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君の世界を巡る旅  作者: 天崎 剣
【5】佑と紗良の昔の話

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4. 大量のノート

 スキアの背中からは、かなり遠くの景色まで見渡せる。

 佑は時折身体を起こしながら、あちこちに視線を向けた。

 美しい景色は勿論、ゆっくり見ていたいところだが、探しているのは、竜樹の乗っているだろう馬の足跡だ。

 同じところへ向かっているならば、同じように足跡が付いているのではないかと思って何度も目を凝らしたが、結局は分からずじまい。竜樹から半日以上遅れて後を追っているため、足跡は崩れてしまっているかも知れない、埋まってしまっているかも知れないのに、佑は諦めきれなかった。

 身体を起こす度にリディアに落ち着けと言われる。

 落ち着きたいが、難しい。

 自己主張するようになってきた、ある程度身体も大きくなってきたとは言え、竜樹はまだ十五歳。

 自分が十五の時には何をしていただろうと考えると、気が気ではなかった。






 *






 昼には干し肉とパン、エナの町で仕入れた野菜を使って、リディアがスープを作ってくれた。

 スキアは肉の塊を貰って、美味しそうに食べていた。

 冷たい風を、スキアの巨体が防風柵のように守ってくれる。


「で、王女は身分を保証されたあとも、お前と住み続けたのか?」


 スープにパンを細かくちぎって浸し、リディアはパクッと口に入れた。

 どうやら、日持ちするように硬く焼いたパンも、こうすれば美味しくなるらしい。

 佑も倣ってパンを千切り、スープに浸して食べてみた。野菜の味を吸って、口の中で程よく柔らかくなったパンは、そのまま食べるよりも味が濃く感じた。


「そうです。あれから結局、ずっと一緒でしたね。彼女が何者かも分からないまま、ずっと一緒にいました。瀬名紗良として、彼女が自分ひとりで生きられるようになるには、足りないものが多過ぎたんです」






 ◇






 紗良は、落ち着いた場所が好きだった。

 佑が働きに行って、真穂が学校に行っている間、彼女は時折大家と過ごし、それ以外の時間は佑の部屋に籠もり、文字を書いたり、勉強したりしていたようだ。

 大家は更に大量のノートと文房具を与えてくれた。

 彼女は必死に文字の練習をしていたようだ。


『ノート、また使い終わってしまいました……』


 紗良は申し訳なさそうに、佑に頭を下げた。


『なんで謝るの』


 山積みにされた使用済みのノート。B線のノートにびっしり、字が書いてある。最初は三行使って書いていた字が、次第に二行、一行と、細かく書けるようになっていた。

 書いている内容は、自分の住所と名前、佑の名前、数字、アルファベット、それにひらがなと、簡単な漢字程度。それを、延々と行間なく書き連ねていた。紗良の右手の腹は、鉛筆のこすれたので真っ黒だった。


『紙、高いですよね。私! 使い古しの紙の裏でもいいので』


 たかがノートを高いだなんて。

 佑は少し面食らって、目を丸くした。


『高くはないよ。大家さんがくれた分、残り数冊か……。俺も買ってやるよ。安いやつしか買えないけど。もっと、欲しいものがあるなら、俺の給料で買えるようなら買ってやるけど』

『石版のようなものでも良いんです。練習が出来たらそれでいいので』

『石版? 黒板のことかな。書いたり消したり出来るヤツ?』

『は……、はい。そういうのが、あればですけど』


 紗良は何か失敗したとばかりに少し目をそらし、遠慮がちに言ってきた。

 子どもが文字の練習の時に使う、何とか先生とかいう、磁石の力で文字を書いたり消したりするおもちゃが、真っ先に佑の脳裏に浮かんだが。


『いや。ダメだな。ノートの方がいいよ』


 佑は首を横に振った。


『どうしてですか』

『ノート、使えば使っただけ残るじゃん。最初に使ったノートと今使い終わったノート、中身、見比べてみて。成長したのが分かる』


 紗良はハッとして、壁際に積まれたノートをひっくり返した。

 言われたとおりに二つのノートを畳の上に広げ、『本当』と呟いた。


『練習した文字が消えたら、せっかく頑張ったものが残らないよね。形にして取っておくのって、案外大事なんだよ。最初の頃より、字が柔らかくなってるし、書くスピードも速くなってきてる。こういうの、お金じゃないから。気にしなくて良いよ。ノートは用意するよ。俺と……、大家さんで』






 ◇






「紗良は努力家だったんですけど、分からないことが多過ぎたので、追いついてないような感じに見えました。とりあえず、彼女が最初に思い立ったのが、字を書くことと、文字を読むことだったみたいです。ルミールに来て、ふと思ったんですけど、あんまり文字、見ませんね。やっぱり、識字率は余り高くない感じですか?」


 むしゃむしゃとパンを咀嚼し、スープで流し込んでから、リディアはこくりと頷いた。


「文字は役人や貴族、王族、それから医者と魔女くらいしかまともに使わんからな。商売は出来ても、文字の読み書きは出来ない人間の方が多いんじゃないか。かの地では市井の人間も読み書きするのか」

「しますよ。早い子だと、二つ三つの頃から字を読み始めるんじゃないかな。子どもで文字は読みますし、書けますよ。……そういえば、食堂のメニュー表、紙じゃなくてアレは俗に言う羊皮紙? 地図も!」

「紙は加工の手間がかかる分、高価なんだ。羊皮紙も高い。長く使うつもりのものは羊皮紙を使う」

「そっか。機械もないし、大量生産も出来ないから……、紙も高い部類に入っちゃうのか」


 そこまで言って、佑はふと、出会ったあの日の紗良を思い出した。

 コンビニの、本のコーナーの前で立ち尽くしていた。

 彼女は大量に並ぶ本を見て、困惑したような顔をしていたのだ。


「本って、もしかして、この世界では結構高価だったりしますか」

「高いどころか、売り物ですらない。王宮か、貴族の邸宅か、役所か。あとはギルドや教会……。一冊一冊が貴重品だ。限られた人間しか触れることもない」

「やっぱり! ってことは、あの日紗良は、本を見てルミールとは全く文明レベルの違うところに来たんだなって、確証したんだ」


 町を行き交う車は見たことがなかったろうし。

 夜でも明るい町は魔法のようだったろうし。

 大きなガラスがたくさん嵌めてある家々や店は奇異に映っただろうと思う。

 そうやって、一つ一つが見たことのないものばかりで溢れている中、彼女はコンビニに大量に並んだ本を見つけた。

 ありとあらゆるところに文字が溢れている。

 かの地には、本を普通に誰で入手できる環境が整っていると、あの時理解したからこそ、紗良は読み書きに固執したのだと――、佑は二十年を経てやっと、理解したのだった。

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