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第29話 ママは探偵さん

「ただいま~。ふい~、今日も疲れた~。」


「おかえり~。お疲れ様~。」


7月、和央くんと一緒に暮らし始めてから5か月くらい経った。

そろそろダレてきてもいい頃なのに、こうやって律義に、仕事で遅くなった日でもちゃんと起きて待っててくれるのは地味に嬉しくて幸せを感じる。


「グッ・・・・・。」


しかし、早く和央くんに抱きつこうと立ったまま靴を脱ぎかけたら、急に脇腹に痛みが走った。


「んっ?どうしたの?いつもの腰痛?」


「うん、最近ちょっと痛みがきつくて急に動けなくなることがあって・・・。少し休めば大丈夫なんだけど。」


「そっか・・・マッサージしよっか?」


「うん・・・でも汗かいちゃったし・・・。シャワー浴びてご飯食べたらお願い・・・。」


和央くんのマッサージは痛みやこりがほぐれるだけでなく・・・なんというか気持ち良すぎて、ほわほわしてきて、いつの間にかそのまま営みに発展しちゃう不思議なマッサージだから、汗臭い体のままで受けるわけにはいかない・・・。


しかし、少し前だったら、先にシャワーなんて理性的な判断もできなかったことを思うと、あたしたちの関係も落ち着いたもんだぜ。


――


「うへ~・・・気持ちいい~とろける~。」


一杯だけビールを飲んで、シャワーを浴びた後、ベッドに横になりながら和央くんのマッサージを受けるのが最近のあたしの2番目の楽しみ。ちなみに1番目はこのマッサージの後に控えている。


「最近忙しいの?遅くなることも多いし、店休日も仕事に行ってるみたいだし。」


「うん・・・。新しくアシスタントを雇ったからさ、その分稼がないといけないし、カット台も増やしたいから頑張んないと・・・。」


ちょっと前に香澄ちゃんをヘアカットができるスタイリストに昇格させたので、新しくアシスタントとして和馬くんという男の子を新規採用したのだ。

その分楽になるかと思いきや、人件費は増えたし、指導もしないといけない。香澄ちゃんにも、急にお客さんが付くわけはないので、あたしが今まで以上に仕事を増やして穴埋めをするしかないのだ。


「そう言えば和馬くん、面白いんだよ。こないだ、『紗季さん、暗いところで見ると意外とかわいいっすよね。それだったら全然アリっすよ』だって、おい!暗いところってなんだよ!雇い主にセクハラすんなって!!ハハッ・・・。」


「ふ~ん・・・。」


・・・・あれ、和央くん黙っちゃった。もしかしたら嫉妬しちゃった?

意外と嫉妬深いんだよね~。そういうとこもかわいいんだけど・・・。


「あ~、大丈夫だって。和馬くんは10歳も年下だよ。年の離れた弟くらいにしか見えないし・・・。」


「いや、そういうことじゃなくて・・・。紗季の母親に会わせてもらえるって話どうなったのかなって・・・。」


「あ~、それね・・・・。」


実はまだ和央くんに話せていない。うちのママが結婚どころか、和央くんとの関係にも反対しているなんて・・・。


――


「まあ、紗季の好きにすればいいじゃない。もう3回目なんだし・・・。」


最初にママに和央くんの話をした時、賛成も反対もしなかった。

この反応は結婚の話が出た4番目と5番目の元カレの時と同じだから特に不安には思わなかった。


ただ、いつもと違ったのは、その1か月後に突然呼び出された時だった。


「あの、纐纈和央という男はやめておきなさい。紗季が思っているような人じゃない。あいつには裏の顔があるのよ。」


実家の台所の椅子に座りながら、いつにない真剣で差し迫った表情のママの口から、サスペンスドラマみたいなセリフが出た時、あたしも震えた。あたしの知らない和央くんの裏の顔・・・?


和央ダークサイドがあるってこと?

あの柔和で温厚な彼に?まさかそんなことが?


