第10話 誕生日(後半戦)
いつの間にこんなことになったのだろう・・・。
あたしは和央くんに抱きしめられながら、混乱する頭の中で記憶を整理していた。
さっきまであたしは和央くんの爪を磨いていたはずだ。
どこまで磨いただろう。中指?薬指?
それなのに気が付いたら和央くんの腕の中にいる。
いったいどんなイリュージョン?
こいつやっぱり女慣れしてやがった。
でも・・・なんかこの匂い好き。心地よく落ち着く。ふにゃ~。
思わず和央くんの背中に手を回して抱きしめると、思いのほかしっかりした背中で驚いた。
ぱっと見、あたしよりも細いかもって思ってたのに意外にがっちりしてるんだ。
そのまま和央くんにしがみついていると、優しくクッションに押し倒され、そこであたしの理性が飛んでしまった・・・。
その直後からベッドで2人横たわっている現在までの間の記憶にない・・・。
・・・なんて都合のいいことはない。
むしろ今日に限ってシラフだったから何があったのか、一挙手一投足を鮮明に思い出せる。
「クッションに寝かされた後、和央くんがあたしの服が皺になっちゃうかもって心配してくれて、じゃあ脱いじゃうってなって、床は硬いからベッド行こうかって言われて、あっちの部屋は散らかってるけど電気消すならいいよってなって、部屋に先に入って電気消したら暗闇で後ろから抱きしめられてそのまま・・・キャッ~!」
思い出し悶絶をしながら隣を見ると、事を済ませて疲れ果てたのか、和央くんがすやすや眠っている。
せっかくの機会だし和央くんの顔をしっかりと観察してみるか。
瞳閉じてると、意外にまつ毛長いのな~。ラクダみたい。
「しかし、元カノが1人だけだから、てっきりあっちの方は未熟者だと思ってたけど、なかなか・・・どうして・・・。」
あの時の多幸感と高揚感は、思い出すだけで身体がブルっと震える。
「しかし、こんなとこまで教育が行き届いてるなんて、元カノさんって大した人だったんだな~。」
そうつぶやくと、まだ見たことのない元カノさんと和央くんが一緒にいるところを想像し、今度はズキッと胸が痛んだので、隣で寝ている和央くんの腕を軽くつねってみる。
「そういえば、流れるようにこうなっちゃったけど、これからどうすんだろね・・・。」
仰向けで天井を見上げると、急に不安がこみあげてくる。普段は真っ白な天井の隅に知らないシミがあるように見える。
「こいつ、あたしのこと好きなのかな・・・ずっと好きでいてくれるのかな・・・。」
思わず、いなくなる前のパパのことを思い出した。パパも紗季とママのことが大好き、2人の笑顔が1番の楽しみって言ってくれてたのに・・・。
色々なことを悶々と考えてしまい、ついに煮詰まって、それ以上考えたくなくて、無理にまぶたをぎゅっと閉じていると、知らぬ間にすぐそこに睡魔が近づいてきていた・・・。
ーー
「紗季さん、起きて!もう8時だよ!」
あっ、和央くんの声がする。どこだ~?そこかな?エイッ!!ブチュ~!
和央くんを抱き寄せておはようのキスをしたつもりだったけど、抱き寄せていたのは間抜けな微笑をたたえた黄色いクマのぬいぐるみだった。
「何してるの?あっ、それよりも、紗季さん、今日お店だよね。もう8時過ぎたけど大丈夫?」
「マズい!」
あたしはガバッと起きると、床に転がったペットボトルや化粧品に躓きながら、顔を洗うため洗面台に向かった。
「ご、ごめんね。和央くんも仕事あるんでしょ?」
「うん・・・僕はまだ余裕があるけど、紗季さんのサロンは9時からでしょ?」
「そう。しかも今日は9時から予約入ってるし!どひゃ~!!」
とりあえず顔を洗い、髪を梳かし、適当に服を着て外へ飛び出そうとした。
「ごめん、急いでいるのはわかるけど、1分だけ時間をくれない?」
靴を履いて、玄関のカギを開けようとした瞬間だった。玄関の方を見たまま体を硬くして身構えると、背中越しに和央くんの震える声が聞こえてきた・・・。
「あ、あの・・・昨日はあんなことしてしまって・・・順番が違ってしまって申し訳なかったけど、もし紗季さんがよければ、僕と正式に付き合ってもらえませんか・・・?」
今朝、和央くんがこんな話をしてくることは予想していた。真面目な和央くんだから、あいまいに体の関係だけを続けるとか、ましてワンナイトなんて考えたこともないだろう。
だからあたしの答えは決まっていた。昨日、ベッドの中でさんざん考えて、これしかないって答えが・・・・。
「ごめん・・・。しばらく考えさせて・・・。」
おそらく呆然としたであろう和央くんの方を振り返らず、そのまま玄関から飛び出し、あたしは何かを振り払うように駆け出した。
――――
「紗季さん、最近悩み事でもあるんですか?」
月曜日の夜、店休日前にサロンの掃除をしていると、アシスタントの香澄ちゃんに心配そうな顔で声を掛けられた。
「えっ?そうかな~?なんかおかしかった?いつもこんな感じでしょ?」
なるべく軽い口調で返そうとしたのだが、香澄ちゃんは真面目な表情のまま首を振った。
「最近、機嫌が良いのかなと思ったら、急に深刻な顔になって考え込んだり・・・。ずっと情緒不安定じゃないですか?」
「ああ・・・そうかな・・・?」
実はあたしも自覚がある・・・。和央くんとの夜を思い出して思わずニヤついてしまったり、でも次の瞬間にこれからの関係をどうしようって悩んだり・・・。最近はずっとその繰り返しだ。
「しかも、しばらく前まで月曜日はずっと浮かれてて、お店が終わったらいそいそとどこかへ出かけてたじゃないですか。でも最近はそれもなくなって・・・。」
「えっ、え~・・・そ、そうかな~・・・。あたしはいつもこんな感じだけど・・・。」
「前に彼氏さんがいた時もそんな感じでしたよ。でも別れた後、凄く落ち込んで・・・。紗季さんはプライベートがうまくいってないと仕事に影響するから心配で・・・。私も恋愛で悩んでますし、よければ一緒に話しませんか?」
そっか・・・そう見えてるんだ。
それに香澄ちゃんも恋愛で悩んでるんだ。だったら香澄ちゃんに相談してみるのもいいかも・・・。
「香澄ちゃんの悩みって今の彼氏との関係とか?」
「はい・・・。今の彼とは高校の頃から5年くらい付き合ってて、最近就職したから結婚しようって話も出てるんですけど、マンネリな感じだしこれでいいのかな~って感じで。それで最近、マチアプ始めたらいい感じの人とマッチングして、告白されて、こっちの方がいいかな~って思い始めちゃって・・・。」
「あっ、あ~、そうなんだ、へえ~・・・。」
やばい・・・あたしよりだいぶ先に行ってる。こんな年下の、でも恋愛では先輩にあたしの恋の悩みなんて相談できないよ~・・・。う~ん・・・。
「私に相談するのが気が進まないなら、相談に乗ってくれるアプリがありますよ!!」
「えっ?アプリ?」
「ニックネームを使った匿名のチャットで相談できますし、私もたまに使うけど、なかなかいいアドバイスくれますよ。試しに使ってみたらどうですか?」
こんなこと相談できる人はいないって思ってたけど、そうか・・・アプリか・・・。




