第22話 紗季ちゃんの魔法
「今日はもうお客さん来ないだろうし、早めにあがっていいよ〜。」
「わ~っ!ありがとうございます!!じゃあ締め作業しちゃいますね!」
金曜日の閉店1時間前、予約もなく、飛び込みのお客さんが来る気配もない。
香澄ちゃんはいつも頑張ってくれてるから、こんな日くらい早く帰してあげよう。
そう思って声を掛けたのだけど、カウンターでの締め作業に向かった香澄ちゃんはすぐに暗い顔をして戻って来た。
「紗季さん・・・予約が1件入ってるのを見落としてました。あの、纐纈さんの・・・。」
「ああ、いいよ。その予約はキャンセルになってるから。締め作業もあたしがやっとくよ!そんなおしゃれしてるってことはデートなんでしょ?」
そう伝えると、香澄ちゃんの表情がパッと明るくなり、そしてニヤけた。
「そうなんですよ~。実は高校の時から付き合ってる彼とデートで・・・。」
「あれっ?この間その彼とは別れて、マチアプで知り合った人と付き合ってなかった?」
「う~ん、でも、なんか違うなって思っちゃって・・・やっぱり一輝の方がいいかなって・・・。やっぱり付き合い長い方が情が湧くっていうか、しっくり体が馴染むっていうか、そんな感じがあるじゃないですか~!」
いや、同意を求められても、長くても1年くらいしか付き合ったことないあたしにはわからん感覚よ。でも、水を差しちゃいかんから適当にうなずいとくか・・・。
「じゃあ、失礼しま~す!!」
いつも明るくて朗らかな香澄ちゃんがいなくなると、急に店内が静かになった。
じゃあ、締め作業して、さっさとあたしも帰ることにするかね。
カランカランッ
「あれ?香澄ちゃん忘れ物かな?」と思いながら入口の方を見た瞬間、あたしは息を飲んだ。
「ごめんなさい、予約の時間に遅れちゃって・・・。」
階段を駆け上がってきたのか、和央くんは少し息を切らしている。でも、それ以外は1か月前とも、はじめてこのサロンに来た半年前ともまったく変わらない。
「・・・・キャンセルになったと思ってた。」
「ううん、いや、うん。せっかく予約したんだし、キャンセルなんかしたら悪くて・・・。」
別れた彼女との約束なんかブッチしていいのに。
そんなとこまで律義じゃなくていいのに・・・と思いながらも、あたしはプロだ。
そのまま和央くんをカット台に案内した。
「じゃあ、襟足とか揃えてください。」
「はい・・・。かしこまりました。」
お約束のボケとツッコミもなく、髪を濡らし、鋏を入れていく。
シャキッ、シャキッ・・・
あたしと和央くんしかいなくて、しかもお互いに無言のままで、沈黙が支配するサロンに、鋏の音だけが響く・・・・。
そんな重苦しい空気の中、和央くんは鏡を通して、控えめにあたしの様子をチラチラうかがいながら、おもむろに口を開いた。
「・・・・例の件だけど・・・。」
ドキッとして思わず鋏を落としそうになった。
でも表情だけは平静を保ち、シャッシャッと鋏を動かし続ける。
「あの後すぐに、成城さんに連絡しました。」
「セージョーさん??」
誰それ?いきなり誰の話?
意外過ぎて思わず素っ頓狂な声が出ちゃったよ!
