6. 不思議な男
忙しく過ごす日々の合間に、佑は何度も礼拝堂の跡地へと足を向けた。
あの日、本当は怖くて堪らなかったのに、何故か恐怖心がフッと消えて、佑は流暢にアーネストを追い詰めていた。あの感覚は何だったのだろうと首を傾げながら、長く伸びてきた草の合間に放置されたままの精霊石をじっと見る。
精霊石を乗せていた車輪付きの展示台は、一部が壊れ、簡単に動かすことが出来ないらしい。アーネストのこともあって、触れたら何が起きるか分からないと恐れられ、工事の邪魔になっているのだという話も聞いている。
雨風を凌げる程度に簡素な屋根がかけられ、ずっと放置されているその石が、佑はどうにも気になって仕方がなかった。
「信仰の対象でもこの有様なんて……。どうにかして動かせたら良いんだけど、ルミールには重機もないからなぁ……」
佑は台座のそばに屈み込んで、その周辺の草をナイフで刈り始めた。ナイフは、エナの町で武器屋に貰ったものだった。
本当はこんなこと、している場合ではなかったが、一度草を刈り始めると楽しくなって、どんどん刈り進めてしまう。
天気が良い割に、標高が高いからか気温が極端に上がらない気候も手伝って、草むしりはかなり捗った。本当は草の根っこから引っこ抜くべきだと分かっていつつも、ナイフでスパッと刈れるのが何だか面白くて、ついつい夢中になってしまった。
「武器屋さんに怒られそう。こんな使い方してって」
餞別にくれた綺麗なナイフ。誰かを傷付けるために使わずに済んで、佑はホッとしていた。
貴族の振りをするようになって、護身用に持てとライオネルに脅されてからずっと身につけていたものが、こんなところで役に立つなんて、世の中分からないものだ。
手でむしるより効率的に草が減る。するとまた楽しくなって、草むしりがやめられなくなる。
――自宅の草むしりを、家族総出でやったことを思い出した。
丁度この季節、春から夏になってきた頃、一番草丈が伸びる。やれる時に一気にやろうと、嫌がる竜樹も巻き込んで皆で草をむしった。やればやる程庭が綺麗になっていくのが気持ちが良くて、佑は草むしりに没頭した。
竜樹と紗良がそろそろやめようというのに、佑はちょっと待ってと一人最後まで草をむしり続けた。
「信じられるか。王女様が草むしりしてたんだよ」
佑はボソリと独りごちた。
独りごちたら急に、紗良のことが恋しくなった。
忙しい日々を過ごしていると、辛いことを思い出さなくて済む。
頭の中が壊れそうになるのを拒むように、どんどん仕事を詰め込んで――かの地でも同じだった。回復したように見えて、本当は全然回復なんてしないのだ。
紗良はかの地で永遠の眠りに就いていて、自分は今ルミールにいる。
夜遅くまで起きているのも、仕事を片っ端から請け負うのも、全ては寂しさを紛らわすためだ。根本的な解決方法なんてどこにもない。ルミールに来ても、それは変わらなかった。
紗良がどんなふうに生きて、どんなふうにかの地へ逃れたかを知り、アーネストを追い詰め、倒し、その背後にいたトビアスのことをリディアが呪い殺しても、結局佑の心の空白は埋まらなかった。
どんなに足掻いても、どんなに悲しんでも、結局紗良は戻らない。
過去には戻れない。
しゃがんで無心に草を刈り取っているうちに、汗とも涙とも分からないものがポタポタと頬を伝い、あごを伝って地面に落ち初めた。身体が震え、鼻水が垂れた。佑はそれを腕で拭い取りながら、ただ無心に草を刈ることだけ考えた。
こんなところにも、草は芽吹くのだなと、佑は思った。
ほんの少し前までここは礼拝堂で、荘厳な建物の下で儀式が行われて、見たこともない綺麗な石だと精霊石の美しさに感動し――だのに今は、その石さえ放置され、誰にも見向きされずにいる。
諸行無常と言うのか、本当に、世の中何が起きるのか、どうなっていくのか分からないものだと佑は思う。
山から下りてくる風に吹かれながら草を刈り続け、一時間程経ったところで、佑はようやくその手を止めた。立ち上がると、辺りはすっかり綺麗になって、精霊石がぽっかりと、自然の中に浮かび上がっているように見えた。
「綺麗になってる。凄いね。皆見向きもしないのに」
ふいに声をかけられ、佑はハッとして振り向いた。
見ると、三十前後の貴族の男が、佑のすぐ後ろで腰に手を当て、感心したように綺麗になった精霊石の付近を眺めていた。
「そんな格好で草むしりしてるの、初めて見たよ。手つきも慣れてる」
長い金髪をなびかせ、落ち着いた濃紺のウエストコート姿の彼は、ゆっくりと佑の隣までやって来てニコリと微笑んだ。
不思議な目の色。
何色でもない、角度によって様々な色に見える。異世界だし、そういう人も居るのかなと、佑はぼんやり考えながら、男に笑いかけた。
「俺は農家の出なんです。草むしりは小さい頃から良くやってたんで。染み付いてるんですよ」
「……偽貴族?」
「そうですそうです。中身は平民ですよ」
このところ、国内外から大勢の貴族や要人が王宮を出入りしている。
彼もその一人なのだろう。晩餐会や儀式の現場にいたかどうかは定かではないが、かの地からやって来た偽貴族の噂はルミール中に伝わっているようだし、彼も面白半分で佑に話しかけて来たのかも知れない。
「精霊石、こんなに綺麗なのに、アーネストがあんなことになって……、怖いんでしょうね。礼拝堂を建て直すにしても、扱い、どうするか悩みどころみたいで。可哀想だなって思ったんです」
「可哀想……? 石が?」
「可哀想ですよ。俺の育った国では、色んなものに神様や魂が宿ってるって考えられてるんです。精霊石に精霊王が宿ってるってのも、何か凄く分かる気がして。一旦精霊石をどこかに動かして、礼拝堂が完成して台座も新調してから、きちんと置き直すのが理想ですけど。御神体の類は簡単に動かせないから、このまま、精霊石を守るように礼拝堂を建てた方がいいのかな……とか。どう思います?」
佑が尋ねると、貴族の男はフフッと笑った。
「君も、石を触れば化け物になると思ってる?」
想定外の答えが返ってきて、佑は目を丸くした。試されているのだろうか。
佑は首を傾げながらも、男の問いに真剣に答えた。
「……いえ。そういうんじゃないでしょう。精霊王は全部見てるらしいんで、罰するべき者を罰したんです。そうでなきゃ、台座に初めて精霊石を乗せた人も、運搬中にうっかり触っちゃった人も、皆化け物になってるはずですからね」
「その通り。精霊王は見ているのさ。人の居ないところでも善い行いが出来る君が精霊石に触れても、何も起こらない。……そういうものだよ」
「そういう……、ものですか」
フッと短く息をついて、佑は男の方に顔を向けた。
「……あれ?」
周囲をぐるっと見渡したが、もう男の姿はどこにもなくて、
「狐にでもつままれたかな」
果たしてルミールに狐が居るのかどうかも分からないのに、佑はそんなことを思ってしまうのだった。




