2. 囚われてる
風の音が大きくなってきた。
竜樹が森で野宿しているかも知れないと聞き、佑の頭はもう、酒どころではなくなってしまっていた。
目の前に置かれたチーズとリア酒はなかなか減らない。チーズを刺したフォークを握り締めたまま、手が止まっている。
最後の客が去り、女給仕が去り、料理人が去った。
店内に残っているのは、佑とマスターだけになった。
マスターはカウンターから出て、佑の隣に座った。佑に勧めたのと同じリヤ酒を瓶ごとカウンターに持ってきて、手酌でコップに注いで、グビッとひと飲み。ふぅと息をついて、佑の顔色を伺った。
「心配したところで、風は止まないし、夜も明けない。賢い息子さんだ。今頃きっと、安全なところで休んでる。そう思った方が心臓に悪くない」
マスターが隣の席に居ることに、佑はようやく気が付いた。
酔っていたのもそうだが、心配しすぎて、ずっと竜樹のことを考えていたのだ。
「さっき、マスター、俺と息子は似てないって言ってたじゃないですか。あいつは、妻に似たんです。髪と目の色はそのまんま引き継いでるし、……性格も。真っ直ぐなところとか、意志が強いところとか、全部妻に似たんです」
手の中のフォークの存在を思い出し、佑はぱくんとチーズを口に放り込んだ。
続いてリヤ酒を流し込む。それぞれバラバラでも美味しいが、やっぱりこの組み合わせだ。マスターおすすめの食べ方が、一番美味い。
「確かに、髪の毛の色は違うし、あの子はあんたとは違って、可愛らしい顔をしてる。あ、決してあんたが不細工とかではなくてね。中性的な、綺麗な顔立ちをしてる子だった。奥さんが王女だってことも、知らなかったって?」
佑はこくりと頷いて、また一口、リヤ酒を飲んだ。
「王女なんて、全く。それどころか、ルミールの人間だったことも知りませんでした。俺の暮らしてたところがかの地と呼ばれてて、別の世界があったってことも、知らなかった。俺は知らなかったけど、竜樹は知ってた。俺だけ何も……、知らなかった」
「で、悩んだわけか」
「紗良が……、妻が俺に何も話さなかった理由を、ずっと考えてるんです。信用、されてなかったのかなと」
「――息子さんが言うには、『父は物凄く優しくて、生真面目で、誠実な人だ』と。あらぬ心配を掛けたくないと思った可能性も、あるんじゃないか?」
「そうでしょうか。息子とは、もう何年もまともに会話してない気がして。……父親失格です。必死に働けば良いと、そればかり思ってしまった。楽な暮らしをさせたい、好きな道を選んで貰いたい。俺の想いだけが先行して、竜樹の気持ちを確認するのを怠った。だからきっと見放されたんだと思っているんです」
マスターはふぅんと、何度か頷き、コップを傾けた。
「あんたは、優し過ぎるのかも知れない」
思いもよらぬ言葉に、佑はマスターの方を見た。
マスターは佑の方は見ないで、カウンターの方をずっと見ている。
「他人の顔色、窺ってばかりの人生だったんだろ。家族が嫌な思いをしないよう、あんたは必死だった。子供の頃から、我慢し通しの人生だ。良い子でいた方が、波風が立たない。自分さえ我慢すれば良いと踏ん張った。自己主張したことで家族と疎遠になってしまったのが、間違いなく転機だろうな。あんたはもしかしたら、そういうこともあって、自由に生きること自体に、何かしらの後ろめたさを感じてしまってるんじゃないのか」
後ろめたさ。
確かに、そうかも知れない。
佑は真っ黒なコップの中をじっと見て、マスターの言葉の意味を噛み締めた。
「あんまり、自分を責めるなよ。あんたには、苦しさや辛さを知ってるっていう強みがある。自分がされて嫌だったことは、相手には経験して欲しくないと心から思ってる。だからこそ、ずっと奥さんと連れ添って来れたんじゃないのか。もし、あんたが秘密を暴こうとしたり、秘密を知って距離を取ったりする人間なら、奥さんはそんなに長い間一緒になんかいてくれなかったろう?」
マスターの言葉に、佑はハッとした。
絶対に、聞かない。――あの誓いが、紗良の支えになっていたなら。
「俺が、何も聞かなかったから、一緒にいた……? 何も聞かなかったから、俺に話すのを躊躇って、紗良と竜樹だけで秘密を共有したんじゃないかと」
「何も聞かなかったから、良かった。安心出来たんだと思うぜ?」
憐れんでくれているのか、同情しているのか。
マスターは少なくとも、自分を責めてはいないことだけは分かる。
そして、竜樹が随分と、この村で色んな話をしたことも。
「……さっき、アラガルドの復興がどうのって話、してましたよね」
「ん? あぁ、したな」
「リディアさんに色々聞きました。宰相のアーネストが現れてから、国がおかしくなったとか。あまり……、よろしくない状態ってことですか?」
マスターはこくりと深く頷いた。
「王家は、力を失っている。宰相と貴族が国を牛耳ってるって話だ」
「関税も相変わらず?」
「そうだ。確かにあちこち整備されて、見てくれは美しい国になったよ。だけど、そうやって集めた金で、宰相は軍備を拡張させた。行商人に聞いたんだ。王都には傭兵がウロウロしていたらしい。見た事もないような兵器もたくさんあったと聞いている。戦争でも始まるんじゃないかと怖くなって、商売をさっさと切り上げて逃げ帰ったって」
「戦争って……。まさか」
「あんたの息子は、王国の現状を既に知っていた。行くのは危険だ、やめろと言ったが、聞かなかった。『どうにかして軍国化を止めたい』『平和な国に戻したい』と。それが母親の願いだったと言っていたよ。『ずっと、ルミールのことを聞かされて育った』とも。話を聞く限り、あんたも息子も、だいぶ囚われてるんだと思うよ。……自分の親と、家族に」
フォークを持つ手から、力が抜けた。
佑は呆然と、マスターを見ていた。




