1. あの子の
リディアをベッドに寝かせ、部屋に鍵を掛けてから、佑はスキアと飲み屋に戻った。
さっきとは打って変わって客の目線は柔らかい。様子を覗うようなピリピリ感はなくなって、やっと戻ってきたなと温かく迎えてくれたような気配すらした。
料理が置きっぱなしの席に座って落ち着いて食べ始めると、飲み屋のマスターがジョッキを一つ持ってきて、佑の目の前にスッと置いた。
「これは、皆からの奢り」
「奢り?」
迷惑掛けたのに、奢りだなんて。
首を傾げていると、
「話がある。店じまいしたあとで、ちょっと」
マスターは佑に耳打ちした。
分かりましたと、佑はコソッと答えた。
「何の話?」
もぐもぐと残りのご馳走を口に含みながら、スキアが聞いてくる。
「さぁ。なんだろうね」
首を傾げながら、佑もスキアと一緒に少し冷めた晩ご飯を食べ始めた。
*
満腹になったのと一日中走って疲れたので、スキアは全部を平らげる前に椅子で船を漕ぎ始めた。
もう寝ようと佑が声を掛けると、分かっているのかどうか分からないような返事をして、そのまま寝てしまいそうになっていた。
飲み屋のマスターに断ってから、佑はまた部屋に戻り、スキアを寝かせた。
「すみません。何度も何度も」
店内には殆ど客が残っておらず、飲み屋のマスターと女給仕、それから料理人がカウンターの内側に見える。殆ど食べ終えていた食事はすっかりと片付けられていた。
「待ってたよ。こっちへ」
飲み屋のマスターは佑をカウンターテーブルに招いた。
佑は軽く会釈してから、マスターの招きに応じた。
「寝た?」
「はい。スキア……、さっきの子、魔女のリディアさんの使い魔なんですけど、今朝、エナの町からずっと俺とリディアさん、二人を乗せて走ってくれて。あ、スキアは本当は大狼で。人間の姿してるのは、魔法……なのかな。とにかく走り通しだったんで、疲れたみたいです」
年配のマスターはこくこくと頷きながら、佑の話を聞いてくれる。
その途中で、スッと陶器製のコップを一つ、差し出してくる。飲み物だ。
「果実酒は飲める?」
「ありがとうございます」
暗い色。ランタンしか明かりのない店内では、酒の色もよく見えない。
ブドウに似た臭いがする。ワインだろうか。
恐る恐る口を付けると、なるほど、少し甘い。赤ワインのような味。
「村で仕込んだ酒だ。リヤの実を絞って発酵させる。肉料理にも合うし、魚料理にも合う。勿論そのままでも。羊の乳で作ったチーズと一緒にどうぞ」
一緒に出された小皿には、ブルーチーズのようなものが賽の目にカットされて置かれていた。フォークで刺して、パクッと一口。やっぱりブルーチーズだ。独特の臭いと塩味。
酒も一緒に口に含むと、まろやかさが増した。
「美味いですね」
「お、分かるか」
マスターは上機嫌だ。
味わいながら飲み進めていると、マスターがジロジロと自分を観察しているのに気付いた。ビクッとして、思わずマスターの顔を見上げる。
「な、何か付いてますか?」
「いや」
マスターは何も言わない。
「話があるって言ってましたけど、まさか酒とチーズを振る舞うためじゃないですよね」
それどころか、唸るようにしてゆっくり息を吐き、佑の顔を食い入るように見ている。
「……あまり、似てない」
「似てない?」
「あぁ……、いや。別人なら、話は終わりなんだ」
妙な感じがする。
けれど、何となく、何が言いたいのか分かってしまう。
「うちの息子が……、立ち寄ってたと思うんですよ」
マスターの表情が変わる。
「十五歳の少年です。エナの町で馬を買ったと聞きました。たった一人、勝手に出てってしまって。追いかけてきたんです。出てった事情は知りません。ただ、死んだ妻に何かを聞かされていて、それで王国に向かってるらしいってことだけは、分かりました。五連の石のブレスレットを付けた少年。……この村に、来ませんでしたか?」
前のめりになって、佑はマスターに訴えた。
自分のことを警戒しているようなのは分かっているが、まどろっこしく相手の心を砕いたりしているような余裕はないのだ。
「……やっぱり、あの子の父親か」
マスターは安心したように息をついた。
「来たんですね?! 竜樹がここに!!」
佑は思わずテーブルに手を付いて立ち上がった。
「まぁ落ち着いて。こちらから下手に父親ですね、なんて聞くわけにはいかなかったから、はっきり分かるまで我慢していた。さっき、魔女との話を耳にしたとき、そうかなとは思っていたんだが、ハッキリ分かるまで何も話せなかった。すまない」
「だから妙にジロジロと……」
理由が分かればなんてことはない。
佑は胸を撫で下ろし、椅子に座り直した。
「村の連中は皆知ってる。あんな子は初めてだったし、何より、感銘を受けた。素晴らしい息子だ」
「感銘?」
「あの子が本当に王家の血を引いているなら、アラガルドを復興してくれるかも知れない。そうしたらまた、安心してリヤ酒を作れるし、売りに出せる。出稼ぎにも安心していける」
復興……?
アラガルド王国に向かっているということは何となく分かったし、実際、王国に用事のある人間しか通らないというズィオ村に竜樹が立ち寄ったことは、たった今確認できた。
それにしても、復興とは。
やはり宰相アーネストによって、王政は崩壊しつつあるということなのだろうか。
そうした事情を、竜樹は一体どうやって知り得たのか。
「随分、話が大きくなってる。竜樹は一体何をしようと」
首を傾げる佑に、マスターは目を丸くした。
「あんた、本当に何も知らないのか」
「……知らない、ですね。何も分からないから困ってるんです。状況から推理して、どうにかここまで辿り着きましたけど、それだってリディアさんが居なければ無理でした。俺はルミールの人間じゃないし、この世界のことは何も知らなかったので」
「なるほどね……」
マスターはうんうん唸りながら、顎を擦った。
「あの子が言うには、『何も知らない父親が、自分を追ってルミールに迷い込んでしまった』『先を急ぐから、無事だと伝えて欲しい』ってことだったんだ。まさか何も知らないってことは有り得んだろうと思っていたが……。そうか……」
「竜樹は無事なんですね? もう、次の目的地に向かって……?」
「ああ。今朝方、出発した。トゥーリアの森を抜けていくという話だった。野宿しながら進むらしい。天候が良ければ、馬を数日走らせて着く距離だ。夕方から風が出てるのが気になるな。明日は天候も崩れそうだ。無事だと良いが……」
野宿しながら――。
嫌な予感がした。
さっきから何度も何度も風が窓を叩いている。
佑は竜樹のことを思うと、酔いが覚めそうだった。