「あっ、えっと・・・成城聡子さん。あの、前の・・・別れた・・・。」
「ああ、セージョーさんね。はいはい・・・。」
そうか。元カノの苗字は知らんかった。動揺してると思われないように黙って鋏を動かそうかね。
「直接会うと・・・また言いたいことが言えなくなってしまうから、メールを送りました。『もうあなたとは別れたつもりです。今は別に好きな人がいます。だからもう会えません』って・・・。その後、連絡が来ましたけどずっとブロックしています。」
「そっか・・・。そうなんだね。」
今度はサイドに鋏を入れる。和央くんはサイドの髪がボリューム出やすいから、ちょっと工夫して切らないと・・・。
「それから・・・・。」
また和央くんが鏡を通して探るような視線を向けて来た。
でも、あたしは、カットに集中しているふりをして視線を合わせないようにする・・・。
「市役所の任期が終わった後だけど。この街に残るよ。ここで法律事務所を開業してもいいし、名古屋で勤めてもいい。ずっとこの街で暮らしていくよ。だから・・・。」
「動かないで。あと前髪を切るから目をつぶって・・・。」
和央くんは素直に目を閉じてくれた。相変わらずラクダみたいに長いまつ毛だな・・・。
「それで・・・どうかな・・・。」
前髪を切り終わると、和央くんは目を開け、また鏡越しに探るような視線を送ってきたけど、あたしは目を逸らす。
「次はシャンプーします。シャンプー台に移ってください。」
また和央くんは素直にシャンプー台に移り、横になった。しかし、その瞳はあたしを追いかけてくる。
邪魔だ。顔にタオルをかけて隠そう・・・。
その後も、和央くんはなにか答えを求めるかのような視線を送り続けてきたけど、あたしはドライヤーをかけたり、セットに集中しているフリをしながらそれをかわし続けた。
「じゃあ、これでいいかな。レジでお会計を・・・。」
「あ、あのさ・・・。」
和央くんは立ち上がり、あたしの前に回り込んで、今度は直接あたしの目を覗き込んできた。
「去年の8月・・・はじめてこの店に来た時、僕はどん底だったんだけど、紗季に救われた。その後も紗季が明るく気遣ってくれて、少しずつ立ち直ることができた。紗季がいたから自分を取り戻せた。だから、これからも紗季と一緒に生きていきたい。僕の夢なんかよりも紗季の方がずっと大事なんだ。だから・・・これからもこの街で暮らしていくから・・・やり直してもらえないかな。」
真剣な表情をした和央くんはとても凛々しい。
その瞳はまったく揺らぐことはなく、和央くんの決意も伝わってくる。
まさか、こんな嬉しいことを言ってくれるなんて思ってなかった。だからついつい決意が揺らいでしまいそうになる。
でも・・・。
あたしは和央くんから視線を外し、レジに置いたリリハナちゃんのぬいぐるみを見た。
そうだよね。リリハナちゃんだったらきっとそうするよね。
あたしは、また和央くんの瞳に視線を戻した。
「あたしは・・・想像できない。和央くんがこの街でずっと暮らしていくなんて・・・」
「えっ・・・?」
その瞬間、和央くんの瞳が揺れ動いた。
でもあたしの心は揺れない。
ずっと考えて、リリハナちゃんに背中を押してもらって決断したことをしっかりと和央くんに伝えよう。
「和央くんは傷ついたから・・・だから1年間だけ翼を休めるために、この街に帰って来たんでしょ。でも、傷が癒えればまた飛び立つことができる。東京でも外国でもどこへでも好きなところへ行けるよ。翼なんかなくて、この街から飛び出すことができない紗季を置いて。」
「だから・・・だから僕もここでずっと暮らすって言ってるじゃないか。どこにも行かない!紗季と一緒にこの街にいる。」
和央くんがあたしを抱きしめようとしたので、軽く身をかわして拒絶する。
「あたしのために、夢とか未来とか全部捨てて、後悔しない?」
「後悔なんかしない!1か月ずっと考えて決断したんだ!軽い気持ちで言ってるわけじゃない!」
和央くんの表情は真剣だ。
きっと本当に1か月間考え続けた結果なんだろう。だけど・・・。
「でも、5年経って、10年経っても後悔しない?ああ、僕は紗季なんてつまらない女のために大事な夢と未来を犠牲にしてしまったって後悔しないって言える?」
「そんなこと・・・」
「あたしのパパは言ってたよ。紗季とママのせいで夢も未来も奪われたって。ずっと自分を犠牲にしてきたって・・・。それで出て行っちゃった。もし5年後、10年後、あたしが安心しきった時に和央くんにそんなこと言われたら・・・その時は耐えられる自信がない・・・。」
「・・・・・。」
一瞬黙った後に、何かを言おうとした和央くんを手で制した。
「あたしの目から見ても、あたしとくっつくのは解釈違いだよ。和央くんは自分の夢を追いかけて、それで・・・ずっと好きで、やっと思いが叶った聡子さんと一緒になる方が物語として自然だよ・・・一時は行き違いで距離が離れちゃったかもしれないけど、誤解が解けてまたやり直せるんだったら、そっちの方が絶対いいよ。あたしは・・・二人を仲直りさせるリリハナちゃん役がお似合い・・・。」
「いや・・・そうじゃなくて・・・僕は紗季が・・・。」
あたしは和央くんの胸に指でハートを描き、心の中で呪文を唱えた。
「あたしのことはいいから。ほら、聡子さんに素直に気持ちを伝えられる魔法をかけたよ。あたしの魔法は好きな人を幸せにするための魔法なんだよ。東京に戻って魔法の力で聡子さんに謝って、またやり直しなよ。あたしはリリハナちゃんみたいにすぐにとはいかないけど、だんだん記憶からも消えてあげるからさ。」
「・・・・・・・。」
「ささっ・・・。じゃあ善は急げ!早く帰って、聡子さんに連絡してあげな。」
あたしは和央くんの背中をぐいぐいと押して、そのまま和央くんを店の外まで押し出した。
店の入り口の前、レジの横を通る時、一瞬だけリリハナちゃんと目が合った。
これでいいんだよね・・・。リリハナちゃん・・・。
「じゃあね!」
「うん・・・。」
観念したのか、そのままゆっくり階段を下りて行く和央くんの後姿は、あたしのサロンに最初に来た日と同じように少し猫背だった。
あの日から今日までをなかったことにしよう。
そうすれば前と一緒だ・・・。のんきに一人で生きようと思っていたあの頃と。
リリハナルルル~ン!!
