8. 精霊王が奪ったもの
真下から見上げると天を塞ぐような何かでしかなかった化け物だが、少しずつ距離を取って全景を眺めると、そのシルエットがハッキリと見えてくる。
目と鼻のない、真っ黒いトカゲのような何か。――精霊王の怒りを買い、化け物と化したアーネストではないかと思われるそれは、潰した礼拝堂から殆ど移動しなかった。
「あいつ……、何も見えてないんじゃないか」
離宮側の庭園の一角へと逃れた竜樹は、その全体像を見てぼそりと呟いた。
共に行動していたライオネルの息子、レナードとカイルはハッとしてそれに目を向ける。
「目がないから、見えない。見えないから、どこへも行けない……ってこと?」
「だと思うよ。もし仮に、本当にただの化け物になってしまったのなら、暴れ回るとか、移動するとか、あっても良さそうなのに。ただ悲しそうに叫ぶだけなんて……」
「――殺して貰いたい、とか」
カイルの言葉に、竜樹は思わず「何それ」と返してしまった。
「分からないけど、そうかなってさ。……だってほら、身体中傷だらけで痛々しい」
「確かに、カイルの言う通りかも知れない。“死よりも恐ろしい罰”……死ねない、逃れられない罰。精霊王の怒りに触れて、目も見えない、臭いも嗅げない、もしかしたら耳も聞こえてないかも知れない巨大な化け物になって、だのに意識はずっと人間のままで、恐れられ、いつ殺されるとも知れない恐怖を感じ続けるのだとしたら――」
レナードがそこまで言うと、竜樹もカイルもブルッと身震いした。
「確かにあいつは悪いヤツだけど……、そこまで苦しませなくても良くないか」
「分かる。ボルドリー子爵家の子達とも顔見知りだし。考えるだけでも辛い」
「終わらせて……あげないと」
三人は頷き合い、礼拝堂の方向へと駆けていった。
*
ジョセフは全身に痛みを感じ、目を覚ました。
周囲には埃が立ちこめ、木材や石材が砕けたような臭いがする。手を伸ばすとやはりゴツゴツした何かに触れ、肌を微風が撫でる感覚があった。
どこかの地面に横たわっている、というところまでは理解出来る。
バタバタと大勢が叫び、走り回る音が地面を伝い、ジョセフの耳に届いていた。
強烈な破裂音がして飛ばされたところまでは覚えていたが、それ以降記憶がない。意識を失っていたらしい。
どうにか起き上がらなければと力を入れようとするが、足に激痛が走り、立てそうにもなかった。
「ジョセフ様! ご無理なさらず……!!」
フィアメッタの声。
それから周囲に何人かの気配がする。
「足が……、折れています。今、回復魔法を必死に……」
ジョセフはアアッと声を上げ、額を手で覆った。
その手さえ、血の臭いがしている。
「状況が知りたい。ここはどこで、何が起きている」
なるべく平静を保とうとジョセフは訊ねたが、フィアメッタはとても言い辛そうに言葉を選んだ。
「アーネストが……、化け物になってしまいました。精霊石に触れたのです。巨大化して、礼拝堂を破壊して……、ジョセフ様は落ちてきた外壁の下敷きに。どうにか周囲の者達で壁の下から引きずり出して、今は……申し訳ございません、王宮前の石畳に」
礼拝堂からはそれなりに距離がある場所。大柄のジョセフを担架に乗せ何人かで運んだのだろう。言われてみれば、石畳と身体の間に、布きれのようなものがある。
「どんな化け物だ」
「身の丈は……礼拝堂の天辺よりも高く、真っ黒い鱗のようなもので全身を覆われた、目と鼻のないトカゲのように見えます。大きな口にはたくさんの牙があり、手も足もあるのですが……、ただ叫び声を上げるだけで、一向に動く気配がないのです」
フィアメッタがそう話す間にも、グオォと地鳴りに似た声が響く。
ジョセフは頭の中に化け物の姿を想像し、眉間に皺を寄せた。
「私は視覚を奪われたが、……精霊王はアーネストから言葉も奪ったのだな。可哀想に……」
ギュッと唇を噛み、ジョセフはしばらくの間考え込んだ。
その間にも、回復魔法を得意とする者達がジョセフの傷を治すため、数人がかりで魔法をかけ続けた。
「アーネストは孤独だったのだろう。誰も、彼の本当を知らなかった。タスクの言う通りだ。“共存ではなく支配を選んだ”――なるほど、アーネストはこの世界で生きていくために、その頂点を目指したのか。可哀想な男だ。誰かに愛して貰ったことが……、なかったのだろうか」
「ジョセフ様は未だ、アーネストに情けを掛けるのですか」
フィアメッタがため息交じりに言うと、ジョセフは小さく笑った。
「どこかで、止められなかったものかと。本来ならば本人に追及したいところなのに、あの有様だ。トビアスは……、どこまで知っていたんだろうな。あの魔法使いめ、どこに潜んでいるのか姿を現さない」
「探しましょうか」
「頼む。――私も、いつまでもこうしているわけにはいかない。菫青石の精霊よ、早急に私の足を治しておくれ」
ジョセフが願うと、左腕のブレスレットにはめられた青い宝石がぼんやりと光を帯びた。
スミレの花のような美しいドレスをはためかせた少女の精霊が現れると、すうっとジョセフの足元へ向かい、ゆっくりと患部を撫で始める。目映く青い光が、折れた足を包み込んだ。
動かすだけで激痛の走っていた足が、やがて痛みを失い、元通りに動くようになるまで然程時間は要さなかった。
「……流石、王族の魔法は桁違いですね。何人集まっても直せなかった足が、あっという間に」
フィアメッタが目を丸くすると、ジョセフはよいしょと身体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。
「アーネストを倒しに行く。フィアメッタはトビアスを頼む」
視界の定まらないジョセフは、石の精霊達の導きを頼りに、崩れた礼拝堂へと戻っていった。




