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第14話 3年前のクリスマス

クリスマスイブの夜遅く、喉の渇きを感じた僕は、すやすや眠る紗季をベッドに残し水を求めてダイニングに移った。


ダイニングテーブルの椅子に座ってペットボトルの水を飲んでいると、向かいの椅子に座っている紗季の分身(?)である魔法少女リリハナちゃんと目が合った。


「・・・あの何年か前のクリスマスの時・・・まさか今こうなってるなんて想像もしてなかったよね。」


去年までクリスマスはずっと彼女と一緒だった。10年以上愛しく想い続けていた彼女、成城聡子。


ふと、聡子との思い出が次々と浮かんできた。

しまった!ずっと思い出さないように蓋をしてきたのに・・・。



ーー


聡子への想いが叶った瞬間のことは今でも鮮明に覚えている。あれは法科大学院1年目の夏休み初日だった。


「ああ、そう。わかった。いいわよ。」

「えっ?どういうこと?」

「鈍いわね。付き合ってもいいって言ってるのよ!」


僕は一瞬だが呆然自失としてしまった。5年越しの想いが叶う瞬間が、こんなにあっけないものでいいのだろうか。


聡子とは大学1年の時に語学の授業で一緒になり、すぐに心を奪われてしまった。


つやつやした黒髪に透明感があるきめ細かい白い肌、そして美しい切れ長の瞳を持った彼女は、小野小町を思わせる和風美女だったが、それよりも僕の心を惹いたのは彼女の才女ぶりだった。


英語でもドイツ語でも流暢に話す姿は他を圧倒していたし、後に一緒になったゼミでも、その才気に下を巻いた教授から学者になるよう強く勧められていた。


身の程知らずにも大学一の才女である彼女に惚れてしまった僕は、心の片隅では無謀と知りながらもあきらめきれず、積極的に接点を作り、大学4年間で3回告白したが、3回ともフラれ、しかも卒業直前の3回目の告白では、もう近づかないでと言わんばかりにキッパリ拒絶され、人生で初めてやけ酒に溺れることになった。


そのまま大学を卒業し、想いが届かなかったとあきらめていたのだが、彼女とは意外なところで再会した。


僕は卒業後、いったんは公務員になったが、思うところあって法曹の道を志すことになり、母校とは別の法科大学院に入学した。そこに、学者を目指すため母校の修士課程に進んでいたはずの聡子も入学してきたのだ。


後で聞いたところによると、聡子の家は、聡子のお父さんまでで四代続く弁護士の家系で、一人娘である聡子は五代目として法律事務所を引き継ぐという責任を背負っていたらしい。そのため志半ばで学究の道をあきらめて、司法試験を目指すため法科大学院へ移って来たのだそうだ。


入学式後のオリエンテーションで聡子を見かけた時は、1年前にひどくフラれた経緯もあり気まずかったので、僕から声を掛けるのをためらっていた。

しかし、すぐに僕に気づいた聡子が「あら?纐纈くんじゃないの?久しぶり!」と何の屈託もなく話しかけて来たので、動転してほとんど何も言えなかったことを覚えている。


それでも、お互いその大学にはほとんど知り合いがいなかったこともあり、その後も一緒に課題をしたり、話をしたり、勉強の厳しさとか愚痴を聞いてもらったりしているうちに自然に親しくなり、もしかしたら今度こそは・・・と思い切って告白してみたら、拍子抜けするくらいあっさりOKがもらえたのだ。


「あ、うん。よかった。これからよろしくね・・・。」

少しずつ実感が湧いて、喜びがこみあげてきた時だった。


「それはいいけど、ちょっとこれはないんじゃないの!」

突然、聡子の表情が険しくなり、声も低くなった。


「えっ?」

「雑過ぎるでしょ!こんな駅前のざわざわしたチェーン店のカフェで告白するなんて!告白するなら、告白するにふさわしい場所とか、雰囲気とかあるでしょ!」

「あっ・・・ごめん・・・。」

「それから、前から思ってたんだけど、女性のエスコートもなってないわよ。会話運びとか、さりげない配慮とか、お店選びとか、もっと気を遣うべきじゃないかしら・・・?」

「ごめん・・・これまで彼女がいたことなかったから・・・。」

「ああ、そうなんだ・・・。」


彼女は得心したという感じで口の端を歪め右頬だけで笑った。


「じゃあ、これから私が色々教えてあげるから。それで言われたとおりできないんだったら交際は続けられないからね!」

「う、うん・・・。」


この彼女の言葉を受け入れた瞬間から、その後の僕と聡子の関係性が決まってしまった気がする。


それからの聡子との日々は、しばらくは僕の至らない点を注意されることの連続だった。


歩く速度を配慮しろ、きちんと相手を観察して疲労度や体調を気遣え、食事の時は相手のペースに合わせろ、何を望んでいるか察して先回りしろといった基本的な所作から、お店の選び方から僕の服装まで徹底的に注意され、聡子の好みも叩きこまれた。


