2. 解放
リアムの異変にいち早く気付いたのは、彼の数メートル後ろにいた佑だった。様子のおかしいリアムに、佑は攻撃の手を止めて思わず駆け寄った。
辺りは光属性の精霊達が放つ魔法で眩い光に包まれていて、他に気付く者はいなかったようだ。
「リアム陛下、どうなさいました」
隣に屈み込むと、リアムは苦しそうな声を上げた。
「アーネストを……倒すなんて、私には出来ない……」
「陛下……」
宝杖の先で琥珀の精霊は眩く光っているのに、当のリアムは迷いから命令を出せずにいる。
「無理だ。アーネストに攻撃魔法を向けるなんて」
「攻撃してる訳じゃないですよ。陛下、これは皆でアーネストを救うためにやってるんです」
佑は懸命に訴えかけたが、リアムは動かなかった。
国王と宰相。――二人は五年もの間、ずっと時を共にしてきたのだろう。複雑な気持ちは分からないでもないが。
「父親……代わりでした。アーネストは……、確かに酷い男だったと思います。けれど私にとって……、彼は……」
「――そう思うなら、魔法を放つべきだ」
声を被せてきたのはジョセフだった。
視点の定まらぬ様子で、だがしっかりと前を見据えて、ジョセフは佑とリアムの方へと近付いてくる。
「真の王ならば、決断しなければならない。アーネストは確かに、王国のために尽力した。しかし、アラガルド王国に蔓延った諸悪の根源は、間違いなくアーネストだった。彼は、認められたかったのだろう。私やリアムが、真の王として、一人前に王として認めて貰いたかったように、彼もルミールの人間として、認めて貰いたかったのでは。真相はもう……分からない。本人には聞けない。しかし、何かに囚われていたのは確かだ。解放……してやろう、リアム。私達の手で。それが唯一、今の私達に出来ることなのだから」
“解放”という言葉に、リアムは強く反応した。
それまでのことが頭の中を駆け巡り、リアムは肩を震わせた。迷うなと口の中で小さく呟き、深く頷いてから、彼はゆっくりと立ち上がった。
「兄様……、そしてタスク。ありがとう、私の背中を押してくれて」
杖を、リアムは高く掲げた。
その視線の先で、真っ赤に爛れた皮膚を曝け出した哀れな化け物が、天に向かって大きな口を開き、叫び声を上げている。
「琥珀の精霊よ、その中に閉じ込めた太陽の光を解放せよ。迷える者の魂を、その光で清められよ……!!」
網目状の大きな四枚の羽を広げた黄金色の精霊は、人と虫の間のような姿をしていた。長い髪を煙のように漂わせ、優しくリアムに微笑むと、身体を捻って急加速し、光の速さで化け物目掛けて飛んで行く。
鱗粉を撒き散らすようにキラキラと光の粒がその軌道に散るのを、人々は呆然と見つめていた。
ジョセフの金剛石の精霊とは違い、雄々しさはない。
しかし、代々受け継がれてきた宝杖の精霊は、確かにアラガルド王リアムを信じ、その力を最大限に発揮した。
やがて化け物の頭部へと到達した琥珀の精霊は、フワッと宙に制止して両手を伸ばした。
精霊は何かを囁くような仕草をして、化け物にキスをした。
――世界が止まったかのように、一瞬、全ての音と風が消えた。
真っ黒な化け物の大きな鱗が、頭頂部からどんどん剥がれ落ちていく。
剥がれながら砕け、熱を帯び爛れた皮膚が露わになる。それさえ――光は浄化した。
燃え盛るようだった皮膚から、熱が失われているのに気が付いたニコラ・クリバー将軍は、直ぐさま次の指令を出した。
「一斉に斬りかかれ!! とどめを刺せ!!」
鱗の剥がれた化け物は、大勢の兵士や貴族に何度も何度も斬りつけられた。
辺り一面、血の海だった。
化け物は次第に力を失い、その叫び声さえ、どんどん小さくなっていった。
終いには地面に叩きつけられるようにして倒れ、ただ息をするだけの、巨大な何かになった。
「リアム陛下。こいつはもう、虫の息です」
最後の最後、全体の指揮を執っていたニコラ・クリバー将軍は、もの悲しい目でリアムに告げた。
リアムは苦しそうに顔を歪め、だけれど次の瞬間にはしっかりと前を向き、それのそばまで歩いて行った。
頭だけでも、それは馬より大きかった。
崩れた礼拝堂の瓦礫に埋もれるようにして、それは横たわっていた。
ガラス片や壁材、屋根瓦……、会衆席の椅子の残骸、そして……、この騒ぎでも微動だにせず鎮座する精霊石の姿が目に入った。
リアムの白い儀礼衣装もすっかりと血と泥で汚れている。
兵士や貴族達は剣を鞘に収め、魔法を使っていた者達は心を鎮めて、最後の時を待つ。
ヒュウヒュウと、どこかから空気が漏れたような音を響かせて、それは息をしていた。
リアムはその直ぐそばに立ち、静かにそれに話しかけた。
「そこまでして、アーネスト、お前は何を手に入れたかったんだ」
項垂れ、リアムはしばらく肩を震わせていた。
それから腰に差した宝剣を鞘から抜いて、精霊達の力を借り――……。
断末魔は、聞こえなかった。
力尽きると同時に、巨大なそれは砕けた。まるで砂山が雪崩れるように一気に崩れ落ち、跡形もなく霧散したのだった。
*
全部終わったあとでアーネストの息子達が礼拝堂跡地で見つけたのは、彼が左手に嵌めていた、妻との結婚指輪だけだったらしい。




