。」


あたしはお腹に手を当てながら、一緒にいるもう一人に心の中で語りかけた。


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