特に聡子に注意されたのは、僕の会話の進め方である。


「和央はどうしていつも急に変なことを言い出すの?」


ある時、僕が会話の中で渾身のボケを繰り出した時、聡子はクスリともしないまま、冷ややかな口調で僕をたしなめた。


「これはボケであって、できればツッコんでもらえると・・・。」

「何で和央がボケるの?それで何で私がツッコまなきゃいけないの?お笑い芸人でもないのに・・・。」

「そうなんだけど、どっちかがボケたら、それにツッコんで、どっかんってのが普通のコミュニケーションだって言われて・・・。」

「誰に言われたの?」

「えっ?誰に言われたんだったかな・・・。」


この頃の僕は、紗季のことを完全に忘れていたが、なぜか彼女に言われた会話の作法は律義に守っていた。


「私はお笑いみたいな騒がしいのは嫌いなの!やめてちょうだい!!もっと品格を持った会話をして!」

「はい・・・。」


この日から僕は、一切のボケとツッコミを封印した。


いつもこんな調子で注意されていたけど、聡子は別に気難しいわけではない。

ただ幼児のように好き嫌いがはっきりしているだけである。しかも好きと嫌いへの反応が極端だった。


「短パンとかサンダルの人とは話したくない。」

「人ごみを通るくらいならこのまま家に帰る。」

「きゅうりが入ってるなら食べない。お店を出る。」


・・・嫌いなものに出くわしたときの聡子の反応はだいたいこんな感じである。


他方、好きなものに接した時の聡子は、そのクールな見た目に反し、まるで小型犬のように全身で喜びを表現してくれて、そばにいる僕まで幸せな気持ちにしてくれる。


よく焼いたステーキ、赤ワイン、アガサ・クリスティのミステリー、ヨーロッパのオーケストラによるクラシック・・・聡子の好きなものは僕もすぐに好きになったけど、それは、僕がこれら自体を好きになったというよりも、好きなものに出会った時の喜びを聡子と分かち合い、共感したかったからだ。


そうそう。クリスマスと言えば、付き合って最初のクリスマスは忘れられない。

この日は僕が用意したすべてが聡子の好みにクリーンヒットしたからだ。

落ち着いた雰囲気のトスカーナ料理のレストラン、聡子の好みに合うボリュームのある肉料理、そして、プレゼントに用意した聡子がずっと欲しがっていたミステリーの初版本・・・。


この日の聡子は終始上機嫌で、笑いながらその小さな体を揺すって全身で喜びを表現してくれた。

しかも帰り際にハグしながら「和央、大好き」と囁いてくれた時は飛び上がらんばかりに嬉しかった。


本を探すために何日も足を棒にして古書店を巡ってよかった。

レストランも何か所も候補をリストアップし、下見をして聡子の好みに合わない部分があるか徹底的にチェックして絞り込んでよかった。


僕は野球をやったことはないけど、練習を繰り返して、やっとホームランが打てたらこんな気持ちなんだろうな。


もちろん、こんなうまく行くことばかりじゃない。せっかく予約できた人気レストランの料理が気に入らないと不機嫌になって手を付けてもらえなかったり、聡子の希望に合わせて旅行を計画したら、僕が予約した旅館が「なんか嫌だ」と言いだして日帰りすることになったり・・・。


苦労することも多かったけど、それでもなんとか聡子との交際を続けられて僕は幸せだった。

聡子の好みを打ち抜ける打率は低いけど、たまに芯を食って特大のホームランが出て、聡子がはしゃぐ姿を見られた時の感触は、「ああ、僕はこのために生きている」と感じられるくらい何物にも代えがたかった。



だけど、交際を始めてから2年余りたった秋のある日、聡子との関係に大きな危機が訪れた。

この日は、僕と聡子がロースクールを卒業し、初めて受験した司法試験の合格発表の日であり、聡子にとって栄光の始まりになるはずだった。


しかし、運命のいたずらか。その年の司法試験では、聡子が不合格となり、僕のみが合格してしまったのだ。


「????・・・・???」


一緒に合格発表を見に行ったのだが、隣にいる聡子は現実を受け止めきれず、自分の目を疑っているのか、手元にある自分の受験番号のメモと、その番号が記載されていない掲示板の間を、何度も交互にその視線が行き来していたことを覚えている。


ここで運命が分かれてしまったが、僕は何とか聡子を繋ぎ止めることができた。

聡子の気持ちを考えて、徹底的に謙虚に接し、時間をかけて聡子が立ち直るのを待ち、少し気持ちが上向いたタイミングで外に連れ出してフォローするなど細心の注意を払って、なんとか聡子の口から別れの言葉が出ることを阻止したのだ。


ただ、運命の女神はさらに残酷だった。翌年の司法試験でも聡子は不合格になったのだ。しかもこの不合格の意味はとてつもなく大きい。


聡子は、1回目の不合格の時は、ショックな様子ではあったものの、時間が経つと「まあ、お父さんも合格まで7回かかったしね」と自分で言うなど多少の余裕はあった。


しかし、この当時、制度改正により、司法試験は3回までしか受験することができなくなっていた。つまり聡子は3回のうち、既に2回不合格となり、残機は1ということになる。しかも2回不合格となった受験生が3回目で合格することはほぼない。これはそもそも2回不合格になる実力であることに加えて、最後の機会である3回目の試験にまともな精神状態で臨むことなど到底不可能だからだ。


