3. 追っ手
小屋を発ち、数時間。
休憩を一度挟み、佑とリディアを乗せた大狼のスキアは、まっさらな雪の上を駆け抜けた。
朝の空気は爽やかで、風の冷たさも心地よかった。
十分に休息を取ったあとのスキアの走りは特に軽快で、ブレが少ない。どうしても疲れてくると軸がぶれたり、あるいはスピードが落ちたりするのだが、疲れのない状態だとスキアの走りは安定していて、背中に乗る二人にも伝わる振動が少なく済むのだ。
森の抜け道を出たところに、標識が立っているのが見えた。止まらずに駆けていくので、何と書いてあったか気になった佑が尋ねると、リディアはそれぞれの方角を指差し、簡単に地理を案内した。
「真っ直ぐ行けばガリム公国の首都テッセに着く。右に曲がればシャルル湖。かなり大きな湖で、この辺一帯の水源になっているんだ。左へ曲がればアラガルド王国領のニドゥ鉱山へ出る。ズィオ村の男達も良く採掘場に出稼ぎに来ていた。今通ってきたトゥーリアの森は、やたらと広い上に休む場所も限られている。余程急ぎでない限り、旅人達は森を迂回して、幾つかの村や町を経由してから公国領へと入るんだ」
「そういえば、ズィオ村を通るのは近道だって言ってましたね。迂回するとどのくらいかかるんですか?」
「そうだな。今、森を抜けるのに二日半程かかったが、迂回すれば急いでも五日以上かかる。今の私達にその余裕はない。だから森を抜けたのだ」
公国領内の雪野原を、佑達は更にズンズン進んだ。
スキアの背中からは、大小様々な町があちらこちらに散らばっているのがよく見渡せた。工業品の生産が盛んだというガリム公国には、特色ある町が多くあるそうだが、寄らずに走った。
目的地はあくまでアラガルド王国。そこに向かう途中で、どうにか竜樹と合流したいのだ。
「雪の音が変わってきましたね」
スキアの背中で佑が言った。
「心無しか、公国領に入ってから雪の量が少なくなってる気がします」
「良く見ているな。そうだ。森を挟んで気候が違う。こっちは少し暖かい。日が出て、所々雪も消え始めている」
言われて見渡すと、確かに景色の中に茶色いものが混ざっていた。
日当たりの良い場所は雪が溶け、足元も緩み始めている。
「スキア、走りにくくないかな」
「大丈夫。気にするな。もう少ししたら首都が見えてくる。大狼は目立つから、もうそろそろスキアにも人間姿に戻って貰わないと」
リディアがそう零した矢先、
「ピィィィィイィィ――――――――――ッ!!!!」
警笛のような音が周囲に響き渡った。
どうした、と佑が疑問に思うまでの間に、リディアは既に警戒を強め、スキアに指示を出していた。
「スキア、急げ!! 見つかった!!」
リディアの言葉に慌て、佑は周囲を見渡した。
「後ろだ!! 気付かなかった!!」
佑は言われて後ろを振り返った。
騎馬が数騎、こちら目掛けて走ってくる。乗っているのはどこの兵だろうか、大きく手を振り、互いに合図を交わしているのが視界に入った。
「私を捕らえる気だ。見つかった……!!」
リディアが焦りの声を上げる。
いつもの落ち着きが消え、呼吸が乱れ始めているのに気付く。
「リディアさん、まだそうと決まった訳では」
佑が後ろから声をかけるが、リディアの焦りは加速するばかり。
リディアの震えが佑に伝う。
悲痛な叫びが聞こえ始める。
「違う……! 違うんだタスク!! 私はお尋ね者だ! 賞金首だ!! 森を挟んでこちら側に出れば、それこそ誰もが知る極悪人なのだ。誰かがどこかで私達を見ていたに違いない。大狼に跨る魔女の話を聞いて、面白がって捕まえに来たかも知れん。私はまだ、捕まりたくない。アラガルドへ、王国へ行かねば。王女の忘れ形見を、リュウを支えねばならんのだ……!!」
