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君の世界を巡る旅  作者: 天崎 剣
【15】精霊石に誓う

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7. ごめんなさい

 精霊王は全てを見ている。

 誠実で謙虚な者には祝福を、強欲で傲慢な者には天罰を。

 魔法は使うべき者に与えられる。

 魔法は豊かに暮らすために与えられる。

 他人を騙し、貶め、辱めるような者には決して与えられない。

 精霊王は全てをご覧になっている。

 だから決して、精霊王のおわす聖なる石には、無闇に触れてはならないのだ。

 精霊王はお怒りになり、死よりも恐ろしい罰をお与えになるだろう。






 *






 それ(・・)が動く度に、太く長い尾が左右に振り回され、礼拝堂の壁がどんどん崩された。瓦礫が宙を舞い、粉塵が辺りに立ち込める。

 会合に参加した各国要人のうち、宰相や大臣らは避難誘導にあたった。一体何が起きているのか、恐怖と焦りで混乱する者達を、礼拝堂から王宮、離宮側へと誘導していく。

 回復魔法の使える者は、怪我人の救護にあたり、加護魔法の使える者は、悪しき者から人々を守る魔法を使った。

 攻撃魔法や剣を使える者は、正体不明の化け物の討伐へと向かう。

 礼拝堂はもうぐちゃぐちゃで、ステンドグラスは粉々に砕けて飛び散り、祭壇部分は骨組みさえ消し飛んでいた。会衆席の椅子は黒い何か(・・)の太い尾になぎ倒されて積み重なり、壁と扉も境目が分からなくなってしまっていた。

 どこの誰が犠牲になったのか、どこにいるかも分からない。

 生き残れるかどうかというのは、混乱の最中、未知の化け物を前にして如何に冷静でいられるかに懸かっている。


「ソルザック侯爵に呼ばれなければ、我々は死んでいたな」


 セプタスの大臣ロビー・ウェバーは、オットー国のブライアン・イートン大臣と共に誘導に当たりながら、ボソリと呟いた。


「全くだ。実は平民と聞いていたが……、あれはライオネルが欲しがる訳だ」

「同感だな。この騒ぎが収まったら、真っ先に必要とされるだろう。平民とは……、確かに惜しい」


 叫び声や悲鳴で、殆どの人間が混乱するなか、こういう会話が出来るのも、最悪を想定した佑に起こりうる未来を幾つか提示されていたからこそだった。


「流石はセリーナ王女が選んだ男。王女は憧れの人だったんだがなぁ、彼には勝てんな」


 ロビー・ウェバー大臣が笑いを零すと、ブライアン・イートン大臣もふふふと頬を緩めた。


「あの時代、晩餐会でセリーナ王女にときめかない者はなかった。それを射止めたのだから、大した男だよ」


 ――ぉおぉぉおぉおぉぉ……。


 まるで嗚咽するような声で、それ(・・)は鳴いた。

 二人の大臣は黒くのっそりとした黒いものを見上げ、静かに息を吐いた。






 *






 王太妃シーラはイアンに手を引かれ、王宮に向けてひた走っていた。折れたヒールを手に引っかけ、破れたドレスの裾を引き摺りながら。

 石畳の上に散った壁の欠片を、シーラは何度も踏んだ。その度に顔を歪め、シーラは痛い痛いと何度も叫んだ。

 それでも何とか走れたのは、イアンが力強く手を引き続けたからだ。

 武芸に縁のない、ただ石と本が好きな息子は、厳しく当たり続けた母の手を絶対に離さないとばかりに握り続けていた。


「イアン……! もうダメ。走れない」

「お母さん、もう少し、もう少しで安全なところに行けますから……!!」


 きょうだいの中でイアンだけが、シーラを“お母さん”と呼ぶ。母上だとか、母様だとか、皆上品に呼ぶのだが、イアンは没落した貴族の未亡人だった頃と変わらず、“お母さん”と呼び続けていた。

 視界の端っこに黒い何か(・・)がどんどん膨れていくのが見えた。

 足がもつれ、転びそうになる。するとイアンはシーラと併走するように少し速度を弱め、それからまた少しずつ速度を上げていった。

 どれだけ走ったか、礼拝堂から随分遠くまで来たところで、二人はやっと歩を止めた。

 草地に倒れ込むシーラを横目に、イアンは黒い何か(・・)の動向を覗った。

 そいつ(・・・)はどうやら動きが遅い、何かに飛びかかる様子もない。大丈夫だと確信したところで、イアンは母の隣に屈み、激しく上下する肩を擦った。


「お母さん、足、大丈夫ですか」

「大丈夫よ、イアン。ありがとう」


 シーラの何気ない言葉に、イアンは顔を明るくした。


「……お母さんにありがとうなんて言われたのは、何年ぶりでしょう」

「あら、そうかしら」

「そうですよ。お母さんはいつも、リアムを見ている。あの子は優秀だし、王家の血を引いてる。没落貴族の血を引く僕とは大違いです」


 シーラはドレスの裾を捲り、足を擦った。普段は足の先まで美しくを心掛けているのに、足の裏には土汚れ、ドレスも汚れと破れで無惨な有様だった。


「イアンが優しいのは知ってるわ。母親ですもの。……その優しさに、甘えていたのね。本当はやりたいことがたくさんあるのに、リアムを守れるのはイアンしかいないと思って、無理をさせてしまっていた。本当に……、ごめんなさい」

「私にはリアムは守れませんよ。私と彼では、身分が違いすぎる。私より、ジョセフを頼れば良かったのでは?」

「目の見えないジョセフには頼れなかったわ……。先妻の子ども達は、皆優しくて……、これ以上負担を掛けてはいけないと思ってしまった。――病が原因だと、聞かされていたの。先妻のルイーズ様も……、ジョセフも……。アーネストが毒を盛ったのだと知っていたら……、私は後妻にはならなかった……!! あんな化け物に良いように利用されて、私は……、あなたの人生を、台無しにしてしまった……!! あああああ……!! ごめんなさい……ごめんなさい…………」


 シーラはそれまでの思いを吐き出すように打ち明けた。

 止めどなく流れる涙と、初めて見せる母の弱さに、イアンは思わずギュッと、母の肩を抱き締めた。


「お母さん……、私こそ、私こそいけなかった。お母さんの気持ち、分かっていました。リアムのことも、どうにかしたいと思って。でも、私には政治の才能はなかった。アーネストのように冷徹に振る舞うことも、ジョセフのように決断することも出来なかった。王家への風当たりはどんどん酷くなっていたし、どこもかしこもアーネストの味方ばかりで、本当の心の内を誰にも話せなかったんです。だけどきっと、それは私だけじゃない、ジョセフも、お母さんも同じだったに違いありません。少しでもお役に立てたのなら、心労が重なることもなかったでしょう。けれど……、私には、出来ませんでした…………」


 泣き崩れる息子の腕に、シーラはそっと手を当てた。


「もう……、なにもかもめちゃくちゃなのですから……、自由に生きましょう、イアン。タスクの話してくれた教育施設の話、あなたも他の国の方々と協力したらいいわ。勉強、したいのでしょう? あなたはこの世界(ルミール)で一番勤勉で、賢くて、ルミールの将来のことを考えている、自慢の息子なのだから」


 化け物の遠吠えと、瓦礫の崩れる音が遠くに響いていた。

 大声で安否を確認し合う人々の声が、庭園を抜ける風に混じって、微かにイアンとシーラの耳に届いていた。

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