もちろん聡子も2回目の不合格の重みを十分に理解している。合格発表の日からずっと引きこもってしまった・・・。



「あっ・・・見て。今日の前菜は牛肉のタルタルステーキとカナッペみたいだよ!!」

「うん・・・。」


この年のクリスマスイブ。僕はなんとか聡子を外に連れ出すことができたので、聡子が気に入っていたトスカーナ料理のお店に連れて来た。でも、聡子は大好物のはずの料理にも手をつけようとしない。


「・・・そういえば、和央は昨日から弁護士として仕事始めなんでしょ。どうなの・・・?」


聡子は憔悴しきった表情のまま、ポツリとつぶやいた。


「うん・・・まだ研修中だけど、みんな深夜まで働いてるみたいだし、仕事も大変そうで・・・。」


無事に司法修習を終え、2回試験も合格して弁護士登録した僕は、日本でトップクラスの大手渉外法律事務所で働き始めていた。

夢であった渉外弁護士に向かう輝かしい一歩を踏み出したことで未来への期待に胸が膨らんでいるのだが、憔悴している聡子の前ではとてもそんなことは言えない。


「・・・1年目から年収1000万超え・・・5年も勤めたら事務所の負担で海外留学に送り出してもらえて・・・前途洋洋だね。私とは違って・・・。」

「いや・・・うん・・・。」


相変わらず憔悴して、無表情につぶやく聡子の言葉には苦笑いでごまかすしかない。


「私は・・・おじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの代から続いてる法律事務所を受け継ぐ責任があるのに・・・。末代まで受け継いで欲しいって、4年前に亡くなったおじいちゃんが遺言で言ってたのに。ああ、私が末代になっちゃったね・・・・。」

「いや・・・うん。まだ来年もあるし・・・。」


そう言いかけると聡子はテーブルをコツコツ指先で叩きながら、僕の方をキッと睨みつけてきた。


「無理なのは私が一番わかってる。なんで合格できないのか、何が悪いのかすらわからない。いいよね。和央は。伝統を受け継ぐプレッシャーもなく、気楽に受験してあっさり受かっちゃって・・・。おじいちゃんもお父さんも、先祖代々、必死に伝統をつないで来たのに、あたしがそれを断絶する・・・その気持ちわかる?」


真っ赤な目で訴えかける聡子を正視できず、思わず視線を下に落とすと、今度は聡子の嗚咽が聞こえて来た・・・。


どうしたら聡子をもう一度喜ばせることができるだろう。

あの聡子の、全身で喜びを表現するようなはしゃぐ姿をもう一度見ることができるなら何だって犠牲にできる。

僕が差し出せるものと言えば・・・。


これしかない。


「聡子・・・結婚しよう。」

「はっ?」


聡子が信じられないといった表情で僕を見つめている。


「結婚して僕が事務所を引き継ぐ。婿養子になって姓も成城にして構わない。それで二人に子供ができたら、その子がさらに引き継いでくれたら・・・次の世代に聡子の家の伝統を引き継いでいけるんじゃないかな。」


そう言って強く聡子を見つめると、今度は聡子が視線を落とした。聡子の顔にかかった髪の毛が邪魔して表情が見えない・・・・。


「・・・・・・。」


あっ、この空気まずい!間違えたかも!?早く取り消そうと口に出そうとした瞬間だった。


「・・・・ありがとう。うれしい。きっと君がそう言ってくれると思ってた。私が何を望んでいるのかをわかって、与えてくれると信じてた。」


顔を上げた聡子の顔は、いつか見たみたいに喜びに溢れていた。さっきまで萎れていた大輪の月下美人が、生気を取り戻して花開いた・・・。


ああ、僕の判断は間違っていなかった。聡子の芯を打ち抜くことができた・・・。

僕の未来を、夢を犠牲にすることになるかもしれないけど、そんなこと構わない。

だってあの、大好きな聡子の心からの喜びをまた見ることができたから・・・。


ーー


「あのクリスマスから3年・・・いろんなことがあったな・・・。」


向かいの椅子では魔法少女リリハナちゃんが黙って聞いてくれている。


「紗季は・・・聡子と違って、何でも、僕が何をしても喜んでくれる。どんな時でも僕のことを好きだって言ってくれる。それはうれしいけど・・・。」


リリハナちゃんのつぶらな瞳が何かを見透かしたかのように僕を見つめている。


「わかってる。でも、ものたりない・・・。あの苦労してやっと芯を打ち抜いた時の感触に比べると・・・。」


口から零れてしまった本心とそれを聞いてしまったリリハナちゃんをダイニングに残し、僕は無言のまま紗季がいるベッドに戻った。

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