5. 変わっていく
爽やかな初夏の風が、アラガルドの大地を撫でていく。
精霊祭での大騒ぎから早三ヶ月、王宮の復旧工事はそろそろ大詰め、これから礼拝堂の再建が行われるとあって、大陸中から腕に覚えのある大工や職人達が、王都に集まっていた。
あの日、大量に招集されていた傭兵達は、王宮付近に現れた正体不明の化け物に恐れ戦いて、その殆どが職務放棄し、いなくなってしまった。代わりに大工達の威勢の良い声や、資材を加工する音が響くのは、何とも心地の良いものだと、王都では誰もが口にした。
精霊王の怒りに触れた宰相の話は、瞬く間に大陸全土に広まった。
宰相を裏で操っていた化け物のような魔法使いを、かつて王宮に仕えた魔女が呪い殺した話や、リアム王が全ての混乱を収めて精霊王に真の王として認められた話も、付随して伝わったようだ。
復旧工事は、リアム王が国を立て直し、新たなアラガルド王国に生まれ変わるための大切なものだと宣言したこともあって、国民の士気は高い。
そしてその復興の場の中心に――、佑の姿があった。
「不公平感を与えないように、日当は実質労働時間に単価を掛けて算出してください。ちゃんと労わないと、それこそまた新たな争いの火種になります。特に、国外からやって来た人達にとっては、滞在費も多くかかるわけですから慎重に……」
王宮内の一室、会議テーブルに石版を幾つか並べ、佑はそこに図形や文字を書いた。
覚えたてのルミール文字を佑がスラスラと書くので、大臣達は目を丸くした。
「あの、話……聞いてます?」
「そりゃ、聞いてるが……、タスク殿、いつの間にルミールの字が書けるように……」
「隙間時間に練習してるんですよ。読み書き出来なければ不便ですし。それに、嫌いじゃないんですよ、知らないこと勉強するの。皆さんだって同じでしょう? だから俺の話、聞きに来るんだと思ってますけど」
惜しみもなく知識を提供する佑の元には、各分野から様々な人達が相談に来た。
銀行員の佑の専門は当然金融なのだが、まだ経済が未熟なルミールにとって、整備すべきことは多い。
簡単な読み書きすら難しい市井の人々に、いかにして分かりやすく物事を伝えるか――、貴族階級と貧民の間を埋めるのは、結局信頼しかないのだと思い知らされた。
佑自身もルミールの文字を覚え、暮らしに馴染んでいかなければ、本当の意味での信頼か得られないことも痛感した。
四十手前で新たな言語を覚えるのは難しい。難しいが、楽しかった。――紗良も、同じように頑張っていた事を思い出して、佑はスマホの手書きメモアプリにルミールの文字を書き連ねた。
「俺、この世界、凄く好きですよ。好きだから、知りたいんです。役に立ちたい。俺に出来ることは限られてるけど、どうにか……、皆さんが前に進めるようにお手伝い出来ればって、思うんですよね」
「流石はセリーナ王女の選んだお方。ここだけの話、私はずっと王女の無実を信じていたんだ。アーネストの圧力さえなければ……」
大臣の一人が言うと、自分もだと、何人かが声を上げる。
「お気持ちは嬉しいです。けど……、妻はもう、戻りませんから。これからは、本当に応援したい人がいるのなら、是非その人が生きている間に、直接応援してあげてください。全部終わってからじゃ、伝わりませんよ」
佑は手を止めて静かに笑った。
大臣達はばつが悪そうに、皆苦笑いするのだった。
*
王宮に宛てがわれた部屋には、足の踏み場もないくらい様々な物が積まれている。法律の草案、教育施設の設計図、ペンデについての報告書、共通通貨と取引市場についての各国の意見書、税制改革案、関税の見直し……。ありとあらゆるものが佑の元に集まってくる。
佑は夜になっても、ランプの下で羊皮紙の山と戦っていた。
「父さん、少しは休んだら? 最近、朝から晩までスケジュール詰め込み過ぎじゃない?」
竜樹は乱雑に置かれた羊皮紙入り木箱の間を縫うようにしてすぐそばまでやって来て、文書と睨めっこする佑を労った。
「俺もそう思う。今日はもう少しでやめるよ。集中力が途切れてきた」
慣れない言語で大量の文書を読むだけでも大変なのだが、頼られるのは悪い気がしない。ことあるごとに、ガリム公国からライオネルが訪ねてきては、何故私の右腕にならなかったと詰め寄られるくらいには、いい仕事をしている自負もあった。
「竜樹の方は? ペンデまで行ってたんだろう?」
「城壁もだいぶ崩れて見晴らしが良くなってた。あと半月もすれば、全部撤去出来そうだって」
ペンデを囲っていた高い城壁は、その役目を終えた。
城壁を作っていた石は、適宜砕いて、アラガルド中の街道整備に使われることになっている。
「そうそう、ペンデでエリックに会ったんだ。お姉さん、無事に赤ちゃん生まれたって。可愛い女の子だって言ってたよ」
「そうか! あれから三ヶ月だもんな。良かったな……」
追い詰められたような顔をしてスマホを盗もうとしたエリックを思い出すと、佑の目から自然に涙が溢れた。
「しかもさ、レニが取り上げてくれたんだって! 父さんが渡したハンカチも、洗って大事に使ってるらしいよ」
「そっか、レニが。それにハンカチも! 嬉しい報告が聞けたな。ありがとう」
薬師のレニは、拠点をズィオ村からペンデへと移し、そのまま診療所を構えたらしい。
元々アラガルド王国への入り口であり関所でもあったペンデには、様々な薬草や薬が集まるからだとか何とか、レニは引っ越しの理由をそう語っていたが、実のところはリディアの近くにいたかったのではという説が濃厚だ。
「それから、やっぱりルミールには孤児院とか、学校とか……、子どもに関する施設が増えた方がいいと思った。エリックもそうだけど、奪うことしか知らないまま大人になんかなって欲しくない。俺、しばらくの間ペンデに通って、子ども達に読み書きとか計算とか、あとは常識的なこと少しずつ、教えていこうと思う。食べ物で釣ったら……、ダメかな」
自分で考え行動する竜樹は、頼もしい。
紗良に似て――きっと、放っておけないのだ。
「良いんじゃないか。向こうの小学生だって、給食のために学校行ってたりするだろう? 同じだよ」
「確かに! ご褒美的な感じね。うん。良いかも」
まるで夜明け前の世界にいるような感覚で、佑と竜樹はルミールについて延々と語り合った。
誰かのために動くこと。
皆が幸せになれる道を探すこと。
難しいけれど、少しずつ少しずつ、世界が変わっているような気がして――……、疲れているはずなのに、何故か楽しくて堪らない充実した日々が続いていた。




