6. 何もかも失う
アーネストは目を丸くした。
精霊の見えぬ彼の目にも、佑の周囲に渦巻く魔法の効果は見えている。
「精霊の……加……、護……?」
「タスクは初めから魔法の気配を漂わせて現れた。セリーナ王女や息子のリュウが日頃からタスクに魔法をかけ、守ってくれていたお陰もあるが、……一番は、その誠実さが精霊に慕われたのだ。貴様とは違ってな」
魔法で兵士達をなぎ倒したリディアが、大股で兵士達の背中を跨ぎ、祭壇前へとやって来た。せっかく綺麗に結った髪はボロボロだった。
「精霊王は最初から見抜いていたのだ。貴様が国家転覆を謀る極悪人なのだと。……魔法も使えぬ、精霊も見えぬ人間が存在するからこそ、貴様はそれを隠し通せた。もう終わりだ。諦めろ」
「ま、魔力を失ったのでは……なかったのか……? トビアスは確かに、リディアの魔力は殆どなくなった、消えたと同じだ、と」
両腕を地面に付け、苦しそうに肩で息をしながら、それでもアーネストは顔を上げ、リディアを下から睨みつけた。
鉄壁の宰相と名高かった彼の威厳は、もうそこにはなかった。
「私には生活魔法程度しか使えなくなっていたよ。ほんの、数日前まではな。貴様とトビアスに打ちのめされ、私は王宮付き魔女としての自信をなくした。それが、力を失った原因だとようやく分かったのだ。魔女はな……、自分の力を信じられなくなった途端に力を失う生き物だったのだよ。石の精霊に願おうが、様々な薬を試そうが、意味がなかった。私自身が私を信じられなければ、どんなに足掻いても無駄だった。もう、迷わん。私は自分が守るべきものを守るために、私という存在を、力を信じ続ける」
心なしか、少し前より大人びていると佑は思った。
少女に戻ってしまったはずのリディアが、二十歳とまでは行かないが、一つか二つ年を取ったようにも見えて、佑は思わず彼女の顔を凝視した。
「何が信じるだ……。本当に、くだらん……」
傷付いた身体を起こしながら、アーネストは毒づいた。
「どれだけ待っても、何をやっても、元の世界へ帰れなかったのも、信じる心が足りなかったからか……? まぁ……、今更、戻ったところで、私には居場所もない……いや、はなから私にはそんなもの、どこにもなかった」
「ボルドリー子爵家は貴様の居場所ではないのか」
リディアが聞くと、アーネストはフンと鼻で笑った。
「居場所であって堪るか。この世界を支配するための足がかりとして、血族を増やす必要があったから、一緒に過ごしていただけのこと。それも……、貴様らが邪魔したせいで、無意味になった。クソッ」
「アーネスト! 心にもないことを口にするな。お前はそれでも、子煩悩な父親だった。家族の前では優しい男だったはずだ」
ジョセフの言葉にさえ、アーネストは首を振った。
「知らんな。――どうせ私は極悪人なのだろう。ならば貴様らの望む極悪人になってやろうではないか」
傷付いた身体でのっそりと立ち上がったアーネストの目線の先に、彼とよく似た顔立ちの青年が三人立っている。それぞれ騎士や貴族の格好をした、黒髪と深緑の目が印象的な彼らは、アーネストの言葉に脱力して立ち尽くしていた。
「父上……」
青年の一人がぼそりと呟くのを聞いて、佑はハッとした。
ハッとして青年らとアーネストを交互に見て、どうにか止めなければと――……。
ブンッと、アーネストはリアムを払いのけた。
「うわっ!!」
精霊石の展示台を避けるように、リアムはよろけてそのまま体勢を崩した。
「やめろアーネスト! 戻れなくなるぞ!! 何もかも失う。お前が築いてきた者も、愛してきた者も」
ジョセフの制止を、アーネストは無視した。
「ダメだ!! アーネスト!!」
佑が手を伸ばす。竜樹も、ライオネルも、アーネストの息子達も。
リディアが魔法を放つ。アーネストの右手があらぬ方向に曲がった。しかし彼は左手をぐんと伸ばし――……、精霊石の表面へと…………。
たちまち、何かが大きく膨れ上がり、礼拝堂の祭壇を破壊した。
バキバキと更にそれは膨れ上がった。
佑達はその膨れた何かに押し飛ばされた。
飛ばされ身体が宙を舞った。
――死ぬかも。
そう思った瞬間に、大きくフワフワしたものが身体の下に滑り込み、佑はそのまま、ボフッと長い毛の中に埋もれた。
「スキア!!」
飛ばされた何人かを大きな身体で受け止めながら、大狼姿のスキアは上手に地面に着地した。
「偉いぞスキア!!」
普段はリディアに褒められただけでデレデレするスキアだが、祭壇付近を睨んだままグルグルと唸り続けている。
「ば、化け物――――!!!!」
誰かが叫んだ。
澄み渡った青空に、真っ黒な何かが映り込む。
巨大なそれはのっそりと立ち上がり、ガバッと口を開けた。
鋭い牙が並ぶ口の中で真っ赤な舌を大きくうねらせ、ボタボタとよだれを垂らし――、爛れてヌメった黒い鱗が全身を覆う何か。
竜のような長い首。しかし竜の気高さは微塵もない。剥がれかけた鱗の下には、やはり爛れた皮膚が見えた。
巨大なサンショウウオか、トカゲか。
背中にはビッシリと薔薇の棘に似た背鰭を生やし、長い尾をくねらせる。
――ぐぉおおおぉおぉぉぉぉぉおお……ッ!!!!
地鳴りに似た咆哮に、礼拝堂から少し離れた王宮の窓まで割れた。
「 何だアレは!!!! みんな、無事なのか?!」
薬師のレニが、ガリム公国の騎兵達に混じり、庭園の木陰の下から化け物を見上げていた。
佑が手を振ると、レニは直ぐに気付いて手を振り返してきた。
「レニ!! 礼拝堂にはいなかったのか?」
「私が儀式には出るなと言ったんだ。危険だ、死ぬかもしれないと脅した。安全なところにいろと言ったのに……」
リディアがスキアの鼻を撫でながら、レニに目を向ける。
「リディアが心配で、スキア達と一緒にいたんだよ! リディアとタスクは知ってるのか?! あの化け物は何なんだ?!」
――それは、礼拝堂の建物全部を呑み込む程の大きさで……、逃げ遅れたどれだけの人間が犠牲になったか知れない。
真っ黒な身体に無数の亀裂が血管のように広がり、目はなく、鼻もない。
血に飢えた、巨大な何か……。
「あれは、精霊王の怒りに触れた……迷い子だ」
リディアは巨大なそれを見て、虚しげに呟いた。




