3. 優しい人
久々に酒を飲んだのに、佑はなかなか寝付けなかった。
エナの町の宿屋とは違って壁が薄いのか、外の音がハッキリと聞こえてくる。
夜が更けるに従って、風はどんどん強くなった。ビュウビュウと雪を容赦なく建物に叩きつけてくる。
竜樹は、どうしているだろう。
――アラガルド王国の復興。
復興という言葉を使うからには、王国の現状は、きっとよろしくないのだろう。
王家はどうなったのか。
宰相と貴族から、竜樹は政権を取り戻そうとしているのだろうか。
まさか。
まだ十五歳の少年だ。
義務教育だって終わってない。これから先、どんな進路を選ぶのか、もっと真剣に話し合わなくてはならないと思っていたのに。
『ずっと、ルミールのことを聞かされて育った』と、竜樹は村で語ったらしい。
佑の知らないところで、紗良は竜樹にルミールとアラガルド王国の話をしていた。そして、ブレスレットを竜樹に託した。
三者面談でのぶっきらぼうな態度。まさか、将来はアラガルドをと考えていたのだろうか。
飲み屋のマスターの言うとおり、竜樹も囚われているのだとしたら。
◇
紗良は、とても器用だった。
裁縫を始めてからは、字の練習の傍ら、合間を縫っては何かしらチクチクと針を刺していることが多くなった。
円形の枠に白い布をピンと張って、紗良は図案通りに針を刺してゆく。針を刺す度に少しずつ絵が浮かび上がった。
根気のいる作業を、紗良はいつも楽しそうにこなすのだ。聞いた事のない、佑の知らない鼻歌を歌いながら。
『手芸屋さんの片隅に、紗良さんのコーナーが出来たんだよ』
冬の始めに真穂が言った。
『紗良さんの刺繍、とっても綺麗でね。ばあちゃんと手芸屋さんとで、紗良さん口説いたの。で、試しに、紗良さんの刺繍使ったトートバッグを置いてみたら、即完売!! 五個あったのに、その日のうちに全部売れちゃった!!』
『ま、真穂さん。そんなに大袈裟に言わなくても……』
紗良は針を持つ手を止めて、顔を真っ赤にした。
『で!! 売上金で買ったのがこちらのプリン!! 曽根っち、じっくり味わいなさいよ!!』
帰宅して突然、真穂に差し出されたプリン。
てっきり大家からの差し入れかと思っていた佑は、驚いて紗良に『本当に?』と確認してしまった。
『佑さん、疲れた時にいつも甘い物を買って食べていたので。……私からの、ちょっとしたお礼です』
『ちゃんとマフラーも作ってるって。すんごいよぉ〜。売り物みたいなの作ってるから、期待して〜!』
真穂は自分のことのように佑に話した。
『ありがとう。……やばっ。涙出てきた』
感無量だった。
まだまだ、出来ることは多くないが、それでも前に前に進んでいる紗良に励まされる。
紗良は静かに笑う。
上品で、蕩けるような笑い方。
実はどこかの令嬢なのではと、佑は絶対に有り得ないだろう妄想を――……。
◇
ずっしりとした何かに押し潰されて、目が覚めた。
「タスク遅い〜〜!! いつまで飲んでたんだよ〜〜!!」
スキアだった。
「ヒゲもジョリジョリしてる〜! おもしれぇ〜!!」
布団の上から乗っかったまま顔をペタペタ触ってくるスキアに、佑はやめてと言ったのだが、じゃれるのが面白いらしく、なかなか退いてくれない。
まだまだ甘えたい年頃なんだろう。
親の大狼はエナの町でギルドに処分されたと言っていた。動物の独り立ちは早いが、酷い別れだったに違いない。
多少は甘えさせてやろうと、佑は少しの間、スキアに付き合った。もふもふとした狼の耳やしっぽが時折身体に触れてくすぐったい。ゲラゲラ笑い転げると、スキアはますます喜んで、頭を佑に擦り付けた。
「悪い悪い。ゆっくりし過ぎた。リディアさんは?」
「リディアは支度して、先に飯食って外行ったよ。村の人達に話聞いてみるって」
「そうか。天気はどう?」
「まだちょっと吹雪いてる。昼頃には晴れそうだって」
「そうか……。出発はその後かな……」
よいしょと身体を起こし、スキアを抱きかかえてベッドから降りた。
室内でも長靴なのは何となく慣れて来たけれど、やっぱり素足で過ごしたいと思うのは、日本人の性かも知れない。
サッと身支度を整えて、顎をさすった。
無精ヒゲが酷い。鏡の代わりにスマホを立ち上げ、インカメラで確認すると、見た事もないくらいヒゲが生えていた。
「うわぁ。酷いな。昨日剃れなかったからなぁ……。リディアさんが戻るまでヒゲ剃るか……」
独りごちているところに、スキアがぬっと入ってくる。
「ジョリジョリおもしれぇ。なんでジョリジョリするの?」
「人間の男は、ヒゲが生えるんだよ。毎朝剃ってんの」
「リディアはヒゲ生えないよ」
「女の子だからね」
人間の男と過ごすのが、そもそも初めてなのか、スキアは変なことを聞く。
それはそれで可愛いなと、佑は荷物からカミソリと石鹸、タオルを取りだした。
「リディアは好き?」
佑は何気なくスキアに聞いた。
「好き。タスクは?」
「好きだよ。人としてね。優しいし、強い。流石は紗良の先生だ。きっと紗良は、リディアさんの背中を見て育ったんだ。尊敬するよ」
本当に、心からそう思う。
彼女がいなければ、紗良は佑と出会うことすら出来なかったのだ。
「リディアさんは否定するかも知れないけど、あんなに優しい人はいないよ」
佑は知らなかった。
ドアの向こう側で、外から帰ってきたリディアが佑の言葉を聞いたことを。
顔を綻ばせ、ドアノブを触れずに立ち尽くした魔女がいることを。




