第6話 相談
その日の夜。
夕食を終えた俺は二階の自室でベッドに腰掛け、スマホを弄っていた。
きっと今の俺は鏡で見たら自惚れてしまうような、かつてない精悍な面構えをしていることだろう。
それくらい真剣な心持ちで、過去にアドレス帳に登録していた番号へ電話をかけた。
電話先は『【可能性】相談ホットライン』。
二十四時間対応フリーダイヤルで、専門相談員が【可能性】に関するあらゆる悩みへの相談を聞いてくれる国営安心サービスだ。
当然、相談内容は万象神羅について。教師達に相談しても無駄なあの【可能性】にどう対処すべきか悩んだ俺は、冷静にプロの意見を仰ぐことにした。
ナビダイヤルで一番を入力して、相談員との直接通話を希望。
回線は混雑していないようで直ぐに繋がった。俺みたいな可哀想な悩みを持つ人間が少ないようで何よりだよ。
『お電話ありがとうございます。こちら【可能性】相談ホットラインです』
どんな悩み事も受け止めてくれそうな温和で可憐な声をしたお姉さんだった。
声だけでこの安心感……流石プロだ……。
でも、俺自身は何も悪いことをしていないはずなのに、こうした電話は無駄に緊張してしまう。街中で警察官を見た時に思わずドキリとしてしまうのと同じ感覚。
俺の場合は目つきのせいか夜にただ街を歩いているだけでも職務質問されるし。酷い話である。
「実は、今日高校の入学式で起きた【可能性】に関する事件を相談したいんです」
『かしこまりました。どのようなご相談でしょうか?』
「えっと、話がややこしくて……。先ずは要点から話した方が良いですよね?」
『はい。そうしていただけると理解しやくて助かりますね!』
「実は、同級生の美少女に愛を強制されて困っているんです」
『はい!?』
「あ、えっとですね……」
テンパって上手く話がまとまらない。予めメモを用意しておくべきだったか。
「入学式で、美少女に「私を愛しなさい!!」って言われたんです!」
『はあぁ!?』
まずい。言い方を間違えてしまった。
「い、いや、それは彼女の【可能性】による命令だったんですよ!! それで、他の皆は彼女に洗脳されて、愛の虜になってしまっているんです。僕は【可能性】の影響を受けない【可能性】の判明者なので、拒むことができたんですけれど……」
『…………それで、その女の子はどうなったんですか?』
「涙目で「絶対に私を愛させてやるんだから!」って言って走り去って行きました」
『爆発しろクソガキがぁ!!』
「は!?」
『こちとら彼氏に振られたばかりなんだよ!! わざわざ入学式で告られた報告とか馬鹿にしてんのか!? 甘ったるい話聞かせんなゴラァ!!」
「いや、待ってください……!!」
『虫唾が走るわ!! かーっっっ、ぺっ!! ガチャッ!! ツー……ツー……』
態度と声色が豹変したお姉さんに一方的に怒鳴りつけられ、切断された。
すかさずリダイヤルするも――繋がらない。
俺はホットラインに着信拒否されてしまい、二度と相談することができなくなった。
本当に大事な話だったのに。どうしてこうなった。
「クソッ……!! この国は困ってる学生一人助けてくれないのかよ!!」
日本の未来を憂い、壁を強く殴りつけてガックリと項垂れる。
すると、唐突に部屋のドアが開かれた。
「お兄ちゃん、大きい声出してどうしたの?」
年子で中学三年生の妹――美結が部屋へ入ってきた。
風呂上がりのようで顔が火照っているが、左後頭部には妹のアイデンティティーであるサイドテールが尻尾を振っている。
入浴時と睡眠時以外はこの髪型を極力キープするというのが、幼い頃からの妹の自分ルールになっていた。
