微笑の大火
意外に、祖先が何者でもないような平々凡々とした農家の物置なんかに未だ認知されていない一品の美術品が隠れていたりする。
それが何故かというと、食に困って泣く泣く手放した家宝であったり、返礼品であったりする。さそういうモノは由来のきれいなものであるのだが、一部ではどうしてあるのか全く伝承がないばかりか、あれもこれも朽ち果てた納屋から何故かそれだけ腐食を免れて小綺麗な状態で発見されるものがある。
そういう何か曰くを感じさせるモノは極端に悪いものか良いものかになるのだが、九割がた性の悪い、悪いと言っても極悪の部類の祟りモノである。
虚ろなモノに得たいのしれない霊が宿ることあらば、精魂込めた並ならぬ傑作にも魂が宿る。しかし、そういったものが善良であるかと言えば真逆で、そうやって何かを訴えたいということは、円満の対極にある魂に違いないのだ。
世の不思議な話等を集めていると、あれ?これは聞いたなぁ。と思い出す類似した小話がいくつかある。
微笑図だとか、火艶女画、損ない美人画と呼ばれる農村を転々とする伝承上の美人画がその一つだ。
大体が古い納屋を片付けていると、桐箱に仕舞われた掛け軸を見つける。
開くとそれは美しい笑みをたたえており、住民は心を奪われて昼夜問わず眺めるようになる。
ある夜に燭台が倒れて火が起こるのだが、住民は絵に見惚れて逃げ遅れ焼け死ぬ。鎮火された家屋には、焼死体とそれに向かって微笑む画が無傷で残っている。
このように数行で済む、実に数万とありがちな話で。これは農民が身丈に合わない物を大事にするだとか、本業をおろそかにすると身を滅ぼすという教訓なんじゃないのかと評されている。
これを元に作られた創作なのか、定五郎という骨董屋の綴り書きに猿絵微笑図の紹介がある。猿絵はある至高の域にあった絵師が世を呪って描いた複数枚に渡る傑作の猿の絵が元で、これを手にした権力者が尽く不審死したために曰くのついた絵を総じてこのように呼ぶ。
定五郎によるとこの絵は美女ではなく、美男の絵である。
等身図で、体は他方に向けて座り、ふとこちらに気がついて笑みを投げたような微笑ましい一瞬を閉じ込めた傑作であると書く。
顔の半分が火事で消失したのを直したものであり、眼差しは失われているものの残った眦の残滓に万感が籠もり想像を掻き立てられる。
そこに恋情などの艷やかな気配は微塵もなく、ただ心を許した親友や兄弟、師に向けるような清らかな風情がある。
見るだに気恥ずかしいような嬉しいような気持ちが沸き起こり、しれずににこやかにさせられる。あるいは、挨拶を返したくなるような奇妙な求心力が欠けて残った表情に宿っている。
紛れもなく名作で、しかし損ない品でもある。定五郎は鑑定を頼まれて村に足を運び一泊した。
持ち主は子供が生まれることもあり、これを金銭に変えたいと考え、つてを頼って定五郎を呼んだ。商談は満足にまとまり、その夜は画を鑑賞して呑もうという誘いにのって5人の男が一部屋に集まっていた。
雫が集まれば流れて落ちるように、男が集まった為酒が運ばれ酒宴となった。祝い酒であろう。
定五郎はほどほどに断っていたようだが、皆へべれけ。一人、一人こっくりこっくりと船漕いで入眠した。
定五郎は瞼に灯りが揺れたのを機にふと、目が覚めた。頭は泥酔しているものの、火事の恐怖が心にあったからだ。
と、言うのも定五郎、生家が焼けている。
誰かが、燭台を蹴ったか移動させたようだった。明るかった一角に墓穴があいたかのような、暗がりが生じていた。首をめぐらせば、誰ぞが灯りを片手に画の前に座している。
採光窓から入る微風に灯りが揺れ、右へ、左へと濃い影が大仰に揺れた。誰ぞの顔は陰落ちて見えぬが、陰影の妙か、美男の口角が囁くように見え、目尻は陰湿に釣り上がり、また蔑むように下がる。
誰ぞは彼に相談するかのようにボソボソ呟いており、定五郎は誰ぞも相当に酔っ払っているなと寛大に思うた。
どうにもご機嫌な気分になり、定五郎は火の始末は頼むぞと声をかけて、うとうとし始めた。
眠り手前の心地よい雑念の波の中で、ふと定五郎は気がついた。寝入っている足の数と、合わないのだ。男が一人多い。
酔をぶっ飛ばして定五郎は起き上がり、おいおいと声をかけて騒ぎ立てた。画がない。盗まれたのだ。あの影男に。皆、正気づくやいなや顔を怒りで赤くして下手人を探しに飛び出していった。
しかし、影男はついぞ行方が分からず。ただ、家の死角に藁木が寄せられてるのが見つかっただけであった。思い返せば、と定五郎は追記している。
影男は刺して刺すか燃やそうか、なして死なそうかと呟いていたように思い出されると。
記録はこれで終いである。