あっけにとられ呆然としたあたしに、ママは『調査報告書』という表紙の書類を差し出してきた。


「なに?また勝手に調べたの?」


「いいから読みなさい。」


ママは、4番目の元カレの時も5番目の元カレの時も、興信所に依頼して勝手に相手のことを調べていた。

そのおかげで4番目の元カレには浮気相手がいることがわかったし、5番目の元カレには、実はバツがついていて子どもが二人いることもわかった。

まあ、相手に、なぜ勝手に調べたんだと逆ギレされて、それも破談の原因になったのだけど・・・。


ママから受け取った報告書の2ページ目にある経歴から読み進めた。


なになに?

9年前に慶応義塾大学法学部卒業、経済産業省に入省、退職して東京大学法科大学院へ入学・修了、その後司法試験に合格、司法修習後に弁護士登録、大手法律事務所や成城綜合法律事務所などで働き、1年前に同事務所を退所して山田市役所の任期付職員となる・・・。


なるほど・・・聞いてはいたけど、こうやって文字で見るといかつい経歴だな~。


「経歴は聞いてる通りだけど・・・。」


「問題は女性関係よ・・・。見てごらんなさい!びっくりするわよ!!」


向かいの椅子に座ったママが食いつかんばかりに身を乗り出し、あたしの手元の報告書のページをめくった。

何度もそのページを開いたせいか折り目が付いていて、すぐに目的のページが開かれた。


え~っと?


『7年くらい前にA子さんと交際を始め、その後婚約した。しかし、1年前に山田市に移った後、中学の同級生であるB子さんと情交を結ぶようになり、今では愛人であるB子さんの家で半同棲の状態にある。』


・・・・A子さんが聡子さんのことかな?

そうするとB子さんは、あたしのことか・・・。いや和央くんとの関係を『情交を結ぶ』とか『愛人』とか『半同棲』とか書かれるなんて、ちょっと嫌だな~。


過激な表現に思わず顔をしかめると、何を勘違いしたのか、ママが意を得たりといった感じで深くうなずいた。


「そうなのよ!あの纐纈という男には、紗季ちゃんの他に婚約者と、それから半同棲している愛人がいるらしいのよ・・・。紗季ちゃんも騙されてたのね、かわいそうに・・・。でもよかったじゃない!深入りする前に本性がわかって・・・。さあ、その男にこれを突き付けて二度と顔を出すなって言ってやりなさい!!」


ママは話しながらだんだんと興奮し始めて早口になり、最後には怒り心頭といった感じになった。


これは完全に誤解してる。まいったな。どこから説明しようか・・・。


「えっと、待って。まず和央くんに婚約してた人がいるって話は知ってた。このA子さん、成城聡子さんっていう名前で、あたしも会ったことがある。」


「はっ?」


それまで興奮していたママが、水を打ったかのように急に沈黙した。


「それから、このB子ってのがきっとあたしだよ。それで・・・。」


そこから順を追って事情を説明しようとしたその時だった。


「あんたって子は!!何を考えてるの!!!!!」


クワッと目を見開いたママはテーブルをバンッとたたいて立ち上がり、続いて頭上からこれまで聞いた中で最大級のボリュームの怒声が落ちてきた。


「つまり、A子さんという婚約者がいることを知りながら、この男と情交関係を結んだってことなの・・・。紗季が・・・紗季がまさかそんなことするなんて・・・。」


ママは怒りで我を忘れてしまったのか、テーブルを回り込んで、あたしの前に立ち、そのまま肩を持って強く揺さぶってきた。


「・・・・ママ、やめて・・・。和央くんは、そのA子さんとはもうとっくに別れてるし、今は紗季とちゃんと付き合って結婚したいって言ってくれてるんだって・・・。」


あたしのその言葉にママはピタリと動きを止め、今度は急に青ざめ、思いつめるような顔で考えこんだ。


「まさか・・・紗季が他の人の・・・婚約者を取るなんて・・・。それだけはだめってずっと言って来たのに・・・。」


あっ、しまった・・・。ママはパパを他の女の人に取られちゃったのがトラウマになってるから、この説明はまずかった。


「いや、取ったんじゃなくて。先にA子さんが婚約破棄して、和央くんが打ちひしがれてこの街に帰って来て、紗季と再会して付き合うようになったの!!だから紗季が奪ったわけじゃないの!!」


