第20話 それはもうデートだよ!!
「いらっしゃいませ~。ご予約の纐纈さんですね~。」
エントランスのレジ前にいた香澄ちゃんの声はあたしの耳にはっきり届いた。だけど、あたしは用事を思い付いたフリをして思わず目を逸らしてしまった。
今日、和央くんがサロンに来てくれることはわかっていた。だって、先月末に来てくれた時にちゃんと予約してくれたから。
いつもはうれしい瞬間のはずなのに、今日に限って気が重いのは、数日前の美妃子の話があったからかな。
「ちゃんと、纐纈くんとちゃんと話し合った方がいいよ。」
美妃子にそう言われたけど、あれから和央くんとは話せていない。
いや、むしろ話すのを避けていた・・・。
だって、もしその話をしたら、二人の関係が決定的に変わっちゃうかもしれないから・・・。
「それではこちらでお待ちくださ~い。紗季さん、お願いしま~す。」
考え事をしていると、いつの間にか準備が整ったようでカットクロスを着せられた和央くんがカット台に座っていた。
いかんいかん。プロとして仕事に集中しないと・・・。
「今日はどうしましょう?」
「そうですね~。お姉さんみたいな銀髪でお願いします。いや、僕、実はお笑いコンビをやってて、毎年M-1で準決勝までは行くんですけど、決勝行くにはキャラが弱くて・・・。今年は銀髪魔法少女コンビで勝負しようと思ってるんです~。」
「かしこまりました。」
「・・・・って、ツッコんでよ!毎月やってるお約束のボケじゃん!」
「ああ・・・ごめんごめん。」
あたしもいつもみたいに明るくやり取りしたいのに・・・どうしてもできない。
和央くんがすぐ前に座ってるのに、なんか遠くにいる知らない人みたい・・・。
それでも何とかプロの意地で、最後まで平静を装ってカットを終えたけど、うわの空で何を話したのかも覚えていない。
そのまま、和央くんがレジで香澄ちゃんと次回の予約について話しているのをぼんやり見ていると、急に香澄ちゃんがニヤニヤしながら意味ありげな視線を送ってきた。
「紗季さん、もう閉店時間ですし一緒に帰られたらどうですか?レジ閉めとか戸締りは私がやっておきますから・・・。」
「え、ああ・・・うん。ありがとう。でも道具の片付けとか少し時間かかっちゃうし・・・。」
「僕は時間大丈夫だよ!そうしてもらえると嬉しいな~。」
香澄ちゃんのせっかくの気遣いと和央くんの笑顔には勝てない。
和央くんに入口の椅子で座って待ってもらって、急いで一緒に帰る準備をした。
「じゃあ、どうする?まっすぐおうちまで送る?それともどこかで晩御飯でも食べて行く・・・?」
「・・・・・・。」
お店の駐車場に停めた和央くんのクルマに乗った後も、あたしはうわの空のままだった。
「・・・・紗季?」
和央くんもあたしの異変に気付いたようだ。心配そうな顔で覗き込んでくる。
ここは無理にでも明るく振る舞わないと・・・何か明るい話題、明るい話題・・・。
そうだ。昨日テレビで見たバラエティー番組の話でもしよっかな。たしかあの話は東京のお台場で・・・。
「あのさ?東京に帰るつもりって本当?」
「えっ・・・?」
しかしなぜかあたしの口から出た言葉は、この数日間ずっとぐるぐる考えていたことだった。
こうなると口から溢れ出す言葉は止まらない。
「市役所の正規職員としての採用を断ったって聞いて・・・。9月になったら東京へ帰るの?」
ウソでもいい!