暑いからなのだろう、ライトブルー色のフリル付キャミソールワンピースという無防備な格好だ。丈も短いし、実にけしからん。
美結は家ではやけに肌の露出が多くて、兄としては見ていて不安になる。
ボディラインが出ているし、屈んだら胸が丸見えになるぞ。
「美結、部屋に入る時はノックしてくれっていつも言ってるだろ」
「ふーん、見せられないような事してたんだ。例のエッチな本でも読んでたんでしょ」
「読んでねぇよ!」
ベッド下の収納ボックスに秘蔵の宝物を隠していることは妹にバレているようだ。
だがエロ本なんて今時古い。本当に見せられないデータは全てパソコンの階層奥深くの秘境に用意した隠しフォルダの中。俺にしか辿り着けないようにしてあるのだ。
「お風呂空いたって伝えに来たら怒鳴り声が聞こえたからさ。誰と話してたの?」
「ああ……心配させたか。悪いな」
「べ、別にそんなんじゃないし! また騒がれたら嫌だっただけだから!」
火照った顔を更に赤らめて怒った美結は髪の毛を揺らしながら俺の隣へやってきて、ボフンと音を立ててベッドに腰掛けた。
腕が触れる距離で不満げに口を尖らせる。
「お兄ちゃん、昔から全部一人で抱え込むからさ。たまには話してみなよ」
そう言ってくれる美結の優しさに甘えた俺は、大まかに入学式の出来事を語った。
「――つまり、全校生徒の前で告白されたって事? のろけ話じゃん。聞いて損した」
「どう聞いたらその解釈になるんだよ」
「まったく。アイツもクソ女だったし、お兄ちゃんって昔から変な女に好かれるよね」
呆れ混じりに溜め息を吐いた美結が、ミドルブラウン色の木製学習机の方へ顔を向けて、机の上に置いてある写真立てを睨んだ。
俺と美結と幼馴染みの彼女、幼い頃の三人が写る写真。
初めてサイドテールの髪型にして照れて微笑む美結を挟んで無邪気に笑う俺達が写る、懐かしい思い出。溢れんばかりの笑顔で、見ているだけで頬が緩んでしまうような、幸せを形にしたかのような、そんな一枚。
それを美結は汚物でも見るかのような嫌悪感に満ちた眼で一瞥した。
「その写真まだ飾ってるの……? 気分悪いんだけど。もうアイツのことなんて忘れてよ」
彼女の件で色々な事があった今では仕方のないことだと理解してはいるが……それでも、妹が昔は姉妹同然に仲良くして慕っていた彼女を「アイツ」呼ばわりして貶す度に、胸が強く締め付けられて苦しくなる。
「ともかく――。あの女は【可能性】で俺以外の全員を洗脳していた」
「でも、全生徒も教師も操られていたんでしょ? そんな凄い【可能性】ならもっと前に話題になってそうな気もするけど、聞いたこともないよね」
確かに神羅の【可能性】の影響力は恐ろしいものだし、今までも今日のような突飛な行動を繰り返していたのならメディアに取り上げられていそうなものだが、調べたところ彼女に関する記事は一つも見当たらなかった。
インターネットで『万象神羅』と検索しても、不自然なくらいに検索結果は零。
何かしらの方法で情報規制でもしているのだと思う。他人を意のままに操れる力ならばそれも不可能ではない。
うーんと唸っていると、美結が冷めた目でジロリと睨んできた。
「薫先輩も同じクラスだったんでしょ? モテモテじゃん、お兄ちゃん」
皮肉としか思えない口ぶりだ。
美結は中学ではテニス部で、去年まで薫の後輩として溺愛されていたので薫にとても懐いている。俺に嫉妬しているのだろう。
「本当にモテたらいいんだけどな。そういう美結はどうなんだ?」
「え!? わ、私!?」
予想外の切り返しだったのか、美結は慌てふためいていた。
「俺が消えて少しは変わったか? どちらにしろ近寄ってくる奴は許せないが」