ママは一瞬呆然とした後、ハッとしたように目を見開き、あたしの手から報告書を奪ってページをめくり始めた。


「・・・やっぱり。ウソばっかり!ほら見てごらんなさい!!」


ママが開いたページにはこう書いてあった。


『A子さんによれば、「自分は婚約したまま山田市へ行った彼の帰りを待ち続けていたけど、今年に入って突然B子さんとの関係を告げられた。彼を信じて、B子さんとの関係を清算するようお願いしたが話が進まないため、A子さんが山田市を訪れ、B子さんと直接交渉した。B子さんからは、これまでの相手も1年くらいで飽きて別れてきたから、彼も半年くらいしたら別れて返してあげると約束してくれた。だから、今はB子との約束を信じて、彼が帰ってくるのをずっと待っている。」とのことだった。』


・・・・ちょっと!!聡子さん、調査員にどんだけ自分に都合のいいように説明してるのよ~!?


「B子が紗季だとすれば、ここに書いてある通り、半年で別れて婚約者であるA子さんに返してあげるって約束したんじゃないの・・・?」


「いや、確かにA子、つまり聡子さんと似たような話はしたけど、そういう意味じゃ・・・。」


「やっぱり婚約者から奪ってるじゃないの!!それで半年で返す?そんな口先だけの嘘で婚約者さんを騙して、そんな男とのうのうと結婚しようとしてるの?なに?それで、その男はそれを承知なの?」


「もちろん聡子さんと話した内容も全部伝えたけど、それでも紗季と結婚したいって・・・。」


「なんて・・・なんてひどい・・・。」


ママは頭を抱えたまま、床の上にへなへなとへたり込んだ。


「ママ・・・大丈夫?あの、なんかうまく説明できないんだけど、和央くんはママが思っているような人じゃないし、あたしもおかしなことはしてないから・・・。」


「・・・・許さない。」


「えっ?」


「許さない!今すぐ別れなさい!そして婚約者のところに熨斗を付けて返してやるといいわ!ママはそんな婚約者を捨てるような相手は絶対に認めないし!!紗季がそんな略奪みたいなことをするなら、勘当して絶縁する!!あの・・・パパとあの女みたいなことは絶対にさせない!!」


床から見上げるママの目は真っ赤で、その中で強い憎悪の炎が燃えていた。


――


その後、何度かママとちゃんと話そうとしたけど、和央くんの話題が出るだけでママの目が吊り上がり興奮して、話をするどころではなくなってしまう。だから、和央くんを紹介する段取りもできなくて、でも和央くんにそんな話もできないから、ずっとごまかしてきた。


「なんか、ママ仕事が忙しいみたいで、あたしの休みと合わなくて・・・。ごめんね。」


「そっか・・・うん。再来月には東京に引っ越しちゃうし、お盆には会えるかな・・・?」


ちなみに和央くんは9月から、もともと勤めていた東京の大手渉外法律事務所への復帰が決まっている。和央くんがそれまでに結婚の話を進めたがっているから、ママを何とか説得したいんだけど・・・・。


「ごめ~ん。むにゃ~・・・。」


もう考えるの嫌だから現実逃避。

マッサージもひと段落ついて気持ちも盛り上がって来たし、いつも通り彼に抱きついて、いつもの1番目のお楽しみタイムだ・・・。


「紗季・・・疲れてるし、腰痛もあるのに大丈夫?」


「疲れてるから元気をもらいたいの~。・・・・ウグッ・・・。」


しかし、和央くんに抱き着いたまま押し倒そうとしたところで、また腰のあたりに激痛が走った。


「あ~あ。今日はやめとこ。」


「え~・・・。じゃあ、代わりに優しくなでなでしながら抱きしめて寝てよ~。」


今日は1番目の楽しみはお預けになっちゃったけど、こうやって頭とか撫でられながら優しく抱きしめられるのも幸せを感じられていいな~。


この幸せを維持するためにも、頑張ってママを説得しないと・・・。


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