「そんなことない、ずっとここにいるから」と言ってくれないかと、すがるような思いで隣に座る和央くんの横顔を見つめたけど、あたしの淡い期待は裏切られた。
「・・・・うん。決めたわけじゃないけど、それも考えてる。」
その瞬間、胸を撃ち抜かれたみたいな衝撃が走った。まるで12歳だったあの日・・・パパが出て行った日みたいに・・・。
「どうして・・・?ねえ、前から言ってたよね。紗季はサロンがあって、しかも借金もあって、ママもいるから地元から出て行けないって・・・。東京へ行くってことは紗季を捨てていくってことなんだよ!!それなのに・・・。」
「まだそうするって決めたわけじゃないんだ・・・。」
「でも、和央くんはそうしたいんでしょ・・・。」
和央くんは少しためらった後、それでもはっきりとうなずいた。
「ずっと憧れてた夢があるんだ。渉外弁護士って言って、弁護士として海外とやり取りする仕事をしたくて、それで公務員を辞めて司法試験にチャレンジして・・・。前の・・・あの事務所を引き継ぐって覚悟を決めた時にあきらめたんだけど・・・。事務所を離れて、こっちに来て人生を見つめ直したら、またチャレンジしたくなって・・・。」
うなだれながら、ぽつりぽつりと話してくれた。
「そうなんだ・・・。でもさ、東京じゃなきゃできないの?ほら!ちょっと遠いけど名古屋だったら通えるでしょ!名古屋のおっきい法律事務所に入って、それで渉外?ってのをやればいいじゃん!それだったら賛成するよ!!」
「ごめん・・・。やっぱり東京の大手渉外事務所で経験を積みたい。それで海外にも留学に行きたい。だから・・・。」
和央くんの口調は控えめだったけど、異論を差し挟む余地がないくらい断固としていた。
まだ考えてる途中みたいに言ってるけど、もう彼の中では結論が出ているのだろうか・・・。
でも、なんで急に?クリスマスの時も、お正月の時もそんなことまったく言ってなかった・・・。
何が原因で・・・・。もしかして・・・。
「あのさ・・・。最近東京に行ってるでしょ?」
「あっ、うん。何度か行ったけど・・・。次の仕事のことで先輩とかに相談したかったし。」
「違うよね・・・あの・・・聡子さんに会いに行ってたんでしょ!!」
わざと低い声を出して、厳しい視線を送ると和央くんはたじろぎ、みるみる顔が引きつった・・・。
「どうして・・・?」
「あたしが何も知らないと思ってるの?すべてお見通しだよ!!」
ホントはただカマをかけただけど・・・。
でもこの反応は・・・やっぱり・・・。
「う、うん・・・。ごめん。でも説明させて欲しい。決してやましいことがあるわけじゃないんだ。」
「なに?でも、あたしに黙ってたよね!!言い訳があるなら聞くだけ聞こうじゃないのよ!!」
強気に出ながらも心の中ではドキドキだ・・・。とうとう引き返せないところまで来てしまった。
「・・・実はお正月に旅行に行った時に、名古屋駅で紗季がトイレに行ってる間に、偶然、聡子に出くわしたんだ。本当に偶然に・・・。」
「まさか・・・。」
その場面は見ていたけど、知らないことになっているから、表情だけは驚いたフリをする。
「それで、その時に聡子に言われたんだ・・・。婚約を破棄したつもりも、別れたつもりもないって・・・。」
「えっ?和央くんの元カノは元カノじゃなかったってこと?」
それにはさすがに驚いた!!あの時そんなこと話してたの?