踏ん切りをつけるために心の中で魔法の言葉を唱えた瞬間だった。
ドンッ!!
「えっ?ギャ~ッ!!」
なぜか背中に衝撃を感じ、そのまま階段下へ真っ逆さまに転げ落ちた。しかも落ちた先には和央くん!!
「うぇっ!!」
あたしの悲鳴を聞いて振り返った和央くんは、上から降って来たあたしを力強く受け止めてくれ・・・るのは無理だったようで、そのまま彼も階段から足を滑らせ、一緒に転倒した。
ただ、転倒しながらも、あたしをかばってぎゅっと抱きしめてくれたので、あたしに怪我はないようだ。
身を挺してかばってくれた。うれしい・・・。
ああ・・・好きだった和央くんの匂い・・・。
あのしっかりした背中・・・全部大好き!!
和央くんの胸の中でそう思ってしまった瞬間、それまで頑張って保っていたあたしの理性とシナリオは完全に消し飛んだ。
「ご、ごめん・・・。あたし和央くんのことが好き!!このまま別れるなんてイヤだ~!!」
「えっ?えっ?」
紗季が急に空から降って来て、しかも胸の中で泣きながら、さっきと矛盾することを叫び出したというカオスな状況を掴み切れていないのか、和央くんの瞳は揺れ続けてる。だけど、それでも、あたしのことはしっかりと抱きしめたままだ。
「聡子さんと復縁すればいいって言ったのも、紗季を記憶から消せばいいって言ったのも全部ウソだよ~。本当はずっと紗季の恋人でいて欲しい。聡子さんなんかに渡したくない~。」
そのままビービー泣き始めたあたしの背中を和央くんは優しくさすってくれる。和央くんの温かくて大きな手でさすられると安心感がすごい・・・。
「で、でも・・・あたしのために夢とか未来とか犠牲にして欲しくないのは本当。和央くんがずっと黙って我慢して、将来、紗季のことなんか好きになるんじゃなかったなんて言って欲しくない。だから・・・。そんな未来が来ないように、ちゃんとお別れしようと思ったのに~。」
「うん、うん・・・。」
「でも、和央くんが東京とか外国に行っちゃうのも嫌だ~!!ずっと紗季の側に居てよ~!!」
「うん・・・うん・・・。」
自分勝手な子どもみたいなワガママにも呆れずに優しく聞き入れてくれてる。やっぱり紗季の相手はこの人しかいないよ~!!
「僕も紗季とずっと一緒にいたい。でも、そのためにお互いに相手の犠牲にならないように、しっかり話し合おうよ。きっと何かいい方法があるはずだよ。」
「うん、うん・・・ビェ~ン・・・」
また泣き始めたあたしを、今度は頭をポンポンしながら慰めてくれる。ずっとこうしていたい。
「ところで・・・この体勢きつくて・・・。しかも足をひねっちゃったみたいですごく痛くて・・・。」
「あっ、ごめん!!」
とりあえず応急処置をするため、和央くんに肩を貸して階段を登りサロンまで戻ると、さっきまでレジの隣に座っていたはずのリリハナちゃんがお店のドアの外まで転がり出ていた・・・。
「もしかして、リリハナちゃんが素直になれる魔法で背中を押してくれた・・・?」
あたしは和央くんを椅子に座らせると、リリハナちゃんを優しく拾い上げ、「ありがとうね」とささやいて、優しく和央くんの隣に座らせてあげた。
第2章はここまで。第3章ではいよいよクライマックスへ。