以前までは美結も『あの式神結人の妹』という厄介者のレッテル貼りをされ、異性に言い寄られる事などなかったようだが、今ではその弊害も薄まったことだろう。
「そ、そういうのは全部断ってるから」
「なら良いけど、兄としてはやっぱり不安だ」
美結は決して弱々しさはないが華奢な体躯で胸も大きいわけではないから、身長差のある俺が上から見ると、開けた胸元から乳房と腹部が丸見えになっている。
「胸見えてるぞ。外では気をつけろよな」
胸元を指さして指摘すると、美結は顔を真っ赤にしながら胸を隠して反対側へと飛び退いた。
「ど、どこ見てんのよ、信じらんない!!」
「意識せずとも見えちゃうこともあるから、外では注意しろって話をしているんだ」
「…………やっぱりお兄ちゃん、私のことそういう目で見てたんだ」
「見てねぇよ! ただ心配なんだ、兄として」
「でも小学一年生の頃、お医者さんごっこって言って検診のふりして何回もおっぱい揉んできたよね? しまいには「薬つけてあげる」とか言って舐め――」
「すみませんでした。好奇心だったんです。誰にも言わないでください」
迷いなく土下座した。
人生終了を避けるためなら誇りなんて安いものだが、純真無垢だった幼い頃の過ちを切り札にするなんて卑怯だ。
顔を上げると、訝しむような曖昧な表情を見せていた美結が、やがてぽつりと呟いた。
「今でも……触りたい?」
「は!?」
四つん這いになった美結が、羞恥心からか耳まで真っ赤にしてゆっくりと寄ってきた。
谷間が丸見えになっていて、思わず目が留まる。
「お兄ちゃんがしたいなら……良いよ。でも、その代わり――」
掌を俺の顎の方へと伸ばしてきた。そこで、
「小遣いはないぞ。金欠なんだ」
意図を理解して先に拒否すると、美結がムっとした表情に変わって頬を膨らませた。気付けばその眼がルビーのように妖艶で鮮やかな赤色に変色している。
美結は【甘得上手:自分に好意を抱いている相手へ上目遣いを向けると最大限に甘やかしてもらえる】の判明者。
幼い頃の美結は無意識のうちに【可能性】を使って爺ちゃん婆ちゃんに甘えまくり、お年玉ってレベルじゃねぇ額を貰おうとした。それを俺が叱って我に返らせて三千円に減額させ、美結に泣き喚かれて逆恨みされた。懐かしい記憶だよ。
以来それを根に持った美結は、俺には【可能性】の影響はないと分かっていながら、時々こうして【甘得上手】で小遣いを要求してくる。
きっぱりと断られた美結が、虹彩を元の茶色に戻して「パパに貰うからいいもん。お兄ちゃんのバーカ」と口を尖らせながら立ち上がった。
そしてドアノブに手を掛けたところで――
「美結。その髪型、似合ってるぞ」
不意に褒め言葉を投げたが、美結は驚くこともなく呆れたように微笑み、
「お兄ちゃんそればっか。ま、ありがと」
と言い残して部屋を去った。
美結は自分の髪型に強い想い入れがあるので、こうして褒めることでご機嫌を取れる。最初は照れていた美結も最近は特にリアクションをしてくれなくなったのが少し悲しいが、これで親父の小遣いは絞り取られずに済むだろう。
ふぅと息を吐くと、なんだか一気に疲れた。
散々な高校生活初日だった。
謎の【可能性】を持つ美少女が入学式に乱入してくるし、教師と相談員には怒鳴られるし、美結にはからかわれるし、対処方法は思い浮かばなかったし。
万象神羅のことを考えると頭と胸が痛んできたので、今日は考えることをやめた。
パパッと風呂を済ませ、歯を磨き、自己紹介の練習を終え、ベッドへ倒れ込む。
すると自分が思う以上に疲労が溜まっていたようで、瞬く間に意識が遠のいた。