「いや、別れるってはっきり言われたし、その後、LINEとかもブロックされて連絡できなくなってたから間違いなく別れて、婚約も破棄されていたはずなんだけど、聡子の中ではそうじゃなかったみたいで・・・。」
「・・・・そんなことあるの?まあいいわ。それなら今度は和央くんからはっきり伝えればいいじゃない。もう別れてるって。」
「・・・うん。だけどその日はそこまで言える余裕がなくて、それで改めてちゃんと話そうと思って東京に行ったんだけど・・・。」
「なんだ、つまり別れ話のためにわざわざ東京に行ったってことね。だったら・・・まあ・・・一回くらいしかたないか・・・。」
和央くんがこんなしょうもないウソをつくわけないし、きっと本当なのだろう。
そんな無茶苦茶言う元カノなんか放っておけばいいじゃん。こんな時でも律儀だな~。
しかし和央くんの口から続いて出た言葉に耳を疑った。
「ごめん・・・。それで話をしたんだけど、実はまだ納得してもらえてなくて・・・。それで説得するために、ここしばらく何度も東京に通ってて。」
「はっ、えっ?何度もって何度?」
「先週の土曜日までで3回・・・。」
「ほぼ毎週じゃん!紗季が頑張ってお客さんの髪を切ってる土曜日にそんなことを?でも簡単な話だよね!あなたとは別れました。今は別に付き合ってる人がいます。じゃあねって、それだけじゃん!!」
あまりのことに、あたしの声がだんだん大きくなってしまい、それに比例して和央くんの声はか細くなっていく。
「別れたってはっきり言ったし、紗季のことも伝えたんだけど・・・私はそんなこと気にしないから、すぐに関係を清算して戻ってきなさいって、その一点張りで・・・。」
「いや、あたしが気にするよ!でも、じゃあもう放っておけばいいじゃん!!3回も行く必要ないよ!!十分誠意は尽くしたって。」
「それが・・・ご飯を食べながら話して帰るころになったら、来週はローストビーフがいいから予約しといてとか言われて、その場で予約させられて、いつの間にかその次の週の予定も押さえられて・・・。」
「ちょっ・・・おま・・・えっ?ちなみにどこでご飯を食べたの?」
「六本木のステーキハウスとか、赤坂のローストビーフとか、有楽町の焼肉とか・・・。」
「ちょっと!!それもうただのデートだよ!!しかも全部紗季が好きなものばかり・・・焼肉なんてもう付き合ってるじゃん!!あたしも焼肉一緒に行ったことないのに・・・。」
「ああ、これから焼肉行く?」
「そういうことじゃない!!」
興奮しながら大声でしゃべり続けたせいか、気づいたらハアハアと肩で息をしていた。少し落ち着いて話をした方がいいかもしれない。冷静にならないと変なことを口走るかもしれない・・・。冷静に、冷静に・・・。
「・・・・このままでは和央くんとはやっていけない。別れる。」
冷静になって整理してから、それでもまったく考えていなかった言葉がポロリと口から出てしまった瞬間、和央くんの表情が凍り付いた。
「ごめん・・・。聡子とのことは、次でちゃんと話をつけるから・・・。」
「それだけじゃない!!東京に戻るって話もだよ。なんで?紗季をここに置いて東京に行って、聡子さんとヨリを戻すつもりなんでしょ!!」
「違う・・・そうじゃない。今の僕には紗季しか・・・。」
「信じられない!!紗季とやり直したいなら、聡子さんとの関係はきっぱり切って。もう二度と会わないで!!あと、市役所の正規職員でもなんでもいいから、これから地元でずっと暮らして!!」
「でも・・・僕には僕の夢があって・・・。」
「聡子さんのためにはその夢を捨てられたんでしょ!!どうして紗季のためには捨てられないの?」
「・・・・・・。」
和央くんがそのまま黙り込んでしまい、車内には静寂が戻って来た。
ふと熱気で曇ったフロントガラスから外を見ると、目の前のマンションにたくさんの明かりが灯っているのが目に入った。
ああ、あの明かりの下ではきっとみんな楽しく平和に過ごしてるんだろうな・・・。それなのにあたしたちは・・・。
「何があっても、それができないなら別れる・・・それができるまで連絡してこないで・・・」
ぽつりと、しかしはっきりとした口調でそうつぶやいた後、あたしは助手席のドアをゆっくり開けクルマから降りた。
そして和央くんの方を振り返り、「それから、別れたんだったら元カノを名前呼びしないで・・・じゃあね!」と言って、バンッとドアを閉めた。
もしかしたら和央くんが追いかけて来てくれるかもしれない。
後ろから抱きしめてくれて、「元カノのことなんか忘れて、紗季のためにずっとこの街で暮らすよ」って言ってくれるかもしれない。
そう期待しながら、駐車場の端まで10mもない距離を、5分くらいかけてゆっくり歩いた。
だけど、そんな牛歩戦術は無意味で、和央くんがクルマから出てくることはなかった。
振り返るとクルマのガラスが曇っていて和央くんの様子は見えなかった。




