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君の世界を巡る旅  作者: 天崎 剣
【9】アラガルド王国へ

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6. 奴隷

 昔の話をしだした途端、佑の手の中は汗でじっとり濡れ始めた。

 十八年間過ごした家なのに、愛着どころか恐怖を感じていたなんて、きっと奇妙に見えるだろう。

 不思議なことに、その恐怖は二十年近く時間を超えてもなお鮮明に思い出されて、今も佑の肩や膝をガタガタと震えさせている。

 情けない。こんな歳になってもまだ怖いだなんて。


「その時何か……言われたの?」


 と、ロザリー。

 佑はこくりと深く頭を落とした。


「紗良に向かって、『何だこの女は』……と」






 ◇






 畳に擦り付けた頭を、佑は上げられなかった。

 祖父の言葉が紗良に向けられていると知っていながら、恐怖で身体が動かないのだ。大切な人を守らなければという気持ちを、恐怖が上回っている。

 季節は春。肌寒い外の風を浴びてきたはずなのに、身体中嫌な汗でびっしょりだった。


『瀬名紗良と申します。佑さんが何故頑なに御家族を紹介してくれなかったのか、……よく、分かりました』


 頭の上で、紗良の凛とした声が響いた。


『チャラチャラした髪、青い目。外人と結婚する気か? 銀行員が、随分遊び歩いてんだねぇ』


 祖父が呵呵と笑う声。


『佑さんは、真面目な方です』

『真面目なもんか。家も継がねぇで。銀行員なんて、ただの金貸しでねぇのが』


 不気味なくらいに、二人の声だけが飛び交っている。

 身動きの取れない佑は、震えながら、頭の中でごめんなさいを繰り返した。


『第一……、何処の馬の骨とも分がんねぇ外人連れて来て、結婚しますだの家は継ぎませんだの。一体……誰が許すと思ってんだァ!! 佑ゥ!!』


 祖父の怒号に、佑はガタガタと大きく震え出した。

 幼い日、許して貰えるまで謝り続けたトラウマが、佑をどんどん追い詰めていく。


『勝手に家出て、勝手に就職して……!! 跡取りに逃げられたんでねェのって、こっちァ村の笑いモンだ!! ァア゛ァ?! まだ二十そこいらで、世間も知らねぇ若造がァ……!! よぐもまァ、結婚だなんてよォ!! そんなもん、誰ェが許すがァア!!』


 幼少の頃から頭にこびり付いて離れない、祖父の怒声。

 こんなものを……、紗良に聞かせてしまうなんて。

 それがとても辛くて、苦しくて。


『……私、知ってます。これは、奴隷の反応です』


 紗良は変わらず、高い位置から真っ直ぐと声を出している。

 静かな声に怒りが含まれているのに気づいて、佑は僅かに顔を上げた。


『虐げられた奴隷はよく言うことを聞きます。……でもそれは、主人が怖くて抵抗出来ないから。大きな声に怯えて、……こうして、震えるんです』


 紗良の柔らかな手が、佑の背中をゆっくりと擦り出すと、佑はもう、我慢が出来なくなって、声を上げて泣き始めた。


『何? 佑が奴隷だって言ってんのが?』

『この怯え方は異常です。あなた方が、どうやって佑を育てて来たのか、この反応で全部分かりました。佑は、私と幸せになります。あなた方とは恐らくもう、会うことはないでしょう』

『……ァんだってェ?! こンのアマ(・・)ァア!!!!』


 ダンッと、祖父の拳が、畳に思い切り叩き付けられた。


『――うわぁぁッ!!』


 佑は慌てて頭を抱え、身体を丸めた。

 目の前にいる祖父は佑より小さかった。……けれど、佑はそれさえ忘れて怯えている。

 後ろに座る祖母や父は、そんな佑を無表情に眺めているだけで、なんの言葉もかけようとしなかった。それがまた、恐怖に拍車をかけた。


『小さい犬程良く吠えるのだそうですね』


 抑揚なく、紗良は言った。


『――ンだと?! もういっぺん言ってみろ!!』


 再び、祖父の怒号。

 怖い。……けれど、隣に座る紗良の気配は乱れない。

 何が起きているのか……、佑は恐る恐る、頭を上げた。

 紗良の真ん前に祖父が立ち塞がっている。

 紗良は微動だにせず、綺麗に正座したまま、祖父の顔を見上げていた。


『この世界に、奴隷は存在しないと聞きました。そして、この国には自由がある。結婚も、個人の自由です。佑は私と幸せになります。あなた方に、佑の自由を制限する権限はありませんよね』

『そういうのを身勝手だって言うんだァ〜。世間も知らねぇ小娘が、何を口ごたえしやがって』

『――少なくとも、私も佑も、あなたよりずっと、社会の厳しさを知っています』


 気丈に答える紗良の手が、膝の上で僅かに震えているのが見えた。


『――佑、行きましょう』


 呆然とする佑の肩に手を回し、耳元で『ごめんなさい』と紗良は言った。

 覚束無い足で立ち上がり、紗良に手を引かれて玄関に向かった。


『佑!』


 玄関先に、母がいた。

 紗良は全てを察したように、


『安心してください。私達、きっと幸せになりますから』


 と、佑の母に言ったのだった。






 ◇






「とても……、酷い言葉をたくさん投げ付けられたのに、紗良は気丈で、俺はすっかり助けられました。いつの間にか、紗良を支えるつもりが、支えられていたんです」


 何度思い出しても、苦しくなる。

 佑の目からはいつの間にか、涙が溢れていた。

 紗良のそれば、生きづらさを知っていたからこその言葉だったと思うと、あまりにも重い。


「逃げるように家を出て……、それから、河川敷に向かいました。桜並木が満開で、とても心地よい風が吹いていました」

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