5. ズィオ村
ズィオ村まで行くのに、エナの町から山を右手に、一直線に走り抜けてきたが、同じくらいの距離を進む必要があるらしい。既にエナの町は視界から消え、見える山の形も変わってきている。
リディアの暮らしていた小屋のあったところから、東へ進んでいくと、いずれ海に出る。アラガルド王国はその真逆、山地を迂回して西へと向かい、山々に囲まれた盆地の中にあるという。
二十年前、どのような経路を辿り、どのように逃れて来たのか、佑は敢えて聞かなかった。
逃亡の最中に、ズィオ村へ寄ったと、リディアは言った。
彼女の過去の一端が見えるかも知れない期待と、本人以外の人間から過去を知らされるかも知れない恐怖を抱いているだろうリディアの気持ちを、無意識のうちに天秤にかけていることに気付き、佑は必死に邪念を払った。
他人の過去には触れるべきではない。
あんなに苦しいものはないのだ。
誰かに過去を知られるということは。
◇
『裁縫道具?』
『はい。大家さんに、お古を頂いたんです』
秋が近付いてきたある日のこと、仕事から戻った佑を迎えたのは、針と糸を手に楽しそうに裁縫に勤しむ紗良と真穂だった。
学校から帰ると度々、真穂は佑の部屋に来て、紗良の様子を見てくれた。
『曽根っちのズボンの裾、解れてるのが気になってたらしくて、紗良さんに相談されたんだ。よくよく話を聞いたら、小さい頃から裁縫はやってたみたいで。ばあちゃんに言って、昭和時代の使ってない裁縫箱貰ってきたんだよね。色々道具入ってるみたいだし、古くてもまだまだ使えそうだったから。今日は偶々学校早上がりでさ。昼間に手芸屋さんに行って、布とか糸とか買い足したり、錆びてたハサミ類買い替えたりしたんだ』
『お店、楽しかったです。綺麗な布がたくさんあって。糸も何色も。夢の国に来たのかと思いました』
紗良の目は、これまでにないくらいキラキラと輝いていた。
『曽根っち知ってた? 紗良さん、刺繍と編み物が得意なんだって!! 何か作って貰いなよ!!』
『え?! そうなの?』
佑が驚いて声をあげると、紗良は恥ずかしそうに、こくりと頷いていた。
『な……、何も無いところで育ったので、裁縫と編み物は小さい頃からやってて。ずっと、わ、忘れてました。慣れるのに精一杯で』
――紗良が自分のことを!
佑はあまりの衝撃に、顔が自然に綻んでいるのに気付かなかった。
手が震えていた。
紗良のキラキラした瞳に吸い込まれそうだった。
『こ、これまでのお礼も兼ねて、何か……、縫い物か編み物に限りますけど、佑さんの欲しいもの、作りますよ!』
『え、ええ?! 良いの?!』
『はい! 是非!!』
『そ、それじゃあ、マフラーがいいかな。冬物、殆ど実家に置いてきたから、揃え直さなきゃならないんだよね……。冬までに間に合えば、首に巻いて、仕事に行きたいな』
『マフラーですね! それなら簡単です。大家さんと相談して、またお店行ってみます』
紗良には、佑の稼ぎから、僅かだが自由になるお金を渡していた。
買い物にも出たことがないという彼女は、財布の使い方、おつりの存在すら知らなかった。
さすがにそれはマズいと、大家にお願いして、買い物の練習をして貰っていたのだ。
買い物をしたことはない。
文字は読めない、書けない。
テレビの存在を知らない。
電話を見たことがない。
電化製品に驚く。夜、明るいと驚く。
だけれど本当は多分頭がよくて、裁縫が出来て、上品で、食べ方が綺麗で、洗練されている。
どこでどうやって暮らしてきたのか、誰にも話せない、話さない、話すことが出来ない彼女のこれまでの人生は、一体どのようなものだったんだろうと、佑は何度も考えた。
そして考える度に、考えるべきではないと何度も首を横に振った。
紗良が笑顔を見せてくれたなら、自分のことを少しでも話してくれたなら、それでいい。
これ以上の詮索は無用だと、佑は何度も何度も、自分に言い聞かせた。
◇
一面の雲に覆われた空は、日が傾く時間になると、どんどん暗くなっていく。
ズィオ村の全景が視界に入る頃になると、風も冷たくなってきていた。
この一帯は、元々風が強いのかも知れない。村をぐるっと囲む木と木の間を板で塞ぎ、村へ入り込む風を防いでいる。
少年姿に戻ったスキアと荷物を分担して背負い直し、村へ向かった。
村の入口には大きな門があった。
直ぐ側に門番が長い槍を持って立っている。
「旅をしてるんだ。一晩泊まりたい」
リディアが尋ねると、門番は訝しげにこちらを見て、ブンと顎を村の中に向けた。
「一軒だけある。真っ直ぐ行くと飲み屋の看板が見える。そこで泊まれ」
なるほど。確かにぶっきらぼうだ。
だが、この寒い中、こんなところに立っているだけでもしんどいだろう。
門番に同情した佑は、いつもの癖で、
「お疲れ様です。寒いですから、無理しすぎないでくださいね」
と声を掛けた。
門番は何故か酷くギョッとして、
「あ……、ああ」
と、またぶっきらぼうに答えるのだった。
既に外には殆どひと気がなく、家々から明かりが漏れていた。やはり、窓のある家は少ない。一軒あたり、三十センチ角の窓があるかないか。貧しい村なのかも知れない。
門番の案内通り、飲み屋の看板を出している大きめの建物が一軒あった。
中から話し声と、食べ物の匂いがしてくる。
ルミールの言葉で何やら書かれた札が店の入り口に垂れ下がっているのを確認してから、リディアは店の中へと入っていく。佑とスキアも、リディアに続く。
「泊まりたいんだが、部屋は空いてるか」
入ると直ぐにカウンターがあり、宿屋の主人が出迎えた。
声が聞こえるのは、左側の扉の向こう。どうやら、この先が飲み屋らしい。
「一部屋で良いか。ベッドは二つしかない」
「構わんよ」
必要事項だけ、淡々と話して手続きが進む。
「食事がまだなら、こっちで食い物は出してる。別料金だ」
主人は言いながら、チラチラと佑の方を気にしている様子。視線に気が付き、佑は思わず目をそらした。
やはり、異世界人であることが直ぐにバレてしまったんだろうか。
履き心地を考えて、防具屋で革のブーツを買わずに雪用の長靴で押し通したのがマズかったか。
「右手の奥の部屋だ」
鍵とランタンを受け取り、部屋へ向かう。
宿の主人は、やたらと佑の方を気にしながら、ずっと目で追ってきた。
なんだろう。嫌な予感がして、佑はブルッと身体を震わせた。