レニが言っていた言葉が、ふと佑の脳裏を過ぎった。
――『あいつ、死ぬ気だ』
それだけは、避けなければ。レニとの約束。無事に、王国へ。
騎馬の群れと、距離が縮まっていく。
それどころか、両側からも騎馬が数騎ずつ現れ、合流し、佑達を追い立てる。
気が付くと、後方左右の三方向から囲まれている。ここから逃れるには、スキアが更にスピードを上げて振り切るしかないのだが。
ふらっと、分かりやすくスキアがよろめいた。
肉食動物は長距離に弱い。草食動物の方がずっと持久力があって、長い距離、長い時間走り続けることが出来るのだと、佑は頭のどこかでそんなことを思い出す。
ずっと走り続けてきたスキアの体力はとうに限界なのだ。主の期待に応えるために、いつも無理して走り続けてくれていたのを、佑も知っていた。無垢で、無邪気で、そしてリディアのことが大好きだから、スキアはいつも頑張っていた。
限界が来る。
スピードがガクンと落ちて、背中が不安定になる。
「スキア!! お願いだ!! 走れ!! 走れぇっ!!!!」
叫び声が、泣き声に変わった。
リディアが混乱してる。
佑はギュッとリディアの腰を左手できつく抱いて、右手でスキアの背中を叩いた。
「スキア止まれッ!! 無理するな!! ゆっくり止まれ!!!!」
「黙れタスク!! 追っ手が来る!! お願いだタスク!! 私を、私を逃がしてくれ――――……!!!!」
騎馬がどんどん迫ってくる。
リディアの興奮が増し、恐怖に支配されていくのが目に見える。
「ダメです、リディアさん! スキアは限界だ。このまま突っ走れば、足がもつれて俺達は放り出されてしまう。もう頑張った。頑張ったんです」
「捕まりたくないんだよ!! お願いだから、タスク、どうか私を逃して――……!!!!」
スキアの背中に身を埋めて、リディアは叫んだ。
魔女ならば――……、本当に力のある魔女ならば、きっと何かしらの魔法で攻撃してみたり、相手を弱らせたりして折ってから逃れようとでもするだろうに。
思えばリディアは、簡単な生活魔法程度しか、タスクの前では操らなかった。火をおこしたり、鍵を掛けたり、あるいは持ち物や庭の植物に呪いをかけたり、その程度。
無茶して力を失ったと、カヤが言った。
長い逃亡の果てに、力も使い魔も失って、それがトラウマになってしまっているのだとしたら。
この追っ手を払う力が、今のリディアにないのだとしたら。
ひっそりと辺境に隠れ住み、見つからないようにしていた理由がそれだったとしたなら。
「リディアさん……!!」
かつては、ルミール随一だと謳われた魔女だったと、彼女は言った。
失った力が身体を小さくする程に大きかったのだとして、それを受け入れられず人知れず苦しんできただろう彼女を、佑は責めることなど出来なかった。
ただただ、虚勢を張っていた彼女があまりにも脆くて、レニが言った『守ってやって』が急に重くのしかかってきて。
――騎馬との距離が迫る。こちらを威圧するように、馬上の兵はこちらに向かって止まれ止まれと叫んでいる。
「……守ります。リディアさんのことは俺が守ります。どうにかします。だからリディアさん、スキアが止まるのを許してやって。もう本当に、限界なんだ」
軽快だったスキアの息が乱れているのに、リディアが気付かないわけがない。
不自然に、背中が上下していた。リズムが崩れ、頼りなくふらついていた。
「お願いです……、リディアさん。無茶したら、スキアを失ってしまう……!!」
ビクッと、リディアの肩が震えた。
「い……やだ。スキア、それは嫌だ。誰もこれ以上、私から…………、あぁっ、あああぁあああぁ……アッ!!!!」
いつもの威厳を全部かき消すように泣くリディアを、佑は後ろからギュッと抱き締めた。




